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『慟哭の海峡』門田隆将を読書。

戦争で大切な人を失った二人のノンフィクション。
一人は乗船した揚陸船がバシー海峡で撃沈。漂流の末、一人生き残った中嶋氏。
もう一人は、同じくバシー海峡で弟を失った柳瀬氏(アンパンマン生みの親、やなせたかし)。
二人とも失った人を想い、一生を送る。
久しぶりに戦争物を読んだ。たまに読みたい類の本。

お勧め度:☆☆☆

○中嶋氏
・大正10年静岡に生誕。昭和17年早大予科在学中、陸軍に入隊。
・昭和19年乗船した揚陸船がバシー海峡で被雷。12日間漂流、奇跡的に救助。当初筏に13人乗っていたが、皆力尽きる。
・4ヶ月の入院後除隊。再度通信士に。
・戦後旅行会社を起こし、バシー海峡への慰霊ツアーを開始。バシー海峡を臨む海岸には多くの日本兵の遺体が漂着した。
・萬福寺安本住職、高雄市鍾氏、台北市洪氏の協力で、昭和56年バシー海峡を臨む猫鼻頭岬に潮音寺を建立。
・病床で「自分だけが助かったのは情けない。戦争は有ってはいけない事」と。平成25年死去。

○柳瀬氏
・嵩は大正8年、弟千尋は2歳年下。父は幼少時に病死、母はまもなく再婚、高知の伯父夫婦に育てられる。
・昭和18年千尋は京大を卒業し、武山海兵団に入団。
・昭和19年千尋は対潜学校を卒業し、海軍に入隊。駆逐艦呉竹に乗船、バシー海峡で被雷。船底で潜水艦探知していたため即死。
・昭和21年嵩は中国より復員、茫然と日々を過ごすが、高知新聞に入社。翌年上京し結婚。三越に入社。
・昭和28年漫画家として独立。当時手塚の漫画ブームで鳴かず飛ばず。
・『手のひらを太陽に』「僕らはみんな生きている 生きているから歌うんだ」は、自分を励ますために作った歌。
・昭和48年あんぱんまん(当初はひらがな)を描くが、出版されず。
・昭和63年日テレ武井氏の努力でアニメ「アンパンマン」を放映(驚異的な視聴率)。アイデアマンで、おむすびまん、カツドンマンなどを生む。
・平成5年妻を喪う。子供はいない。
・嵩は千尋を愛おしく想っていた。丸顔のアンパンマンは千尋の化身とも。平成25年死去。

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