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『イングランド王国と闘った男』桜井俊彰を読書。

12C末ノルマン人とウェールズ人の血を引く聖職者が司教区の分離を試みた話。
中世英国の歴史が分かって面白い。

お勧め度:☆☆☆(私的好み)

キーワード:イングランド、ウェールズ、ノルマン、司教区、民族同化

○ウェールズ
・紀元前5C鉄器を持ったケルト人が英国に移住。1C末ローマが征服、4C末キリスト教伝授。6Cアングロサクソン人がイングランドに侵入し7王国を建設。1066年ノルマンディー公ウィリアムがノルマン朝を興す。87年ノルマン貴族(マーチャー)がケルト人が住むウェールズに侵入。

○背景
・1146年主人公ジェラルド・オブ・ウェールズはウェールズ西端ダウェッドのマノービア城主の3男として誕生。母方の祖父ジェラルド・オブ・ウィンザーはペンブローク城主、その妻はウェールズ王族の娘。当時はウェールズ人の反乱が激しく、支配者マーチャーは劣勢だった。
・1164年アンジュー(プランタジネット)朝ヘンリー2世はウェールズ遠征に失敗、以降アンジュビン帝国の経営に専念。
・当時は英国は先住民ケルト人(ウェールズ人)、前征服者アングロサクソン人、新征服者ノルマン人、フランドル人が混在。言語もケルト語(ウェールズ語)、英語、仏語が混在。

○教会改革
・ジェラルドは信仰心が厚く、セント・デイウィッズの教会で勉学に励む。18歳からパリに留学、倫理・数学・法律などを学ぶ。1174年彼はセント・デイウィッズに戻り、①聖職者の倫理改善②世俗権力からの独立を柱に教会改革に取組み、1/10税(教会税)の徴収を徹底。
・セント・デイウィッズはかつて大司教区の伝説があった。1176年ジェラルドはセント・デイウィッズの司教選に立候補するが敗れる。彼はイングランドにべったりの新司教ピーターと対立する。

○反感
・1183年ジェラルドはイングランドの官吏に就く。1185年マーチャー出身の彼はマーチャーの軍事行動を抑制するためアイルランドに赴く。彼はアイルランドでのイングランドの不当な行動に反感を抱き、帰任後『アイルランド地誌』『アイルランド征服』を著しイングランドを非難。
・1188年ジェラルドは今度はウェールズに赴く。帰任後『ウェールズ紀行』『ウェールズ概略』を著す。そこにはウェールズ人を見下す記述が見られた。その後もウェールズに派遣されるがウェールズ支配が旨く行かず、彼は中傷される。94年官吏を辞す。

○転換
・1198年セント・デイウィッズ司教ピーターが死去。ジェラルドは司教選に再度立候補。イングランド国王ジョン(欠地王)は当初は彼を信頼していたが、カンタベリー大司教ヒューバートの説得で反対に変わる。彼はセント・デイウィッズで司教に選ばれる(正式には国王、大司教の承認が必要)。
・ジェラルドはセント・デイウィッズ大司教区の伝説から、教皇インノケンティウス3世の承認を直接得るためローマを訪問。教皇は伝説に賛同するが結論を保留。実際イングランドではアングロサクソン人の侵入でキリスト教が一旦絶えたが、ウェールズでは存続していた。
・大司教ヒューバートの裏工作でジェラルド一族や聖職者は切崩され、残るはウェールズ王族となる。1203年正式な選挙が行われジェラルドは敗れる、またセント・デイウィッズ大司教区も認められなかった。教皇が分離を認めなかったのは、当時ドイツが強勢でイングランドを味方にする必要があったため。

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