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『許永中 日本の闇を背負い続けた男』森功を読書。

○大阪中津
・1947年6人兄弟の4人目に生まれる、在日韓国人。姉が空襲で焼死、もう一人の姉も火傷を負う。
・長屋で育った許永中は体が大きく、喧嘩が強く、頼られる存在であった。
・愚連隊となり、大阪工業大学に入学するも中退する。

○アンダーグラウンド
・大淀建設に在籍し、同和対策事業を請け負う。
・暴力団組長古川真澄、宅見勝との交際も始まる。
・妻の藤田姓も名乗る。野村周史に気に入られ、野村姓も名乗る。

○政商との出会い
・東邦エンタープライズの支店を東京に設立。
・不良債権処理で東邦生命社長太田清蔵に気に入られ、以降二人三脚で歩む。
・東急建設の脅迫事件で逮捕。
・竹下登元首相の盟友で画商の福本邦雄(最後の政商)と知り合う。
・京都の不動産会社トラストサービスの社長に就任。KBS京都の内紛に関わる。

○大物フィクサー
・1986年大阪国際フェリーで日韓航路を就航させる。
・1988年京都銀行株をセゾングループ堤清二に売却しようとするが失敗。
・雅叙園観光ホテルの債権処理問題で、協和総合開発研究所の伊藤寿永光と知り合う。

○イトマン事件
・住友銀行の河村良彦は社長としてイトマンを再建する。
・許永中、伊藤寿永光は、多数の絵画を不当な価格でイトマン(河村良彦)に買い取らせる。本事件で3000億円が闇社会に流れる。
・1991年逮捕。97年韓国で失踪、99年都内で身柄拘束。
・2001年二審で懲役7年半の実刑を受ける。05年上告は棄却。

○石橋産業事件
・本事件は、石橋家の内紛から始まる。亀井静香は若築建設と全日空の仲介をする。
・2002年一審判決時、卒倒する。06年二審で懲役6年の実刑を受ける。08年上告は棄却。

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