『理想だらけの戦時下日本』井上寿一を読書。
戦時下の国民精神総動員運動(以下精動運動)を解説。
1937年日中戦争勃発により近衛内閣が精動運動を始める。40年大政翼賛会に吸収される。
当時(約80年前)の文章がそのまま記され難解。また最後になって政党とか話が飛んで混乱する。
お勧め度:☆☆(戦時下の庶民の状況を知る事ができる)
キーワード:国民精神総動員運動、国防婦人会、勤労奉仕、隣組、消費節約、平準化、大政翼賛会
○はじめに
・精動運動時代は今と類似。①代表民主制への懐疑(低投票率)②共同体の再生③平準化への期待。
○体
・国防のため体の鍛錬を男女に要求。11月13日を体育日とする。40年東京オリンピック開催を決定。水泳、剣道・相撲、体操、徒歩を強化。
・38年5月健康週間を設け、日比谷で講演会。早起き、白米より雑穀米を奨励。38年厚生省を新設、結核、性病の予防に注力。
○形
・国旗掲揚を奨励するが掲揚率は低かった。精動運動の行事は国旗掲揚・国歌斉唱・宮城遥拝で始まった。結婚式が同様の手順で始まる事もあった。宮城遥拝は外地でも行われた。軍歌・愛国歌が作られた。精動運動は形式偏重や強調週間の乱発で不評だった。
○メディア
・ラジオ放送は容易性から利用された。一方映画の貸出状況は悪かった。洋画の輸入は禁止したが、徹底されなかった。「精動運動新聞」を発行し小学校などに配布。紙芝居を作成しデパートなどで上演。「長期戦と戦うため、逆に休息と娯楽を与えよ」と批判があった。
○気分
・傷痍軍人の保護運動を行った。
・満州事変時、大阪港で出征を見送る女性から「国防婦人会」が生まれる。「割烹着」と「たすき掛け」が制服となる。満ソ国境などの外地でも彼女たちは活動した。一方有閑夫人による金品贈与が主体の「愛国婦人会」もあった。
・青少年の勤労奉仕を奨励。独国にはヒトラーユーゲント(ドイツ青少年団)があった。勤労奉仕に賛成する厚労省と反対する文部省は対立した。
・精動運動の実践網として隣組を組織。上意下達を担う地方官吏は人材難であった。
○節約
・精動運動と同様の運動で、資本家と労働者の格差是正を主目的とする「産業報国運動」があった。労働者を擁護する産業報国運動は、下意上達で成功した。
・38年6月政府は国家総動員を声明。精動運動中央連盟は「非常時国民生活様式委員会」を設置。
・消費節約を主目的とする精動運動は38年12月に強調週間を設け、年末年始の自粛を求める。翌年には家庭を重視し家庭報国3綱領及び14要目(礼節、服装、鍛錬、禁酒、食事など生活全般の節約)を掲げる。さらに国際収支悪化から貯蓄を奨励し、貯蓄報国強調週間を設ける。
・40年4月精動運動は官(精動運動委員会)と民(精動運動中央連盟)の二本立てから精動運動本部に一元化し改組。主対象を都市や上流階層に切替える。
・40年7月近衛が再度首相となり「贅沢全廃」を掲げ、主対象を富裕層の女性とする。
○戦争の大義
・39年精動運動は「国際新秩序」建設のため毎月1日を「興亜奉公日」とし禁酒日にしたが、逆に花柳界の行楽日になった。国民は日本精神「八紘一宇」を納得できなかった。
○精動運動、大政翼賛会
・ドイツは中国と和平せず「蒋介石を対手とせず」とした日本を批判。39年8月日本は独ソ不可侵条約で衝撃を受け、反独伊感情が起こる。
・独人ジャーナリストは江ノ島で出征兵士の見送りと戦死者の遺骨の帰国を見て、精神主義の不完全さを感じる。
・39年7月米国は日米通商航海条約を破棄。日本は物資不足から配給制を強化。米人ジャーナリストは配給制が徹底されず、闇取引が横行するのを観察。40年精動運動は「贅沢全廃」「食糧報国」を掲げるが行き詰る。
・40年10月近衛新体制(大政翼賛会)が生まれ、政党を擁護する精動運動本部は解散。大政翼賛会の中央協力会議第1委員会は精動運動を引き継ぐが、配給制の機能不全や下流階層・帰還兵の不公平感は解消されず。
○おわりに
・①社会運動は政党政治と結び付く必要がある②新たな共同体の創造が必要③下方平準化ではなく上方平準化で中堅層の拡大を。