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『東インド会社とアジアの海賊』東洋文庫を読書。

英国、蘭国東インド会社とアジアの海賊を解説。マレー海域と明清時代の中国が中心。
東インドとは喜望峰からマゼラン海峡までを指す。
東洋文庫は世界有数の東洋学研究図書館。
近年中国海賊をテーマにする映画が多いが、中国の経済成長が要因か。

お勧め度:☆(専門的)

○東インド会社
・1601年英国東インド会社が最初に誕生。英国、蘭国、仏国東インド会社が有名。詳細は異なるが、王や商人が出資し本社と各地の商館からなる準国家的組織。社員は船員、商館員、兵士、職人、医師、通訳など。
・当初は薬種(クロウヴ、ナツメグ、メイス、シナモン)、香辛料を欧州へ輸入。18Cに入り茶、綿製品を輸入。
・当時は敵国の船を略奪する事は認められていた(海賊に相当するが私掠と言う)。後発の蘭国はポルトガル船から略奪。1621年江戸幕府は海賊を禁止。

○西南アジア-ジョアスミー海賊
・19C前半ペルシャ湾にジョアスミー海賊が跋扈。1802年ジョアスミー海賊(カーシミー家の臣民カワーシム)はワッハーブ・サウード同盟の傘下に入り英国に敵対。1819年英国のボンベイ水軍に討伐される。

○マレー海域
・マレー海域はマレー半島、スマトラ島、カリマンタン(ボルネオ)島で囲まれた海域。15Cマラッカ王国は明との朝貢貿易で繁栄。17C蘭国がバタヴィアに拠点を設け構造変化。しかし地理的に有利なジョホール王国の首都リアウが華人、英商人の中継点として繁栄。
・1784年蘭国によりリアウ陥落。ジョホール王国のブギス人副王は西カリマンタンに移住。西カリマンタンではポンティアナックが河川貿易で繁栄。1804年ジョホール王国スルタンはリアウから南のリンガに移動、リンガも繁栄。1799年蘭国東インド会社は解散し小康状態に。

○植民地化
・1819年英国はシンガポールに自由港を築く。1824年英蘭協定でマレー、シンガポールは英領、リアウ、リンガ、スマトラ、ジャワは蘭領に。
・海上民とマレー王家は連携し海賊行為。19C末になると蒸気船により海賊が衰退し植民地化。1911年スルタン廃絶。

○東アジア
・倭寇には前後期が。1530年頃石見銀山が開発され密貿易が栄え、後期倭寇が出現。16C中、徽州海商許棟、福建海商李光頭は船山列島双嶼を拠点に、徽州海商王直は平戸を拠点に、徽州海商除海は薩摩・大隅を拠点に密貿易。1560年代末明は漳州での貿易を許可。

○中国沿岸
・1617-27年蘭国東インド会社の傭兵リポンは、中国沿岸で集落放火やジャンク船破壊を繰返し、その記録を残す。当時、蘭国と華人(鄭芝龍など)は牽制しつつ貿易、台湾は密貿易の拠点で無法地帯だった。刑法で海賊が禁止されるのは18C末。

○長崎
・1673年頃に書かれた「寛文長崎図屏風」を解説。長崎港に蘭船3隻、唐船6隻が停泊。唐船の出港地は1隻が中国本土の漳州で、残りは東南アジア。1644年明は滅亡、蘭国と鄭政権(鄭芝龍、鄭成功、鄭経)は抗争中のため、唐船・琉球船は蘭国の旗と通航証を携行。

○中国海賊
・1800年代英国東インド会社グラスプールや英軍人ターナーは、海賊鄭一嫂・張保仔に拉致され手記を残す。1932年海賊史家ゴスはその手記を基に中国海賊を著述。西太合の影響もあり、鄭一嫂を中国海賊の象徴とする。

○海賊対策
・清は「小さい政府」で海防を担う水師は微力。1840年アヘン戦争で敗退。1847年海賊がアヘン貿易船を襲撃(深滬港事件)。清は海賊対策に福建人海賊、広東人海賊、英海軍の力を借りる。

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