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『ヨーロッパ文明の正体』下田淳を読書。

欧州で資本主義が興った要因を解説。以前読んたが、殆ど記憶に残っていなかった。けれど面白かった。
人口、権力、市場、富、職等の棲み分け→「貨幣関係のネットワーク」→資本主義の流れを根幹としているが、これに関しては分かりづらい。
単純に解釈すれば、中央集権のピラミッド型社会(先行文明)は停滞し、権力分散のフラット型社会(欧州)は活発化し発展した。

お勧め度:☆☆

○欧州
・西南アジア(イスラム圏)、インド、中国と比べると遅れた地域だったが、18C科学革命、19C産業革命で逆転。

○棲み分け
・「棲み分け」には、自然発生的な「棲み分け」と強制的な「棲み分け」(ユダヤ人排除等)がある。
・どの文明にも時計は存在したが(時間の棲み分け)、商売が盛んな欧州では特に発展。1880年グリニッジ標準時が法制化。
・教会は交流や行事の場で聖俗混淆だったが、16C宗教改革により聖俗の棲み分けが促進され、俗は居酒屋に分離された。居酒屋では宴会・集会、商売、医療行為、裁判等が行われた。
・キリスト教は他の宗教と異なり他宗派を認めなかった。また他文明に宣教師を派遣した。
・コーカソイド、モンゴロイド、二グロイドの3人種を棲み分ける考えが定着。またナチスはドイツ人、アーリア系、ラテン系、スラヴ系に分けた。ナショナリズムは、1民族=1国家=1言語とした。
・音の高さを表す五線譜、音の長さを表す定量音符も徐々に整備された。

○自然発生的な「棲み分け」
・欧州人はクロマニュン人8割とインド=ヨーロッパ人2割の混血。地理的には平野部が広大で、人口が均等に分散(人口の棲み分け)。
・三圃制(冬畑(小麦、ライ麦)、夏畑(豆類)、休耕地(放牧))と犂で農業生産向上。
・疫病の多くは家畜から感染する。ペストは3種類(腺ペスト、肺ペスト、敗血症ペスト)で、14Cの流行は蚤が媒介する腺ペスト。天然痘を欧州人が新大陸に持ち込み現地人が激減。19C日本で「三日コロリ」と呼ばれたコレラは、インドから世界に拡散。

○皇帝なき欧州
・先行文明は皇帝に権力が集中したが、欧州は諸権力(王、貴族、聖職者、大商人)が分散する競合体制。これはゲルマン人の分割相続にも原因。
・英仏の市民革命は国王と議会の権力バランス(シーソー関係)で進展。1848年独国は三月革命で封建制を破棄。
・海外進出前(~15C)は大規模な戦争は百年戦争(1337~1453年)のみ。以降は蘭国独立戦争、ユグノー戦争、三十年戦争、英蘭戦争、七年戦争、スペイン継承戦争等、海外交易権をめぐって多発。
・16~18C戦争により経済が活況、科学技術が発展、先行文明を逆転。

○海外進出
・唐(618~907年)、アッツバース朝(750~1258年)の二大帝国時代、イスラム商人がインド洋貿易。バグダードは人口100万人を超えた。10C以降は、バグダードに代わってファーティマ朝、アイユーブ朝、マムルーク朝のカイロが繁栄。
・宋(960~1279年)は経済発展。ジャンク船を用い絹・陶磁器を輸出、香辛料を輸入。英国より700年先んじコークスを使って製鉄。
・明(1368~1644年)の官僚鄭和は巨大船で7回航海し東アフリカに到達。しかし目的は交易ではなく冊封体制の構築だった。
・13Cヴェネツィア、ジェノヴァはイスラム商人を介する交易で繁栄。香辛料を輸入、木材・毛織物を輸出。しかし15Cオスマン帝国が西南アジアを支配し、交易ルートを失う。
・貧しい欧州はポルトガルのエンリケ王子やイタリア商人が西アフリカに南下(海外進出の始まり)。
・1498年ガマは喜望峰を回りカリカットに到達。カリカット王に布地・珊瑚・砂糖・油・蜂蜜を贈呈し笑われる。海外進出は国王や大商人(独国フッガー家等)が支援。
・新大陸での銀の発見、奴隷による綿花栽培、産業革命による綿製品で19C欧州が優位になり植民地化。

○科学技術の発展
・16Cまでは先行文明の学問・技術を模倣するだけだった(ルネサンスも同様)。模倣はイベリア半島、シチリア、コンスタンティノープル経由で行われた。フィレンツェのメディチ家はギリシアから200冊以上の古文書を持ち帰った。
・模倣対象は学問(医学、天文学、数学、法学)、技術(火薬、羅針盤、紙、弩、印刷術、コークス、紡績機、機械時計、陶磁器)、実学(外科学、免疫学、薬学)。
・ラファエロ、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ等の職人の地位は低かったが、技術の必要性が高まるにつれ高まった。
・先行文明の権力一極集中は技術の発展を阻止。欧州は権力が分散し(権力の棲み分け)、富が分配される社会(富の棲み分け)で技術が爆発的に発展。商人は職人を支え、18C科学革命、19C産業革命が勃興。産業革命での紡績機、コークスによる製鉄、蒸気機関の発明は貢献大。

○資本主義の成立
・欧州では商人、職人、農民にも富が分配され(富の棲み分け)、農村内分業が進み(職の棲み分け)、農村にも市場が存在し(市場の棲み分け)、貨幣が流通した。よって資本主義の基盤となる「貨幣関係のネットワーク」が成立していた。
・先行文明は都市では銀塊や銭貨によって取引されたが、農村では商人(徴税代理人)が納税用の現物を現金化したため「貨幣関係のネットワーク」は成立しなかった。
・15C、16C銀鉱の発見が相次ぎ、新大陸からも多量の銀が流入。17Cには紙幣も発行された。
・14C農村には織布工、仕立屋、鍛冶屋、大工、肉屋、粉挽き屋、靴屋、パン屋等の手工業者が存在し(農村内分業)、製品は居酒屋で独占販売された。
・「貨幣関係のネットワーク」の成立した欧州は、市民革命で封建制が廃棄され、産業革命で大量生産可能となり資本主義が成立。

○付論-なぜ日本は資本主義化できたか
・戦国時代、農業生産は向上し、商品経済も発達。
・江戸時代、鎖国は発展を妨げたが、藩閥体制は諸権力競合体制(権力の棲み分け)であり、武士と農民の所得差は小さく(富の棲み分け)、鉱山大国で金銀銅が豊富だった。
・また農村には大工、桶屋、木挽、綿打、鍛冶屋、経師屋、建具屋、屋根屋、仕立屋、下駄屋、塗物師等の手工業者が存在し(農村内分業=職の棲み分け)、塩、醤油、食物、たばこ、菓子、衣類、履物、蝋燭、灯油、農具等の商品が販売された。
・福沢諭吉は「日本文明は遅れているが模倣で追い付く」とした。エジプト、メソポタミア、インド、中国が古代4文明とした中国の梁啓超は「現在は欧州文明と中国文明のみ」とした。

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