『はじまりの戦後日本』橋本健二を読書。
第2次世界大戦期の「職業の移動」(社会移動)を統計データを基に解説。
戦中は兵役や徴用により、戦後は復員や徴用解除により大きな職業の移動が発生しています。
お勧め度:☆☆(専門的)
キーワード:社会移動、階級、世代内移動/世代間移動、SSM調査データ/国勢調査/京浜工業地帯調査、戦後混乱期/戦後復興期、兵役/復員、移民/引揚げ、徴用、戦災/疎開/移住、ヤミ市、農地改革、資本家階級/新中間階級/労働者階級/自営業者層/農民層、地主/自作農/小作農、格差、長期雇用(終身雇用)/年功制(年功序列)、臨時工(非正規労働者)/常用工(正社員)、縁故採用/学校紹介、生業の世界
○流浪する人々
・小林庸子(並木路子)が歌う『リンゴの唄』は人々を明るくさせた。作詞したサトウは「リンゴは日本の事」と言っていた。
・社会学では社会的地位が変わる事を「社会移動」と云う。戦中/戦後は様々な要因で「社会移動」を強いられた。
○戦後日本の形成
・「社会移動」を分析する上で「階級」は重要である。「階級」には①資本家階級(経営者/役員)②新中間階級(事務職/専門職。資本家と労働者の中間に位置する)③労働者階級④旧中間階級(自営業者/農民。生産手段を有するが生産活動もする)がある。
・「社会移動」には「世代内移動」と「世代間移動」がある。
・本書では「SSM調査データ」(10年毎、サンプル数:数千人)、「国勢調査」(5年毎)、「京浜工業地帯調査」(1951年、サンプル数:14,327人)を主に用いる。
・「世代間移動」を分析すると、父親の階級を世襲する事が多い(1955年SSM調査データ)。
・「世代内移動」を分析すると、戦争を経て①資本家階級⑤農民層は「階級」を持続したが、②新中間階級③労働者階級④自営業者層(特に③労働者層)は持続できなかった。戦後復興期(1948-55年)に⑤農民層は戦後混乱期(1945-47年)に流入した人を近代産業に流出させ減少するが、いずれの階級も持続率は高くなり安定する(1965年SSM調査データ)。
○事例
・個々人のデータを見ると様々な「社会移動」のケースがある。
・「社会移動」の主な要因は①兵役/復員②移民/引揚げ③徴用/徴用解除④戦災/疎開/移住⑤一時就農⑥ヤミ市⑦農地改革。
○階級構成
・階級構成の分類として「大橋方式」がある。今は4階級(資本家階級、新中間階級、労働者階級、旧中間階級)の「旧中間階級」を「自営業者層」と「農民層」に分けた5階級が一般的である。
・1940-47年の産業別有業者数の推移を調べると以下の変化がある。①戦争末期、徴兵により男性有業者数が大幅に減少する②終戦直後、農林水産業と商業(自営業)の有業者数が大幅に増加する(長期経済統計)。
○社会移動
・兵役経験率は平均26.8%だが労働者階級が34.0%で突出している(1955年SSM調査データ)。
・徴兵により労働者階級/自営業者層/農民層は減少するが、減少するタイミングが異なる。戦中前半は農民層が減少するが、後半は自営業者層が減少する。これは食糧維持のためと思われる。また労働者階級は徴兵されても徴用で補われたと考えられる。
・終戦直後に自営業者層/農民層が急増し、復員/引揚げの吸収先となった。
・労働者階級は兵役経験率が高く、戦争の最大の犠牲者である。一方農民層は持続率が高く、戦争の影響が少ない。
・戦中を新規参入者(学校卒業者)に限定し調べると、自営業者層への参入が減少している。これは徴兵により家業の維持が困難になったため。逆に新中間階級への参入が増加している。これは徴兵による欠員で、事務職を補充したため(1955年SSM調査データ)。
・1年毎の移動率を調べると、日中戦争開戦(1937年)と太平洋戦争開戦(1941年)で段階的に上昇し、終戦後(1945-46年)にさらに上昇する。その後は徐々に低下する(1955年SSM調査データ)。
・兵役の影響を調べると、労働者階級の兵役経験者は持続率が低く、自営業者層/農民層に多く流出している(1955年SSM調査データ)。
○農民層
・戦後の「農地改革」により「地主」の50%以上が「自作農」になり、「小作農」の約70%が「自作農」となった。しかし全農家の5.4%は「小作農」として存続した。
・農民層出身者(親が農民層)の「世代間移動」を調べると、4割が他階級に流出しているが、親が地主/自作農/小作農によって流出先が多少異なる(1955年SSM調査データ)。
・農民層出身者で「本人も農民層」に限定し調べると、親が地主/自作農/小作農によって学歴/年収/貧困率で「格差」が見られる(1955年SSM調査データ)。
・農民層出身者で「本人は非農民層」に限定し調べると、親が地主/自作農/小作農によって学歴/年収/貧困率で「大きな格差」が見られる(1955年SSM調査データ)。「学歴格差」は孫の代でも継承され、「格差の固定化」が顕著である。
○労働者階級
・日本は戦前から戦後にかけて、「自営業者層から労働者階級へ」が「大きな潮流」であった。
・労働者階級は徴兵による流出も多かったが、徴用や「繰上げ卒業」による流入も多かった。
・労働者階級を規模別(大企業・官公庁/中企業/小企業)に調べると、年収/貧困率などで「格差」が見られる(1955年SSM調査データ)。ただし世帯年収は共働きなどにより、それ程ない。
・「京浜工業地帯調査」は1951年に調査され、回答者は14,327名で男性が87%、平均年齢は31.1歳、労務者が83%である。
・日本の雇用慣行には「長期雇用(終身雇用)」「年功制(年功序列)」の特徴があり、この形成時期については諸説がある。「京浜工業地帯調査」を行った氏原正治郎は、本調査でブルーカラーの「長期雇用/年功制」を発見した。
・前田一『サラリマン物語』(1928年)には大企業ホワイトカラーの「定期昇給/退職金制度」が記されている。
・米国経済学者ジェームス・アベグレンは著書『日本の経営』(1958年)で「終身雇用」を記した。
・兵藤釗は日本は親方を通じて労働者を管理する間接的管理体制であったが、重化学工業時代(1920年代)になると定着性を重んじ、「直接的管理体制/定期昇給制度」になった、とした。
・機械工業では他の業種に先行し、新卒/都市出身者/学校紹介での採用が進む(京浜工業地帯調査)。
・臨時工の賃金は常用工の賃金の半分しかなく、臨時工は雇用慣行の対象外であった(京浜工業地帯調査)。企業は臨時工(非正規労働者)を労働組合から排除する事で、常用工(正社員)の特権を維持した。
○資本家階級
・1960年経営者1,008名を調査したところ、出身階級別の経営者輩出率は官公務管理者/大企業主・管理者/専門職・・・ホワイトカラー/農民/労働者の順であった。
・小企業の経営者は他の職場を経験後、世襲するパターンが多かったが、今日では小企業でも外部から採用し、新中間層を経て経営者になるパターンが多い(1955年、2005年SSM調査データ)。
・戦後混乱期(1945-47年)に新中間階級/旧中間階級から資本家階級に転じた人は多い。その7割は資本家階級に定着した(1955年SSM調査データ)。
○新中間階級
・1955年は2005年と比べ新中間階級の比率は半分で、しかもその半数が官公庁である。従って民間のホワイトカラーは大変少なかった(1955年、2005年SSM調査データ)。
・戦後混乱期に新中間階級となった人は戦後復興期(1948-55年)と比べ事務職が多く、また高等教育を受けた人も少ない。やはり特異な時期と云える(1955年SSM調査データ)。
・新中間階級と労働者階級を比べると、新中間階級は東京/西日本出身の高学歴者が多く、労働者階級は東日本出身で高学歴者は少ない(京浜工業地帯調査)。
・新中間階級の入職パターンは戦前から戦後にかけて、中途/縁故採用から新卒/学校紹介に徐々に変わった(新卒採用39%(1924年)→62%(1950年))(京浜工業地帯調査)。新卒採用/長期雇用の雇用慣行は戦後に確立した。
○自営業者層
・自営業者層は1930年代終わりから新中間階級/労働者階級に流出していた(大きな潮流)。しかし戦後混乱期には労働者階級から自営業者層/農民層への一時的な回帰が見られた。
・1955年と2005年の自営業者層の職種を比べると、小売店主/卸売店主/販売店員/大工などは大幅に減少し、行商人/指物職/仕立職/おけ職などはほぼ消滅している。一方理容師だけは増加している(1955年、2005年SSM調査データ)。近代化による「生業の世界」から「職業の世界」への変遷が分かる。
○戦中/戦後の社会移動
・戦中/戦後の「社会移動」を題材にした映画は多い(『お嬢さん乾杯』『結婚』『どっこい生きてる』『「春情鳩の街」より 渡り鳥いつ帰る』『小原庄助さん』)。
・今日「格差」が問題視され、その起源は戦前にまで遡る事ができる。私達年長者はその分析を継続する必要がある。