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『さかのぼり日本史 外交編 [3]大正・明治』北岡伸一を読書。

第一次世界大戦、日露戦争、日清戦争、鹿鳴館時代を時間を遡って解説。
今より明治・大正の方が外交能力が高かった。また対外戦争に対しは、当時は政府の方が消極的で、国民の方が積極的だった感がある。

お勧め度:☆☆

○第一次世界大戦
・首相は大隈重信だったが、実権は与党・立憲同志会の総裁で外相の加藤高明に。満州権益(旅順・大連の租借権、南満州鉄道)の強化が外交課題だった。
・独領占領後の1915年、袁世凱大総統に「21か条要求」を提出。大半は既に獲得済みの権利だった。
・米国は中立だったが、独国の無差別潜水艦攻撃で参戦。日本も地中海に海軍を派遣。
・1917年露国は二月革命・十月革命でソヴィエト政権誕生。独国と単独講和。日本はシベリア出兵。
・1918年米国ウィルソン大統領は14か条(民族自決など)を発表、講和の基礎に。
・1919年パリ講和会議開始(全権:西園寺公望)。日本は旧独領の山東権益を獲得。
・大戦後、独国は巨額の賠償金を払い続けるが、後の世界大恐慌でナチスが台頭。日本と米国は発展し、日本は四大国に。

○日露戦争
・日露対立の起源は、1895年日清戦争後の三国干渉と朝鮮宮廷内の閔妃と大院君の政争。
・露国は1896年東清鉄道の敷設権を、98年旅順・大連の租借権と東清鉄道南部支線の敷設権を獲得。
・1898年清国は康有為が変法自強運動するが西太后により失脚。
・1900年義和団事件で日露が軍隊を清国に派遣。
・1901年維新第2世代の桂太郎が組閣。02年露国の南下を危惧し日英同盟調印。
・1904年日露戦争開戦。旅順要塞攻略などで苦戦するが、日本海海戦などで勝利。
・日本は資金調達に苦労するが高橋是清が尽力。
・1905年ポーツマス講和会議開始(全権:小村寿太郎外相)。朝鮮での優越権、南満州での利権は獲得するが、賠償金と樺太問題で難航。条約調印後、国民の反対で新聞社が焼き討ちに。
・1907年帝国国防方針が定められ、陸海軍の軍備増強が政治外交課題に。

○日清戦争
・1875年江華島事件後、朝鮮は日朝修好条規を調印し開国。
・1882年壬午事変、84年甲申事変で閔妃と大院君が政争。85年日本と清国は天津条約(両軍は朝鮮から撤退。将来出兵時には相互に通知)に調印。
・1890年第1議会開会。藩閥と政党は地租軽減などで対立。伊藤博文首相は議会を数回解散。
・1894年反西洋の東学党が反乱。清国、日本共に出兵し開戦。日本は連戦連勝。元勲山縣有朋は第1軍司令官として出征。一方清軍の中心であった李鴻章は戦争に消極的だった。
・1995年全権伊藤首相、陸奥宗光外相と李鴻章が下関条約に調印。直後、露独仏から三国干渉を受け、遼東半島を返還。
・戦後、清国では日本への留学生が増え、やがて変法自強運動が起こる。

○鹿鳴館時代
・近代日本の外交課題は条約改正(治外法権、関税自主権、最恵国待遇)。
・寺島宗則が外務卿時の1877年ハートレー事件(アヘン輸入)、79年ヘスペリア号事件(検疫停船無視)が発生。
・仏人ボアソナードは刑法、民法を起草。日本の法的近代化に貢献。
・1882年井上馨外相は列国公使による条約改正予備会議を開催。83年鹿鳴館竣工。86年12か国公使による条約改正会議を開催。ノルマントン号事件(日本人置去り)発生。
・その後大隈外相、青木周蔵外相が進めるが、94年日清戦争開戦直後、陸奥外相により条約改正なる。

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