『広島藩の殖産興業政策』落合功を受講。
広島藩の殖産について講義を受けました。
江戸前半は米中心の経済でしたが、後半になると藩札を発行し、経済成長します。
落合功氏は青山学院大学教授で経済史が専門です。竹原の塩田などを研究されています。
キーワード:米/建物米、湊/津開、名産品、殖産事業/藩札
<広島藩最大の特産物米>
・石高は加賀藩(102万石)薩摩藩(72万石)仙台藩(62万石)・・広島藩(42万石)で広島藩は8番目。それは浅野家が秀吉、家康から気に入られたため。
・米の品質・価格は肥後藩、筑前藩、広島藩、岡山藩の順で、この4藩の米は価格を決める「建物米」であった。
・長州は下関、芸州は宮島の湊が栄え、西日本の富国である(儒学者・経世家の海保青陵『経済話』)。
・広島、尾道、木浜(現在地不明。※沼田川に木ノ浜、小瀬川に木野がある)、三原、竹原、三津の湊から米を船出した。
・芸州は「津開」(湊で小藩の米を買い自藩で消費し、自藩の米は大坂で売る)で繁栄した(海保青陵『稽古談』)。
・例えば越後から来た北国廻船から米を買い、塩を売った。
・大坂・堂島川に広島藩の米蔵があった(建物の詳細配置図あり)。
<広島藩の名産品>
・塩鮎、榛子(はしばみ)、三原酒、西条柿、なるこ(メバルの子)、細炭、銅虫銅細工、鉄象眼細工、仁保島海苔、海田礪(カキ)、高山湯波、尾道塩辛、宮島籠細工などを江戸に献上した。
・大坂で米を鴻池善右衛門に、紙を鴻池徳兵衛に、鉄を新屋庄左衛門に売った。
<広島藩の殖産事業>
・五穀以外に砂鉄・製紙・繰綿・食塩・藍玉・燈油・木炭・麻苧・畳表・花筵・煎子・牡蠣・縫針・雨傘・木材・石材・姻草などを産した(『芸藩志拾遺・勧業』)。
・海岸部では木綿を栽培した(同上)。
・紙を産した。佐伯郡では24村の内、18村が産した(同上)。
・藩は「藩札」で専売した。資金を作り、産業を興し、大坂で売り、利益を得た。これにより「封建経済」が「国民経済」(藩と藩民の経済)に移行した。
・孟子は『礼記』で「王が利益を追求すると、国が危うくなる」と批判している。
・頼杏坪も『春草堂秘録』で「収入に合った支出をすべき」と批判している。
・広島藩は多量の「藩札」を発行してインフレを起こす。嘉永5年(1852年)旧札を1/500の価値で新札に交換するお触れを出す。