『古代出雲を知る辞典』瀧音能之を読書。
出雲風土記、古事記、日本書紀などから古代出雲を解説。国引き神話(風土記のみ)、八岐大蛇退治神話(記紀のみ)、国譲り神話が有名。
多量の銅剣、銅鐸が出土。弥生時代に四隅突出型墓が造られた。
専門的だが章立てや図表が効果的な良書。
お勧め度:☆☆
○出雲風土記
・風土記は713年元明天皇の官令で国司が作成。出雲風土記(以下風土記)は733年25代出雲国造広島が作成。総記、各郡記、巻末記で構成。
・仏教では教昊寺、新造院とその建立者を記述。国分寺跡からは新羅系の瓦が出土。
○風土
・スサノオ神が読んだ歌「八雲立つ 出雲八重垣 ・・」が出雲の由来(古事記)。出雲は北部九州、越、新羅、渤海と交流。宗像三女神はスサノオ神の娘。
・斐伊川は重要な河川。風土記には4つの「かんなび山」や温泉の記述がある。
○社会
・国造は645年乙巳の変で廃止、しかし出雲国造は存続(現84代)。798年31代千国の時、意宇郡大領を解かれ、以降、杵築大社(出雲大社)の祭祀に専念。
・国造代替わり時、天皇に「出雲国造神賀詞」(以下神賀詞)を奏上、また熊野大社で神火相続する。
○政治・経済
・意宇郡にあった国府には国庁、国分寺などを配置。国司(守、介、掾、目)は中央が任命、任期は6年(後4年)。出雲守には歌人や藤原仲成(式家)などが就く。
・9つの郡の郡家で郡司(大領、少領、主政、主帳)が政務。郡司は終身官で地方氏族が任命された。
・駅家を設けた駅路(山陰道)と伝路が張り巡らされ、15か所に正倉(稲、穀類、塩を備蓄)、3軍団(意宇、熊谷、神門)、5熢が配置された。
・「計会帳」(1年間の公文書のやり取りの記録)、「大税賑給歴名帳」(貧民救済のための賑給の記録)が現存。
・砂鉄、水産物(海ではマグロ、フグ、サメ、アワビ、ワカメ、湖ではイルカ、ワニ、ボラなど多種多様)、農産品(稲、麦、豆、稗、栗、桑、麻)を産出。
・2市(島根郡朝酌、意宇郡玉作)が存在。
・意宇郡花仙山の「出雲石」は良質で、古墳時代に全国有数の玉作り産地に。
○文化
・古代のレジャーとして歌垣が。出雲氏一族の野見宿禰は相撲の起源。
・741年聖武天皇の詔により国分寺、国分尼寺が建立される。
○神
・記紀ではアマテラス大神とスサノオ神のウカイで多くの神が誕生。草薙剣が出現するスサノオ神の八岐大蛇退治神話は記紀のみ、オオクニヌシ神の国譲り神話は記紀、風土記、神賀詞にある。
・風土記の神話は地名の由来説明が目的で断片的。スサノオ神は素朴で平和な神。
・風土記のみにある国引き神話は、ヤツカミズオミヅヌ神が島根半島西部を新羅から、中央部を北門から、東部を越から引き寄せた。
・風土記に神社399社を記述。序列は熊野大社、杵築大社(出雲大社)、佐太御子社(佐太神社)、野城社。熊野大社は出雲国造の祖先からの神社。
・出雲大社はオオクニヌシ神を祀る。2000年出雲大社で3本柱が発掘され、高さ16丈(48m)が有力に。
・陰暦10月に出雲大社、佐太神社で神在祭が、陰暦11月に出雲大社で古伝新嘗祭が行われる。佐太神社の佐陀神能、美保神社の青紫垣神事、諸手船神事は有名。
○考古学
・荒神谷遺跡から銅剣358本、さらに銅鐸6個、銅矛16本が出土。岩倉遺跡から銅鐸39個が出土。
・弥生時代後期に四隅突出型墳丘墓(古墳ではなく墓)が造られる。
・古墳時代前期に方墳が造られ、古墳時代中期・後期に大型の方墳、前方後円墳、円墳が造られる。
○交流
・風土記にオオクニヌシ神が越の八口を平定した神話がある。
・日本書紀の崇神紀に出雲振根・飯入根(11代)の兄弟が争い、朝廷から吉備津彦が派遣された記述がある。
・風土記に韓銍社、加夜社の渡来系神社の記述がある。