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『時代区分は本当に必要か?』ジャック・ル=ゴフを読書。

歴史を時代区分する事に疑問を投げかけています。
特に中世におけるルネサンスの位置付けを再考し、中世は「闇の時代」ではなく長い発展の時代としています。
西洋の古代・中世の知識が乏しく、翻訳でもあり難解で、理解できない文章がある。しかし中世の概要を他方向から俯瞰した良書か。

お勧め度:☆☆(中世や哲学に関心が強い方)

キーワード:時代区分、古代ギリシャ、ローマ、ルネサンス、人文主義、スコラ学、ラテン語、1492年、百科全書、合理思想

○序論
・時代区分に時代、世(ペリクレスの世、カエサルの世など)、世紀がある。

○古い時代区分
・旧約聖書の預言者ダニエルは4つの王国に分ける。
・聖アウグスティヌスは6つの時代区分に分けた。アダムからノアまでを「最初の時代(少年期)」とし、キリスト誕生以降を「第6の時代(老年期)」とした。
・ヴォルテールは時代区分を①古代ギリシャ②ローマ帝国③イタリアなど中世④ルイ14世(絶対王政の最盛期)とした。

○中世の出現
・15Cイタリア(フィレンツェなど)で古代ギリシャ・ローマ以降を否定し「中間の時代」とした。「中間の時代」を最初に使用したのは14Cの詩人ペトラルカ。彼らは自分達を優越した人間と考え「人文主義者」とした。しかし人文主義やルネサンスが定着するのは19Cに入ってから。
・イタリアにはBC753ローマが建国され、教皇庁が置かれ、ルネサンスが生まれた特殊性を持つ。
・古代と中世を区分する明確な歴史的事件は存在せず、3C~7Cを移行期として古代末期とするのが一般的。経済的には「奴隷制」から「封建制」に移行した。

○歴史教育
・西洋史には2つの起源がある。①ヘロドトスから始まるギリシャ思想②ユダヤ=キリスト教思想。
・歴史はフランスでは17Cに教育科目になり、19Cの王政復古時に義務化される。一方ドイツでは16Cから歴史が教えられていた。歴史を教える上で時代区分も必要になった。

○ルネサンスの誕生
・「ルネサンス」は1838年ジュール・ミシュレが教授就任の記念講義で使用し広まった。
・ヤーコプ・ブルクハルトは『芸術作品としての国家』でルネサンス期イタリアの歴史や人文主義を記述。「世界の発見」(天文学、植物学、動物学)、占星述、悪魔、娼婦、非宗教化なども記述。

○今日から見るルネサンス
・パウル・オスカー・クリステラーは『ルネサンス思想・文学論集』を著す。彼は人文主義者マルシリオ・フィチーノはスコラ的(アリストテレス哲学)と記述(当時の人文主義者はプラトン主義者であった)。また①人文主義者の定義の明確化②聖アウグスティヌスの影響③音楽④祝祭などについても記述。(※アリストテレス哲学?プラトン哲学?この辺り理解できず)
・エウジェニオ・ガレンは『イタリアの人文主義』『中世とルネサンス』を著す。彼は中世はキリスト教が最上位でルネサンスでそれが人間になった記述。またルネサンスは詩・文献、道徳、政治に普遍的意味を与え、それを哲学にしたと記述。
・美術史家エルヴィン・パノフスキーは『西洋美術におけるルネサンスと再生』を著す。彼は人間の本性はどの時代でも変わらず、時代区分は存在しないと考えた。
・ジャン・ドリュモーは『ルネサンス』『ルネサンス史』を著す。彼はフィレンツェから全ヨーロッパへの芸術の普及を記述。アカデミー、機械式時計、砲兵隊、祝祭などについても記述。

○中世は「闇の時代」?
・古代末期「自由学芸」が勢いを得る。自由学芸は三学(文法、修辞、弁証)と四科(算術、幾何、音楽、天文)から成る。中世にラテン語は広まり、1453年コンスタンティノープル占領によりギリシャ語も再発見された。またスコラ学は理性的であり、弁述論より弁証法を重んじた。彼らは自らを現代人と自称した。18Cになるとスコラ学は批判の対象になる。
・聖王ルイはセネガルのサン=ルイ、米国のセントルイス、聖ルイ騎士団などに名を遺す。15C魔術・魔女が社会を動揺させる。16Cに宗教革命が起り、17Cにはリベルタン(無信仰者)が現れる。宗教建築では12Cロマネスク様式がゴシック様式に移行する。
・15Cラテン語は学問に限定した言語になり、各民族/国家の言語が使用される様になる。

○長い中世
・今まで述べた様に経済/政治/社会/文化のどの分野でも中世では根本的な変化は起きていない。変化が起こるのは18C半ばである。
・外洋航海技術(羅針盤、船尾舵、角帆)は中世に広まった。
・中世に農業経済は鉄製の犂が発明され三圃式輪作が広まった。
・1292年フランシスコ会士オリヴィは『契約論』で希少性、元金、利子について記述。
・中世は常に飢饉、疫病の危機にあった。食物は18Cまで植物性が中心でルネサンス期でも同様である。1350年頃ニシンの「樽詰め」が発見され、ヨーロッパ各地に輸出された。
・中世を通して金属製品(犂、蹄鉄、釘、錠前など)の使用は広まった。13Cに鍛冶屋を意味する苗字が増えた。
・中世に税と軍事力を独占し王権が強まる。ネーデルランド連邦(1579年~)は例外だが、西洋は君主制だった。スペイン継承戦争(1701年~)、オーストリア継承戦争(1740年~)が中世最後の戦争になる。新大陸発見で貴金属が流入し貨幣経済に変わっても君主制は揺るがなかった。フランスの「百合の花」伝説もフランス革命まで存続した。
・新大陸を発見したコロンブスも、黄金の発見を夢見る中世の人間。しかし1492年は①グラナダの解放②ユダヤ人の追放(キリスト教の独占支配)③カスティーリャ語(スペイン語)の使用④新大陸の発見で感嘆すべき年。コロンブスの新大陸発見は均質化(グローバル化)の始まり。
・シェイクスピア(1564年~)は中世の人間である。彼は演劇の中で寓意を用い中世を語ろうとした。
・新大陸発見により貴金属が流入し1609年アムステルダム銀行が設立され貨幣経済が発展したが、その進歩は漸次的であった。
・ディドロ、ダランベールらによる1751年『百科全書』出版が近代の始まり。

○中世のまとめ
・農業は犂、三圃式輪作で進歩。英国で産業革命が起り大陸に広がる。キリスト教に基づかない合理的な哲学・宗教(『百科全書』)が中世に終わりを告げる。政治分野ではフランス革命で反君主制運動が起る。
・『科学と生命の手帖』(2012年)でルネサンスを特集。ルネサンスは「科学的方法の誕生」とし、中世とルネサンスの連続性は産業面(12C紙、13C羅針盤/船尾舵、15C印刷術)で顕著とし、キリスト教支配からの脱出を表す『百科全書』出版を近代の胚胎とした。

○おわりに
・中世は歴史の進展が緩慢であり、多くの歴史家は「中世とルネサンス」と言う。時代区分は歴史を扱い易くするために存在する。

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