『叛逆』アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート(2013年)を読書。
2011年に世界各地で起こった運動から「新しい民主主義の台頭」を解説しています。
①借金を負った者②メディアに拘束された者③セキュリティに拘束された者④代表された者の発生を根拠にしています。
社会主義、新自由主義を批判し、それに替わる「共(コモン)」を解説しています。
著者二人は『帝国』(2000年)『マルチチュード』(2004年)『コモンウェルス』(2009年)の大著も出版しています。
『コモン・センス』は単純で明るい感じですが、こちらは複雑で少し暗い感じがします。
思想的には合意する部分が多いが、翻訳のため難解で、完全には理解できなかった。
お勧め度:☆☆(夏に読む本ではなかった。感想も適当になった)
キーワード:マルチチュード、運動/闘争/叛逆、特異性、占拠、リーダー不在、借金を負った者/メディアに拘束された者/セキュリティに拘束された者/代表された者、資本/労働、金融、メディア、集会、監視社会、代表制、共(コモン)、スローガン、構成的プロセス、自律的、情動、環境問題、抵抗権力、寛容、連邦主義、政党、全体意思、銀行、教育、ポピュリズム、憲法、計画化/発展、新自由主義、コモンナー
○はじめに
・2011年マルチチュード(※大衆かな)は広場を占拠し、スローガンを掲げ、支配者を権力の座から引きずり下ろした。
・2010年12月運動/闘争/叛逆がチュニジアで起こり、2011年にはエジプト/バーレーン/イエメン/リビア/シリアに広がった。5月マドリード「太陽の門広場」/バルセロナ・中央広場が占拠され、テルアビブ・ロスチャイルド大通りが占拠された。9月ニューヨーク・ズコッティパークでウォール・ストリート占拠運動(OWS)が始まった。
・これらの闘争はそれぞれの場所に応じた特異性を持っていたが、占拠戦略を取る、リーダー不在などの共通点があった。また「新自由主義の不正」や「私有財産の支配」への抗議も共通点であった。
・これらの背景に、社会的・経済的危機が生んだ4つの主体がある。①借金を負った者②メディアに拘束された者③セキュリティに拘束された者④代表された者。
○危機が生んだ主体
・セイフティネットは本来は福祉システムとして提供されるべきだが、学生ローン/住宅ローン/自動車ローン/医療ローンなど負債システムに変わった。これにより「①借金を負った者」が生まれた。彼らは責任感と罪悪感で悩む事になる。
・かつて「資本と労働」にはいかさまの自由/平等関係が存在していたが、今は資本と労働の関係は工場内だけでなく社会全体に広がり、資本は生産能力/身体/精神/コミュニケーション/知性/想像力など全てから搾取する様になった。今や資本はレント(金融)と云う手法で搾取している。
・ドゥルーズは「私達に必要なのは情報やコミュニケーションではなく、思考のための沈黙である」と言う。※最近考える事の重要性を度々耳にする。
・今や生産においてメディアは不可欠である。その意味で人々はメディアに拘束されている(②メディアに拘束された者)。
・マルクスは「農民はコミュニケーション手段を持たないため、代表する事ができない」とし「一方労働者は都会に集住するため、代表する事ができる」とした。しかし正しくは占拠運動の様に集会する事で政治的情動が構築される。
・今は空港のゲート/病院での個人情報/街の監視カメラ/インターネットでの購買履歴/携帯電話の傍受など様々な場所で監視がされている(③セキュリティに拘束された者)。
・米国では1970年代から囚人数は5倍に増加し、特にラテン系米国人/アフリカ系米国人の収監率が高い。従って、この主体は人種により不均質である。
・2011年に起こった多くの運動は「代表制」を批判している。それは「代表制」が前述の主体(①借金を負った者②メディアに拘束された者③セキュリティに拘束された者)を生み、真の民主主義の妨げになっている事による(④代表された者)。
・政治家は富裕者に限定され、その政治は有力メディアに翻弄される現実がある。市民の政治参加は困難で、中流階級を代表するポピュリスト的/カリスマ的政治家が台頭しているに過ぎない。「④代表された者」は政治参加への道を閉ざされている。
○危機への叛逆
・新自由主義が起こした危機は「潜勢力」も奪った。※初めて聞く言葉だ。
・「①借金を負った者」の叛逆として、「返済の拒否」が考えられる。ただしこれは単なる拒否ではなく、充溢や成就と云った積極的なものでないといけない。それには特異性同士の社会的紐帯からなる「共(コモン)」が基盤となる。※ここは重要ポイントだが、よく分からない。
・ウォール・ストリート占拠運動(OWS)には2つの源流があった。1つはアルゼンチン(2001年)/ベネズエラ(1989年)/エジプト(1977年)/ペルー(1976年)での反グローバリゼーションの「IMF暴動」、もう1つはロサンゼルス(1992年)/パリ(2005年)/ロンドン(2011年)での負債に抗議する暴動である。
・2011年の運動の様にソーシャル・メディアは多数の特異性のコミュニケーションの場になり、またOWSの「私達は99%だ」の様に真理となるスローガンを生んだ。泊まり込み抗議での集会は様々な真理を生んだ。
・監視社会に飲み込まれている者は、リヴァイアサン(国家権力)に隷属している。監視(監獄)社会から脱出するためには、それを恐れない事である。
・監獄の廃止には賛成である。建国の父や過去の大統領が軍拡を否定したにもかかわらず軍拡を行い、悲惨な大戦を招いた。
・カイロの闘争でもマドリードの闘争でも「私達は恐れない」が合言葉になり、支配者を引きずり下ろした。スピノザは「自由な人は死については考えない、生について考えている」と言っている。
・今や代表制/立憲体制こそがアンシャン・レジューム(旧体制)になっている。今求められているのは、「共(コモン)」的な政治形態であり、それには負債が社会的紐帯に変わり、多数の特異性のネットワークが形成され、セキュリティから解放された主体が必要である。
・今の自由/平等/連帯を原理とする構成的権力(立憲体制)は必要であるが、「共(コモン)」を管理運営するマルチチュードを創出する必要がある。しかしスペインの闘争での「憤激する者達」は選挙を拒否し、脱構成的プロセスにある。
○共(コモン)の構成
・今の資本主義は新自由主義により①生産が「共(コモン)」に変わった②経済的・社会的・政治的危機にある。今の政治は危機に対する調停手段を提供できないでいる。
・自由/平等/持続可能性などの真理を持つ「共(コモン)」に基ずく構成的プロセスのみが調停手段を提供できると考える。これらの闘争はアンシャン・レジューム(旧体制)を粉砕する脱構成的プロセスと云える。
・これらの闘争は時間的には「自律的」に管理運営されている。重要なのは抗議活動が伝播する事であって、その迅速や緩慢ではない。さらに重要なのは占拠された場所で「情動」が表出された事である。
・しかし二酸化炭素排出/石油流出/放射能漏れ/タールサンドによる水質汚染などの差し迫った「環境問題」に対しては、企業も国家も取り組むつもりがなく、緊急の対応を要する。
・環境問題/戦争・拷問・警察による虐待/亡命者・移民・被収容者の弁護に関しては、国際的な法的手段を抵抗権力(※いきなり出て来た。何となく分かるけど)として用いる必要がある。
・「共(コモン)」の構成的権力はコミュニケーション(ソーシャル・メディアなど)を利用して闘争を起こした。また活動家の大半は学生/知的労働者/サービス職などコミュニケーションを多用する人々(認知労働者)である。
・「寛容」はマイノリティを分離して成し遂げられるのではなく、マジョリティとマイノリティが共に存在する状態で成し遂げられなければならない。
・これらの闘争には小さな集団や共同体の運動が「共(コモン)」的なプロジェクトとなった経緯がある(連邦主義)。※また急に抽象的な言葉が出て来た。
・4つの敵が存在する様に、政治は多元的である。これらに対し議論/学習/コミュニケーションで中軸を構成する必要がある。
・政党がこれらの闘争の力を吸収しようとするが、この力は「共(コモン)」的な土壌でしか醸成されない。
○共(コモン)の実例
・「水」は市民が分配を決定する事で、初めて「共(コモン)」的財となる。政治も同様で、選出された代表者や専門家が決定するものではない。
・「共(コモン)」的財について語る事は、市民により管理運用される財の構成的プロセスを構築する事を意味する。この様に、財は代表された「一般意思」ではなく「全体意思」で管理運用されなければならない。
・「銀行」は私的蓄積のために使われてはならない、「銀行」を「共(コモン)」的財として活用するには、「銀行」を市民的コントロールの下におく必要がある。「銀行」の役割である貨幣/投機を「計画化」させる必要がある。
・「教育」も「水」「銀行」と同様で①資源を「共(コモン)」的なものにする②管理運営を「計画化」する③決定を民主的参加の手順で行う。
・「教育」で重要なのは「知識」を教える事ではなく、「知性」(考える力)を養う事で、要するに自己教育が重要である。※最近、ホントよく耳にする。
・学ぶ事ができるのは他者との関係においてのみである。従ってこれは、開かれたアクセス/平等/持続可能性/参加を原理とする「共(コモン)」の思想と一致し、「教育」は民主的決定の下で「計画化」されなければならない。
・シエラレオネのダイヤモンド採掘/ウガンダの石油採掘/ボリビアのリチウム開発/カナダのタールサンド開発など私企業の開発には「環境問題」が多いが、これを「公(国家権力)」に委ねるのは間違いである。
・「公」的所有財産を「共(コモン)」的に変える道筋には①「格差原理」(※詳しく説明されているが、よく分からない)②自主的管理運営のために公的権力と闘うの2つの道筋がある。
・1990年代以降南米で進歩的な政府が誕生し、旧体制を崩壊させ、グローバル/米国帝国主義に対抗した。その中で社会主義政府と社会運動は協働的あるいは敵対的な関係を保っている。※この件について詳しく書かれているが省略。南米について殆ど知らないので、勉強しないと。
・ここで注意しないといけないのは、これらの政府はポピュリスト政府でない点である。これらの政府は社会運動の表現を不明瞭な形で合体させた扇動政府ではない。
○三権分立
・今日、私有財産と資本主義を原理とする憲法は窮状にある。
・行政部は他の立法部/司法部に比して不釣り合いに大きな権力を有する様になった。改革面から最も期待される立法部は、行政部を支援するか妨害するかだけの存在になった。政党は政府債務/人口移動/エネルギー/気候変動など多くの問題があるが、その代表能力は失われている。その原因はロビー(圧力団体)にある。
・司法部もかつては改革的な判決を行ったが、今は保守化しそれはない。
・左翼政党は福祉国家の破壊/軍事的冒険/企業の雇用能力の欠如/金融の圧倒的権力を嘆くだけの政党になった。
・前述した南米の様に、「連邦主義」が構成的権力の根本原理となる。ここで云う「連邦」とは州/省ではなく、中央権力に摂取されず社会全域で拡大する関係性の事。「連邦主義」の立法権力として、集会は有効である。※よく分からないけど、「連邦」とはマルチチュードみたいなヤツかな。
・かつては労働者評議会(ラート、ソヴィエトなど)が「連邦主義」の立法権力を実現していた。
・行政権力の目的は社会的・経済的な「計画化」と「発展」にある。
・新自由主義は「小さな政府」を喧伝しながら国家予算を増大させた。「市場が決定する」と言って、強力な「計画化」を行った。金融危機では政府高官とウォール・ストリートの首領の協力が見られた。
・「共(コモン)」(アイデア、イメージ、コード(※法律かな?)、情報、情動、地球、生態システムなど)の「計画化」が必要である。
・「発展」とは「共(コモン)」的な富を分有/アクセス/参加する事を可能にするメカニズムの構築を指す。
・立法権力と行政権力を別々に述べたが、これらは共に民主的に決定される「連邦主義」で設計されなければならない。そのためには政治家/専門家と同等の知識を身に付ける必要がある。
・司法権力は行政権力に含まれるが、他の権力をチェック(抑制と均衡)する機能を提供する。さらに憲法を解釈する機能も持つ。
・私たちは自由/幸福/共(コモン)への開かれたアクセス/富の平等な分配/持続可能性などを不可譲の権利と認識している。
○次なる闘争
・歴史を振り返ると、予想しなかった「出来事」により政治的改革がなされる事が何度もあった。そのための準備を怠ってはいけない。これらの闘争は新しい社会を作るためのマニュアルを作成しているのだ。
・1973年チリの軍事クーデターは『ショック・ドクトリン』に詳述されている様に準備されたものだった。
・「コモンナー」は歴史的には第三身分(平民、庶民)であったが、今は「コモンナー」は「共(コモン)」を作る人と考えるべきだ。
・「共(コモン)」の実現に「連立」を思い浮かべる人がいるかもしれないが、全くの間違いである。「共(コモン)」は互いの特異性を認め合う関係である。
○解説
・これらの闘争には①戦略(占拠、泊まり込みなど)②リーダー不在(マルチチュード)③私有財産/公有財産の否定の共通点があった。
・「マルチチュード」の概念は、彼らの著作『帝国』『マルチチュード』『コモンウェルス』で練り上げられた。
・本書の後半に三権へのアジェンダが記述されている。