『商都大阪をつくった男 五代友厚』宮本又郎を読書。
三つの事項を解説。
①元薩摩藩士で大阪再生の基礎を作った五代友厚。
②加島屋を支えた女性実業家広岡浅子。
③大阪経済史
五代友厚は東の渋沢栄一と対比されます。
2015年NHK放送『あさが来た』は広岡浅子が主人公。
お勧め度:☆☆
○薩摩藩士
・1836年五代友厚は薩摩に生誕。57年幕府の長崎海軍伝習所で学ぶ。63年薩英戦争で捕虜に。
・65年薩摩藩の留学生を引率し渡欧。紡績機、武器を購入。資本主義を学ぶ。
・帰国後、長崎でグラバーや倒幕諸藩と交易。三菱重工の礎となる小菅修船場を建設。
・68年新政府の外国事務掛に就き大阪在勤。造幣寮の建設に着手。69年横浜に転勤するが退官し大阪に戻る。
○実業家
・69年金銀分析所を設立。独占事業で後の資金源に。
・73年弘成館を設立。天和銅山、赤倉銅山、栃尾銅山など26鉱山を所有し鉱山王に。
・76年堂島米商会所を設立。米穀取引を再開。
・78年大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立。株仲間解散で乱れた商習慣を回復。
・81年北海道開拓使官有物払い下げ事件で批判を受ける。85年死去。
○大阪の衰興
・大阪は江戸や地方の成長で幕末期から衰退。
・大阪商人は以下の打撃を受ける。
①堂島米会所が廃止。廃藩置県で藩営商業が禁止。
②幕府、新政府に莫大な御用金を課される。
③新政府は三貨制度の内、西日本の銀目を廃止。
④大名貸(藩債)の53%が棒引き。
⑤株仲間の解散。
⑥官営工場が少ない。
・五代の大阪再生の特色
①鉱山、港湾・交通整備、商法会議所、教育など多面的。
②公益性が高い。
③商社合力-資本結合、人的結合。
④水運、米会所、株仲間など伝統的基盤を活用。
・五代友厚、藤田伝三郎、松本重太郎、小林一三、広瀬宰平は大阪以外の出身。
○広岡浅子
・1849年越後屋の三井出光家に生誕。三井家は為替方として新政府と親密に。
・65年両替商加島屋の分家広岡信五郎に嫁ぐ。両替商は蔵屋敷の蔵元(米の保管・販売)・掛屋(金銭を管理)に就き、大名貸。
・69年本家は当主の死で26歳正秋が家督を継ぐ。
・73年加島屋は藩債処分で打撃。危機に際し簿記・商業などを独学で習得。
・84年広炭商店を設立、97年潤野炭鉱の再開発に成功。88年加島銀行を設立。99年真宗生命(後の大同生命)に参画。01年日本女子大学校を開校。
・04年夫の死で女婿・恵三に家督を譲る。
○大阪経済史
・歴史的系譜
①古代は難波宮・遣隋使・遣唐使で王都・国際都市。
②戦国時代は石山本願寺で宗教都市。
③秀吉により政権都市。
④江戸時代は経済都市。
⑤近代は工業都市。
・1619年天領に。堀川を開削し、インフラを整備し、土地を造成。
・江戸時代、天下の台所に。農林水産物・鉱産物を移入し、衣料品・油・蝋燭・道具・加工食品を移出。
・明治初期、洋反物の山口吉郎兵衛、松本重太郎、綿糸布の伊藤忠兵衛、鉱山の藤田伝三郎、住友の広瀬宰平、金融の金沢仁兵衛、財界人の土居通夫などの実業家が台頭。
・紡績業が栄え、東洋のマンチェスター、煙の都と呼ばれる。
・旧商家の鴻池家は第十三銀行、住友家は別子銅山で復活。野村徳七は野村財閥、山口吉郎兵衛は山口銀行、武田家、塩野義家、田辺家、藤沢家は製薬メーカーの基礎を築く。
・明治末期から飛躍的に人口増大。
・私鉄・百貨店の小林一三、洋式帳簿の黒田善太郎、松竹の白井松次郎・大谷竹次郎、仁丹の森下博、鈴木商店の鈴木岩治郎、グリコの江崎利一、ワイン・ウイスキーの鳥井信治郎、電気製品の松下幸之助、シャープの早川徳次などの大衆消費企業も台頭。
・1970年万博以降、低下。