『歴史認識とは何か』細谷雄一を読書。
先週日露戦争から満州事変までの流れを読みましたが、本書は第1次世界大戦から第2次世界大戦までを解説。両書は同様な内容で、共に国際感覚が麻痺した日本の軍国主義を批判。
大変詳しく厚めの本ですが、読んで欲しい本。
お勧め度:☆☆☆
キーワード:現代史、村山談話、歴史認識、ナポレオン、第1次世界大戦、パリ講和会議、牧野伸顕、国際連盟、パリ不戦条約、満州事変、第2次世界大戦、南部仏印、大西洋憲章、国際連合(国連憲章)、国際主義
○村山談話
・1995年8月自社さ連立政権の村山首相は「村山談話」を閣議決定。侵略と植民地支配を謝罪し、「独善的ナショナリズム」を懸念。6月「先の大戦を総括する決議」では国会議員の欠席者が半数近くに及び、国内での歴史認識問題が露わに。また中国・韓国との外交問題にも発展し、パンドラの箱を開けた。
・歴史認識問題は国民が敗戦を実感できない第1次世界大戦後のドイツでも見られた。
○歴史学
・歴史書にはそれを書いた歴史家の歴史認識/理論が書かれている。
・1980年代歴史的事実を軽視し、ポストコロニアル、ポスト構造主義、フェミニズムから歴史叙述するポストモダニズムが起こる。左派・右派共に運動の道具として歴史を利用した。
○戦後史の解放
・戦後史には追随路線(親米)と自主路線(反米)のイデオロギー対立がある(イデオロギー的な束縛)。孫崎享は陰謀論(インテリジェンス史)を重視すべしと説く。実際は歴史は経済的要因、社会的要因、世論などで動く。
・1945年8月15日で歴史を分断する「時間的な束縛」もある、また歴史教育は日本史と世界史に分かれ「空間的な束縛」もある。
○戦後史の視座
・20Cには1914~45年(第1次世界大戦~第2次世界大戦)を「30年間の戦争」とする見方や、1904~52年(日露戦争~朝鮮戦争)を「50年戦争」とする見方がある。
○平和主義の源流
・ナポレオンは政治や戦争を根底から変えた。これを機に平和主義が芽生えた(ウィーン会議)。19C中頃になり兵器の近代化により運動家・思想家・政治家は真剣に平和を討議する様になる。1899年ハーグで「万国平和会議」が開かれる。1904年日露戦争では「ハーグ陸戦規則」が遵守される。
・1914年欧州の驕った大国は開戦、長い平和な時代が終焉する(第1次世界大戦)。死者は1千万人を超え、欧州は衰退に向かう。
・世界が平和志向に変わる中、日本は「天佑」と捉え、軍事力を強化。そんな中、国際協調に同調する知識人(吉野作造)、政治家(原敬)もいた。牧野伸顕(パリ講和会議全権代表)は二重外交を批判(国際協調を唱える一方、「21ヵ条要求」を提出)。パリ講和会議では日本は5大戦勝国(日英米仏伊)だったが、日本は協議から外され4大国で協議が進む。日本は講和条約に「人種差別撤廃」を要請するが、政治的要因(オーストラリアの総選挙)で盛り込まれず。
○国際秩序の破壊
・1918年米国ウィルソン大統領は「14ヵ条の宣言」を演説。1919年「国際連盟規約」に加盟国が調印、そこに「戦争に訴えない義務」を明記。国際連盟は経済制裁と国際世論で平和を維持しようとした。米国は議会の反対で国際連盟に加盟できず。
・1928年「パリ不戦条約」が締結される。本条約は戦争を違法とする歴史的な条約であった。
・1929年ジュネーヴで人道主義から「俘虜に関する条約」が締結されるが、日本には捕虜を恥じる思想があり批准せず。1932年軍事重視から陸軍士官学校の教程から国際法が削除される。
・1928年関東軍は独断で「張作霖爆殺事件」を起こす。1931年関東軍は鉄道爆破事件から「満州事変」を起こす。本来、軍の越境には天皇の勅令が必要だが、朝鮮軍は勅令なく満州に入る。さらに関東軍は錦州を爆撃。日本は世界的な平和時代を断ち切る。
○錦州から真珠湾
・日本は満州事変は戦争でないとして「パリ不戦条約」を無効化、錦州爆撃で「ハーグ陸戦規則」も無効化。第1次世界大戦後、日本は世界の平和主義に背を向け権益を拡大、孤立化する。
・1939年4月ソ連との「ノモンハン戦争」で多大な損害を被る。8月「独ソ不可侵条約」が締結される。9月ドイツはポーランドに侵攻(第2次世界大戦)、11月ソ連はフィンランドに侵攻。
・1940年5月英国首相にチャーチルが就き、戦時体制を整える。6月パリ陥落。7月近衛内閣が誕生、9月欧州での戦況に便乗し「日独伊三国同盟」を締結。
・1941年6月英国上陸が困難となったドイツは「独ソ不可侵条約」を破棄しソ連に侵攻。8月米国ローズヴェルト大統領は「大西洋憲章」で戦争目的や戦後秩序を公表、そこには民族自決・自由貿易などが記されていた。
・1941年7月日本は国際情勢を読めず英国の崩壊を期待し「南部仏印」に侵攻。南部仏印(南ベトナム)は英領マラヤ、蘭領東インドに対する重要戦略拠点。日本は南部仏印進駐で米国から石油禁輸となる。日本は開戦派と戦争反対派に分裂したが11月の「ハル・ノート」で開戦を決断。12月マレー半島上陸、真珠湾攻撃で「太平洋戦争」が始まる。
○第2次世界大戦
・太平洋戦争で1千9百万人以上の死者を出す。1942年4月日本は東京空襲を受け、この頃から捕虜に関する国際法を疎かにする。1943年11月東京での「大東亜会議」に満州・南京・タイ・ビルマの首脳が参加。石油を産出するインドネシアは帝国領土とされ参加できず。インドネシアは1945年8月17日に独立宣言するが、オランダとの独立戦争は1949年「ハーグ円卓会議」まで続く。
・1943年2月ドイツはスターリングラード攻防戦で劣勢となり、戦況が逆転する。7月イタリア・ムッソリーニは逮捕される。11月カイロで米英中首脳(中国:蔣介石)が会談、テヘランで米英ソ首脳(ソ連:スターリン首相)が会談。1944年8月ドゴールによりパリ解放。1945年5月ドイツ降伏。
○終戦
・1945年2月ヤルタで米英ソ首脳が会談。4月ローズヴェルト大統領が逝去、副大統領トルーマンが大統領に就く。4月サンフランシスコで国際連合創設に向けて50ヵ国が協議、6月「国連憲章」に加盟国が署名。国際連盟での米国の不参加、ソ連の除名、日本・イタリア・ドイツの脱退の経験から国際連合では常任理事国の拒否権を認め、5大国優先の国際機関となる。「国連憲章」では「国際連盟規約」になかった軍事的制裁を規定、また地域的機構による集団安全保障も認めた。
・1945年7月ポツダムで米英ソ首脳(英国:チャーチル首相→アトリー首相)が会談。日本に降伏を要求する「ポツダム宣言」を発表。
・1945年8月6日広島に原爆投下。9日ソ連参戦、長崎に原爆投下。14日中立国スイスに「ポツダム宣言」受諾を電報。15日玉音放送。18日ソ連は千島列島に上陸。9月2日降伏文書に調印。
○国際主義
・日本が世界大戦を起こした最大の原因は国際情勢を認識できず孤立主義に走った事による。それゆえ戦後は国際主義回復のため国際派の東久邇宮稔彦王、幣原喜重郎、吉田茂、片山哲、芦田均が首相に就く。しかし戦後の日本は憲法9条による平和主義で他国の安全保障に無関心となり、戦前と同様に孤立主義に陥っている。
○あとがき
・日本の歴史認識は極端に偏向し二極化されている。著者はその現状を憂い本書を著した。戦前の問題は国際情勢の不認識にあったが、今日でも安全保障政策などで国際政治や国際法を学ばず、日本国内の正義と論理だけで議論していると思われる。