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『シノワズリーか、ジャポニスムか』東田雅博を読書。

近世西洋が中国文化、日本文化をどう評価していたかを解説。18C末から柳模様の中国磁器が遍在していたが、19C後半日本の開国で中国文化は停滞的、日本文化は進歩的と評価された。
文化の評価は国勢に大きく影響されると感じた。

お勧め度:☆☆

キーワード:シノワズリー、ジャポニスム、リオリエント、文化、万博

○はじめに
・シノワズリーは簡単に云うと中国文化、ジャポニスムは日本文化。18C末から西洋では中国風の柳模様の磁器が遍在した。近年東洋文化が西洋に与えた影響を見直す動きがある(リオリエント)。

○通説
・英国王は宮殿に中国風の庭園・建物を作り、中国の磁器を飾った。ザクセン候はマイセン磁器を作らせた。これらはギリシャ的優美・均整に飽きていたため。当時の庭園は規則性が特徴だったが、中国の不規則性は衝撃だった。

・1862年ロンドン万博で開国直後の日本文化に注目が集まった。版画『北斎漫画』は印象派画家に多大な影響を与えた。シノワズリーはロココ様式に吸収されたが、ジャポニスムは多大な影響を与えた、とされるが疑問もある。

○リオリエント
・近年中国の復活で東洋文化が西洋に与えた影響を見直す動きがある(リオリエント)。一方ファーガソンは競争・科学・所有権・医学・消費・労働から欧州中心主義を唱えている。入門書には西欧は他国に及ぼす技術力・経済力・軍事力を持ったと記されている。

・デフォー『ロビンソン・クルーソー』に南京で贅沢品の反物を3500ポンド購入したとある。
・リュウは英国の庭園が整形式から風景式に移行したのは、中国の不規則な庭園が影響とした。
・ヤンは中国の経済・徳は英国のモデルとなったとした。

・ポーターは18C中国観は肯定的・好意的から否定的(弱体、皮相など)に変化したとした。
・パーシーは英国人は自由だが、古きに崇敬の念を持つ中国人は従属的とした。
・「リオリエント」は1800年までの中国文化の優位性を認めるが、それ以降については不明確。

○日本と中国
・シノワズリーとは中国文化の西洋への視覚的・物質的影響の事。シノワズリーとジャポニスムの連続性は検討する必要がある。1862年パリ万博以降、日本文化(建物・版画・屏風・壷・衣装など)は高く評価された、一方中国文化は低く評価された。

・1880年代西洋は近代化・西洋化に邁進する日本を冷静に観察する様になる。日本の文化・宗教は全て中国が起源との見方も生じたが、日本は進歩的、中国は停滞的が一般的評価に。94年日本は日清戦争を起こし愚かとされたが、勝利により適応性・教育・組織などで評価が一変。

○万国博覧会
・1851年最初の万博をロンドンで開催。
・1862年ロンドン万博-日本は在日英国公使オールコックが中心となり漆器、刀剣甲冑・陶磁器・肖像画などを展示。漆器・多色刷り・和紙に高い評価。中国は第2次アヘン戦争(アロー戦争)の略奪品が展示された。

・1867年パリ万博-幕府、薩摩藩、佐賀藩が和紙・衣類・磁器・浮世絵や茶店を展示。日本は芸者、中国は巨人/小人も展示。日本は高度な文明を持つとの評価もあれば、野蛮国との評価もあった。進歩に対し日本は熱意・積極性・知性があり、中国は頑迷で沈滞とされた。

・1873年ウィーン万博-西洋化に邁進する日本は大隈重信が総裁になり陶磁器・漆器・織物・紙製品などを展示。中国は英国が支配する中国海関が絹織物・生糸・綿花などを展示。日本の装飾品・陶磁器は称賛された。

・1876年フィラデルフィア万博-日本は大久保利通が総裁になり工芸品1966点を展示。日本家屋も建てられた。ホリー『サマンサ』は日本のタンス・花瓶を評価。中国は中国海関が象牙・磁器・漆器・中国人像などを展示。82年中国人は増悪の対象で中国人移民排斥法が成立。

・1904年セントルイス万博-日露戦争中の日本は伏見宮貞愛親王、中国は清朝溥倫を派遣。日本は独仏英に次ぐ敷地を与えられ金閣・日本庭園を設け、教育・美術・工業・電気など12万7千点を展示。中国は溥倫の邸宅を建て、茶葉・磁器・絹織物・絨毯・漆器などを展示。ホリー『サマンサ』は西洋化する日本に好意的で芸術・文化を評価、中国には悲観的。日本は美術館での展示を許可されたが、中国は不許可。中国海関任せの展示に中国国内でも批判が。新渡戸稲造『武士道』、岡倉天心『東洋の理想』に中国は日本の保護が必要と記された。

・中国の中国海関任せの展示は何れの万博でも低評価だった。

○おわりに
・近年中国の復活で日本文化は中国文化の派生との見方も生じている。

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