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『古代葛城とヤマト政権』御所市教育委員会を読書。

御所市の鴨都波1号墳、條ウル神古墳、巨勢山古墳群の調査後に、遺跡と葛城氏との関係を解説。
御所市には南郷遺跡群、巨勢山古墳群など注目される遺跡が多い。
遺物に関しては、相当詳細に分析されているんですね。

お勧め度:☆(専門的)

○葛城の遺跡
・鴨都波1号墳は小規模な方墳ながら三角縁神獣鏡を4面出土。有力な豪族であった。
・室宮山古墳(室大墓)は葛城襲津彦の墓と推測。
・南郷遺跡群は都市遺跡で襲津彦が半島から連れ帰った漢人が居住したと推測。
・北葛城には巣山古墳などが所在。

○三角縁神獣鏡
・三角縁神獣鏡には①全国内産②中国と日本で生産③全中国産の3説ある。
・大規模の前方後円墳は奈良盆地東南部→奈良盆地北部→河内平野と移動。これは政権の移動。

○副葬品
・武器組成を分析。甲冑では小札革綴短甲、方形板革綴短甲などが出土。

○葛城
・かって大和は大和と葛城に分かれていた。その境界は曽我川だった。
・古墳時代は2C後半~4C後半が前期。後期は4C末からで大規模前方後円墳が造られる。
・南郷の高宮に居住した葛城氏の本宗(葛城襲津彦の孫・円大臣)は滅亡する。

○葛城氏と鴨氏
・『先代旧事本紀』の「国造本紀」は大和国造と葛城国造を記述。
・記紀、「百済記」は、襲津彦の女・磐之媛が仁徳に嫁し履中・反正・允恭を生んだ事を記述。
・襲津彦は漢人を連れ帰り、桑原・佐糜・高宮・忍海に居住させた。忍海に関する資料は多く残る。
・「葛城の鴨氏」と「山城の鴨氏」は別物。山城は天神系、葛城は地祇系。
・鴨氏は雄略と争い土佐に流される。土佐に高賀茂大社がある。
・鴨氏は6C後半、出雲から大和に移住。鴨都波神社には大賀茂美命の祖・大国主神の子・八重事代主神を祀る。

○4世紀の王権
・賀茂建角身命を祖とする鴨氏は鴨都波神社を祀る。
・鴨都波1号墳は弥生中期から古墳時代に続く墓域で貴重。
・履中陵と室宮山古墳は共に靫形埴輪が出土。共通点が多い。
・室宮山古墳は石室が3つある。
・南郷遺跡は神社・祭祀場・居館・工房がある都市遺跡。

○條ウル神古墳
・條ウル神古墳は巨勢山古墳群の北端に位置。
・石棺の縄掛突起が全部で8つあり注目される。石室も長さが7m以上あり縦長が特徴。盗掘されているが、後の調査に期待。
・巨勢山古墳群は6C半ばがピークで700基位ある。木棺直葬で貧弱なものが多い。
・古墳時代後期は横穴式石室で前方後円墳となり、天理・桜井・飛鳥・巨勢谷などに集中。
・巨勢谷には墓山→権現堂→宮塚→新宮山などの古墳が存在し、巨勢男人、比良夫などの墓と推測。
・崇峻、孝徳の様に一族から離れた場所に造陵される事もあり、被葬者を特定するのは困難。

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