『松下政経塾とは何か』出井康博を読書。
・松下幸之助は政経塾、国民運動、研究所を構想していた。幸之助は両親・兄弟・息子を早く失う。
・79年政経塾を設立、80年1期生が入塾。
・82年頃、幸之助は新党の設立趣意書、綱領、組織図、方針(無税国家など)を作成。
・83年小野晋也が愛媛県議に当選(初の政治家)。87年野田佳彦が千葉県議に当選。
・89年幸之助死去、志願者が減少。塾頭の上甲晃は、脱松下・地域化の改革をする。
・91年京都政経塾を設立(塾頭は福山哲郎)。東京政経塾では山田宏、長浜博行らが新党結成に動く。
・93年衆院選で日本新党(党首細川護熙)から塾生15名が当選。
・98年山田宏、野田佳彦、長浜博行、中田宏らが新党結成のため「志士の会」を結成するが頓挫。
・99年松下正治(幸之助の娘婿)が塾の理事長に就任。運営赤字に取り組む。
・今の塾は革新志向を忘れ、選挙当選のためのブランドになっている。
・幸之助は巨大な欲望を抱えて生きた。経営者としての成功で飽き足らず、日本を自ら信じる姿に変えようとした。だから私利私欲に無縁の龍馬に憧れた。