『ユーゴ動乱1999』梅本浩志を読書。
お勧め度:☆☆☆(民族紛争の解決例)
コソボ紛争について解説。
コソボ紛争は、内乱、難民、空爆などシリアと類似。しかし政治的解決ができたコソボと、全く先が見えないシリアでは、雲泥の差。
○バルカン史
・ユーゴスラビアは、南スラブ国の意味。3Cユーゴに南スラブ人(セルビア人、クロアチア人、スロベニア人など)が南下。
・1171年セルビア王国建国。1389年コソボの戦いでオスマン帝国に抵抗するが属国に。オスマン帝国は宗教に寛容で、平和的に統治。
・1830年セルビア公国成立。1878年露土戦争でオスマン帝国から完全に独立。
○チトー
・1941年4月ナチスはユーゴに侵入。チトーはパルチザンを率い、ナチスに抵抗。
・1946年チトーは、6共和国からなるユーゴスラビア連邦人民共和国を建国。
・チトーの思想は、民族自決、連邦制、全民衆防衛、非同盟、自主管理、直接民主主義、一党独裁など。
・全民衆防衛とは、高校生以上の全国民は、武器を持って侵入者に抵抗する権利・義務。
・1974年憲法は、情報公開、環境権、バカンス権なども規定され先進的。
・1980年チトーの死後、官僚腐敗が始まる。
○コソボ紛争
・セルビア共和国コソボ自治州の人口構成は、アルバニア人80%、セルビア人15%。
・大セルビア主義のミロシェビッチ大統領は、コソボのアルバニア人を虐待。アルバニア人は難民となる。
・1999年4月米英中心のNATO軍はユーゴを空爆。1999年5月ハーグ国際司法裁判所は、ミロシェビッチ大統領を起訴。
・1999年6月ユーゴとNATO軍は和平合意。主な合意内容は、コソボからのユーゴ軍撤退、コソボの国際管理、コソボの復興。