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『日本近代の起源』小路田泰直を読書。

近代政治を理論的に解説。
大きく分けて3つの事を解説していると思います。①鎌倉幕府から始まる近代政治②明治維新後の政治体制の変遷③核開発。
特異な理論で難解。

お勧め度:☆☆

○はじめに
・輿論が最高規範となり、近代が始まった。輿論を考える上で、「死者の輿論」(祖法、自然法)は重要。
・人は他者依存を本質とするが、立憲制に固執した。
・福島原発事故が起きたのは、戦後も核開発を止めなかったため。

○近代とは
・人の他者依存本質から分業社会が生まれた。神は農業を分業するノア家族だけを残した。
・古代は「悟り」(=支配のための技術)を持った神(神道、イエス、釈迦、哲人)が存在した。しかし法然は王が悟る事は不可能とし、合議制の輿論政治(近代)が生まれた。

○近代の始まり
・慈円は王臣の「器量果報」は衰えるが、輿論政治により「器量果報」は増加するとした。鎌倉幕府も「関東御成敗式目」を制定。
・北畠親房は『神皇正統記』で政権を得るには「人望」が必要とし、「易姓革命」を肯定。
・伊勢神宮外宮の豊受大神が天照大神と同格になったのは、「臣民」を「市民」に変えるため。
・源頼朝の就任式は間接的で二元化を示す。頼朝死後、「合議制」になり多元化。これが輿論政治(近代)の始まり。

○近代とは
・近代は鎌倉時代の輿論政治が始まりだが、代行権力(武士、官僚など)は私利私欲から興亡を繰返す。それを抑えるには最上位の輿論(「死者の輿論」)が必要であった。ルソーはそれを習慣法、自然法とした。国学者本居宣長はそれを『古事記』とした。
・儒者荻生徂徠は中国には聖人が多く存在し、彼らの思想全体を祖法(「死者の輿論」)とした。水戸学藤田幽谷は「祖法に返れ」と説いた。国学者平田篤胤は「死者の輿論」は「幽冥界」に残るとした。王政復古の「五箇条の御誓文」は「死者の輿論」を最上位に置いた。

○立憲制
・「死者の輿論」は立憲制で不変となり、「生者の輿論」を官僚が代行した。
・政党は本来、「生者の輿論」の代表だが、現実は「生者の輿論」を上から操作する組織になった。
・福沢諭吉は大事は理ではなく情(欲望)で動くとし、国は欲望のための利益共同体と説いた。
・政治学者加藤弘之は国=利益共同体説の立場から、弱者の人権を適度に保つ事が重要と説いた。
・法学者美濃部達吉は国家法人説(天皇機関説)を説き、「国は意思を持ち、その意思を自己制限する事で国は共存できる」とした。
・政治学者吉野作造は「民主制でも君主制でも人権は尊重される、個人は国の意思を読み替える事で満足を得られる」(民本主義)とし、普通選挙に賛同。

○国=利益共同体説の矛盾
・民族自決から邪馬台国論争が起こる。
・国とは別の強力な利益共同体「労働者階級」(社会主義)が生まれる。
・国=利益共同体説は世界戦争を導く可能性があり、ウイルソンは14ヶ条で世界平和を提起。しかし日本はそれに反し満州支配を強化。

○戦前戦中
・ドイツ、日本では社会主義運動の激化と官僚の肥大化から支配の正当性が問われた。
・思想家北一輝は原点に返り枢密院、貴族院を廃止し、天皇直属の機関(衆議院)のみ残す事を提起(国家改造論)。
・議会制民主主義に替わる内閣審議会、内閣調整局が組織された。
・日本は協調外交(パリ不戦条約調印)と強硬外交(満州事変)で揺れ動く。
・支配層にとって敗戦は意図した敗戦で、官吏任免権は日本国憲法でも天皇に帰属。一方敗戦の贖罪として社会主義を容認した。
・日本は戦中に核開発を着々と進め、戦後も暗黙の了解で核開発を継続。

○核開発
・米国は日本の核技術を利用。日本も保革全党が「核の平和利用」に同意し核開発を継続。田中角栄は核開発を電源三法で地域振興策に作り変えた。

○おわりに
・社会主義は平和主義であったがソ連防衛のための平和主義に変質。その後社会主義は消滅。

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