『中東イスラーム民族史』宮田律を読書。
イスラム世界をアラブ人、イラン人、トルコ人の観点から解説。
民族の観点から説明する事で理解し易くなっている。ただし大変詳しい。特に現代。
アラブ諸国は統一を目指すアラブ・ナショナリズムがある一方、分裂傾向にある。
お勧め度:☆☆
○三民族
・アラブ人はアラビア語を話す民族だが、肌の色など多様。エジプトとイスラエルの講和、イラクのクェート侵攻などアラブ諸国は分裂傾向。
・イラン人はアーリア系民族で、イスラム信仰後もペルシャ語を維持。イランではシーア派を信仰。イランの核は重大な課題。
・トルコ人は中央アジアから進出。トルコ語を話す。オスマン帝国は中世イスラムの大帝国。
・ケマル・アタチュルクはトルコの西欧化・世俗化を目指す。
○アラブ
・メッカは商業都市、メディナは農業都市。622年(イスラム暦元年)ムハンマドはメッカからメディナに移住。
・ムハンマド死後、カリフ(信仰の保護者)がイスラム共同体を拡大。人頭税を払えば他宗教も保護。イラクのバスラ、エジプトのカイロなどの軍事都市を建設。
・661年正統カリフ・アリー(シーア派)が暗殺され、ムアーウィヤはダマスクスにウマイヤ朝を興す(スンニ派)。
・750年アッバース家はウマイヤ朝を滅ぼし、アッバース朝を興す。アッバース朝はウラマー(イスラム学者、指導者)を保護し、イラン文化を受入れた。経済活動は城外に置かれ、商品ごとに区画されたスーク(市場)で行われた。首都バグダードは国際都市に発展。
○イラン
・イラン人はアーリア人で、インド・ヨーロッパ語族のペルシャ語を話す。
・BC550年アケメネス朝、226年クテシフォンを首都にサーサーン朝が興る。アケメネス朝、サーサーン朝ではゾロアスター教が信仰される。636年サーサーン朝はイスラムにより滅亡。
・アッバース朝が衰退すると、サーマーン朝(873~999、イラン系)、ブワイフ朝(932~1062、イラン系)、セルジューク朝(1038~1308、トルコ系)などの地方王朝が興る。
・叙事詩『王書』はペルシャ語で書かれ、イラン文学は復活しアラブ文学に影響。
・1258年モンゴル人フラグはアッバース朝を滅ぼし、イル・ハーン朝を興す。歴史書『集史』はペルシャ語で書かれる。
・1501年サファヴィー朝が興り、シーア派を国教とする(以降イランはシーア派)。サファヴィー朝はオスマン帝国(スンニ派)とイラクを争奪。
・サファヴィー朝の首都イスファハーンには美しい建築が残る。
○イラン民族主義
・1796年に興ったカージャール朝はロシアに敗れ、治外法権を許し関税自主権を失った。また鉄道、鉱山、灌漑、銀行などの利権は英国が保有。1906年日露戦争に影響され立憲君主国に。
・1925年レザー・シャーは反乱を起こし、パフラヴィー朝を興す。レザー・シャーは国名をイランに改めるなどイスラム以前への回帰を図る。
・1951年首相モハンマド・モサッデクは石油産業を国有化するが、米国の圧力で政権は崩壊。王政が強化される。
・1979年聖職者ホメイニーを中心としたイスラム革命によりイスラム共和国が成立。
○トルコ
・1038年トルコ人がセルジューク朝を興す。セルジューク朝はアッバース朝の下で領土を拡大。イラン人宰相ニザームルムルクはイランの行政制度を採用。
・セルジューク朝の公用語はペルシャ語、学術語はアラビア語。
・1077年オスマン帝国の土台となる地方政権ルーム・セルジューク朝を興す。
・1326年オスマン帝国はアナトリア北西部のブルサを占領し首都に。メフメト1世、ムラト2世、メフメト2世は領土を拡大。
・1453年オスマン帝国はビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させ、イスタンブールに改名。
・オスマン帝国はミッレト制で各宗教の自治を許可。ムスリム商人、ユダヤ商人などが台頭しイタリア商人は衰退。イスタンブールは発展。
・セリム1世はサファヴィー朝と闘い、1517年マムルーク朝を滅亡させる。スレイマン1世は1529年ウィーンを包囲するなど極盛期を現出。
・親衛隊イェニチェリはスルタンを廃位する事も。1830年ギリシア独立。1853年ロシアとクリミア戦争。
○アラブ人
・アラブ人は立法府の長などを務め、オスマン帝国を誇りに。しかし1841年エジプトが自治権を獲得したり、カトリックのマロン派がレバノンで独立運動を起こす。
・1908年反ヨーロッパの「統一進歩団」(青年トルコ人)が1876年憲法を復活させる。
・しかしトルコ民族主義に不満を持つアラブ人はアラブ民族主義を抱く。
・1916年第1次世界対戦で英仏はアラブ人を支援し「アラブの反乱」を起こさせる。オスマン帝国は英仏に敗れ、アラブ地域は「サイクス・ピコ協定」により英仏が委任統治する。
○現代アラブ
・20Cにアラブ統一を目指す「アラブ・ナショナリズム」が起こる。イラク、シリア、パレスチナ、レバノンでは英仏に対する不満が高まる。しかしエジプトは自治権を与えられており「完全な独立」を要望。またサウジアラビアはワッハーブ派が支配。
・1948年イスラエルが建国され「アラブ・ナショナリズム」を強く意識。しかし1979年エジプトは単独でイスラエルと和平、1990年イラクがクェートに侵攻など「アラブ・ナショナリズム」の破綻は明らか。
・イラン・イラク戦争の遠因にシャットル・アラブ川の領有問題。
○現代トルコ
・1923年脱イスラム/入欧を目標としトルコ共和国を建国。第2次世界対戦後は西側のトルコ、イスラエルと東側のエジプト、シリアが対立。
・1974年トルコはキプロスに軍事介入し、米国との関係が悪化。1980年代石油をイラン、イラクに依存し債務増大。
・第3次中東戦争でのイスラエル勝利により、トルコはアラブ諸国に接近。しかしシリア、イラク、イランの化学兵器を恐れ、イスラエルに再接近。
・第2次世界対戦後イランは反ソで西側と同盟するが、1979年イスラム革命で西側から離脱。しかしトルコは二国間関係を維持。
○現代イラン
・2005年保守強硬派のアフマディネジャード大統領が誕生。シーア派とクルド人が主導権を握るイラク新政府に接近、スンニ派でイラク新政府と疎遠になるアラブ諸国と反対の行動を取る。核に関しては英独仏と合意し、米国による孤立化政策を回避。