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『浅野長晟の広島城入城と初期藩政』西村晃を受講。

広島藩初代藩主浅野長晟の初期藩政を解説。入城前/入城/入城直後の藩政/家臣誅伐/家臣を解説。
貴重な話を聞けました。

キーワード:浅野長晟、紀伊藩、大坂夏の陣、広島藩、連歌百韻、家臣誅伐

○入城前
・1586年浅野長晟(ながあきら)は浅野長政の2男に生誕。1613年紀伊藩主の兄幸長が嗣子なく逝去。長晟と弟長重が継嗣で対立(長晟には家老浅野忠吉が、長重には家老浅野知近が付く)。幕府の判断で長晟が紀伊藩主となる。
・地盤固め-1615年春姫(幸長の娘)と尾張藩主徳川義直が婚儀。16年長晟は家康3女と婚儀。15年長晟は「大坂夏の陣」(樫井の戦)で活躍。

○入城
・1619年福島正則が広島藩を改易となり、8月8日長晟は広島城に入城(今年は入城400年記念)。広島には船で入り、中島の天満神社に上陸。天満神社で連歌を読み、以降「連歌百韻」が恒例の行事になる。
・世子光晟が広島城に入城する時、殺傷事件が起こる。

○入城直後の藩政
・1619年収穫前の8月22日、代官/奉行など家臣140人を各郡に派遣。

○家臣の誅伐
・1619年10月22日4家老に知行地を与える(浅野知近-三吉、浅野忠吉-三原、上田重安(宗箇)-小方、亀田高綱-東城)。
・11月1日知近は城のある三原を要望し、広島城に登城せず。
・11月26日長晟は幕府の許可なく、広島城にて知近を誅伐。
・11月29日長晟は幕府老中に「知近の罪状」を提出。12月5日罪状を修正し、将軍に提出。12月末一件落着。

○家臣
・長晟の有力家臣は以下。
 浅野知近-家老筆頭。長晟の従弟。紀伊では田辺城主。長晟襲封に反対。広島入城直後に誅伐される。
 浅野忠吉-父長政の従弟。紀伊では新宮城主。長晟襲封を推進。
 上田重安(宗箇)-丹羽長秀、徳島藩蜂須賀家の後、浅野家に仕える。古田織部から茶道を師事。
 浅野高英-明智光秀の後、浅野家に仕える。
 亀田高綱-柴田勝家の後、浅野家に仕える。武勇に勝り、岡本知久と対立し浅野家を退去。
 岡本知久-行政担当として頭角を顕わす。

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