『香港バリケード』遠藤誉を読書。
昨年の「香港反政府デモ」を解説。
長官選挙の方法に学生が反発。市民、民主派議員も加わり金融街などを79日間占拠。
市民が催涙弾を防ぐため傘を使用、雨傘革命と呼ばれる。
香港の状況は、台湾に多大な影響。
お勧め度:☆☆☆(香港人の情熱に少し感動)
○返還前
・アヘン戦争により香港を、アロー戦争により九龍を英国に割譲。
・82年サッチャー首相と鄧小平が返還について会談。84年「共同声明」を発表。
・85年「基本法」を作成する起草委員会を設立。委員は中国36人、香港23人で構成。
・89年天安門事件で民主化を弾圧。
・90年「基本法」成立。「基本法」には一国二制度、普通選挙などを規定。
・97年香港返還。
○返還後
・02年江沢民主席は香港政府に、治安維持のための「国家安全法」の成立を指示。03年50万香港市民のデモで廃案に。
・03年胡錦濤主席は懐柔的で、珠江デルタ地帯に経済政策。香港は中国人観光客で潤う。一方「07年長官選挙は普通選挙しない」と宣言。
・11年香港政府は「愛国教育」の必須化を推進。中学生黄之鋒は組織「学民思潮」を結成。デモは10万人に拡大。12年必須化を断念。
○事件
・14年6月中国政府は白書「香港における一国二制度の実践」を発表。「長官は愛国者(共産党者)から」と規定。
・学聯(周永康)、学民思潮(黄之鋒)、民主派議員(李柱銘、戴耀廷、梁国雄)が抗議デモを開始。香港返還日(7月1日)のデモは51万人。
・8月31日中国は「長官選挙は指名委員会が厳選した愛国者から普通選挙」と宣言。
・9月22日真の普通選挙を求め、学生が授業をボイコット。市民、民主派議員も加わり、金融街、立法会などを占拠。
・9月26日警察は市民に胡椒スプレーや催涙弾を使用。世界が報道。
・12月15日要求が認められないまま撤退。指導者は「占拠は一掃されても、我々の心は一掃されない」と演説。
・撤退の原因は、街頭占拠に対する市民の反対と中国マネーへの依存。
○インタビュー
・多くの若者は、真の普通選挙を要望。
・黎智英(新聞や雑誌を発行)-次世代のため、民主化運動を継続。
・梁国雄(社民連党首)-中国だって数年後、共産党独裁とは言えない。本事件で共産党は信頼を失った。
・デモ参加夫婦(夫は占拠期間、数十人分の食糧を差入れ)-占拠は違法だけど、他に方法はなかった。