『ドイツ王室1000年史』関田淳子を読書。
ドイツの3王国(ザクセン、プロイセン、バイエルン)の歴史を解説。写真が多く、要点に絞っています。
要点に絞っていますが情報量は十分で、建築/芸術/恋愛についても解説しています。
ドイツは1871年に統一され、それまでの歴史が複雑なので基礎的理解のために選択。ドイツの歴史は日本の戦国時代みたい。
お勧め度:☆☆
キーワード:東フランク/ドイツ、(804年)ザクセン公→(1356年)ザクセン選帝侯→(1806年)ザクセン王国、ハインリヒ1世/ヴェッティン家/(1089年)マイセン辺境伯、オットー1世/(962年)神聖ローマ皇帝、フリードリヒ1世(好戦公)/(1422年)ザクセン選帝侯、フリードリヒ3世(賢公)/ルター、ヨハン・ゲオルク1世/30年戦争、アウグスト2世(鉄腕王)/ポーランド=リトアニア共和国/大北方戦争/マイセン磁器、(1226年)ドイツ騎士団領→(1525年)プロイセン公→(1701年)プロイセン王国→(1871年)ドイツ帝国、フリードリヒ1世/ホーエンツォレルン家/(1415年)ブランデンブルク選帝侯、フリードリヒ1世/(1701年)プロイセン王国、フリードリヒ2世(大王)/オーストリア継承戦争/7年戦争/ポーランド分割/サン・スーシ宮殿、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世/ナポレオン戦争、ヴィルヘルム1世/ビスマルク/普墺戦争/普仏戦争/ドイツ帝国、バイエルン公→(1648年)バイエルン選帝侯→(1806年)バイエルン王国、オットー1世/ヴィッテルスバッハ家/(1180年)バイエルン公、マクシミリアン1世/(1648年)バイエルン選帝侯、マクシミリアン1世ヨーゼフ
○ドイツ前史
・482年メロヴィング家クロヴィス1世が「フランク王国」を建国。
・800年西ヨーロッパを統一したフランク国王カール1世(カール大帝)は「ローマ皇帝」を戴冠。843年フランク王国は3分裂し、「東フランク王国」はドイツの母体になる。
○ザクセン
<概略>
・804年フランク国王カール1世によりドイツ北部に「ザクセン公」が設置される。
・965年初代神聖ローマ皇帝オットー1世(位962-73年、ザクセン公)によりドイツ東部に「マイセン辺境伯」が設置される。1089年「ヴェッティン家」ハインリヒ1世がマイセン辺境伯を継ぎ、以降ヴェッティン家が世襲する。
・1422年マイセン辺境伯フリードリヒ4世(ヴェッティン家)が「ザクセン選帝侯」を継ぎ、以降ヴェッティン家がザクセン選帝侯を世襲する。ザクセン選帝侯国はドレスデンを中心に繁栄する。
・1806年ナポレオン1世によりザクセン選帝侯国は「ザクセン王国」に格上げされる。1918年第1次世界大戦時の「ドイツ革命」で「ドイツ帝国」と共にザクセン王国も消滅する。
<形成期>
・919年ザクセン公ハインリヒ1世(位912-36年、鳥獣王、リウドルフ家)がドイツ王(東フランク王)となる。ザクセン公はバイエルン公国/ブランデンブルクに勝利し、ドイツ領を拡大する。929年東方防衛のためマイセンに城砦を築いた。
・962年ザクセン公オットー2世(位936-73年)は戴冠し、初代「神聖ローマ皇帝」オットー1世(位962-73年)となる。
・1356年ザクセン公ルドルフ2世(位1356-70年、ヴィッテンベルク家)は神聖ローマ皇帝により「ザクセン選帝侯」に格上げされる。
・1422年マイセン辺境伯フリードリヒ4世(位1407-28年、ヴェッティン家)がザクセン選帝侯(フリードリヒ1世、位1422-28年、好戦公)を継ぎ、以降ヴェッティン家がザクセン選帝侯を世襲する。
・1464年ザクセン選帝侯はヴィッテンベルク/テューリンゲンを治める「エルンスト系」と、ドレスデン/マイセン/ライプツィヒを治める「アルブレヒト系」に分裂する。
<宗教革命以降>
・1517年ルターが「95ヵ条の論題」を掲示し、宗教革命が始まる。ザクセン選帝侯フリードリヒ3世(位1486-1525年、賢公、エルンスト系)はルターをヴァルトブルク城に匿う。
・ザクセン選帝侯ヨハン(位1525-32年)はプロテスタント諸侯で「シュマルカルデン同盟」を結成し、神聖ローマ皇帝と対立する。
・ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ(位1532-47年、寛容公)は「シュマルカルデン戦争」(1546-47年)で皇帝軍に敗れ、ザクセン選帝侯位を剥奪される。皇帝軍に付いたアルブレヒト系モーリッツ(位1547-53年)がザクセン選帝侯を継ぐ。モーリッツは「ドレスデン城」を建設する。
・1555年「アウクスブルクの和議」で旧教/新教の権利が同等になる。
・ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世(位1611-56年)の時、「30年戦争」(1618-48年)が勃発する。新教国のザクセン侯国/スウェーデン王国は皇帝軍に勝利する。スウェーデン王国は「バルト帝国」の地位を固めるが、戦場となったドイツは荒廃する。
・ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世(位1694-1733年)はカトリックに改宗し、1697年ポーランド=リトアニア共和国王(アウグスト2世、位1697-1733年、鉄腕王)を継ぐ。ザクセン侯国/デンマーク王国/ロシアは「反スウェーデン同盟」を結び、スウェーデン王国と戦う。ザクセン軍はスウェーデン軍に敗れるが、ロシア/ピョートル1世の反撃で同盟軍が勝利する(大北方戦争、1700-21年)。これによりスウェーデン王国は列強から脱落するが、ロシアは東ヨーロッパ最強国(ロシア帝国)になり、帝都サンクト・ペテルブルクを建設する。ザクセン選帝侯はドレスデンに「ツヴィンガー宮殿」を建設し、マイセンでヨーロッパ初の白色磁器を生んだ。
・オーストリア大公マリア・テレジアの王位継承で「オーストリア継承戦争」(1740-48年)が勃発する。ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世(位1733-63年)はオーストリア側に付き、フランス/プロイセン王国(フリードリヒ2世)/バイエルンに敗れる。さらに「7年戦争」(1756-63年)でもオーストリア側に付き、プロイセン王国に敗れる。
・プロイセン王国/神聖ローマ帝国(オーストリア大公)/ロシア帝国はポーランドを分割する(1772、93、95年)。
<ナポレオン以降>
・1805年フランス皇帝ナポレオン1世は神聖ローマ皇帝フランツ2世/ロシア皇帝アレクサンドル1世に勝利する(アウステルリッツの戦い、3帝会戦)。翌年オーストリア帝国/プロイセン王国を除くドイツ諸国は「ライン同盟」を結成し、「神聖ローマ帝国」は消滅する。ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト3世(位1763-1806年)はナポレオンから「ザクセン国王」フリードリヒ・アウグスト1世(位1806-27年)に格上げされる。
・1813年ナポレオン軍はプロイセン/オーストリア/ロシア連合軍に敗れる(ライプツィヒの戦い)。1815年「ウィーン会議」で「ライン同盟」は消滅し、オーストリア主導の「ドイツ連邦」が成立する。ザクセン王国は北半分をプロイセン王国に割譲する。
・1866年「普墺戦争」が勃発し、ザクセン王国/オーストリア帝国はプロイセン王国に敗れる。「普仏戦争」(1870-71年)ではプロイセン王国に付き、フランスに勝利する。1871年プロイセン王国が中心となり「ドイツ帝国」が誕生し、ザクセン王国はその領邦になる。
・ザクセン国王フリードリヒ・アウグスト3世(位1904-18年)の時、「ドイツ革命」により「ドイツ帝国」と共にザクセン王国も消滅する。
○プロイセン
<概略>
・プロイセンは1226年に成立した「ドイツ騎士団領」に始まる。
・1191年「ホーエンツォレルン家」フリードリヒ3世が神聖ローマ皇帝により「ニュルンベルク城伯」(フリードリヒ1世、位1191-1200年)に任命される。その後「ホーエンツォレルン家」は1415年「ブランデンブルク選帝侯」1618年「プロイセン公」1701年「プロイセン国王」1871年「ドイツ帝国皇帝」と勢力を拡大する。
<形成期>
・1415年ニュルンベルク城伯フリードリヒ6世(位1371-1415年、ホーエンツォレルン家)が神聖ローマ皇帝により「ブランデンブルク選帝侯」(フリードリヒ1世、位1415-40年)に任命される。1470年ブランデンブルク侯国の首都はベルリンとなる。
・1525年「ドイツ騎士団領」はポーランド王国の保護領「プロイセン公国」となり、ホーエンツォレルン家傍流がプロイセン公となる。
<宗教革命以降>
・1618年ホーエンツォレルン本家のブランデンブルク選帝侯ヨハン・ジギスムント(位1608-19年)がプロイセン公を継ぎ、領土が倍増する。
・ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム(位1640-88年、大選帝侯)はスウェーデン王国に付き、ロシア/ポーランド連合軍に勝利する(北方戦争、1655年)。さらに1675年スウェーデン王国にも勝利する。この時期、高度の技術を持った「ユグノー」がブランデンブルクに移民する。
・ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世(位1688-1713年)は「スペイン継承戦争」(1701-04年)の功績で、神聖ローマ皇帝より「プロイセン国王」(フリードリヒ1世、位1701-13年)に格上げされる。後にヒトラーも使用する「シャルロッテンブルク城」を建設する。
・プロイセン国王フリードリヒ2世(位1740-86年、大王)は「オーストリア継承戦争」(1740-48年)「7年戦争」(1756-63年)に辛勝し、オーストリアからシュレージェン(ポーランド南西部)を獲得する。1772年神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世/ロシア女帝エカテリーナ2世とポーランドを分割し、領土が倍増する。ポツダムに「サン・スーシ宮殿」を建設する。
・プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世(位1786-97年、快楽王)はモーツァルト/ベートーヴェンを演奏会に招くなど、首都ベルリンを「芸術の街」にした。1793、95年オーストリア大公/ロシア帝国とポーランドを分割する。
<ナポレオン以降>
・1807年プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世(位1797-1840年)は、オーストリア帝国/ロシア帝国と共にフランス皇帝ナポレオン1世に敗れ、多くの領土を失う。しかし1813年プロイセン/オーストリア/ロシア/スウェーデン連合軍はでナポレオン軍に勝利する(ライプツィヒの戦い)。1820年代以降、プロイセン国王は扇動政治家を弾圧する。
・プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世(位1840-61年)の時、「職工一揆」「飢饉暴動」(1847年)「3月革命」(1848年)が起こる。1848年「フランクフルト国民議会」が開かれ、ドイツ統一を巡って小ドイツ主義と大ドイツ主義が対立した。1850年「プロイセン憲法」が制定される。
・1862年プロイセン国王ヴィルヘルム1世(位1861-88年)はビスマルク(鉄血宰相)を宰相に任命する。ビスマルクは「普墺戦争」(1866年)で勝利し、「ドイツ連邦」を解体し「北ドイツ連邦」を立ち上げる。さらにビスマルクは「普墺戦争」(1870-71年)で勝利し、「ドイツ帝国」を創設し、プロイセン国王はドイツ皇帝ヴィルヘルム1世(位1871-88年)になる。
・1890年プロイセン国王ヴィルヘルム2世(位1888-1918年)はビスマルクを退任させる。その後ドイツ帝国は経済発展を遂げ、第1次世界大戦(1914-18年)に突入するが、1918年「ドイツ革命」によりドイツ帝国/プロイセン王国は消滅する。
○バイエルン
<概略>
・バイエルン(ドイツ南部)は初代神聖ローマ皇帝オットー1世(位962-73年、ザクセン公)に攻略され、ザクセン公が統治する(947-1017年)。1180年「ヴィッテルスバッハ家」がバイエルン公を継ぎ、以降「ヴィッテルスバッハ家」が世襲する。
<形成期>
・1180年「ヴィッテルスバッハ家」オットーは、神聖ローマ皇帝よりバイエルン公(オットー1世、位1180-83年)に任命される。1214年バイエルン公ルートヴィヒ1世(位1183-1231年)は「ライン宮中伯」(後のプファルツ選帝侯)も得る。その後バイエルンは上バイエルン/下バイエルンに分割統治される(1255-1505年)。
・1328年上バイエルン公ルートヴィヒ4世(位1294-1347年)は神聖ローマ皇帝(位1328-47年)を継ぐ。1340年からは下バイエルンも統治する。
・上バイエルン公アルブレヒト4世(位1463-1508年、狡猾王)は「ランツフート戦争」(1503-05年)で勝利し、バイエルンの大半を獲得する。彼は警察機構、ビール醸造、水道施設、教会建設、家内法(長子相続)などで実績を残す。
<宗教革命以降>
・バイエルン公マクシミリアン1世(位1597-1651年)は「30年戦争」(1618-48年)で戦い、1648年その功績で「バイエルン選帝侯」を獲得する。
・バイエルン選帝侯フェルディナント・マリア(位1651-79年)は「テアティナー教会」「ニンフェンブルク宮殿」を建設する。
・バイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエル(位1679-1726年)は「大トルコ戦争」(1683-99年)「スペイン継承戦争」(1701-04年)で戦う。
・バイエルン選帝侯カール1世アルブレヒト(位1726-45年)は神聖ローマ皇帝(カール7世、位1743-45年)を継ぐ。
・1777年ヴィッテルスバッハ家バイエルン系が途絶え、ヴィッテルスバッハ家プファルツ系のプファルツ選帝侯カール4世フィリップ・テオドールがバイエルン選帝侯(カール2世テオドール、位1777-99年)を継ぐ。
<ナポレオン以降>
・1806年バイエルン選帝侯マクシミリアン4世ヨーゼフ(位1799-1806年)はナポレオン軍と共にオーストリアに勝利し、「バイエルン国王」マクシミリアン1世ヨーゼフ(位1806-1825年)に格上げされ、「ライン同盟」にも加入する。1815年「ウィーン会議」後はオーストリア主導の「ドイツ連邦」に加入する。1808年「バイエルン王国憲法」が制定される。
・バイエルン国王ルートヴィヒ1世(位1825-48年)は絵画館「アルテ・ピナコテーク」「ノイエ・ピナコテーク」を建設するなど、首都ミュンヘンを「芸術の街」にした。バイエルン国王はギリシャ独立戦争を支援し、1832年二男を初代ギリシャ国王にした。
・バイエルン国王マクシミリアン2世(位1848-64年)は有機化学者リービッヒをミュンヘン大学に招くなど、自然科学に力を注いだ。
・バイエルン国王ルートヴィヒ2世(位1864-86年、狂王)は「ノイシュヴァンシュタイン城」「リンダーホフ城」「ヘレン・キームゼー城」などを築城した。1871年バイエルン王国は「ドイツ帝国」の領邦になる。
・バイエルン国王ルートヴィヒ3世(位1913-18年)が最後の国王になる。