『日本の1/2革命』池上彰、佐藤賢一(2011年)を読書。
革命に関しジャーナリスト池上彰と西洋史作家・佐藤賢一が対談。
フランス革命と日本の革命(明治維新、GHQ革命、2009年政権交代)を解説。日本の革命は常に1/2で終わると解説。
革命を大局的に見れる様になった気がする。
お勧め度:☆☆☆
キーワード:フランス革命、1/2革命、人材、歴史家/小説家、独裁、大統領制、明治維新、GHQ改革、政権交代、言葉、人権宣言、公約(マニフェスト)、大衆政治(ポピュリズム)、戦争・震災・少子高齢化、歴史
○革命
・フランス革命は2段階からなる。1789年7月バスティーユ陥落から第1段階(前半戦)が始まり、1792年8月テュイルリ宮襲撃から第2段階(後半戦)が始まる。9月には王政を廃止し、共和政を樹立した。
・日本の革命が常に中途半端(徳川家、天皇の存続)で終わるのは、「変わり方」を知らないため。フランス革命の第1段階(前半戦)は主役はブルジョアで王は存続し、明治維新と類似。しかしフランス革命には第2段階(後半戦)があった。ただし第2段階(後半戦)は汚点(王の処刑、独裁、粛清、恐怖政治、地方弾圧)が多く評価できない。
・佐藤は『小説フランス革命』(12編)を著す。フランス革命の始まりは1789年7月バスティーユ陥落で、終わりは1799年11月ナポレオンのブリュメール・クーデタとするが、終わりは今でも悩んでいる。
・フランス革命前、財務大臣(日本の首相に該当)が頻繁に変わった。これは日本の政権交代前と類似。また1788年は歴史的凶作で食糧難に。これも政権交代前にリーマン・ショックが起きた日本と類似。
・日本の革命(明治維新、GHQ革命、60年・70年安保、2009年政権交代)は常に1/2で終わる。
・日本は統制的で社会民主主義と云える。ただし中国・ソ連と違って、平等で国民の働く意欲は強い。
・英国は地主貴族による囲い込みで溢れた小作農が産業革命の労働力になった。仏国は民主化に成功し自営農が増え、産業革命が遅れた。
・フランス革命も政権交代も革命前、旧政権側に「言葉」がなくなり、政権を奪取する側に「言葉」が増えたのは共通。
・フランス革命前、王政は密室政治で人材を必要としなかったが、革命により優秀な人材が多出。革命前優秀な人材(モンテスキュー、ヴォルテール、ルソーなど)は文学(啓蒙主義)に身を置いた。
○フランス革命
・佐藤は西洋史を学んでいたが、ワープロの練習で歴史上の人物にセリフを言わせていると小説が出来てしまった。歴史家は倫理や証明に拘束されるが、小説家は自由で楽しい。
・日本人が第3者としてフランス革命を書く事に意味がある。日本の歴史問題も第3者に任せたい。
・フランス革命はバスティーユ陥落(1789年7月)からテュイルリ宮襲撃(1792年8月)までを前半戦、その後ナポレオンのブリュメール・クーデタ(1799年11月)までを後半戦とする。前半戦は「人権宣言」、封建制廃止、身分否定、選挙導入など冷静で前向き。一方後半戦は独裁、恐怖政治で殺伐。
・英国の革命は古い体制(王政、貴族政)を存続させた穏やかな革命。身分制のない米国の独立戦争は、英国と云う支配者を切り離す革命。仏国の革命は身分制と民主主義への意欲が共に強く、第2段階(後半戦)を必要とした。また王政を倒した国は、大概大統領制を布いている。仏国も最終的に権限の強い大統領制になった。
・後半戦に入り理想主義のジャコバン派(ロベスピエール)が国民公会/公安委員会で権力を握り、独裁政治を行う。現実主義のジロンド派は弾圧された。1794年7月テルミドール派がクーデタで権力を握る。やがて内乱を鎮圧したナポレオンに期待が集まり、ブリュメール・クーデタとなる。チェチェンを弾圧し大統領になったプーチンはナポレオンと類似。
・フランス革命の第1段階(ブルジョワ革命)は西側の民主主義の母体となり、第2段階(プロレタリア革命)は東側の社会主義の母体となった。
○明治維新
・ルイ16世をギロチンに掛けた広場は「革命広場」と呼ばれた。その前はルイ15世を顕彰する「ルイ15世広場」だった。革命後ナポレオンと教皇が和解し「コンコルド(和解)広場」となった。
・フランス革命と明治維新は類似している。革命前は「絶対王政」と云われるが王権は弱く州が自立し、幕藩体制と類似。ヴェルサイユが派手なのは貴族を惹き付けるため(参勤交代に類似)。革命を起こしたのも支配層の最下層(ブルジョア、下級武士)で類似。革命後に最初にやった事(立憲君主制、県の設置)も同じ。
・しかしフランス革命では後半戦が起った。それはルイ16世/マリー・アントワネットがオーストリアに逃げ、民衆が激怒したのが原因。
○GHQ改革
・絶対王政も米国から託された自民党政権も王権神授説と考えられる。
・米国による「押しつけ民主主義」は日本では成功したが、イラク、アフガニスタンでは失敗。それは日本は「大正デモクラシー」で受入れる下地があったため。
・GHQ改革も天皇制を存続させるなど1/2革命で終わった。米国は東西冷戦でゼネストを抑える立場に変わった。60年・70年安保、特に1968年は「世界同時革命」の雰囲気があり、フル革命に至る可能性があったが、やはり1/2革命で終わった。
・革命では軍隊がどちらに付くかで成否が決まる。フランス人は何かあるとデモを起こす。これは成功体験によると考えられる。
○言葉
・佐藤はフランス革命と政権交代をダブらせ、鳩山首相をラ・ファイエット、小沢をミラボー、菅首相をバルナーヴに例える。
・政権交代で注目されたのが公約(マニフェスト)。八ッ場ダム、「最低でも県外」などで公約違反になる。
・自由・平等などを掲げた「人権宣言」は公約と云える。「人権宣言」には今でも熟読玩味すべき事が書かれている。実績がない革命側には言葉が必要であった。「人権宣言」にラ・ファイエットは賛成したが、ミラボーは反対した。
・ジャコバン派は制限選挙/立憲王政でまとめようとしたフイヤン派を「人権宣言」違反として責めた。ジャコバン派は地位が最も高い教会に対し改革を行い、カトリックを禁止し、教会の財産を国有化し、暦は革命暦を作った。
・小泉首相は「ワンフレーズ・ポリティクス」で話題に。ナチス宣伝相ゲッペルスの「ブルート・ウント・ボーデン(血と国境)」は有名。
・フランス革命の後半戦に入ると、民衆は何かあると議会に押し寄せ大衆政治(ポピュリズム)になる。今はネット社会でネット世論の影響大。
・フランス革命時にメディアも変化。革命前は官報みたいな新聞しかなかったが、自分の主義主張を述べる新聞が増えた。革命家は自ら新聞(ミラボー『全国三部新聞』、マラ『人民の友』など)を発行した。日本でも日中戦争が起ると、新聞は戦争を煽った。フランス革命も日中戦争も言葉によって間違った方向に進んだ。
○後半戦
・革命には破壊、まとめ、創造の3段階論もある。
・フランス革命の根本原因は財政難。革命が始まると対外戦争を起こし、財政問題は解決されなかった。しかしナポレオンが出現し対外戦争に勝利し混乱を治めた。戦争により混乱が治まる事は度々ある。
・政権交代後に戦争に相当する東日本大震災が起きたが、第2段階(後半戦)に向かうのか。なお少子高齢化も戦争に相当する。しかし日本人は政治参加意欲が弱く、権利意識も弱い。
・無理してまとめるよりも、徹底して破壊した方が解決に繋がる場合が多い。歴史は未来を照らす懐中電灯、歴史を学んでほしい。
○対談を終えて
・1/2革命論、フランス革命の重大さ、言葉による暴走など新鮮であった。
・2011年北アフリカ・中東で革命が始まった。きっかけはチュニジアでの若者の焼身自殺。これがインターネットで伝わり、反政府運動に発展した。気掛かりなのは反政府側の人材不足。この時中国はインターネットを遮断した。フランス革命では言葉が伝わり、東欧革命では衛星放送で伝わった。