『日本人の道徳力』黄文雄を読書。
世界の倫理道徳を比較し、日本の優位性を述べています。
中国の儒教を支配者の倫理として批判。一方日本の倫理は神道・仏教・儒教が習合し、高評価。
最近儒教を批判する本を時々読む。台湾の方で日本を高評価する人は多いですね。これは中国への反感でしょうか。
お勧め度:☆(結構面白く、色々なヒントがあったが、苦手な分野で最終章辺りは少し苦痛であった)
キーワード:倫理道徳、五常五倫、世俗化、儒教、道教、法、自由/平等/功利性、戦争/平和、忠・孝、教育勅語、四二一症候群、四維八徳、善悪、十善、仁・義、善悪の彼岸、因果応報、罪意識/恥意識、他力本願、恩義、科挙、修身、道徳、国家愛/愛国心、まこと、誠、思いやり、村八分
○日本道徳の退廃
・90年代以前の日本は人権の尊重と司法の独立で、道徳性に優れていた。日本は江戸時代から法治国家だった(中国は徳治・人治国家)。
・日本の道徳的安定は、重要な資源である。近年殺人事件や政治家・企業の不正事件などで道徳心を失いつつある。
・日本(明治維新)も中国(五・四運動)も西洋の影響で東洋の道徳が揺らいだ。
・道徳には個人道徳、家族道徳、社会道徳、国家道徳、国際道徳などがある。
・日本人は「美」を、中国人は「善」を、インド人は「聖」を、西洋人は「真」を最高の価値とする。中国は「財子寿」(富、子孫、長寿)を最高の価値とし、五常(仁・義・礼・智・信)、五倫(父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、盟友の信)がある。
・倫理道徳の価値には「真偽」、「善悪」、「美醜」がある。
・近年の道徳退廃で「道徳教育」復活の声がある。明治維新時には「和魂洋才」が唱えられた。
・現代は信仰心が薄れ、道徳の世俗化が進んでいる。西洋の宗教革命は世俗化を起こした。
・中国は春秋戦国時代から世俗化が進み、儒教は宗教でない。一方道教は天帝への信仰や戒律があり宗教と云える。
・道徳と法は別物である。
・中国は天子による徳治・人治社会である。
・近年日本の道徳は退廃し、誇張/扇動/欺瞞が溢れている。
○日本道徳が退廃した理由
・近年日本では青少年の犯罪、官僚・政治家・警察・司法などの不祥事が多発。高度成長により美徳は倹約から消費に変わった。
・近代倫理の主流は①自由から来る権利・義務、人権・人格の尊重、自律性②平等(平等はイスラムでもギリシャでもあった)③功利性(儒教でも日本でも利より義を重んじていたが、近年逆転した)。
・倫理道徳は時代と共に変化。また集団によっても異なる。
・「戦争と平和」の規定は困難。平和憲法を金科玉条とする集団もあれば、空想/念仏平和主義とする集団もある。
・儒者荻生徂徠は中国を「聖人の国」「道徳の国」とし、日本は「道がない国」とした。逆に本居宣長は中国を「混乱と跋扈の国」、日本を「平穏な国」とした。
・中国の戦国時代、楊子の「利己主義」と墨子の「兼愛(博愛)主義」が並立していた。
・3つの階層別道徳が存在した時代もあった(キリスト教的・封建社会的貴族道徳、現代的・市民的ブルジョア道徳、プロレタリア道徳)。
・中国が儒教によって道徳最低となった理由は①五常五倫など徳目の羅列であった②宗教の様に内圧的ではなく外圧的だった③本来儒教は家族的倫理であり、国家的倫理でない。
・日本は「教育勅語」で「忠孝」を最高の価値としたが、戦後「忠孝」を失った。信仰心が薄く世俗化された中国は「孝」(親を敬う)を最高の価値とする。
○中国の道徳が最低の理由
・中国の儒教は順風満帆ではなかったが、宋時代に朱子学に移行し、明時代に陽明学に発展した。
・しかし中国の価値判断基準が金銭の有無になった。また「全てが嘘、嘘でないのは詐欺師だけ」の社会になった。儒教は「五常五倫」を求めたが、天子は徳ではなく力で国を治めた。
・中国は「一人っ子政策」で、青少年は「四二一症候群」で「小皇帝」になった。
・日本は戦後、反日(反伝統・反国家)教育を行った。中国はそれに似た「破四旧」(旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣の打破)の社会主義教育を行った。
・中国は春秋戦国時代から「世俗化」しており、拝金主義・現世主義で、金・権力・コネ社会である。
・儒教は外圧的であり、偽善・独善しか生まなかった。
・春秋戦国時代に四維(礼・義・廉・恥)、八徳(忠・孝・仁・愛・信・義・平・和)が確立した。しかしこれは統治のための倫理であり、四維八徳の中核となる「忠孝」は服従の思想である。
・親孝行の教材に「二十四孝図」があるが、子の体を親に食べさせたなどグロテスクな話が含まれる。
○善悪
・「四書」(大学、中庸、論語、孟子)、啓蒙書『三字経』『人生必読』でも「善」が最高価値であった。善については西田幾太郎の『善の研究』が有名。
・日本の価値判断基準は以下に遷移。古代-神道の純、上代-美術の美、中世-仏教の聖、近世-儒教の善、近代-科学の真。
・善悪の観念として中国に「四維八徳」、ギリシャに智慧/勇気/節制/節度、キリスト教に「七徳」(信仰、希望、愛、思慮、正義、剛毅、節度)、仏教に「十善」(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見)がある。
・「悪」の意味は有害、劣等、疾病、天災、悪魔、害悪、罪悪、悪徳、劣悪、醜悪など様々。ギリシャでは「穢」、ユダヤでは「罪」、キリスト教では「原罪」、仏教では「業」が意識された。
・法然は阿弥陀仏の慈悲を説き、親鸞は「悪人正機説」を説いた。
・日本では「嘘つきは泥棒の始まり」だが、中国の「孫呉兵法」は逆に称賛している。中国には「勝てば官軍、負ければ賊軍」に似た言葉や、勝者を評価する「易姓革命」がある。
・日本人は「美」を、中国人は「善」を、インド人は「聖」を、西洋人は「真」を最高の価値とする。
・儒教でも孟子は性善説、荀子は性悪説を唱えたが、この論争は未だ決着していない。
・ギリシャでは悪は無知から来るとした。仏教では貪欲/怒り/愚痴が悪の原因とした。王陽明は善悪を判断する主体性を重視した。近代になると西洋では宗教から離れ、経験論や唯物論が生まれた。英国では欲望がない事を悪とする禁欲主義批判も起こった。
・五常の先頭は「仁義」だが、いずれも明確でない。儒教(孔子)は乱世を正すのは仁義としたが、逆に道教(老子)は仁義を元凶とし、自然への回帰を主張した。
・「義」は道義、徳義、礼義、義理、義勇、仁義、節義など、理に循う(したがう)事。※他に忠義、正義、主義など山ほどあるな。
・『太平記』『山鹿語類』は義を核とする書物。皆川淇園は利があるものを義とした。
○善悪の彼岸
・マキャベリ、ニーチェは「悪」を創造性があるとして肯定した。ニーチェは「革命」は善・正義から旧体制を破壊する「善悪の彼岸」とした。英雄の道徳を「主人の道徳」として「奴隷の道徳」と対比させた。
・仏教には善でも悪でもない「無記」観がある。仏教では善悪の原因を「縁」とし、悪人に良縁・善縁を与える事を救いとする。「業」により「因果応報」を受ける、つまり「自業自得」である。
・一遍は「捨ててこそ」に徹した(※この考えの人は結構いそう)。『葉隠』では、武士道は死ぬ事である。
○原罪
・西洋人は「罪意識」(内圧)から行動するが、日本人は「恥意識」(外圧)で行動する。西洋は自分と神との対話であるが、日本は自分と他人との対話である。
・罪意識には3種類ある。法規に違反する「犯罪意識」、道徳に背反する「罪悪意識」、宗教戒律に違背する「罪業意識」。
・西洋でも東洋でも大陸民族(フランス、イタリア、中国)は法律を守らない傾向がある。
・罪意識は宗教に大きく影響されるが、仏教は「他力本願」(弥陀に救われる)で母性的のため、日本人は「永遠の少年」である。「水に流す」「総懺悔」もそれを表す。
・「義理」「恩義」は似た言葉だが、義理は有限の債務で、恩義は無限の債務。
・動物が恩義を返す物語は多い(浦島太郎、忠犬ハチ公など)。『忠臣蔵』など「忠」を表す物語は海外にない。
・「恩義」と「自由」はトレードオフの関係で両立しない。
・西洋人は罪意識から自律的であり、次元が高い文化と云える。しかし恥意識は、日本の経済発展の様に生産性が高い。
・日本には相手の「面子」を潰さない(相手に恥を欠かせない)「思いやり」がある。
・『論語』『孟子』は間違いだらけで、「逆読」を勧める。
・戦後、伝統的文化・価値・精神を捨てる傾向にあり恥意識も消滅するのか。
○道徳教育、愛国心
・日本は江戸時代に神道・仏教・儒教が習合し、倫理が確立した。武士には「忠義」を核とする倫理『葉隠』、商人には石田梅岩が正直・倹約・堪忍を核とする倫理、農民には二宮尊徳が至誠・勤労・分度・推譲を核とする倫理を確立させた。幕末には洋学が加わり「和魂洋才」となった。
・中国は隋時代に「科挙」が始まり、宋時代に「科挙」による任官制度が完成した。試験は「四書五経」の暗記であった。しかし儒教に限定した教育は、中国を道徳最低の国にした。
・日本は明治5年「学制」が始まり、明治13年「修身」が学科の首位になり、孝行・忠節・和順・友愛・信義などの徳目を教えた。
・大正時代、日中韓でデモクラシーから反伝統教育(反儒教)が起こった。
・敗戦により「修身」は禁止された。昭和25年朝鮮戦争、26年サンフランシスコ講和条約により道徳教育の検討が始まり、昭和33年「道徳」が復活した。戦後の道徳教育は市民道徳の育成が目的だか、そのあり方は確立していない。近年政治的・経済的激変や価値観の多様化で、道徳教育のあり方が混乱している。
・民主主義の米国でも独裁国家の中国でも愛国心を重視しているが、日本だけは例外。日本は「住みたい国」のトップであり、台湾人が尊敬するのは戦前の日本人であり、愛国心は復活させるべきだ。
・人は自愛、家族愛、郷土愛、「国家愛」などを持つ。国家愛は自愛と対立する事が多く、他国に対して排他的である。
・自然への愛、人間への愛、郷土への愛は自然発生するが、国家は倫理的・法的に作られたもので、「愛国心」は教育・メディアを用い国家が育成するものである。
・日本は愛国心を罪悪視しているが、改める必要がある。
○日本文化
・日本は神代より「まこと」を尊んでいる。日本の美意識の根底は「まこと」である。
・日本人は倫理の核を「誠」と見ている。吉田松陰も新選組も「誠」を掲げた。
・戦前の日本人は真・善・美をよく語った。日本人は善悪より、清らかか穢れているかを優先した。
・和歌は日本人の純心を表す。空海、西行は歌論「真言陀羅尼」(?)を持っていた。
・日本には譲る/助ける/気を配るなど、日本人特有の「思いやり」がある。
・「村八分」は村の付合い(誕生、成人、結婚、死亡、法事、火事、水害、病気、旅立ち、普請)で死亡/火事を除く付合いをしない事を意味する。
・中国には災害に会った被災者を襲う風習があるが、日本にはない。
○あとがき
・江戸時代、中国/朝鮮は朱子学しか認めていなかった。しかも朱子学は目的方法論でしかない。一方日本は朱子学、陽明学、神道、仏教、国学、蘭学など多様であった。