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『左翼はなぜ衰退したのか』及川智洋を読書。

近現代史(明治維新以降)を右翼/左翼、両方の観点で解説している。
今日は東アジア情勢や財政難により、左翼の衰退が見られる。

両観点から解説する本は珍しく、読む価値はある。しかし内容に反して説明が簡潔のため、難解である。

お勧め度:☆☆

キーワード:右翼/左翼、右傾化、愛国、明治維新、国学/平田篤胤、天皇、伊藤博文、マルクス/エンゲルス、福沢諭吉/加藤弘之、沖縄、歴史問題/竹島/尖閣諸島、左翼思想/マルクス主義、大逆事件、ロシア革命、五・一五事件/二・二六事件、二十一ヵ条の要求/満州事変/日中戦争、金輸出解禁、国体護持、リベラル/革新、社会民主主義、連合国軍総司令部(GHQ)、日本国憲法、60年安保、石油危機、社会福祉/増税、教科書問題/靖国神社、新自由主義、在日特権/従軍慰安婦問題

○まえがき
・「議論では多様な意見が必要」と云われるが、実際は意見が異なると感情的になって、理性的批判ができなくなる。
・「木を見て森を見ず」にしないのが、本書の趣旨である。この種の本が見当たらないので、自分で書く事にした。

○消えゆく左翼
・最近海外から「日本は右傾化している」とよく聞く。実際、ネット空間での右翼的な意見や韓国・中国批判、雑誌での左翼攻撃などが多見される。田原総一朗は「昔は右翼解説者がいなくて困ったが、最近は左翼解説者がいない」と漏らす。

・2013年衆議院選挙でも共産党/社民党は苦戦し、民主党も2012年衆院選/2013年参院選で大敗する。一方右寄りの日本維新の会/みんなの党は議席を増やした。
・ネット空間では極右による韓国・中国批判/左翼攻撃/近代史の美化が花盛りである。彼らの中心思想は「愛国」である。

・左右の対立事項は以下。①アジア諸国への侵略②靖国神社③教育内容④憲法9条⑤格差と再分配⑥男女平等⑦増税。

・右傾化の要因の一つは、バブル崩壊後の経済不調である。この時期に「フリーター」「ニート」「失われた10年」「ロスト・ジェネレーション」などの言葉が生まれた。もう一つは、中国・韓国・北朝鮮との外交関係である。拉致問題/竹島・尖閣諸島の領土問題/靖国問題がある。

○尊王攘夷-右翼の出発
・明治維新はイスラム過激派によるテロリズムに似ている。その支柱になったのが平田篤胤の「国学」である。
・日本人は世襲が好きで、政治的・軍事的支配者は天皇を利用してきた。

・外国では宗教(仏教、キリスト教、イスラム教)が強い権威を持った。日本の場合、天皇がその役目を担った。
・明治維新による統一国家誕生で、日本はアジア唯一の近代国家となった。

○テロリストと啓蒙思想
・明治維新は伊藤博文などのテロリストによって実現された。彼らは身分制度を廃止し、司法/教育/税制/工業化を一気に実現した。
・一方で行き場を失ったテロリストは大久保利通暗殺/神風連の乱/西南戦争を起こした。

・同じ頃、欧州では左翼が誕生した。その経緯は「王侯貴族の権力/富の独占→工業化の進展→ブルジョアの誕生→労働者の不満」であった。
・左翼理論はマルクス/エンゲルスが生んだが、彼らは富裕層であった。

・福沢諭吉は自由/人権/平等/自立などの啓蒙思想を持ち込んだが、左翼思想の魁でもある。福沢と同年代の加藤弘之は「天皇至上主義は国を誤る」と予言していた。

○中国・韓国の恨み
・沖縄は重要地点で、米軍は離さない。中国にとって沖縄は「ぼやぼやしていたら、明治日本に取られた土地」である。

・日本だけが近代化した要因を、右翼は「日本人が優秀のため」(国粋主義)とした。
・日本を列強に認めさせるには、隣国の植民地化が手っ取り早かった。実際、不平等条約の改正は日清戦争/日露戦争の勝利後になされた。これが今日の「歴史問題」の起源である。

・「征韓論」の韓は「三韓征伐」から来ている。1876年日本は軍事圧力で、朝鮮に不平等の「日朝修好条規」を結ばせる。列強もこれに続く。
・日本は1895年日清戦争、1905年日露戦争に勝利し、1905年朝鮮を保護国化し、1910年韓国を併合する。日露戦争で日本が負けていたら、ロシアが韓国を植民地化していただろう。
・ちなみに日本は、日露戦争直後に「竹島」を島根県に編入した。

・清衰退の原因は、前例踏襲主義の官僚政治にある。1874年日本の台湾出兵後、清は日本に琉球を譲り、1894年日清戦争敗戦で台湾まで譲った。しかし日本にとって、この成功体験は、後の悪影響となる。
・ちなみに日本は、日清戦争直後に「尖閣諸島」沖縄県に編入した。

・明治日本の行動は隣国からすれば嫌悪すべきものだが、当時の国際状況からすれば異常ではなかった。

○輸入された左翼
・18世紀欧州で人権保障/格差縮小から左翼思想が生まれる。その代表が「マルクス主義」である。この思想はレーニンに引き継がれる。

・欧米の先進国が100年200年で身に付けたものを、明治日本は数十年で取り込んだ。左翼思想も急遽取り込むが、1910年「大逆事件」により幸徳秋水など12人が死刑になる。彼らの大半は冤罪で、左翼思想のその後の進展を妨げた。

・しかし1917年「ロシア革命」で社会主義国が誕生し、日本も「左翼バブル」になる。1914年から始まった「第1次世界大戦」で欧州は荒廃するが、日本は大経済成長し、成金が生まれる。
・知識人を中心に左翼思想が盛んになる。1920年新婦人協会、1921年日本労働総同盟、1922年日本農民組合が結成される。1922年には、より過激な「日本共産党」が結成される。しかし実際は革命の必要性はなく、左翼思想は知識人の幻想に過ぎなかった。
・1923年「関東大震災」の時、左翼リーダーの大杉栄が殺害される。

・1928年最初の男子普通選挙が行われ、また日本は「不戦条約」に調印している。
・この頃(昭和初期)から右翼と左翼の対立が激しくなる。右翼は軍を熱狂的に支持するが、左翼の一部(社会大衆党)にも、軍を支持する人がいた。

・昭和初期、太宰治などの学生は左翼に染まり、ストライキをよく行った。マルクス主義の「資本主義は行き詰まり、格差がなく平等な共産主義社会(ユートピア)に移行する」が知識人を引き付けた。
・日本の近代化と左翼思想の輸入は余りに拙速だった。政府が支持する「神懸り日本教」と「マルクス革命救済教」の対立だったと云える。

・1929年世界恐慌が発生し、日本経済に急ブレーキが掛かり、格差問題が露わになる。

○右翼の勝利と日本の破綻
・政府は特別高等警察(特高)を強化し、左翼は壊滅状態になる。政府の弾圧は自由主義者(リベラリスト)にまで及び、1933年「滝川事件」などが起こる。

・日本が破綻(敗戦)に至った原因は4つある。
①テロに寛容-日本最初の政党内閣の原敬首相は、1921年少年に刺殺された。1930年浜口幸雄首相が銃撃される。1931年血盟団により前蔵相井上準之助/団琢磨が殺害される。1932年「五・一五事件」で犬養毅首相が殺害される。1936年「二・二六事件」では複数の政治家が殺害される。これらのテロリストに国民から減刑嘆願書が寄せるなど、国民はテロリストをスター扱いした。

②国際ルール軽視-1915年「第1次世界大戦」中に「二十一ヵ条の要求」を行い、中国の反日感情が決定的になる。1931年「満州事変」を起こし、「ルールを守らない日本」となる。1937年に始まった「日中戦争」で、日本は世界から非難された。

③経済での勘違い-1930年浜口内閣は金輸出を解禁し、財政/金融の引き締めを行った。これは日本経済を悪化させた。1931年満州事変による軍事費増大や、犬養内閣/高橋是清蔵相による大型財政出動/日銀の国債購入による円安で、経済が回復した。

④天皇の特殊性-日本は世界恐慌により重工業が育ち、農村が疲弊する。1936年軍が「二・二六事件」を起こすが、この頃には、すでに経済は回復していた。軍・右翼/国民も経済を判断する事ができなかった。

○敗戦の先送りと軍・右翼への反発
・昭和になると急激に右傾化し、「神=天皇=主権者」が強調された。1928年軍が「張作霖爆殺事件」を起こし、天皇は田中義一内閣を更迭するが、その後は天皇が軍国化・右傾化を食い止めようとした形跡はない。昭和天皇が侵略戦争を是認したか否かは、『杉山メモ』『昭和天皇独白録』で確認できる。

・1945年3月東京大空襲、5月ドイツが無条件降伏するが、日本は降伏を渋る。8月原爆投下によりポツダム宣言を受諾する。これは「国体護持」にぎりぎりのタイミングであった。
・降伏を渋った軍・右翼に対し、国民の反感が高まった。徴兵経験を持つ吉行淳之介は「散華/犬死に論」や「どんなくだらない平和でも戦争よりまし」と小説に書いた。

・日本/占領軍/中国は「戦争責任は軍にある」と押し付けたが、それは間違いで、国民は右傾化を選び、侵略戦争を支持していた。

○戦後の左翼優位
・戦後右翼は軽蔑されたが、右翼寄りの自民党が政権を握る。「保守」は左翼的平等や国際協調に理解を示すが、右翼とは距離を置き、「リベラル」となった。左翼は「革新」となったが、東西対立からマルクス主義を放棄し「社会民主主義」に移行した欧州と異なり、日本の左翼にはマルクス主義を絶対視する人が多く残った。

・連合国軍総司令部(GHQ)は左派寄り(ニューディーラー)で、日本に対し社会民主主義的政策(農地解放、女性参政権、財閥解体、労働組合促進)を取った。その象徴が「日本国憲法」であった。

・1950年頃になると東欧/中国/北朝鮮で東西対立が顕著になり、これまでとは逆の左翼排除(反社会主義、親米国)に向かう。自由党(後の自民党)の結成に、右翼活動家児玉誉士夫が深く関わった。
・しかし知識人の左翼支持は強く、東大総長南原繁は「全面講和論」を唱え、公務員/労働組合は左翼化した。

・1955年頃には日本経済は回復し、ソ連とは国交を回復し(中国、南北朝鮮とは依然断絶)、自民党/社会党の「55年体制」となった。
・左翼運動の最高到達点は「60年安保」と云える。岸信介首相による強権的/右翼的な政策は、左翼のみならず国民の反感を買った。しかし「60年安保」の成功体験が左翼政党(社会党、共産党)を非現実的な「非武装中立」で固定化させてしまった。

・欧州では東西対立から、左翼は「社会民主主義」に移行した。英国/北欧は福祉国家となり、ドイツでは社会民主党が「国民政党」に変わり、政権を担う様になった。
・60年代70年代は世界的に左翼が強かった時代である。今では信じられないが、米国でも「革命が起る」とか、ジョン・レノンの「イマジン」もそれを感じさせる。

・日本の左翼政党はマルクス主義を相対化できず、親ソ連を固持した。
・欧州各国は福祉国家となった。日本でも社会党/共産党が推した東京都知事・美濃部亮吉が福祉を充実させたり、田中角栄首相が年金/健康保険を充実させるなど、多少の変化があった。

・1973年「石油危機」で世界経済は一気に減速し、先進国は福祉財源の確保に苦悩する。欧州はそのための増税が共通認識となり、「高福祉高負担」となった。一方日本の左翼政党は大型間接税(消費税)の導入に反対した。

○増税を拒否する左翼
・1975年度一般歳出で社会保障関係費は24%であったが、2010年度は51%に増大する。少子高齢化は進行中で、今後も着実に増える。
・しかし日本は左翼政党を中心に増税に反対している。1979年大平正芳首相は消費税導入を訴えて衆院選で大敗する。1989年竹下登首相の時に導入が決まるが、続く参院選/衆院選で社会党が大勝する。自民党の敗因は消費税の導入の影響が大きい。

・70年代以降の経済成長鈍化で企業業績は悪化し、労働組合は資金力が低下した。労働組合の政治面での活動(左翼支援)は疎かになり、左翼は衰退に向かった。景気の影響を受けない公務員の労働組合「官公労」が、左翼を引き続き支援した。しかし公務員は世間から批判され、国鉄民営化などに向かった。

・日本は経済大国になり中国・韓国から妬みを受け、1982年「教科書問題」で非難され、1985年中曽根康弘首相の「靖国神社公式参拝」でも非難された。日本からの経済援助を受けていた間は露骨ではなかったが、経済的に自立(中国は「世界の工場」となった90年代。韓国は1988年ソウル・オリンピック以降)すると、公然と非難する様になった。

・石油危機以降、先進国は社会福祉を抑制する「新自由主義」に進む。その代表が80年代の英国サッチャー首相と米国レーガン大統領である。
・日本でも国鉄/電電公社の分割民営化が行われる。1987年総評/同盟などの労働組合が「連合」として統一されるが、これは左翼の弱体化であった。中曽根康弘首相は右傾化を先導した首相であった。

・社会主義(マルクス=レーニン主義)は、70年代までは成果を出せる体制であった。しかし1989年「ベルリンの壁」が打ち砕かれ、ソ連/東欧は社会主義の看板を下ろす。

○21世紀は右翼の時代か
・21世紀の日本の右傾化は、以下が原因である。
①経済の不調-経済が不調に陥った場合、世界的に見ても右傾化する。
②知識層の変化-左翼を支えたのは、大学教員/ジャーナリスト/弁護士/労働組合など生活不安のない中間層であったが、経済不調による雇用悪化でその数が減った。
③左翼の目的喪失-社会福祉がある程度実現され、社会福祉をさらに充実させるには増税が不可欠である。
④資本主義の再起動-経済成長の政策として、「新自由主義」しか見当たらない。
⑤東アジア情勢-中国・韓国の台頭で対日批判が激しくなり、北朝鮮の脅威も高まった。

・ネットの掲示板で、韓国批判や「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の活動が盛んになっている。相互の批判合戦は益々エスカレートしている。朴槿恵大統領は「加害者と被害者の立場は100年経っても変わらない」と発言するなど、対日批判を国内政治のカードとして使っている。
・1995年「従軍慰安婦問題」で半官半民の「アジア女性基金」が義援金を出した事は、日本にとっては限界に近い譲歩であった。

・大国化する中国との軋轢も、右傾化に大きく影響している。中国共産党は国内不満を逸らすため、日本を批判している。しかし一方では日本に来る研修生も多く、日本文化/日本様式を好む中国人も多い。
・中国共産党は市民革命で政権を得た訳ではないし、大躍進政策/文化大革命など多くの失政を行った。日本の左翼は毛沢東崇拝を止めるべきだ。※こんなのあったの。

・戦後は左翼の理念が重んじられたが、今は逆転している。例として、80年代までは犯罪容疑者の人権擁護や冤罪防止が強調されたが、それ以降は犯罪容疑者には厳しく、逆に犯罪被害者の保護が強調されている。※これは右傾化なのか、この辺りから難解になる。
・戦後の左翼はバランスが悪く、左翼全盛期には永田則夫/金嬉老などの凶悪犯を生んだ。これらは左翼の行き過ぎで、後に右傾化を呼んだ。

・日本は左翼の反対で増税できず、「小負担中福祉」の国になった。2013年参院選で共産党/社民党は消費増税の凍結を訴えている。

・21世紀の右傾化は、左翼が批判する戦前の右傾化(左右対立→右傾化→侵略戦争・敗戦)とは異なる。経済不調になると国民は国や民族に頼り、愛国者が増える。※ネットの掲示板を見ないので、そうなっている実感がない。
・左翼が新しい理念を打ち出さない限り、右傾化は進む。右傾化により相手国にも責任はあるが、中国・韓国との摩擦は強まり、国内の少数者/経済的弱者の排除も進む。

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