『ロシアの源流』三浦清美を読書。
ロシア誕生の地・北東ルーシの14~15Cの歴史を解説。
北東ルーシはモンゴル(キプチャク・ハーン国)、正教(ビザンツ帝国)、リトアニア、カトリック(北の十字軍)の外圧を受けつつ、西欧と同様に諸公分立からモスクワを中心とした専制君主国に。
お勧め度:☆☆
○ルーシ
・ノルマン系リューリクはキエフ周辺(ルーシ)の東スラヴ人を支配。
・モンゴルのバトゥは1238年ウラジーミル、1240年キエフを破壊。ルーシはウラジーミル周辺の北東ルーシ(親モンゴル、正教)とキエフ周辺の南西ルーシ(反モンゴル、カトリック)に分裂。
・北東ルーシのペレヤスラヴリ・ザレスキイ公アレクサンドル・ネフスキイは「北の十字軍」(スウェーデン軍、ドイツ騎士修道会)と戦う。
・キプチャク・ハーン国は北東ルーシのウラジーミル大公から貢税を徴収。1299年キエフ府主教はウラジーミルに動座。
○トヴェーリ公ミハイル
・北東ルーシのトヴェーリ公ミハイルはモスクワ公ユーリィとウラジーミル大公を争うが、1319年殺害される。
・1322年ユーリィと共和政都市ノヴゴルドは「北の十字軍」と戦う。ノヴゴルドは毛皮の集積地でモンゴルの侵寇を唯一免れていた。
○モスクワ公イワン・カリター
・1327年トヴェーリはキプチャク・ハーン国の収奪に苦しみ民衆が蜂起。モスクワ公イワン・カリターとキプチャク・ハーン国はトヴェーリを破壊。
・キエフ府主教はウラジーミルからモスクワに動座。1326年聖母昇天教会をクレムリンに建立。
・1319年キプチャク・ハーン国はイル・ハーン国とカフカスで開戦。1359年大内乱時代に。
・1328年イワン・カリターはウラジーミル大公に就く。
・荒野修道院により開拓が進む。宗教に寛容なモンゴルは修道院を免税。農業革命(三年輪作、鉄製農具)で生産量増大。
○リトアニア
・リトアニア語はインド・ユーロッパ語の最古層。リトアニアは独自の宗教を持つが、正教/カトリックに政治的に改宗。
・1317年リトアニア公ゲディミナスはリトアニア大公に昇格。「北の十字軍」(ドイツ騎士修道会)と正面から戦う。
・息子アルギルダスは南西ルーシ(ガーリチ、ヴォルイニ)を巡りポーランドと開戦。1356年ポーランドがガーリチ、リトアニアがヴォルイニを領有で和約。バルト海から黒海に至る領土を獲得。東スラブ人統治のためキエフ府主教から独立したリトアニア府主教の設置が課題に。
○府主教
・1367年モスクワ大公ドミートリイとキエフ府主教アレクシイは、リトアニア大公アルギルダスと開戦。1374年コンスタンティノープル総主教により講和。
・1380年ドミートリイはモンゴルにクリコヴォの戦いで勝利。15Cキプチャク・ハーン国は3国に分裂。
・1385年リトアニアはポーランドとクレヴォ合意し連合国に(カトリックに改宗)。1410年ドイツ騎士修道会にタンネンベルクの戦いで勝利。
・ビザンツ帝国はオスマン・トルコにより弱体化。1389年混乱の中、キエフ府主教にキプリヤンが就き、正教勢力の統合に尽力。
○共和政都市
・ノヴゴロドは共和政都市でノヴゴロド大主教が元首、民会が立法機関、市長が行政機関に相当。1352年「北の十字軍」(スウェーデン軍)を撃退。
・プスコフも共和政都市でノヴゴロドの弟分。ノヴゴロド大主教から独立したプスコフ主教の設置が念願。
・1352年ノヴゴロド大主教ワシーリイはノヴゴロド・プスコフ同盟維持に尽力するがペストで死去。
・1386年ノヴゴロドはモスクワと毛皮産地のドヴィナを巡って開戦するが権益を維持。しかし市政はモスクワ派とリトアニア派に分裂し抗争。
○モスクワ
・1425年モスクワは大公ワシーリイ一世が没すると継承争いが勃発。1453年ワシーリイ二世の継承で落着。
・1439年フィレンツェ公会議で東西教会合同で合意。1448年独立ロシア正教会が成立。1453年ビザンツ帝国はオスマン・トルコにより滅亡。
・1478年モスクワ大公イワン三世はノヴゴロドを併合(民会解散、市長制廃止)。1510年プスコフを併合。分裂したクリミア・ハーン国、カザン・ハーン国に親ロ政権を樹立。ドイツ騎士修道会に勝利し貢税徴収。1497年『法令集』を制定し、官僚体制や農民の移動を規定。