『カチンの森』ヴィクトル・ザスラフスキーを読書。
第二次世界大戦、ソ連によるポーランド軍将校の殺戮を解説。
全体主義は恐ろしい。大粛清などスターリンによって行われた殺戮の一つ。
お勧め度:☆☆☆
○ポーランド分割、殺戮
・1918年第一次世界大戦後、ポーランド共和国独立。
・39年8月独ソ不可侵条約署名(秘密議定書あり)。39年9月独軍、ソ連軍がポーランド侵攻。ポーランドが分割される。
・ソ連は、反ソの恐れがあるポーランド人エリート階級(将校、国家公務員、情報員、警察など)を特別収容所に拘禁。秘密警察(NKVD)が管理する。
・1940年4月ソ連のスモレンスク(カチン)などで、ポーランド将校2万5千人を銃殺。スターリンなど7名の政治局員が銃殺命令に署名。
○隠蔽
・1941年6月独軍がソ連に侵攻。43年2月カチンを占領した独軍がポーランド将校の遺体を発見。
・1943年4月ドイツは国際医学調査委員会を設置。ソ連による殺戮と結論。
・1944年1月カチンがソ連に復帰すると特別委員会を設置。ドイツによる殺戮と公式見解。
・第二次世界大戦後、英米は東欧への無関心と世界秩序維持のため、殺戮を隠蔽。
・ソ連最後の大統領ゴルバチョフは、銃殺命令が特別文書庫に存在するのを知るが隠蔽。
・1992年10月ロシア初代大統領エリツィンは銃殺命令を公表。
・スターリン主義の断罪は、ロシア新世代の責任感に掛かっている。
○補足
・本書は日本語、英語、独語、伊語で出版され、様々な賞を受賞。
・エリート階級以外に、40万ポーランド人がシベリアなどの僻地に強制移住された。