top learning-学習

『父が子に語る近現代史』小島毅を読書。

文学者の著者が近代(江戸時代以降)の歴史を解説しています。
歴史は「常民」(国民)が作るとし、敗戦に至った経緯を解説しています。
歴史家とは少し違う視点で俯瞰しているので、大変参考になります。前著『父が子に語る日本史』も面白そう。

お勧め度:☆☆☆

キーワード:近代、自意識、尊王攘夷、開国/倒幕、世襲/忠義、松平定信/寛政の改革/朱子学、藩校/寺小屋、アヘン戦争/アロー戦争/太平天国、井伊直弼/安政の大獄/桜田門外の変、安藤信正/公武合体/坂下門外の変、禁門の変/薩長同盟、大政奉還/戊辰戦争/明治維新、吉田松陰/草莽崛起/松下村塾、久坂玄瑞、坂本龍馬/船中八策、靖国神社、近藤勇/新選組、篠田儀三郎/白虎隊、版籍奉還/廃藩置県、太政官制/内閣制、大日本帝国憲法/教育勅語、岩倉使節団、ドイツ帝国、教育制度、東京大学/大阪大学、外国人教師、新暦/旧暦、鉄道、征韓論/日朝修好条規/日清戦争、司馬遼太郎、朝鮮/韓、日露戦争/日韓併合、第一次世界大戦/三・一独立運動/五・四運動、満州事変、夏目漱石/高等遊民、天皇機関説/政党内閣論/民本主義、民俗学/常民、国家神道、加藤高明/普通選挙法/治安維持法、良い時代/悪い時代、五・一五事件/二・二六事件/日中戦争、戦争責任/騙された、太平洋戦争、高度経済成長、シルクロード/韓流ブーム

○近代
・東洋の近代は黒船来航/アヘン戦争から始まるとされるが同意できない。思想などにおいて18世紀末から変化があった。

○他者への配慮
・日本は「歴史/伝統」を重んじる。一方米国は「自由」を至上の価値とする。この違いは国の成り立ちによる。
・ポーランドは2度の分割を受けた。戦後復活するが国土は敗戦国ドイツの方に移動した。欧州各国は多かれ少なかれ同様の歴史を持つが、「自分たちの意思」を持っている。他方アジア/アフリカの国は「自分たちの意思」とは別の所で国が作られた。

○江戸時代
・日本は鎖国により「尊王攘夷」と云う自意識過剰が生まれた。幕府が「尊王攘夷」に反し開国した事で、「倒幕」に向かった。
・日本史を学ぶには世界史/地理も学ぶ必要がある。

○忠義
・江戸時代、凡庸な人物でも「世襲」を可能にするため「忠義」が重んじられた。そんな中で『忠臣蔵』が讃えられた。

○松平定信-文武両道
・徳川吉宗の孫で白河藩主の松平定信は「寛政の改革」を実施しました。「文武両道」を目指す彼は、学文(学問)では「寛政異学の禁」で徂徠学を禁止し、朱子学を重んじる。一方武士道では朱子学の五倫(仁、義、別、序、信)で精神教育を行った。
・しかし中国の周は、力のある覇者が周王を支える仕組みだった。この仕組みから、日本は「尊王攘夷」へと向かった。

○教育熱
・光格天皇が即位した時、天皇は実父に「太上天皇」の尊号を贈ろうとするが、厳格な松平定信は反対する。これが老中を辞める一因と云われている。
・松平定信の後、同僚の松平信明は「寛政の改革」路線を30年間踏襲します。
・その後徳川家斉の「大御所時代」となり、「化政文化」が栄えます。その中に儒教の徳を重んじる『南総里見八犬伝』がある。
・1841年家斉の死後、水野忠邦により「天保の改革」が行われるが、直ぐに退きます。
・その頃、諸藩の藩校では朱子学が講じられ、農民/町人の寺小屋では文字が教えられ、日本の初等教育は世界トップ水準であった。

○清の衰退
・英国は清から茶を輸入するためにアヘンを輸出し、「アヘン戦争」を起こす。「南京条約」でアヘン貿易/香港割譲/4港開港を認めさせる。その後「アロー戦争」でも英国が勝利します。
・その頃キリスト教徒の洪秀全が天京(南京)を首都に「太平天国」を建国します。

○幕末動乱
・黒船来航により開国派(井伊直弼)と攘夷派(徳川斉彬など)に分かれ、井伊は攘夷派を弾圧します(安政の大獄)。この恨みで井伊は殺害されます(桜田門外の変)。
・井伊の後を継いだ安藤信正は「公武合体」を成しますが、「坂下門外の変」で失脚します。
・「尊王攘夷」を進める長州藩は薩摩藩/会津藩に撃退されます(禁門の変)。しかし攘夷を諦めた薩摩藩と長州藩は同盟を結びます(薩長同盟)。
・徳川慶喜は「大政奉還」しますが、「戊辰戦争」となり「明治維新」が成就します。

○吉田松陰、久坂玄瑞、坂本龍馬-祀られた人
・吉田松陰は「草莽崛起」(草の根運動)を理想とし、「松下村塾」で多くの志士を育てました。ただし伊藤博文/山県有朋らがその理想を継いだかは疑問です。
・嘱望された久坂玄瑞は「禁門の変」で自殺します。
・坂本龍馬は「薩長同盟」を成立させ、「船中八策」を立案します。※吉田松陰、坂本龍馬は共に佐久間象山に学んでいるんですね。
・「靖国神社」は1868年官軍の戦没者を祀った「招魂社」が始まりで、天皇側の上記3人は「靖国神社」に祀られています(※知らなかった)。

○井伊直弼、近藤勇、篠田儀三郎-祀られぬ人
・井伊直弼の開国の決断は正しかったが、志士の敵だったため、「靖国神社」に祀られていません。
・「新選組」近藤勇は「池田屋事件」などで多くの志士を殺害したため、同様に祀られていません。
・会津城下の炎上を落城と勘違いし自殺した「白虎隊」篠田儀三郎も、祀られていません(皮肉な事に、藩主松平容保は天寿を全うした)。

○新政府
・1869年「版籍奉還」71年「廃藩置県」が行われる。68年中央政府は「太政官制」(大蔵省、兵部省、外務省、宮内省、司法省、工部省など)となる。
・1885年中央政府は「内閣制」となり、初代内閣総理大臣に伊藤博文が就く。その後も藩閥政府が続く。
・1889年伊藤博文/井上毅らが草案した「大日本帝国憲法」が発布されます。90年井上毅らが草案した「教育勅語」が発布されます。1945年忠君愛国を主旨とする「教育勅語」は廃止されます。

○岩倉使節団
・1871年岩倉使節団が出発します。この頃欧米は変革期でした(60年ロシアのシベリア・沿海州領有、61年米国南北戦争開戦、70年イタリア統一、70年パリ・コミューン、71年ドイツ帝国成立)。特にドイツ帝国は、その後の日本に大きな影響を与えます。
・使節団に随行した「久米邦武」は合理主義となり、東京大学で教鞭を振るうが、神道を批判した事から早稲田に追われます(津田左右吉も同様な経緯を辿る)。
・教育制度では1872年「学制公布」79年「教育令」が発せられる。日本の西洋化・近代化が成功したのは、江戸時代後期の教育熱による。

○東京大学
・大阪大学は懐徳堂(朱子学)と適塾(西洋学)を起源としています。一方東京大学は天文方と種痘所を起源とし、昌平坂学問所(朱子学)を切り捨てています。これにより今でも医学/工学を優先しています。人文学の重要性を認識して欲しい。

○外国人教師
・東京大学で言語学を教えたバジル・ホール・チェンバレンは、『日本事物誌』を遺しています。当書は事典方式で算盤/行水などを解説しています。
・東京大学で進化論を教えたモース(大森貝塚を発見)は、『日本その日その日』を遺しています。当書にはスケッチと共にお歯黒などを解説しています。

○太陽暦
・日本は1ヶ月が29日か30日で、閏月が存在する旧暦(太陰太陽暦)を採用していました。明治5年12月2日まで旧暦で、翌日から新暦(太陽暦、明治6年1月1日)を採用しました。これは財政難の政府が12月分と明治6年の閏月分の給与支払いを削減するためでした。※旧暦の事が良く分かった。
・中国/韓国/ベトナムでは伝統行事は今でも旧暦に行っています。日本もそうあって欲しい。

○鉄道
・1872年5月品川-横浜(桜木町)の鉄道が開通、7月新橋-品川が開通します。89年には神戸まで延伸します。鉄道は日本の近代化を支えます。

○韓国問題
・1873年西郷隆盛/板垣退助らは「征韓論」で敗れ下野します。しかし75年朝鮮に軍艦を派遣し、翌年「日朝修好条規」を締結し開国させます。
・1894年朝鮮の権益を巡って清と開戦し、台湾/遼東半島(遼東半島は三国干渉で返還)を獲得します(日清戦争)。

○日露戦争
・司馬遼太郎の歴史観「明治の国づくりは良かったが、日露戦争以降は間違った」を批判します。
・日清戦争で勝利し、国名を「朝鮮王国」(明から与えられた国名)から「大韓帝国」に改名させます。日露戦争後の1910年韓国を併合します(日韓併合)。

○歴史に向き合う
・1918年「第一次世界大戦」が終結します。米国大統領ウィルソンは「民族自決」を掲げていました。翌年韓国で「三・一独立運動」が起きます。中国でも山東省の日本領有に反対する反日運動「五・四運動」が起きます。
・1928年日本に協力的でない張作霖を爆殺します。31年柳条湖で鉄道を爆破し「満州事変」を起こし、翌年傀儡の満州国を建国します。その翌年、満州の権益を守るため国際連盟を脱退します。

○夏目漱石
・夏目漱石は1905年『吾輩は猫である』翌年『坊ちゃん』を発表、何れも明るい小説でした。08年『三四郎』を発表しますが、そこには近代化を醒めた眼で見る「高等遊民」が登場します。彼は東京大学卒業後英国に留学し、一旦は教壇に立ちますが、新聞社のお抱え小説家になります(森鴎外とは対照的)。知識人である彼は日本に「滅びの予感」を感じていたと思われます。
・彼は『私の個人主義』の中で、「国や会社に滅私奉公するのではなく、自尊心を持って我が途を歩む大切さ」を説いています。

○国民文化
・大正時代(1912年~)「人格」が流行語になり、権力に逆らった宗教家(親鸞、道元、日蓮)が偶像化されます。和辻哲郎は『日本精神史研究』で曹洞宗道元を賞賛しています。
・また彼は『古寺巡礼』で飛鳥文化を賞賛しています。彼(西洋文明を修得した人々)は「日本は唐土と違う」と強く意識していたと思われます。

○大正デモクラシー
・1912年美濃部達吉は『憲法講話』を発表します。ここで「天皇機関説」「政党内閣論」を説いており、その後弾圧を受けます。吉野作造は「民本主義」を説き、ここにも民主主義の実現性が示されています。18年議会与党の原敬が総理大臣に就き、政党内閣が誕生します。
・柳田國男は政治家/芸術家が主体の歴史ではなく、「常民」が主体の「民俗学」を興します。彼は「人民」「大衆」では意味が変わるため「常民」を使用しています。
・宗教の影響力は今日でも存続していますが、近代史になると宗教の記述がなくなるのは疑問です。※明らかにしたくない事なのかも。

○国家神道
・1904年小学校の教科書が「南北朝並立説」の国定教科書に変わる。それ以前の民間教科書は「南朝正統説」でした。「常民」を代表する野党はこれを指摘し、国定教科書は「南朝正統説」(吉野朝)に改訂されます。
・橿原神宮/近江神宮/平安神宮/吉野神宮/明治神宮はそれぞれ天皇を祀っています。また日本武尊/神功皇后/聖徳太子は英雄化されます。これらに「常民」は深く寄与しました。

○昭和
・1917年ソビエト連邦が誕生します。日本では20年最初のメーデーが行われ、22年非合法の日本共産党が組織されます。
・1924年護憲運動により加藤高明内閣(護憲三派内閣)が誕生します。25年「普通選挙法」「治安維持法」が成立します。26年天皇が崩御し、昭和が始まります。
・軍部は陸軍大臣/海軍大臣の拒否権を持ち、特別な権力を持っていました。軍人は優遇され、優等生が集まりました。司馬遼太郎が云う「愚かな集団」ではありませんでした。※無謀な戦争を起こしたので愚かだと思うけど。

○軍部の台頭
・1864年「禁門の変」から1904年「日露戦争」開戦までが40年、更に45年終戦までが40年です。司馬遼太郎に代表される前半は良い時代、後半は悪い時代とする歴史認識は広く浸透していますが、区分できないと考えます。豊臣秀吉について小田原征伐までは正しく、それ以降は誤りと区分できないのと同じです。
・明治維新も同様で、「禁門の変」「長州征伐」「戊辰戦争」の経過は、当事者にとっては五里霧中の結果です。またその延長が「日露戦争」「満州事変」「日中戦争」「太平洋戦争」です。
・「第一次世界大戦」の反省から、各国は1922年「ワシントン海軍軍縮条約」28年「不戦条約」を結びます。しかし日本の軍部は軍縮条約を「統帥権の干犯」として抵抗します。31年関東軍が「満州事変」、32年には海軍将校が「五・一五事件」、36年には陸軍将校が「二・二六事件」、37年には関東軍が「日中戦争」を起こします。「二・二六事件」により陸軍は統一され、逆に影響力が高まります。

○戦争責任
・内閣の任命権は天皇にあり、近衛内閣時に議会に御用集団の「大政翼賛会」が結成されます。「自分達は騙された」と国民は言いますが、結果責任です。「日露戦争も日中戦争も防衛戦争だった」と言う人がいます。「太平洋戦争」も同様です。本当は「防衛戦争だよ」と言われて騙される事を望んでいたのでは。
・「あの戦争は正しかった。あれでアジア諸国は独立できた」と主張する人がいます。しかし当時の政府が真摯に「東亜の解放」を考えていたでしょうか。

○敗戦
・1941年「南部仏印進駐」から米国との交渉が決裂し、「太平洋戦争」に突入します。45年沖縄陥落、原爆投下を経て降伏します。
・米国主体の連合軍により「財閥解体」「農地解放」「新憲法制定」が実施されます。1951年「サンフランシスコ平和条約」で独立を回復します。米ソ対立の「朝鮮戦争」は前年に始まていました。
・「常民」への教育制度は大きく変貌します。記紀を教えていた「国史」は「日本史」に変わります。忠君愛国を叩き込んだ「修身」は廃止されます。

○1968年-明治維新100周年
・1965年米国は「ベトナム戦争」に介入し、戦争は本格化していました。66年中国では「文化大革命」が始まります。68年チェコ=スロバキアで「プラハの春」が起き、ソ連は武力介入します。日本は「高度経済成長」で平和を享受していました。
・歴史に登場するのは政治家/芸術家ですが、歴史を作るのは「常民」です。二度と「騙された」と言わないため、判断力を養ってください。

○シルクロード、韓流
・NHK『シルクロード』は評判になりました。しかしこの地域は、日本が残虐行為を行った地域とは別の場所です。「韓流ブーム」が起きました、ここでも日本が行った行為は封印されていました。
・日本はアジア認識を誤ってきました。「アジア平和」のためにアジアの歴史・文化を学んでください。

○あとがき
・本書は本筋を分かってもらうために書いたので、固有名詞や年代の記述は極力避けています。
・「歴史は科学」と主張する人がいますが、私は「歴史は文学」と考えています。ヘロドトス『歴史』司馬遷『史記』が読み継がれるのも、歴史教科書が退屈なのも、そのためではないでしょうか。

top learning-学習