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『エクアドルを知るための60章』新木秀和を読書。

エクアドルを紹介。
エクアドルは南米の赤道直下の小国で、北にコロンビア、東と南はインカ帝国で有名なペルーに接しています。国土は4地域、東からアマゾン、アンデス、太平洋岸、ガラパゴス諸島に分かれます。従って熱帯雨林もあれば、氷河もある。
産業では石油、バナナ、カカオが有名です。

ベネズエラについて知りたかったのですが、エクアドルで我慢です。
このシリーズは時々読みますが、本書は文学・芸術・音楽などが少なく政治・経済が中心だったので、個人的には満足。ちなみに370ページあります。

お勧め度:☆☆

キーワード:エクアドル、赤道、アマゾン/オリエンテ、アンデス/シェラ、コスタ、ガラパゴス、インカ帝国、キト(首都)、スペイン、独立(1822年/1830年)、ガルシア・モレノ、カカオ、エロイ・アルファロ/自由主義革命、ベラスコ・イバラ/ポピュリズム、民政移管(1979年)、軍、ラファエル・コレア/急進左派、自然の権利、経済危機、企業グループ、格差、インガピルカ、メスティソ(混血)、エスニック、キチュア語、先住民(インディヘナ)/先住民運動、アフロ系、2言語教育/2言語学校、インディヘニスモ(土着文化復興思想)、カトリック、グアヤキル(港町)、クエンカ/トメバンバ/キニーネ、ゴム・ブーム、エコツアー、石油、オタバロ/行商、コタカチ/鉱山開発、サリナス/チーズ、バイーア/環境保全、マンタ、フェアトレード、マングローブ、パナマ帽、バナナ、農村開発、コヨーテ、野口英世/黄熱病、古川義三/マニラ麻、大谷孝吉/ビルカバンバ

○地理
・エクアドルはスペイン語で「赤道」を意味します。国土は4つの地域、東からアマゾン低地(オリエンテ)、アンデス高地(シェラ)、太平洋岸(コスタ)、ガラパゴス諸島に分かれます。アンデス山脈には火山もあり、チンボラソ山とコトパクシ山は世界10位に入る山です。自然豊かで、国立公園/自然保護区がある。
・シェラではラクダ/リャマ/アルパカが飼育されている。

○社会形成と発展
・700年頃~16C中頃は統合期で各地域が権力者によって統合された。その後インカ帝国に征服される。エクアドルにはインカ帝国第2の都市「トメバンバ」が存在した(後述)。
・1533年スペインのフランシスコ・ピサロはキト(現エクアドル首都)とリマ(現ペルー首都)を拠点にインカ帝国を征服する。先住民は感染症などで減少し、スペイン支配への対応は様々だった。1541年キト総督ゴンサロ・ピサロの部下オレリャナがアマゾン川を発見する。
・1809年キトのクリオーリョ層(白人子孫)が独立を宣言するが、鎮圧される。20年グアヤキル(国内最大の経済都市。※大阪みたい)とクエンカで有力者が独立宣言する。22年シモン・ボリーバルによりグラン・コロンビア(大コロンビア)の南部地区となる。30年グラン・コロンビアは解体し「エクアドル共和国」が誕生する。しかし独立当初から地域間対立/社会階層/隣国との国境問題などの問題を抱えていた。

・19C中頃はキトの保守派とグアヤキルの自由派が対立する。1861年大統領となったガルシア・モレノは、15年間専制政治を行う。モレノ時代にカカオ輸出が盛んになり、自由派のグアヤキル勢力が伸長する。
・1897年自由主義者のエロイ・アルファロが大統領に就き、「自由主義革命」(世俗化・近代化)を断行する。この時期グアヤキルの「商農銀行」が影響力を持った。

・1910年代以降カカオ輸出は疫病や価格下落で落ち込む。25年軍事クーデターが起き、「商農銀行」に代わる中央銀行が設立される。34年大統領に就いたベラスコ・イバラは「ポピュリズム」で5度大統領に就く(最後は1968年)。
・1972年軍事クーデターが起き、左派軍政になる。同年アマゾン産原油の輸出が始まり、基幹産業となる。79年「民政移管」するが、軍の影響力は残った。
・陸軍には産業局があり、製鉄・機械・鉱山・銀行・農業・養殖・ホテルなどを運営し、海軍はタンカーを保有し、石油を輸出している。また空軍は国内最大の航空会社を運営している。この様に軍は国力増強を使命とし、国民の軍への信頼は、政府より遥かに高い。※エジプトなども軍への信頼が高かった様な。

・ペルーとのアマゾン地帯を巡る国境紛争は、1942年リオデジャネイロ議定書で一旦落着くが再燃し、98年ブラジリア議定書で決着する。

・民政移管後(1979~12年。33年間)に13人の大統領が出現した。短命の原因は①軍の影響力が強い②政治腐敗やポピュリズムが顕著③先住民運動などの社会運動が盛ん④地域主義が強く多数派与党が生まれない⑤新自由主義の潮流で政策が限定される。そんな中、2007年大統領になったラファエル・コレアに注目が集まる。
・ラファエル・コレアは急進左派政策(反米・反自由主義政策)を実施する。石油輸出を重視し、対外債務を監査し、債務を1/3以下に減じた。2008年「自然の権利」を認める新憲法を制定する。11年マスコミ規制や司法改革を進める「10項目」を承認されるが、親コレアと反コレアの対立が深まっている(※2017年まで大統領)。

・経済は輸出ブームに支えられた。形成期(グアヤキル伸長期)はカカオ輸出ブームが、1948~60年(政治安定期)はバナナ輸出ブームが、72年以降は石油輸出ブームが支えた。しかし80年代以降、対外債務が深刻化する。99年石油価格下落/ブラジル通貨危機/エルニーニョ現象などから「経済危機」となる。2000年「ドル化宣言」からクーデターが起こる。
・ノボア(バナナ)、エガス(ピチンチャ銀行)、ラソ(グアヤキル銀行)、ファボリタ(スーパーマーケット)、エルフリ(レバノン系)などの「企業グループ」があり、富が偏在している。
・1990年代以降、貧困層が国民の1/3を占め、格差が問題になっている。これにより海外への出稼ぎ/移住が増え、彼らからの送金が石油に次ぐ外貨収入になっている。

○文化とアイデンティティ
・「インガピルカ」や「トメバンバ」(インカ帝国第2の都市。現クエンカ)などのインカ帝国遺跡がある。ただしエクアドルに取ってインカ帝国はペルーからの侵略者である。インカ帝国最後の皇帝アタワルパはキトで王位を継承した。中央銀行が博物館を運営し、文化財を管理している。
・国旗は三色旗と紋章で構成され、紋章にはコンコルド/赤道と太陽/チンボラソ山などが描かれている。偉人としては皇帝アタワルパ、修道女マリアナ・ヘスス、解放者エウヘニオ・エスペホ、解放者シモン・ボリーバルなどがいる。

・ナショナル・アイデンティティは希薄で、20C後半に人口の7割を占める「メスティソ」(白人と先住民の混血)を称揚する動きがあったが、1990年代以降は「エスニック・アイデンティティ」(多民族多文化)が認められる傾向にある。それは1998年/2008年の憲法改正に表れており、2008年憲法改正ではスペイン語に並んで、先住民(インディヘナ)のキチュア語/シュアール語が認められた。
・先住民はシェラのキチュア、オリエンテのシュアールなど多種多様である。「2言語教育」などの先住民運動が盛んで、エクアドル先住民連盟(CONAIE)などの組織がある。近年先住民はグローバル化により出稼ぎ/移住を余儀なくされている。
・先住民運動は農地改革(1964年)への反発が始まりで、90年/92年には先住民が蜂起している。97年政権打倒/98年憲法改正も先住民運動の影響が大きい。2000年クーデターを起こしたルシオ・グティエレスは03年大統領に就くと、先住民を入閣させた(歴史的成果)。

・アフロ系も居住している。彼らはスペイン人により奴隷として連れて来られた、またはその逃亡者である。奴隷制は1851年廃止されている。
・1924年女性の参政権が認められた。79年憲法に男女平等が明記され、その後も各種法律で女性の権利が認められたが、実社会(教育、賃金など)での格差は解消されていない。

○生活文化
・基礎教育を10年制とし力を入れているが、経済危機による混乱や国家の対外債務により遅々として進んでいない。また先住民に対するスペイン語教育の問題が解消されておらず、「2言語学校」の普及が望まれる。先住民は近代化/グローバル化により独自の文化/言語を失いつつある。

※以下文学/美術/音楽の感想は大幅に簡略。
・文学ではガリェゴス・ララ、ヒル・ヒルベルト、アギレラ・マルタなどの「1930年世代」が批判的/写実的な力作を残している。インディヘニスモ作家としてホルヘ・イサカなどもいる。
・各地に聖母伝説などのフォークロア(民話、神話、伝説)が残る。

・バルディビア文化(3000年頃~)、チョレーラ文化(1500年頃~)などの文化が存在した。BC500年頃から各地で文化が発展した(海岸部-ガンガラ文化など、山岳部-カルチ文化/キト文化など)。15C後半からインカ帝国に侵略される。インカ帝国第1首都クスコから第2首都キトまでインカ道が築かれる。
・1533年スペインがキトを制圧し、35年美術学校コレヒオを創設する。これにより西洋美術の影響を強く受ける。
・20Cメキシコ壁画運動からインディヘニスモ(土着文化復興思想)が大ブームとなる。美術館はエクアドル文化会館/グアヤサミン美術館(キト)、現代美術館(クエンカ)がお勧め。

・音楽には①シェラの先住民の音楽②アフロ音楽③「パシージョ」に代表されるメスティソ音楽がある。その他にダンス音楽や祝祭での音楽がある。

・宗教ではカトリック教徒が9割を占める。1545年キト司教区が設置され、フランシスコ会/メルセス会/ドミニコ会/アグスティン会/イエズス会などが順次布教を行った。
・ガルシア・モレノ大統領(1861年~)はカトリックを国教としたが、エロイ・アルファロ大統領(1897年~)は自由主義から世俗化を進める。
・レオニダス・プロアニョ司教は先住民の識字教育に尽力し、ノーベル平和賞の候補となる。

・コスタでは米/芋/バナナ、シェラではジャガイモ/トウモロコシが主食となる。副食は肉(ブタ、ネズミなど)/海産物/野菜/フルーツなど豊かである。

○都市
・首都キトはシェラ北部にあり、海抜2800mで温暖である。キトはオレリャナがアマゾン川を発見した様に、アマゾンへの拠点になっている。旧市街には南米最古の聖フランシスコ修道院・教会堂など多くの建造物がある。

・グアヤキルは国内最大の人口を擁する港町で、貿易(カカオ輸出)と造船業が基盤である。グアヤキルには疫病(1842年黄熱病)、火災(1896年)などの災難があった。19C末~1920年代エクアドルは世界最大のカカオ輸出国となり、1880年代グアヤキルはキトを抜いて国内最大の都市になる。1894年「商農銀行」が設立されるなど、中央政府に対し大きな影響力を持った。

・クエンカはシェラ南部の中心都市で、インカ時代はインカ帝国第2の都市「トメバンバ」があった。クエンカ地方はマラリアの特効薬「キニーネ」を産出する。

○地域と民族
・オリエンテはエクアドルの面積の半分を占め、その歴史は①植民地期②独立期-ゴム・ブーム③グローバル期(後述)-環境・開発NGO/先住民組織/エコツアーに分かれる。
・①植民地期-スペインは「エンコミエンダ制」で先住民に砂金/樹液/シナモン/カカオなどを収穫をさせた。1767年スペイン植民地からイエズス会が追放され、18C末には独立運動が起き、1830年「エクアドル共和国」が誕生し、①植民地期は終わる。
・②独立期-19C後半~20C初頭にゴム・ブームが起こり、ゴム商人により先住民はゴム樹液の採取に駆り出された。ゴム・ブーム終息後は金/毛皮/キニーネなどの収穫をさせられた。
・オリエンテ中部にはナポ・キチュア/カネロス・キチュア、オリエンテ南部にはシュアール/アチュアールなどの先住民が居住している。
・③グローバル期-1980年代後半より「エコツアー」が世界中で脚光を浴びる。オリエンテ北部には国立公園/自然保護区があり、「エコツアー」が盛んになる。※「エコツアー」に関して相当詳しいが省略。
・1967年オリエンテ北部で油田が発見され、72年国営石油会社により石油輸出ブームが起こる。2000年には総輸出額の半分を占める基幹産業となる。1970年代~80年代、農地改革と石油開発でオリエンテに入植者が押し寄せ、オリエンテでも先住民の組織化が進む。

・ガラパゴス諸島は絶海の孤島で、固有種のゾウガメ/イグアナなどが生息している。ダーウィンは1835年上陸し、『ビーグル号航海記』『種の起源』を著す。ダーウィン研究所(1964年設立)国立公園管理事務所(1974年設立)が自然環境の調査/研究/管理をしている。1969年クルーズ船によるエコツアーが始まる。
・国立公園管理事務所は「観光管理計画」を策定。①入島料-1人100ドルで年間約10億円の収入があり、有力な財源②ビジター・サイト制度-観光地の限定③観光ルール-生態系への影響を配慮③ナチュラリスト・ガイド-観光には資格を持ったガイドが必須。
・観光方法には①滞在型-島内のホテルに宿泊し、クルーズ船で観光②周遊型-クルーズ船に宿泊し、その船で観光がある。

・シェラ北部オタバロは海外での行商で経済発展した。
・シェラ北部コタカチでは鉱物須源が発見されるが、環境保全団体や人権保護団体の反対で開発が中止された。
・シェラ中部サリナスでは乳牛の飼育からチーズの製造までを手掛け、重要な産業になる。これにより村を出た人が戻ってきている。今はジャム/ハム/チョコレートなども製造している。

・コスタ北部エスメラルダス県はアフロ系が半数を占める。彼らは魚を捕り、コロンビアとの国境を行き交い、物々交換しながら貧しい生活を送っている。
・コスタ中部バイーア市はエビ養殖が主産業であったが、1997年3つの災害に遭う(エルニーニョ現象による洪水/大地震/エビの伝染病)。99年バイーア市は「エコシティ宣言」を行い、マングローブ植林/有機農園/有機エビ養殖など環境保全に転換する。
・コスタ中部マンタは、かつては貿易(カカオ、コーヒー、パナマ帽の輸出)、水産業(マグロ、カツオ、エビ養殖)で栄えた。今日は①貿易(自動車輸入)②クルーズ船寄港③水産業(マグロ、カツオ)④国際空港(2009年米軍撤退)が期待されている。

○開発
・エクアドルでも取引を公正化する「フェアトレード」の動きがあり、コーヒー栽培などで実践されている。
・コスタ北部エスメラルダス県のマングローブ林「マハグアールの森」はエビ養殖池に開発されていたが、自然保護区に選定され、植林などで保全されている。
・熱帯雨林を保護しながら、タグア(ヤシの一種でボタンの素材になる)を収穫する運動「タグア・イニシアティブ」が大規模に行われた。
・パナマ運河の労働者が好んで着用した事から「パナマ帽」と呼ばれるが、実はエクアドル産「パハ・トキージャ帽」である。
・エクアドル産バナナは世界輸出量35%で世界1位(2010年)。バナナは石油に次ぐ輸出額2位で、地場資本が経営しているため雇用効果もある。日本では1963年バナナの輸入が自由化され、一時はエクアドル産が43%を占めるが、今はフィリピン産に押され15%である。

・国家は第1次農地改革(1964年)、第2次農地改革(72年)と共に農村開発を行い、左翼グループ/カトリック教会に対抗して来た。しかし82年メキシコ債務危機により国家は農村開発から手を引き、代わりNGOが登場する。この影響で86年エクアドル先住民連盟(CONAIE)が組織される。「先住民・アフロ系開発プロジェクト」では地域の組織が農村開発を自己管理している。
・コスタの農業は大規模で輸出向けである。コスタでは3大輸出農産物であるバナナ/カカオ/コーヒーが栽培されていて、近年はアフリカヤシ/コメが注目されている。一方シェラの農業は小規模で国内向けであり、ジャガイモの生産量は伸びていない。近年は切り花/ブロッコリー/カリフラワーが注目されている。

○対外関係
・1998年ペルーと和平合意し、友好関係に入る。一方コロンビアとはゲリラ組織/麻薬組織がエクアドルに侵入し、断交した時期もある。コロンビアからの難民も問題になっている。米国とは一定の距離を保っている。
・2012年ウィキリークス創設者アサンジはロンドンのエクアドル大使館に逃げ込んだ。
・1999年経済危機によりスペインに50万人が出国し、スペインの外国人でエクアドル人が最多になる。エクアドルでは出稼ぎ/移民を請負う「コヨーテ」が産業化している。コレア政権は「国会移民省」を設立し、帰国政策を実施している。

・日本からの永住者/長期滞在者は400人程度いる。貿易は対日輸出3億ドル(バナナ、魚粉、ウッドチップなど)、対日輸入7億ドル(輸送用機器、機械、鉄鋼など)となっている。
・グアヤキルでは黄熱病が流行った。1918年ロックフェラー研究所の野口英世はグアヤキルで黄熱病の病原体を発見する。キトとグアヤキルでは彼の胸像が建てられ、記念切手も発行されている。
・1914年古川義三は「古川拓殖」を創業し、フィリピンのダバオでマニラ麻(アバカ)を栽培する。終戦によりフィリピンの財産は没収される。59年マニラ麻の栽培を諦めない彼は、エクアドルでマニラ麻を目にする(このマニラ麻は、彼が34年前に米国に提供した物だった)。63年「エクアドル古川拓殖」を設立し、マニラ麻の栽培を再開する。
・シェラ南部に「長寿の谷」として有名な「ビルカバンバ」がある。これは星薬科大学理事長の大谷孝吉による。

・エクアドルへの移民としては、中国系移民が1万人おり、政界など多方面で活躍している。その他にレバノン系、ユダヤ系移民がいる。

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