『司法権力の内幕』森炎を読書。
裁判官であった著者が司法権力を「司法囚人」として批判しています。
たまに司法関係の本を読みますが、司法の在り方って難しいですね。使われている言葉も難しい。
お勧め度:☆☆(司法に関心が高い方向け)
キーワード:カフカ『審判』、行政部、裁判官独立、最高裁事務総局、司法権力、司法囚人、検察権力/警察権力、パノプティコン/規律権力、冤罪、自白、政治権力、汚職事件、勾留、保釈、人質司法、自白、代用監獄制度、治安維持、量刑、テクノクラート、証拠外推論、熊本典道、矢野伊吉、豊川博雅、三淵乾太郎、鈴木忠五、団藤重光、死刑廃止論、堅山真一、裁判員制度、司法革命
○カフカ『審判』
・オーストラリア=ハンガリー帝国のカフカは『審判』を著している。『審判』は主人公が逮捕され、裁判を受け、最終的に処刑される不可解な小説である。しかし裁判官が持つノート、事務局長、裁判では弁明が必要など真実に近い話である。
○実情
・著者は裁判官に任官し、「行政部」に配属する。しかし著者は行政法を学んだ訳でもなく、不適切な人事であった。
・裁判官には「裁判官独立」の原則があり、上下関係はない。
・裁判官は忙しく働くGさん、「門前の人」に好かれるTさん、ソフトボールに真剣なSさんなど個性豊かであった。
・著者は両親が共に弁護士で裁判官になったのは、その影響もある。しかし裁判官には、意外と挫折組が多い。
・「最高裁事務総局」は出世コースであるが、裁判官は裁判がしたいがために裁判官になったので、当コースは好まれていない。※裁判官に事務をさせるのは不適任と書いてある本があった。
・これらの様に「司法権力」は一枚岩でない。
○司法囚人
・裁判官は公用車で通勤、旅行/外での飲酒/ギャンブルの禁止など外界との接触を制限されている。この状態は囚人と同じである(司法囚人)。
・裁判官が下す量刑は形式的である(死刑基準は殺害した人数で決まる)。
・裁判官は検察官より法律上は権力があり、またそのように意識しているが、検察官からの控訴請求や勾留裁判の確率を見ると、検察官とは「熟れ合い」である。
・近代の監獄は中央の監視塔からすべてが監視できる様、放射状になっている。この仕組みにより囚人は監視される事が内面化し従順になる(パノプティコン)。フーコーはこの現象を「規律権力」とした。
・裁判所の問題は権力の帰属主体(最高裁事務総局など)にあるのではなく、権力のメカニズム(パノプティコン/規律権力)にある。
○裁判所の犯罪
・検察官の求刑より重い判決をする「厳罰裁判官」は検察官に嫌われる。
・「冤罪」とは一旦有罪判決を下すが、上級審や再審で無罪となる事件。冤罪者の過酷さは想像を絶する。
・冤罪事件に免田事件/財田川事件/島田事件/松山事件/八海事件などがある。多くの事件で「自白」の強要があった。
・一方救済(死刑求刑に対し無罪判決)は1958年以降、5件しかない。
・これらの様に司法は「人権の砦」「社会的弱者の救済」とは縁遠い。
○日和見な権力
・日本には「政治権力」と「検察権力」との権力闘争が昔からあり、シーメンス事件/昭和電工事件/炭鉱国管事件/造船疑獄事件/武州鉄道事件/吹原産業事件/ロッキード事件などの「汚職事件」があった。ただし「政治権力」と「警察権力」との闘争はない。
・昭和電工事件で芦田均、炭鉱国管事件で田中角栄が逮捕される。造船疑獄事件で佐藤栄作の逮捕を吉田首相は指揮権発動で回避する。検察はロッキード事件で組織の命運を賭け、田中角栄を逮捕する。
・戦前のシーメンス事件では海軍大臣斎藤実まで捜査が及び、海軍出身の山本権兵衛内閣は総辞職する。
・これらの権力闘争の決着は裁判に委ねられるが、裁判所は一貫して「政治権力」に弱腰で、大半が無罪となっている。※前章とは対照的だ。
○人質司法
・裁判の有罪率は99.8%で非常に高い。「勾留裁判」の勾留率も99%を超えている。勾留の条件は「証拠隠蔽や逃亡の恐れ」であるが、そんなに高いと思えない。「保釈」も犯行を認めているか否かに左右される。これらは「人質司法」を表している。
・「自白」の審理は①任意性②信用性の2段階で行われ、「自白」に強要があった場合、②信用性は審理されない。ところが実態は捜査官が「自白に強要はない」と発言すれば、すれで済む。これは裁判官同様、容疑者も閉鎖性(規律権力)の中に置くのが目的である。
・本来取り調べは、法務省所管の拘置所に身柄を拘束して行われるべきだが、警察所管の留置所に拘束される(代用監獄制度)。留置所だと規則が厳しくなり、監視に晒される。
○崩れゆく「人権の砦」
・「市民の自由」と「治安維持」は対峙するが、「規律権力」は「市民の自由」より「治安維持」の方を重視する。
・杉並看護学生殺人事件/鶴見事件で被告は殺害を否定し、二重犯罪を抗弁するが、何れも有罪になる。一方裁判員裁判の鹿児島高齢者夫婦強盗殺人事件では二重犯罪の可能性を認め無罪となる。
・犯罪事実を認めたか争ったかで量刑が変わる(市原両親殺害事件/川崎両親殺害事件)。要するに冤罪を主張すると、刑が重くなる。裁判官は犯罪事実に確信が持てない時もあるが、裁判官は「テクノクラート」のため一旦下した判断を絶対的真実として扱う。
・布川事件は客観的証拠が乏しく、「自白」が頼りの裁判だった。被告は「自白」を強要されたと訴えたが、裁判官は「自白」を信用し有罪となる。「自白」の審理の2段階目は信用性であるが、裁判官は「乾坤一擲の賭け」に出る事もある。
・他に東電OL殺害事件/大阪母子殺害放火事件など「証拠外推論」で有罪となった裁判がある。
○苦悩する「法の番人」
・袴田事件の一審で「熊本典道」は左陪席(主任裁判官だが、経験の浅い者が就く)を務め有罪判決を下す。しかし熊本は判決に疑問を持ち、裁判官を退官し、後にこの事件について懺悔する。
・財田川事件は最高裁で死刑判決となる。その後高松地裁の「矢野伊吉」裁判長が冤罪を信じ、再審のため裁判官を辞し、死刑囚の弁護士に就き、無罪を勝ち取る。
・弘前大学教授殺人事件の一審で被告はアリバイ/目撃者/血痕/精神鑑定などで畳み掛けられるが、「豊川博雅」裁判長は無罪判決を下す。
・小田原一家5人殺害事件の一審の裁判長「三淵乾太郎」は『家裁の人』のモデルになる。
・三鷹事件などの判決で名裁判長と云われた「鈴木忠五」は退官後、冤罪裁判の弁護に就く。しかし弁護した丸正事件で逆に名誉棄損罪で訴えられ有罪になる。
・「団藤重光」は東大教授退官後に最高裁に招かれ刑事法学の権威となる。裁判所退官後、自身が関わった波崎事件での有罪判決から「死刑廃止論」に変わる。
・首都圏連続殺人事件の控訴審で「堅山真一」裁判長は無罪判決を下す。しかし解放された被告は、その後殺人事件を起こす。
○司法権力
・「司法権力」奪還のための制度として「裁判員制度」がある。裁判員裁判では裁く人の人数は、職業裁判官3名に対し裁判員6名となった。「裁判員制度」は「司法改革」を目的とするが「司法革命」の足掛かりでもある。