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『オルレアンの解放』レジーヌ・ぺルヌーを読書。

英仏百年戦争(1339-1453年)の終盤に、反転の切っ掛けになったオルレアン解放(1429年)を解説。
ジャンヌ・ダルクの出現により仏国が劣勢を盛り返す。
中世末期で封建制から王制への変換期。

お勧め度:☆☆

○時代背景
・ペストや飢餓により人口減少。
・戦争は常態化。英国は長弓を仏国は大弓を使用。大砲も使用され始めた。

○オルレアン包囲
・オルレアンは仏国の中心部にあり、ロアール川が東から西に流れる。
・1413年英国でヘンリー5世が即位。仏国への侵攻を開始。
・英国はブルゴーニュ公と同盟し、パリを含むロアール川以北を占領。英国ベッドフォード公が統治。
・1407年オルレアン公ルイ(仏国王シャルル6世の弟)はブルゴーニュ公に暗殺される。後を継いだオルレアン公シャルルは、1415年英国の捕虜に。
・1428年10月英国はオルレアンの包囲を開始。29年2月オルレアンへの食糧補給隊を破る(鰊の戦い)。オルレアンは物資が欠乏。

○オルレアン解放
・1429年4月29日羊飼いの娘ジャンヌは、鎧を纏い、旗を掲げ、オルレアンに入城。
・1429年5月4日ジャン(オルレアン公シャルルの異母弟)やジャンヌは反転攻勢に。5月8日包囲軍撤退。オルレアンは歓喜に包まれる。

○解放後
・1430年5月ジャンヌはコンピエーニュ包囲戦で捕虜に。英国に資金を頼るパリ大学はジャンヌを批判。1431年火刑に。
・1429年7月仏国王シャルル7世はランスで戴冠。軍事より外交に頼る国王は、37年パリ入城、49年ルーアン入城。
・1453年東ローマ帝国はオスマン帝国により滅亡。55-85年英国は王位争い(ばら戦争)。50年頃、活版印刷発明。92年新大陸発見。

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