『パリ・コミューン』磯見辰典を読書。
1870年9月-71年5月のパリでの出来事を小説風に紹介。結構面白い。人名、地名が難解。
<成立前>
・9月2日普仏戦争でナポレオンⅢが捕虜に。
・9月4日パリ市庁舎にて、国防政府(ブルジョワ共和制、大統領トロシュ将軍)樹立。
・1月26日ドイツ軍のパリ攻撃により、政府はドイツと休戦条約を結ぶ。
・2月12日ボルドーにて国民議会開催。2月19日臨時政府(ブルジョワ共和制、行政長官ティエール)樹立。
・2月15日パリで国民軍が連盟し中央委員会を設立。
・3月10日政府はボルドーからパリ近郊ベルサイユに移転。
<成立>
・3月18日政府は国民軍の武装解除と大砲回収のため、パリに政府軍を派兵。政府軍はモンマルトルなどを一時占拠するが、逆に国民軍・市民に吸収される。
・3月26日パリ市議選挙によりコミューン成立。
・3月29日行政機関として委員会設置(軍事、保安、司法、財政、糧食、労働・交易、公共事業、教育、渉外)。
・4月4日国民軍は市外のシャティオン保塁を失う。
・4月20日代表委員設置。
・4月30日軍事代表委員がクリューズレから市民ロセオに交代。
・この頃、パリは教会でクラブが盛況。一方、政府はティエールが着々とパリ進行を準備。
<崩壊>
・5月1日パリは公安委員を設置。5月9日軍事代表委員がロセオからドゥレクリューズに交代。
・5月9日国民軍は市外のイシー砦を失う。
・5月21日政府軍は、パリ西方から入城、5月28日制圧。多くの軍人・市民を処刑。
・コミューンは2ヶ月余りで崩壊。統制力の欠如は原因だが、成立時の熱狂は何だったのか。