『立ち上がれ日本人』マハティール・モハマドを読書。
マハティール・モハマドはマレーシアの発展を強く望み、マレーシア首相を22年間務めました。
彼は親日・反欧米で、日本がアジアを先導する事を期待しています。
お勧め度:☆☆☆(参考になる事が多々ある)
キーワード:マレーシア、マハティール・モハマド、職業的倫理観、ルック・イースト政策、通貨危機、グローバリゼーション、終身雇用制、教育、ナショナル・サービス、愛国心、ASEAN、華人、イスラム教、ユダヤ人/イスラエル建国、テロ、文明の衝突、資本規制/固定相場制、地球村/地球税、独裁制/民主制、統一マレー国民組織(UMNO)、マレー・ジレンマ、リーダーシップ
○訳者まえがき
・本書は通貨危機(1997年)後から行ったマハティール・モハマド(以下彼)へのインタビューや彼の演説が基に成っています。
・今の日本は国旗/国歌に敬意を払う教育を行っていません。しかし軍国主義と愛国心は異なります。
<コラム-マハティール・モハマド>
○日本人よ誇りを持て
・盛田昭夫と松下幸之助を尊敬しています。1961年初来日しましたが、日本人の職業的倫理観(規律的、献身的など)に感銘を受けました。
・近隣諸国を豊かにする事は、自国を豊かにする事と直結します。日本はマレーシアに投資し、マレーシアを豊かにしました。
・マレーシアは2020年に先進国入りする事を目標にしています。しかし彼は2003年イスラム諸国会議機構(OIC)後に引退する事を決めました。22年間でGDPは2倍以上に成りましたが、これは日本を目標にした「ルック・イースト政策」のお陰です。
○ルック・イースト
・欧米の侵略で日本/タイ(シャム王国)以外は欧米の植民地に成りました。東アジアは日本を仰ぎ見ていました。日本成功の要因は愛国心/規律/勤勉/能力管理と思います。
・マレーシアは自由貿易で、大半の輸入関税はゼロです。
・アジア諸国は植民地から解放され、砲艦は去りましたが、今なお西側から経済的・政治的圧力を受けています。
・1997年「通貨危機」では、為替が西側のマネーゲームの対象にされ、支援のための国際機関が立ち上げられました。彼らは政治的信念まで押し付けてきましたが、これは債権者が外資系銀行から国際機関に変わっただけで、植民地政策の再来です。
・外資系企業は利潤を追求するのみで、相手国の失業問題/低所得問題は全く無視します。「グローバリゼーション」は否定しませんが、そこには多くの問題が存在します。
・戦後日本の奇跡的な経済回復は、日本が独自の方法を取った事が要因です。大企業とそれを支えた銀行にあります。また政府と民間企業が密接に協力した事も要因です。日本の「終身雇用制」は政府の負担や失業問題を軽減しました。
※日本の旧習を全肯定している。
・日本の首相は短期で交代します。これでは政策を実行するのに不十分です。
・今の日本に東アジア/世界のリーダーになる事を期待します。
○教育こそ国の柱
・国の発展には教育が重要です。読書/経験/会話/聴く能力などが必要です。
・教育は宗教から始まりました。今は知識の多くは欧米諸国に集約され、英語が必需と成っています。マレーシアでは数学/科学を英語で教えています。
・彼は小学校の時に数学/科学を、医学生の時に化学/生物学/物理学を学び、よって体系的な思考に慣れています。競争に勝つには理論的である事が重要です。
・「通貨危機」ではその要因を一つ一つ検証し、「固定相場制」を導入しました。
・また道徳/宗教教育も重要です。最近の若者は道徳心を失っています。この原因は西洋の「自由」「人権」「個人の尊重」の行き過ぎです。
・マレーシアは「ナショナル・サービス」を始めました。「ナショナル・サービス」で若者は集団生活し、社会奉仕し、「愛国心」を育てます。
・日本の首相は各国で謝罪しますが、再び軍事大国にならない保証があれば、謝罪は不要です。
・人は若いほど他の宗教・文化への許容度が高い。日本からマレーシアに修学旅行で来られますが、その機会が増える事を期待します。
○中国に怯えるな
・中国の魅力は低賃金と巨大な市場です。日本の繁栄によりASEANは直接投資を受け、繁栄しました。しかし今後は、日本/韓国/東南アジアの製品は中国製品に押される事に成ります。
・ASEANは中国の半分くらいの潜在力があり、発展途上国では最も結束力のあるグループです。
・東南アジアには多くの「華人」がいて、経済を支配しています。しかし彼らはそれぞれの国に忠実な国民です。
・中国と東南アジアの関係は基本的には良好です。逆に「封じ込め政策」を取れば、中国は軍事力を強化し、対抗して来ると思います。
・彼は東アジア経済グループ(EAEG/EAEC)を提唱しています。中国は脅威と云うより機会なのです。
○日本こそイスラム世界を理解できる
・預言者マホメットはメッカで野蛮なアラブ人に、寛容や女性の尊重などを説きました。メディナでも同様でした。イスラム教は「平和」を強く切望する宗教です。
・イスラム教は宗教に寛容で、東欧州/北アフリカでユダヤ人と共存していました。一方キリスト教は反ユダヤが徹底され、虐殺を繰り返して来ました。結局キリスト教社会は、パレスチナに「イスラム建国」を押し付けたのです。
※確かにそうだ。気が付かなかった。「キリスト教は善でイスラム教は悪」、無意識にそんな間違った解釈をしている。
・第1次世界大戦後、イスラム教徒はいたる所で迫害を受けます。オスマン帝国は解体され、中央アジアではイスラム教は禁止されました。キリスト教による十字軍は終わっていないと云えます。
・これらはイスラム過激派によるテロの原因になっています。テロの根源は、彼らの日常生活や一方的な政治的抑圧にあると思います。なお多くのイスラム教徒はテロを批判しています。
・彼はイスラム教は「生活の規範」であるべきと考えています。他の宗教と同様に、イスラム教も多くの宗派に分かれました。例外はユダヤ教で、選民思想から布教活動をやっていません。またキリスト教は領土意欲が大変強い宗教です。
・第2次世界大戦後はテロ対策が重要課題に成っています。しかし米国のアフガニスタン侵攻/イラク戦争は何の解決策にも成っていません。単に米国の軍事力を見せびらかしただけです。
・米国のネオコン台頭は危惧されます。彼らは民主主義ではないと言って、人を殺すのは民主主義ではありません。
・今は西欧文明とイスラム文明との「文明の衝突」と云われています。マレーシアはイラク戦争に対し政府主催で反戦デモを行いました。日本は西欧に盲従ではなく、冷静に考えて欲しい。
○富める者の責任
・グローバリゼーションで一番重視されるのが「資本の移動」です。
・マレーシアは古代より貿易が盛んでした(近代はゴム、スズなどを輸出)。1957年独立以降も国を閉ざさず、自由貿易を行いました。マレーシアは外資により工業国に成りました。
・1997年通貨危機では海外投資家による株式/為替の操作で、国は大被害を受けた。
・通貨危機後、マレーシアは国際通貨基金(IMF)の政策を拒否し、「固定相場制」を柱とした「資本規制」で対応しました。
・グローバリゼーションで利益を得た者は「地球税」を払うべきです。それを発展途上国のインフラ整備に充てるべきです。
・国の経済発展は資源の有無ではなく、その資源を競争力のある製品やサービスに変えられるかに掛かっています。よって国の体制の独裁制/民主制は関係ありません。逆に今の民主主義は、利己的なロビイストにより崩壊しています。
・ASEANは南(発展途上国)で唯一繁栄している組織です。このグループに日本の協力は欠かせません。
・北朝鮮は貧しいから戦うのです、日米韓は北朝鮮に手を差し伸べるべきです。※今と逆の対応だ。
<アジアの哲人宰相-加藤暁子>
○マハティールの素顔
・彼に最初にインタビューしたのは、通貨危機翌年の1998年5月である。インドネシアでは開発独裁が転覆し、スハルト大統領が政権を追われた。マレーシアも同様で政情不安であった。
・その4ヶ月後に「固定相場制」を柱とする「資本規制」を導入し、IMFに近いアンワル副首相兼蔵相を解任した。
・2000年6月まで毎月インタビューを行い、記事を起こし、それに対し彼がコラムを執筆した。彼のコラムは国内の政治・経済/日本論/リーダー論/イスラム教/中国観/グローバリズム/アジア経済/貧困問題など広範囲に及んだ。インタビューして、彼の知識/バランス感覚/好奇心/判断力/決断力に驚いた。
○少年時代と植民地
・1925年彼は9人兄弟の末っ子に生まれる。父はイスラム教徒で英語教師だった。第2次世界大戦後マレーシアは英国に再植民地化され、彼は反対運動を起こす。53年医科大学を卒業し医師となる。
○親日家
・1961年初来日、前年に香港、翌年に欧州を旅行している(来日は50回以上に及ぶ)。日本では家電販売店やホームセンターを必ず訪れ、帰国すると閣議で「マレーシアで作れないか、輸出品になるのでは」となった。
・彼はマレーシア商工会議所会頭・鈴木一正と親交を深めた。首相就任して最初の政策は「ルック・イースト政策」(日本を見習え)であった。
○マレーのジレンマ
・1957年マラヤ連邦(63年マレーシアに)は英国から独立する。当時は資本を外国人/華人が握り、マレー人は1次産業に従事していた。
・1964年下院議員に初当選し、与党の「統一マレー国民組織」(UMNO)に参加し、教育問題などで活躍する。
・1970年UMNOを除名されるが、マレー人を貧困から救うための『マレー・ジレンマ』を出版する。
・1973年UMNOに復帰し上院議員に任命される。74年下院議員に当選し教育相になる。76年副首相になり、81年首相になる。
・マレーシアは1957~2002年でGDPは13.5倍に成長する。
・金融危機後の1999年下院議員選挙でUMNOは苦戦するが、与党連合「国民戦線」は2/3を確保する。
・2001年党大会で彼は「豊かになったマレー人は、腐敗の指導者になっている」と批判した。
○強力なリーダーシップ
・彼は通貨危機に対処するため、1998年1月より「国家経済行動評議会」を招集する。外国人による短期的投機を規制する方策として「固定相場制」の検討を始める。
・1998年8月28日彼は中央銀行総裁補にゼティ氏を任命し、9月1日固定相場制を断行する。
・彼はリーダーの条件は人の話をよく聞く事としている。
・毎日新聞のコラムに「貧しく抑圧された国の発展に寄与する事は歓迎され、尊敬される。日本はそのリーダーシップを取るべき」と書いている。
○引き際の美学
・2002年6月党の年次総会で首相辞任を発表する。03年10月イスラム諸国会議機構(OIC)を最後に引退する。
・彼は「人を辞めさせない」が性分で、これが人事の悩みであった。金権政治を嫌う彼は、後任にクリーンなアブドラ・バダウィを選択する。
○教育と家族
・彼は家族を愛し、妻が1人、子供が7人いる。マレーシアでは4人まで妻を娶れるが、2人以降は最初の妻が認めないと結婚できない様に法律を変えた。
・次世代の若者への教育に熱心で、「ナショナル・サービス」は2004年から実施される予定である。
○アジアと世界の未来
・彼は「自分が豊かになれば、相手も豊かになる」をモットーに、東アジア経済グループ(EAEG/EAEC)を提唱している。1997年通貨危機直後に日本が提唱したアジア通貨基金(AMF)にも賛同した。しかし、いずれも実現していない。
・日本がイラク戦争で米国を真っ先に支持した事を、「失望した」と批判した。