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『政権交代下の教育改革』長尾彰夫(2010年)を読書。

教育改革で教員免許が更新制になり、教員を養成する大学はその判断を担うことになりました。
著者は教員養成の立場から、その困難さを訴えています。

大学は教員に必要な基礎知識を教える組織のため、更新の判断は困難と思います。
更新制は必要と思いますが、教員養成はしているが教育現場から離れた大学に判断を押し付けるのは如何かと思います。

教育改革の過去の経過と現状を解説しているため、政権交代はほとんど関係ない。
教育関係者向けで、抽象的な文章もあり難解。でも大学側の困惑が分かって面白い。

お勧め度:☆

キーワード:教育改革、更新制、官僚主導/政治主導、教育政策の逆コース、自民党/日教組、中央教育審議会/四六答申、臨時教育審議会/臨教審答申、中教審答申/ゆとり教育、教育再生会議/教育基本法改正、実証性、民主的専門性/協働的専門性、教育職員養成審議会、批判的権力、民間教育研究団体、学習指導要領、教育の目標、免許更新制/更新講習、大学間格差、モデルカリキュラム、小泉首相/安倍首相、修了認定試験、日本教育大学協会、教員養成、専門性/専門職性

<Ⅰ.政権交代下の教育改革>
○政権交代の実像と虚像
・2009年の総選挙前は”政権交代があるか”ではなく、”民主党がどれだけ勝ち、自民党がどれだけ負けるか”が話題であった。この選挙は財源が主要な争点で、「教育改革」は争点にならなかった。
・2009年総選挙で民主党は①教員免許制の見直し②教員養成課程の6年制③教育委員会制度の見直しをマニフェストに記したが、争点にならなかった。

・2006年安倍政権は”やらせ問題”で強引に「教育基本法」を改正した。2009年4月より教員免許の「更新制」が始まった。これにより免許の有効期間は10年となり、教師は自費3万円で更新講習を受け、更新となった。
・戦後の「教育改革」は「官僚主導」または「官邸主導/政治主導」で行われたが、安倍政権での「教育基本法」改正の様な抜本的改革は「政治主導」で行われた。

○教育改革の歴史的特徴
・戦後は官僚権力(文部省)/政治権力ではない、GHQにより「教育改革」が行われた。
・50年代に入ると、「偏向教育」への批判/「教育二法」の見直しなどで、国家(上)と国民(下)の対立が起こる(教育政策の逆コース)。これはある意味、自民党と日教組の対立であった。

・70/80年代に入ると、本格的な「教育改革」論議が始まる。1971年文部省の諮問機関「中央教育審議会」(以下中教審)が答申する(四六答申)。「四六答申」は①量的/質的対応②家庭/学校/社会を通じての体系整備など、明治/戦後に続く”第3の教育改革”を示していた。
・中曽根首相の諮問機関「臨時教育審議会」(以下臨教審)が、1985年から4度答申する(臨教審答申)。「臨教審答申」は①個性の尊重②生涯教育などを掲示し、「四六答申」との共通点は多かった。
・一方日教組は①高校義務化②学校週5日制③教科再編成/総合学習などを掲示する。

・90年代に入ると経済界(経団連、日経連、経済同友会)からの提言もなされる。
・1996年中教審は『21世紀を展望した教育の在り方』を答申する。ここでは「ゆとり」「生きる力」が強調され、授業時数削減/学校週5日制/総合学習が実施される。しかしこの「ゆとり教育」は10年経ずして学力低下が批判され、軌道修正される。

・2006年安倍首相は諮問機関「教育再生会議」を性急に発足させ、新保守主義/新自由主義から「教育基本法」改正し、翌年「教育三法」を改正する。「教育再生会議」は”居酒屋での教育談義”と揶揄された。

○政権交代下の教育改革の焦点
・市川昭牛は近年の「教育改革」を「官僚主導から、ポピュリズム的な政治主導になった」「改革の連続で、”国家100年の大計”が”政府1年の小計”になっている」と批判。
・日教組は以前は文部省と対立していたが、90年以降は協調的になっている。しかし「教育改革」を担うのは教育現場の教職員である。

・「教育改革」の難しさは①効果を客観的に捉えることが困難②結果に対する要因が複雑で単純化できないなど実証性が希薄である。
・「教育改革」は悪しき官僚主導でもなく、ポピュリズム的な政治主導でもなく、多くの民意を考慮した「民主的専門性」で成されるべきだ。また教師集団の教科指導力/生徒指導力(協働的専門性)に対し成されるべきだ。※専門性は良く分からない。

<Ⅱ.教師論と教員養成大学>
○新たな教師論
・「四六答申」は財政に触れていたが、「臨教審答申」は触れていない。これは「臨教審答申」が新保守主義/新自由主義に基づき、教育の自由化/私事化/市場化を志向していたためでもある。
・むしろ文部省(中教審)と中曽根首相(臨教審)の対立であり、官僚主導ではなく政治主導の「教育改革」であったことに着目すべきである。また安倍首相(教育再生会議)の先駆けであったと云える。
※やはり官僚自らの改革は起こり得ないのか。改革には政治家など外部からの働き掛けが必要なのか。

・1996年「第15期中教審答申『21世紀を展望した教育の在り方』」は国際化/情報化/少子高齢化から「生きる力」が必要で、「ゆとり」が重要とした。しかし「ゆとり教育」は10年経ずして批判対象になる。
・「第15期中教審答申」の背景に経済成長で失ったものは何か/受験競争/いじめ・登校拒否があり、量的拡大より質的拡充/形式的平等から実質的平等/偏差値重視から個性・人間性重視への転換を求めた。それには「教員の資質向上」が必要とした。

・「第15期中教審答申」と同時期の「教育職員養成審議会」(以下教養審)は「教員養成の改善方策」を諮問されている。その答申で「教員養成カリキュラムの規制緩和」を示している。これは「教育職員免許法」に従って教員免許が機械的に授与されることへの批判である。

・「教育改革」には政治的権力(政治主導)/行政的権力(官僚主導)でない教育現場に関わっている教師の「批判的権力」が不可欠である。「批判的権力」と云えば、日教組を想起させる。しかし日教組は労働組合と教師の職能的組合の二面性を持っていたが、今はその使命を終えたと思う。

・ジェフ・ウィッティは教師は①協働的専門性②民主的専門性を持つべきとしている。教員養成大学と教師は協働して「教員の資質向上」を担うべきである(協働的専門性)。また教師は利害関係者(生徒、学校職員、保護者、地域住民など)と協調すべきである(民主的専門性)。
※専門性と云う抽象的な言葉が出て来た。大体全ての職業は専門的と思うけど。

○教員の資質向上
・教員の指導力向上は、完成されたパッケージを教師が単に受け入れれば完了と云う単純なものではない。そのためには保護者/住民/研究者/カウンセラー/ソーシャルワーカーなどと協力すること(協働的専門性)、および利害関係者の利害を調整すること(民主的専門性)が必要である。

○「教師力」向上システム
・著者の経験では、戦前の教師は習字/オルガンなどが上手で、服装などもピシッとしていた。一方戦後の教師は野球が上手く、頻繁に「学級会」を開いた。※私の記憶でも戦後の教師は討論を重視した気がする。

・60/70年代は「民間教育研究団体」による「教師力」向上運動が盛んになる。国語では教科科学研究会国語部会/日本作文の会/児童言語研究会/文芸教育研究協議会などが活躍した。
・「民間教育研究団体」は独自の教育観を持ち、「○○方式」などの授業スタイルを生み出した。しかしこれらも定型性/汎用性/客観性を欠いていた。

○学習指導要領改正と道徳教育
・「教育基本法」改正の特徴は、「教育の目標」を掲示したことである。そこには「~する態度を養う」とあり、「知育」から「徳育」への転換が強調されている。
・教育活動の「要」を道徳教育とし、「学習指導要領」解説で「教科の道徳化」が強調されている(例:国語を尊重する態度は、国/郷土を愛することに繋がる)。
※教育で道徳を強制するものかな。家庭とか友人関係の中で培われるものと思うけど。

○教育基本法改正
・「教育基本法」改正により「学習指導要領」の冒頭が「教育基本法」の全文(?)になった。これは「教育基本法」が「教育の目的」をより具体化した「教育の目標」に言及したことに関係している。
・「教育の目標」では「豊かな情操と道徳心を培う」「我が国と郷土を愛する」などを規定している。

○日教組の課題
・今は学生が”日教グミ”と読むなど存在感は薄れたが、戦後の日教組は反戦で偉大な存在であった。日教組は労働組合(レイバー・ユニオン)と教師の職能的組合(プロフェッショナル・アソシエーション)の二面性を持っていた。
・1989年日教組は分裂した。さらに各組織の組織率は様々で、統制力を失った。今こそ”生きる道”が問われている。

○免許更新制と教員養成大学の再生
・2009年より「免許更新制」の「更新講習」が始まる。教員養成大学は「更新講習」を受けて立つしかない。
・講習者は3万円の自腹を切って、30時間の「更新講習」を受講する。他方の「更新講習」の講師を務める教員養成大学も混乱と不安の中にある。教員養成大学は講習終了後に修了認定をしなければならない。

○教員養成大学のこれから
・大学には財政的補助/支援で格差がある。これは構造的な問題で、法人化でさらに顕著になった。さらに教員養成大学の教員養成では、開放性か閉鎖性(目的養成、計画養成)の問題もある。※開放性/閉鎖性は良く分からないので省略。

・教員養成で大きな転換をもたらしたのは、2006年中教審答申『教員養成/免許制度の在り方』で、①教職実践演習の新設/必修化②教職大学院の創設③免許更新制の導入が示されていた。そしてこれらは速やかに実行された。
・「教員の資質向上」に対する批判は、1997~99年「教養審」答申でも見られ、「教員養成カリキュラムの開発研究」などを提言している。2006年中教審答申はこの影響を強く受けたと思われる。
・しかし①教職実践演習の新設/必修化②教職大学院の創設③免許更新制の導入は枠組みであって、「モデルカリキュラム」などの内実を作成するのは容易でない。

・教員養成大学の当面の課題は①地域の課題に応じる②免許更新制を活用する③教員養成大学間の連携を深めるである。

<Ⅲ.免許更新制と教職の専門性>
○免許更新制の始まり
・2006年「教育基本法」改正に伴い、翌年「教育三法」(学校教育法、地方教育行政に関する法律、教育職員免許法)が改正される。

・「教育職員免許法」改正による「免許更新制」で、教員免許状は①有効期間10年②更新講習修了により更新となった。
・「更新講習」は①必修部分「最新事情に関する事項」12時間②選択部分「教科指導・生徒指導・教育内容の充実に関する事項」18時間で、毎年8万人程度が講習を受ける。これは教員養成大学には一大事業である。

○免許更新制のルーツ
・「免許更新制」の議論は、1962年「教員養成審議会」が建議した「教員試補制度」まで遡れる。さらにその後2000年小渕首相/森首相の諮問機関「教育改革国民会議」、2006年安倍首相の諮問機関「教育再生会議」で進められた。これは「教育改革」が「政治主導」であったことを示している。

・2002年中教審答申『教員免許制度の在り方』では、「免許更新制」に慎重であった。その理由は①適格性確保は分限制度を有効に機能させることが先決②免許取得後に新たに知識を習得させることは資格制度/公務員制度には不適切であった。※分限制度ってなんだ。

○「導入答申」をめぐるポリティックス分析
・2006年中教審答申は一転して「導入答申」に変わる。中教審は「免許更新制」の目的を「不適格教員の排除」から、「導入答申」では「必要な能力の刷新(リニューアル)」に置き換えた。
・この4年間は小泉内閣であり、「官から民へ」を強く掲げた小泉首相の新自由主義により転換したと思われる。またこの時期は公教育への批判/学力低下問題/ゆとり教育批判があり、公務員である教師への風当たりも強かった。

○導入から実施へのプロセス
・2006年6月中教審「導入答申」、9月安倍内閣スタート、12月教育基本法改正、2007年6月教育三法改正と急速に進む。改革には「強引さ」が必要であるが、これは安倍首相が「やらせ事件」などで強引に進めた結果である。

・2006年10月安倍首相の諮問機関「教育再生会議」が発足し、2007年1月「免許更新制」を必要とする第1次報告をする。「教育再生会議」は著名人/タレント/論客などがメンバーで”居酒屋での教育談義”と揶揄された。「免許更新制」の導入/実施は十分吟味されたと考えられない。

○免許更新制を「裏読み」する
・「更新講習」の「修了認定試験」にパスしないと免許更新できない。また分限/懲戒/服務を命じられた者は「更新講習」自体受けれない。これは結果的に「不適格教員の排除」になる。
・教員免許状が失効した場合でも「更新講習」を受けれるが、”今後教員になる可能性が高い”が条件になる。よって、教職に復帰する事は容易でない。

○講習内容の実際
・教員養成大学は「更新講習」の準備に苦慮している。
・「更新講習」は①必修部分「最新事情に関する事項」12時間②選択部分「教科指導・生徒指導・教育内容の充実に関する事項」18時間である。①必修部分は固定化されるが、②選択部分は教員養成大学の創意工夫となり、悩ましい。さらに「修了認定試験」はSABCFの5段階評価/論述式記述式を問わないなどの基準は存在するが、これも悩ましい。

○更新講習の実施
・「免許更新制」は教員であることを自覚させる機会になる。
・教員免許状の有効期限は10年となり、満35歳/満45歳/満55歳になる者が2年前から「更新講習」を受ける。講習対象者は現職教員などであるが、教員を指導する者(校長、教育長、更新講習の講師など)/優秀教員表彰者は免除される。

○更新講習のモデルカリキュラム
・教員養成大学にとって最大の課題は、「更新講習」の内容である。
・「更新講習」の内容は大学の自由とされるが、「日本教育大学協会」は「モデルカリキュラム」の検討/作成に取り組んでいる。
・1999年「教養審」答申は「教員の資質向上」から「教員の自主的な研修参加」を推奨した。これは「更新講習」に対しても言える。

○教員の資質向上に繋げる
・文部省が「免許更新制」に踏み切った要因に、公務員バッシング/官僚批判/公教育批判があったと思われる。
・「教養審」は3次の答申をしている。「教養審」は教員に広範囲の資質(①地球的視野に立つ②変化の時代に対応できる③教員に必然の資質)を求めている。また「教養審」は「教員の資質向上」に修士課程の活用を検討している。これは教職大学院の創設に繋がった。さらに「教養審」は「教員の資質向上」には養成/採用/研修の段階で連携が必要とした。

○教員養成大学のカリキュラムとの関係
・「教養審」の第3次答申で、教員養成大学の教職課程が批判されている。そこでは教科専門科目と教職専門科目の関連などが問われている。※教科専門科目/教職専門科目、分からない。
・教員免許状の授与権は教育委員会にあるが、教員養成大学のカリキュラムに依拠していると云える。その意味で「免許更新制」は教員養成大学への揺さ振りと云える。
・「教養審」の第1次答申では、養成段階は教科指導/生徒指導の”最小限必要な資質”を身に付けさせる過程としている。

○教職の専門性の追求
・教員養成は戦前は中等教育(師範学校)でなされていたが、戦後は高等教育(大学)で一定の単位を取れば教員免許状を授与に変わった。これにより”大学による開放制の教員養成”に変わった。
・教師の専門性はよく医師と比較されるが、求められる技術の客観性には大きな違いがある。医師と違って、教師は原因の究明も適用した技術の検証も困難である。

○最後の課題は教師が握る
・「免許更新制」の目的は「教員の資質向上」にあり、「定期的に最新の知識を身に付け、自信と誇りを持ち、社会の尊敬と信頼を得る」ためである。

・教師が授業する上で必要な知識/技術は「専門性」であり、教師という職業から来る自律性/モラル/倫理性は「専門職性」である。今は教師の専門性/専門職性が批判され、それらの向上が求められている。※この辺り難解。

・いじめ/学力低下などの問題は、教師の専門性/専門職性を超えた社会的/経済的/文化的な問題である。問題の原因が教師が解決できる範囲内にあるか、その見極めが必要である。そのためには教師は自身の仕事を冷静に分析し、実践を積み重ねる必要がある(自己成長)。
・教育/学校においては様々な意見/利害の対立があり、教師にはそれらを調整する社会的/人格的な専門性/専門職性が必要になる。

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