『三宅久之の書けなかった特ダネ』三宅久之を読書。
著者は毎日新聞社の政治記者をしていて、その時の逸話を著した本。当時の政治事情が良く分かる。
政治記者はホントに政治家に近い位置にいますね。知らない政治家が何人かいた。
お勧め度:☆☆
キーワード:56年日ソ国交回復、政権譲り渡し密約、60年安保、55年保守合同、60年総裁選、64年池田後継指名、69年沖縄返還、情報、距離、71年参議院議長、保守本流、担当記者、ロッキード事件、74年椎名裁定、大福密約、春日一幸、山中貞則、浜田幸一、86年衆参同日選挙、93年細川政権誕生、95年村山続投、トロイカ、小選挙区制
○乾坤一擲の大勝負
・日ソ国交回復-鳩山一郎
戦後の最初の選挙で日本自由党が第一党になるが、鳩山は公職追放される。54年鳩山は日本民主党を結成し、吉田茂に次いで首相になる。翌年に日ソ交渉に入る。
56年訪ソ。領土交渉で難航するが、共同宣言に調印(歯舞、色丹は平和条約締結後に返還)。
・政権譲り渡しの密約-岸信介
57年岸は首相に就く。59年自民党の領袖(岸、大野、河野、佐藤)が安保改定後に大野に政権を譲る事で密約。実際は総裁選で池田が勝利する。
・60年安保-岸信介
60年6月安保騒動が激化。その夜岸は米大使館を訪れ大統領の訪日中止を要請。それが安保改定後の退陣の理由とされる。
・政権を取り損ねた-緒方竹虎
緒方は朝日新聞社在籍時、二・二六事件で反乱軍に対峙。著者は緒方副総理の謦咳に接する事が喜びだった。
54年緒方は指揮権発動問題で揺れる吉田首相に退陣を決意させた。
55年保守合同なるが、新総裁が決まらず。緒方は翌年急死する。
○金と権力の権謀術数
・実弾乱れ飛ぶ総裁選-池田隼人、河野一郎
60年岸退陣後の総裁選で「ニッカ、サントリー、オールドパー」と云う言葉が生まれた。河野は総裁選で池田に敗れるが、その後池田に接近する。池田政権には大平正芳、宮沢喜一など縁の下に優れた人材がいた。
・池田後継-佐藤栄作、川島正次郎、河野一郎
64年池田は退陣後、後継に佐藤を指名する。河野は63年総選挙で新人を積極的に擁立し、党内に敵を作っていた。
河野は死に臨んで「こんな事で死んでたまるか」と言ったとされるが、それは創作である。
・沖縄返還-佐藤栄作
64年首相に就いた佐藤は沖縄返還を実現し、ノーベル平和賞を受賞。佐藤は幸運児であり、政治手法は「待ち」である。64年大野、65年河野、池田など政敵が亡くなった。
沖縄返還は米国の軍事戦略の変更から始まり、交渉は外交ルートではなく京都産業大学の若泉敬が当った。69年佐藤はホワイトハウスで沖縄返還協定と共に、核持ち込みに関する秘密合意に署名した。
・人事と情報-佐藤栄作
佐藤は9回人事を行った。情報好きな所に情報は集まった。佐藤には造船疑獄があり検察情報には敏感であった。
・適切な距離-森清
57年岸内閣改造の時、著者は読売新聞記者と共に森に人事情報を求め、森は書かない約束で漏らした。翌朝の読売新聞には人事情報が載っていた。著者は森の信頼を得て、その後森の相談相手になった。
福田首相がパリに外遊した時、福田はホテルで政商小針暦二にパッタリ会った。彼は福田が贔屓にするマッサージ師を帯同していた。
著者と久しい農商務省出身の重政誠之が農相に就いていた。著者は彼にビキニ環礁調査船への同船を要望したが、選ばれたのはNHKと共同の記者だった。
・参議院議長-河野謙三
71年参院選が行われ、続く議長選で佐藤派重宗雄三は4選出馬を断念。自民党は木内四郎を候補に立てるが、野党の協力もあり反佐藤派河野謙三が当選。※参議院議長も影響力あるんだ。
・保守本流-前尾繁三郎
70年総裁選に宏池会会長前尾は立候補せず。前尾は伊藤正義、田中六助、服部安司に叱咤され会長を辞任。
・派閥-河野一郎、河野洋平
57年岸が総裁に就くが、当時は自由党系-池田派、佐藤派、大野派、民主党系-岸派、河野派など派閥8派が存在した。著者は河野派の担当記者だった。
著者はまだ学生だった洋平に小遣いが少ないと不平を聞かされる。河野にその事を伝えると、目は笑っていたが、私事に口を出すと出入り禁止にすると言われた。
58年頃著者は河野に政界入りを勧められたが断る。河野は朝日新聞記者から政治家に転身していた。
76年洋平は新自由クラブを立ち上げるが、10年後解党する。
○政治家の虚虚実実
・ロッキード事件-田中角栄
著者の書架には田中に関する本が30冊以上ある。
72年田中は佐藤に次いで総裁に就く。この時「日中国交回復」を公約とした。
76年米上院外交委員会でロッキード事件が発覚。日本では衆院予算委員会で全日空・若狭、国際興業・小佐野、丸紅・檜山/大久保らを証人喚問。東京地検は児玉らを起訴。贈賄側は米国に証人喚問を嘱託したが、これは証拠にならず違法である。この裁判の幕引きは不可解である。
85年著者は田中派の新年会に出席し、二升五合瓶(益々繁昌)でお酌を受けた。前年暮れ竹下登が創政会を旗揚げし、翌月田中は脳梗塞で倒れる。
・椎名裁定-椎名悦三郎、三木武夫
74年椎名裁定により三木が総裁に就く。裁定前日、椎名は三木に「総裁に指名するが返上して欲しい」と事前に伝えていた。ところが当日三木が総裁指名を返上せず、椎名の野望は潰えた。
・総裁選での執念-三木武夫
68年総裁選の時、著者は三木に親しい議員への周旋を頼まれる。三木は敗れるが感謝される。その後三木に色紙を貰おうとすると無視された。その後三木の軽井沢別荘に呼ばれ和解する。
・大福密約-園田直、福田赳夫、大平正芳
園田は毀誉褒貶の多い人だった。武道合わせて31段、松谷天光光との恋、秘密共産党員、国対委員長での強行採決などがあった。
76年総裁選で福田が無投票で総裁に就くが、そこには福田・大平間で、2年後に大平に総裁を譲る密約があった。しかし2年後の総裁選に福田は再度立候補し、園田は密約をばらし福田派を除名される。総裁選では大平が勝利する。
○異端児
・豪胆無比-春日一幸
67年春日は民社党の書記長に就く。翌年西村栄一委員長に呼ばれ、「複数の女性を抱えているが、書記長を取るか彼女達を取るか」と問われる。春日は彼女達を取ると即答し、書記長を辞す。71年春日は委員長選で委員長になる。
73年田中首相が小選挙区制実現に動くと、春日は田中邸に乗り込み断念を迫った。
・税制の神様-山中貞則
山中は税制とは無関係であったが、58年大蔵政務次官となり、猛勉強で税制通となる。72年初代沖縄開発庁長官に就き、沖縄返還の実務面を担当した。著者が山中にインタビューした録音テープを主税局長が欲しがるほど、山中はカリスマ性を持つに至った。
・暴れん坊-浜田幸一
岸元首相が用事で浜田を待たせた時、浜田は直立不動で待っていた。礼儀正しい青年だった。
90年浜田は暴漢に頭を殴られ失語症となる。これにより政界を引退し、タレント業に転身した。
○内なる敵と世論
・衆参同日選挙-中曽根康弘
86年中曽根首相は極秘裏に衆参同日選挙を進め、選挙で圧勝する。著者は他言無用であったが、その情報を得ていた。
・細川政権、自社さ政権-細川護熙、村山富市、河野洋平
93年内閣不信任案が可決され総選挙となる。選挙後の政権のカギは日本新党が自民に付くか、非自民に付くかにあったが、細川を総理に担ぎ上げ、歴史的な非自民政権が誕生した。
95年自社さ政権時の参院選で社会党は過去最低の16議席となる。村山首相は辞任表明するが、河野の首班指名に経世会(小渕派)が反対し、村山続投になる。
・トロイカ-小沢一郎、鳩山由紀夫
09年小沢代表/鳩山幹事長の時、総選挙前なのに鳩山に選挙区事情を知らせていなかった。小沢が自民党を離党した時、35人の衆院議員がいたが、今は一人もいない。
・政治家の器、記者の器
今の政治家には「志」「正義」が欠けていると思う。小選挙区制により政治家は小粒になり、劣化したと思う。
○おわりに
著者が毎日新聞社を退職したのは、管理職になり現場から離れ、寂しくなったため。退職により仕事がなくなったが、支えてくれたのは毎日新聞社の先輩であった。
著者は4人目の子として生まれ、猫可愛がりされて育った。やはり両親に感謝したい。