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『現代フランス』渡邉啓貴を読書。

1981年ミッテラン以降のシラク、サルコジ、オランド大統領の政治を解説。
政策(社会保障、雇用、教育、経済、治安、移民など)と選挙を解説。極右の台頭も解説。
先進福祉国家の苦悩が分かる。

お勧め度:☆☆(大変詳しいのでフランス政治に関心が強い方)

キーワード:ミッテラン、シラク、サルコジ、オランド、保守派、左翼、極右、社会保障、雇用、治安、移民、欧州統合、テロ

○序
・自由主義は政治的平等を獲得したが、社会的・経済的平等は獲得できていない。
・仏国には「不可分の共和国」「社会的弱者保護」の理念がある。

○ミッテラン(81年~)
・58年ドゴールが創設した第5共和制は保守派が主導。ドゴール時代は経済復興で人口、移民が増えた。68年学生による5月騒動が起こる。
・ミッテランも戦中にレジスタンス活動を行ったが、ドゴールとは不仲であった。
・74年大統領選で社会党ミッテランは左翼を連合するが僅差で敗北。
・81年ミッテランは大統領に選出される。所得再配分、混合経済などから中間層が支持した。70年代の石油危機後、英米日は新自由主義化するが、仏国は「大きな政府」を選択。
・ミッテランは就任直後に議会を解散。社会党は単独過半数を得る。モーロワが組閣。雇用政策に重点を置いた。国有化法で5大企業グループ、銀行などを国有化。社会保障、年金も改革。県を州に分割し地方自治を進めた。
・しかしインフレ、財政赤字、貿易赤字から緊縮政策、企業合理化、教育改革に転換。
・83年地方選挙で左翼は苦戦。84年欧州議会選挙でも苦戦。極右国民戦線(FN)が11%を得票。ファビウスが組閣。ファビウス政府はインフレ抑制には成功するが、雇用、経済成長で失敗。
・ミッテランは「国境を越えたリストラ」から独仏協調で欧州統合を進める。欧州通貨制度(EMS)に残留。
・86年議会選挙は社会党が第一党を維持するが、保守派が過半数を占め、共和国連合(RPR)シラクが組閣。大統領と首相で左右が異なった(コアビタシオン)。
・シラク政府は民営化法で銀行、9大企業グループなどを民営化。付加価値税(VAT)などの減税を行い、テロに強硬対応。学制改革から全国規模で長期間デモが発生。
・88年大統領選でミッテランはシラクに勝利し再選。続く議会選挙では保革伯仲となるが社会党ロワールが組閣。
・89年地方選挙、欧州議会選挙で左翼が勝利。ルペンが率いる極右FNは11%を獲得し第三党に。
・ロワール政府の基盤は弱かったが、経済は好調。社会保障制度では最低所得制度(RMI)、目的税(CSG)を導入。単一市場の「資本の自由化」に備え貯蓄税を引下げ。
・80年代は移民第二・三世代の不安定な立場が問題に。学校でのスカーフ着用も問題に。
・91年女性初のクレッソンが組閣。92年社会党は地方選挙で敗北し、ベレヴォワが組閣。ベレヴォワ政府は新自由主義を推進。マーストリヒト条約に調印し、国民投票で批准し、EU統合。
・93年議会選挙で社会党は大敗し、保守派RPRのバラデュールが組閣(第2次コアビタシオン)。バラデュール政府は司法改革、雇用、財政再建、GATTなどで好評。
・ミッテランは社会主義が不可能と知ると現実主義に転換。時代は成長と社会福祉が対立する時代に。

○シラク(95年~)
・95年大統領選で共和国連合(RPR)シラクは社会党ジョスパンに勝利。極右、共産党、極左は票を伸ばす。ジュペが組閣。
・ジュペ政府は雇用創出、労働時間短縮に取り組むが、緊縮財政に転換。社会保障改革、医療保険制度改革、公務員削減を行う。
・シラクはNATOの欧州化、欧州共通防衛政策を重視。
・97年議会選挙で「多様な左翼」を掲げた左翼が大勝し、社会党ジョスパンが組閣(第3次コアビタシオン)。ジョスパン政府は移民緩和、議員の男女同数化、同性カップル承認、週労働時間35時間などを行う。
・ジョスパン政府ではユーロ導入には財政赤字が問題で、雇用政策と財政政策がトレードオフに。欧州統合に向け大企業を民営化。
・99年欧州議会選挙で社会党は票を伸ばす。しかし01年地方選挙では保守派が巻き返す。
・02年大統領選でシラクは再選するが、決選投票に社会党ジョスパンではなく極右国民戦線(FN)ルペンが残り激震。社会格差、シラクの汚職事件からの退嬰(イモビリスム)が原因。続く議会選挙では保守派連合の国民運動連合(UMP)が大勝し、ラファランが組閣。
・ラファラン政府はフィヨンが年金改革を行うが、経済が悪化し抗議行動が多発。
・04年地方選挙でUMPは大敗し左翼が復活、FNも票を伸ばす。しかしラファラン首相は留任。
・シラクは独国と連携し、英米のイラク戦争に抵抗。05年国民投票で欧州憲法条約批准を否決。
・05年暴動が多発。サルコジ内相は「寛容ゼロ」から夜間外出禁止令で強硬対応。さらに移民にも「サルコジ法」で強硬対応。仏国には不可分、弱者保護の理念がある。
・06年ヴィルパン政府は初期雇用計画(CPE)で若年労働者の雇用促進を計るが、逆にデモが多発し撤回。

○サルコジ(07年~)
・02年サルコジは内相となり治安、移民で辣腕。その後国民運動連合(UMP)を牽引。
・07年大統領選でUMPサルコジが社会党ロワイヤルに大勝。続く議会選挙ではUMPが勝利し、フィヨンが組閣。フィヨン政府は男女同数で「開かれた政府」。
・サルコジは新自由主義から「変化」「過去との決別」(社会福祉の意識改革)を標榜。治安・秩序を重視し、減税し、議会重視に憲法を改正。しかし08年地方選挙で左翼が大勝。
・07年サルコジの尽力で全加盟国がリスボン条約に調印、08年仏国批准、09年EU誕生。
・金融危機の影響で財政赤字は拡大、経済はマイナス成長、失業率も悪化。競争原理(新自由主義)から国家主導に転換。
・ギリシャ危機で独メルケル首相と連帯(メルコジ)し、ギリシャを支援。
・09年欧州議会選挙で保守派は大勝。内閣を改造し、サルコジ色を強化。
・07年大学自立化法で学長に権限を集中し、透明性を高める。08年「キャンパス作戦」で大型研究開発プロジェクトを実施。
・10年地方選挙で「連帯する左翼」を掲げた左翼が勝利。環境派緑デュフロは左翼の勝利に貢献。棄権率は約50%で過去最高。
・サルコジは逆風の中、年金改革を断行。09年生活保護に相当する積極的連帯所得手当(RSA)を導入。
・11年地方選挙で左翼が勝利。極右国民戦線(FN)は党首がマリーヌ・ルペンに変わり穏健化し躍進。サルコジは極右を伸長させないため、移民規制を強化。

○オランド(12年~)
・12年大統領選で社会党オランドは国民運動連合(UMP)サルコジに勝利。大政党が中道化し、左右急進派が貧困層から支持され、極右国民戦線(FN)ルペンが躍進。続く議会選挙でも社会党が勝利し、エローが組閣。
・極右は弱者の立場から移民問題では保守派と社会経済問題では左翼と意識を共有し躍進。
・オランドはミッテラン、ドロールの影響を強く受けた。成長戦略、投資銀行設立、富裕税、雇用増、年金改革で注目されたが、支持率は急降下。財政再建には増税で対応。
・オランドは大統領就任直後に独メルケル首相と「緊縮財政協定」について会談。欧州安定メカニズム(ESM)で欧州金融危機を脱出。しかし経済成長率、財政赤字率の南北格差は歴然。
・政策は保守派の新自由主義(供給側の負担軽減)に転換。
・14年地方選挙で社会党は敗北。ヴァルスが組閣し、法人税減税などの成長政策を打ち出す。
・14年欧州議会選挙で反EUを掲げる極右が仏、英、デンマーク、ギリシャで第一党に。一般社員の38%、労働者の43%がFNを支持。
・15年シャルリ・エブド事件が発生。風刺新聞『シャルリ・エブド』本社が襲撃され、12人が殺害される。テロは宗教問題ではなく、少数者排除が原因で社会統合(同化政策)に問題。
・15年地方選挙で社会党は敗北。保守派民主独立連合(UDI)が第一党、FNが第二党に。

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