『広島藩の流行病』杉山聖子を受講。
江戸後期、広島藩黒瀬組での流行病の実態を解説。はしか/コレラが頻繁に流行っています。
天保8年(1837年)の「天保の大飢饉」は近世後期で最大の「死亡クライシス」です。
一般的に信じられている事とは異なる話もありました。
講師は呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の学芸員です。
キーワード:死亡クライシス、過去帳、5歳未満、麻疹(はしか)、野坂完山/『鶴亭日記』、コレラ/地域性、天保飢饉、『広島県史』
<死亡クライシスと平常年>
○分析方法
・「死亡クライシス」とは”死亡者が著しく増える局面”を云い、”平年より死亡者が5割以上多い年”(高死亡率の年)を「死亡クライシス」としました。また「平常年」は”平年より死亡者が2割増以下の年”としました。
・「過去帳」より広島藩賀茂郡黒瀬組(黒瀬付近の複数村)の死亡者数を集計/分析しました。「門徒改帳」は分析に適さない。
・江戸後期の安永元年(1772年)~明治元年(1868年)の96年間を集計/分析しました。
○要因
・「死亡クライシス」は96年中11年あった。死亡者数の最大は天保8年(1837年、天保飢饉)で2.51倍、最小は寛政7年(1795年)で0.48倍であった。
・「死亡クライシス」の要因は様々で、天明5年(1785年)/天保8年(1837年)は飢饉、享和3年(1803年)/文政6年(1823年)は麻疹(はしか)、文政5年(1822年)は虎狼痢(コレラ)、文久2年(1862年)は暴吐瀉(コレラ)と麻疹が主要因であった。
○年齢別
・年齢別に見ると、伝染病による「死亡クライシス」では死亡者の8割近くを10歳未満が占めた。天保8年(1837年、天保飢饉)では死亡者の4割近くを15~59歳が占めた。
※元々人口構成がピラミッド型なので、10歳未満が多くなると思うが。
○平常年
・「平常年」は96年中78年あった。残り7年は「中死亡率の年」です。
・「平常年」を年齢別に見ると、5歳未満が死亡者の約半分を占めた。ちなみに現在は5歳未満は0.2%で、60歳以上が約9割を占める※七五三も分かる。
・「平常年」を月別に見ると、秋(8-9月、以下全て旧暦)と冬(12-1月)が多い。
<麻疹の流行>
○麻疹とは
・麻疹(はしか)は古くからあり、日本における代表的伝染病です。流行間隔が長く、免疫を持たない世代が集団的に感染する。
・享保15年(1730年)からは短い時で13年、長い時で27年の間隔で流行。
○実態
・享和3年(1803年)-死亡者数は平年の1.64倍(5番目)、年齢別では5歳未満が65%を占めた。月別では4月頃から徐々に増え、9月で最多となった。
・文政6年(1824年)-死亡者数は平年の1.62倍(8番目)、年齢別では5歳未満は41%だが、15~59歳が25%を占めた。月別では8月が突出して多い。賀茂郡の医師野坂完山『鶴亭日記』に記述がある。
・子供主体の伝染病だが、文政6年(1824年)は成人女性も感染した。
<コレラの流行>
○コレラとは
・文政5年(1822年)は日本最初のコレラ流行。文久2年(1862年)はコレラと麻疹が流行。
・コレラは熱帯の伝染病で、越冬できない。移動者により海外から全国に広まった。
○実態
・文政5年(1822年)-死亡者数は平年の1.54倍(11番目)、年齢別では5歳未満が47%を占めた。月別では8月が突出して多く、その後減少。前述『鶴亭日記』に記述がある。
・文久2年(1862年)-死亡者数は平年の1.59倍(10番目)、年齢別では5歳未満は39%だが、15~59歳が26%を占めた。月別では8月/閏8月が特別多いが、4月/11月も多い。広島城下の医家新藤寿伯『耳の垢』、賀茂郡黒瀬組国近森近村『諸書附控』に記述がある。
・文政5年(1822年)は成年男性、文久2年(1862年)は成年女性が多い。
・上記とは別に安政5年(1858年)広島城下/草津村でコレラが流行するが、賀茂郡黒瀬組/呉では流行らなかった。コレラの流行には「地域性」がある。
<天保の大飢饉>
○天保飢饉とは
・『広島県史』では、天保2年(1831年)から天候不順で田畑を失う。天保7年(1836年)大凶作、天保8年(1837年)疫病が流行る。
・賀茂郡黒瀬組兼沢村の農家の「作帳」には、天保8年(1837年)「米麦の売人がいないので、裕福な農家から米麦を徴収した」「米値段が2月は1石270匁が、6月には1石650匁に急上昇した」の記述がある。
・賀茂郡黒瀬組国近森近村の庄屋の『岡田屋日誌』には、天保8年(1837年)5月「疫病により死者が夥しい」、6月「疫病により死者が多い」の記述がある。
○実態
・死亡者数は平年の2.51倍(1番目)で、近世後期で最大の「死亡クライシス」です。年齢別では5歳未満は28%だが、15~59歳が38%を占めた。月別では4~6月が多い。
・疫病の記録はあるが、餓死の記録はほとんどない。また死亡者は4~6月に集中しているため、伝染病(種類は未確定)によると考えられる。