『白虎と青龍』小林惠子を読書。
天智天皇、天武天皇、白村江の戦い、壬申の乱などを解説。
朝鮮(百済、高句麗、新羅)、唐、中央アジアの歴史も頻出。推測も多い。
お勧め度:☆(詳し過ぎ、専門的)
○天武の正体
・『記紀』は欽明朝頃から朝鮮の『三国史記』と年代が一致し信用できる。
・天武は天智より年長。天武は舒明天皇と斉明天皇との子ではなく、斉明の前夫・高向玄理(高句麗の大臣)の連れ子と推測。
○激動
・皇極朝の644年聖徳太子の子・山背大兄王は斑鳩寺で自害。645年乙巳の変で蘇我蝦夷、入鹿を殺害。蘇我系の古人大兄皇子も吉野で殺害。
・斉明朝の655年飛鳥板蓋宮、656年後飛鳥岡本宮が焼失。658年孝徳天皇の子・有馬皇子を刑死。
・滅亡したササン朝ペルシアの遺子ペーローズ(卑路斯)は、661年唐が設置した波斯(ペルシア)都督に就く。
○白村江の戦い
・660年百済は唐の蘇定方に攻められ滅亡。
・661年斉明、天智、天武は百済再興のため西征。斉明は朝倉宮で死去。天智は豊璋に百済王を任せ帰国。
・661年新羅では親唐派の武烈王が死に、反唐派の文武王が即位。
・663年阿倍引田臣比羅夫などが率いる倭水軍は、唐の劉仁軌が率いる水軍に白村江で大敗。
○天智と天武
・664年百済亡命者は水城、大野城、基肄城、667年高安城、屋島城、金田城を築く。
・668年天智は大津宮で即位。著者は天智の前に間人皇女が在位と推測。
・668年唐は平壌城を包囲。宝蔵王は降伏し高句麗滅亡。671年新羅は旧百済領を奪い、唐と対立。
○壬申の乱
・671年天智崩御後に大津を訪れた天武は出家し吉野に退去。
・672年天武は吉野を持統と共に出立。高市皇子、大津皇子と合流。東海道の鈴鹿と東山道の不破を抑える。
・大友は東国、大和、吉備、筑紫へ派遣軍を送るが、いずれも失敗。瀬田橋の戦いで敗れる。