『領事のしごと』大日方和雄を読書。
著者の海外での領事経験を基に、その様々な仕事内容を紹介。
領事にお世話になる事はないと思うが、面白い話であった。社会系の本もたまには読みたい。
お勧め度:☆☆☆
キーワード:パスポート、ビザ、習慣、外貨、犯罪、集団退避、署名証明、血統主義/生地主義、遺産管理、在外選挙制度、日本人学校、医療チーム、日本人会、弁護士、服役、航海日誌/船員手帳、領事制度、外交官、渡航関連情報
○パスポート
・パスポートに関係する仕事は、領事の重要な仕事。12月になると「期限が切れていた」「紛失した」「スタンプを押す場所がない」など申請が急増する。
・紛失・盗難されたパスポートは犯罪に利用される事が多い。
・パスポートの所有権は国にあり、パスポートが効力を失った時は返納しないといけない。
・1973年リビアがアラビア語で書かれていないパスポートは認めないと宣言した事があった。
・パスポートは簡略化の流れにあったが、米国の様にバイオデータを含める流れもある。
・1963年日本は海外渡航自由化により、一回のパスポート取得で複数回の渡航が可能になった。
○ビザ
・ビザは本国入国の推薦状であり、元来は商業目的であった。発給手数料は賄賂の意味もある。
・パキスタン領事の時、パキスタン人が中年女性を連れて来て、日本で就労させたいとビザを申請したが、彼女は日本語が話せなかった。
・先輩が香港領事の時、高貴な婦人のビザが切れていたが特別扱いしなかった。先輩はその事を後悔した。
・ある国の領事の時、日本人男性と中国人女性が領事を訪れた。中国で結婚し妊娠したが「一人っ子政策」で子供を産めないため、逃げて来た。二人を日本に出国させた。
・タイ領事の時、日本人がタイ人女性のビザ申請に来た。申請に不足があったのに、彼は部落差別されたと騒動を起こした。
・タイ領事の時、タイ人女性が夫に会いたいとビザ申請に来た。しかし婚姻証明書は神社の挙式証明書であった。
・タイでタイ人にビザ発給されないと社会問題になった。風俗労働や単純労働にはビザ発給しない事をタイ政府に説明した。
○海外旅行
・習慣は国により異なる。日本人がタイの仏教寺院でヌード撮影し、物議を醸した。ギリシャの遺跡で三脚を立て、取締られた。近年外務省は積極的に外国の習慣を公開する様になった。
・海外渡航の自由化前は外貨の使用には政府の許可が必要であった。その後外貨使用は段階的に自由化された。
・海外旅行者が犯罪の標的になり易い理由は、被害者が帰国し、裁判での証言が難しいから。外務省はテロ情報や風土病などの衛生・医療情報も積極的に提供している。
・1990年代は53件の日本人集団退避が起こった。98年インドネシア争乱時、1万人以上が退避した。※こんな事あったかな。
・領事は日本人援護のため、事件・事故現場/警察/病院などを走り回り、それぞれ状況に応じた対応を取る。タイ領事の時、日本人が殺害され、メディアの過度の報道を抑制する事もあった。
・海外渡航自由化後、無銭海外旅行が流行った。トルコで若者が野宿していてジプシーに殴打され、死亡する事件があった。ギリシャ領事の時、異常行動する日本人を自宅に泊め、何日も居座られた事があった。
・海外旅行中は何かあった時のため、家族に頻繁に連絡を入れておいて欲しい。
・パキスタン領事の時、「医療チーム」が「健康相談」を開いたが、予約していない日本人が来た。彼は下痢で、調べると尋常でない事が判った。個室に入れたり、病院に運んだりで大変だった。もし健康相談に出くわさなかったら、彼はどうなっていたか。
・パキスタン領事の時、日本人が大麻保持で逮捕されるが、初犯で許される。帰国させるため空港の待合室で飛行機を待つが、密売グループらしき人物が接近して来る。警察と密売グループはグルなのか。
・香港領事の時、海に飛び込み自殺未遂した人を保護した。監視のため精神病院に泊めたが、翌日は平然としており、日本に帰国させた。
・領事は金銭に困った日本人に帰国代など少額を貸す。香港領事の時、「マカオの賭博で所持金を失ったのでお金を貸して欲しい、マカオで稼いで返すから」と言う日本人がいた。空港近くに質屋が多いのは、そのためか。
○海外居住
・自国の「公文書」を証明するのは、領事の重要な仕事。
・パキスタンは禁酒国のため「アルコール中毒証明書」がないとアルコールを買えない。パキスタンで飲酒するには、アルコール中毒者になる必要がある。
・海外で自動車を運転するには、公安委員会で「国際運転免許証」を発行してもらう必要がある。
・大学の卒業証明書/成績証明書などは専門用語が含まれ翻訳に苦労する。民事裁判などで、翻訳証明書を要求される事もある。
・日本は「印鑑証明」だが、海外では「署名証明」となる。また日本国内では住民票で居住を証明するが、海外では「在留証明」となる。
・英国領事の時、エジプト人男性と日本人女性がエジプトの婚姻証明書を提出したが、調べてみるとそれは婚姻儀式の証明書で法律上は無効であった。
・国籍には「血統主義」と「生地主義」があり、国によって制度が異なる。日本人が海外で出産して外国籍を取得した場合、3ヶ月以内に日本に申請しないと、その子は日本国籍を失う。
・国籍が異なる夫婦の離婚は複雑になる。居住地が夫婦の国籍と異なる第3国だと、さらに複雑になる。それに親権が絡むともっと複雑になる。日本国籍を持たない子供を日本に連れて帰れない問題も、時々起こる。
・近年老後を海外で過ごす人が多い。死亡された場合、その遺産を領事が管理する。
・1998年選挙法の改正で、海外居住者の衆議院/参議院の比例代表への投票が認められた(在外選挙制度)。「在外選挙制度」は手間が掛かる割に投票率が低く、改善の余地が多くある。
・海外居住者の2大関心事項は、家族の健康と子供の教育である。海外には267の日本人学校(私立)がある。学校の課題は経費の調達と教師の確保である。学校には国から補助金が出ているが、企業からの寄付金もある。学校のスムーズな運営のため、領事は奔走している。
・1972年より「医療チーム」が海外に派遣され、「医療相談」を開いている(ただし現地で医療行為はできない)。SARS、鳥インフルエンザ、エボラ出血熱などの発生で、医療・衛生情報の収集は、領事の重要な仕事である。
・海外で年金を受けるには、「在留証明」を毎年提出する必要がる。また死亡した時は、居住国だけでなく日本にも「死亡届」を提出する必要がある。
・海外では日本人会が組織され、領事はそれを支援している。日本人会は日本人墓地などを管理している。著者はニュー・カレドニアやアラスカで墓地の改修に関係した。
・日本人が犯罪により留置されると、弁護士の選任を頼まれる。そのために事前に弁護士リストを作成している。服役者に対しては定期的に訪問し、外務省に報告している。コートジボワールで服役者を訪問すると、食事を取っていないと言う。コートジボワールは一般国民でさえ食事に困っているため、留置場では食事を出さない。身内が届けるしかないのである。
○船舶・船員
・領事の始まりは貿易であり、寄港地で貿易船の入出港や商業上の便宜を図るのが元来の仕事であった。
・シドニーは風光明媚な港町である。そこの住人から、汚い日本船を入港させるなと抗議があった。
・パキスタン領事の時、港湾当局が酒や煙草を要求し「入出港手続き」しない、と日本船乗務員から連絡があった。
・海上での漁船同士のトラブルも多い。コートジボワールでは漁船員同士が港でケンカになり、解決のため警察や裁判所を奔走した事がある。
・船長は航海の詳細を「航海日誌」に記録し、海難事故の時、領事はそれを証明する必要がある。また船員は船員手帳に勤務実態を記録する。それを証明するのも領事の仕事である。
○領事の歴史
・領事の始まりはコンスタンティノープルでの商業活動とされる。1536年フランスとオスマン帝国で、初めて領事に関する条約が結ばれた。
・日本では1871年領事制度が規定され、75年外交官と領事官の区別が明白となり、78年「領事規則」の大改正で詳細が固まり、90年の改正で確立した。
・大使(外交官)は国家レベルで他国と交渉するのが任務である。一方領事は通商や国民個人の利益を守るのが任務である。
・外務省はインターネットで治安・衛生などの「渡航関連情報」を提供している。利用して欲しい。