『歴史小説の罠』福井雄三を読書。
「明治は善、昭和は悪」とする司馬史観を問うています。
司馬史観に関する本をたまに読むが、これは面白かった。特に「陸軍は悪、海軍は善」説への反論は注目される。
お勧め度:☆☆(司馬史観に興味がある方)
キーワード:村上春樹、司馬遼太郎/司馬史観/ノモンハン事件、『坂の上の雲』/旅順攻防戦/乃木希典、東京裁判史観、半藤一利、北進・南進/対日参戦、山本五十六、『竜馬がゆく』、『翔ぶが如く』、『故郷忘じがたく候』、『永遠の0』
○村上春樹
・村上春樹(以下彼)は司馬遼太郎と近い立場にある。それは彼の旅行記『辺境・近境』の「ノモンハンの鉄の墓場」に書かれている。
・司馬史観では「ノモンハン事件」は日本敗戦の発端となった事件である。しかしソ連崩壊による情報開示から、「ノモンハン事件」は日本の勝利であった。
・戦前の日本は彼らが主張する「非近代化」ではなかった。日本は欧米の民主主義を取り込み、昭和初期から既に高度経済成長が始まっていた。
・彼は「団塊の世代」で、全共闘運動へのシンパやソ連神話の崇拝が感じられる。彼の代表作『海辺のカフカ』を読むと、非戦/反戦/兵役拒否の信念が伝わってくる。彼の作品には世界市民主義/空想的社会主義が窺われる。彼も司馬も念仏平和主義者である。
・彼の作品は漫画家中沢啓治『はだしのゲン』との類似も多い。この作品には戦時中の日本に対する憎悪/弾劾が見られる。
・松江市教育委員会が小中学校の図書館で『はだしのゲン』を閉架する。これに対し朝日新聞社が「子供の学ぶ権利」を奪うと糾弾し、松江市教育委員会は撤回した。
○旅順攻防戦
・司馬(以下彼)は多くの作品(司馬山脈)を残し、『坂の上の雲』は代表作である。しかしこの作品を正史と思われては困る。あくまでも彼が創作したフィクションである。
・彼は招集され、昭和19年12月ソ満国境の戦車隊に赴任した。この体験から「昭和の破滅」の原因追及が彼のライフワークとなった。
・そこで行き着いたのが、昭和の硬直した官僚制/科学技術の軽視/非合理な精神主義/空虚な権威主義であり、前段階の明治を賛美した。
・彼は『坂の上の雲』のクライマックス「旅順攻防戦」で6万人の死傷者を出した乃木希典を、「昭和の破滅」の原点としている。しかし乃木の取った戦法は強襲法と云われ、正当な戦法である。
・「乃木無能説」が存在するが、これは間違いである。乃木は平常心を失わなかった名将である。また「旅順攻防戦」での要所は203高地ではなく、望台陣地であった。
・彼は善悪を峻別し、ストーリーを作る能力に長けている。短編小説『故郷忘じがたく候』(後述)にもその才能が発揮されている。
○東京裁判史観
・東京裁判史観は司馬(以下彼)の「明治の栄光、昭和の破滅」と一致する。
・東京裁判(極東国際軍事裁判)を解説すると、当初連合軍は「人道に対する罪」で日本を裁こうとし、「南京事件」を唱えるが証拠が出なかった。
・そこで連合軍は「平和に対する罪」に切り替えた。1928年「不戦条約」は成立していたが、侵略の定義は曖昧であった。また「平和に対する罪」は戦後に作られた罪で、適用するのは法理論上、不可能であった。しかし連合軍は「共同謀議」があったとして、「平和に対する罪」を押し通した。
・東京裁判は裁判ではなく、政治権力の押し付けである。これに対し弁護士清瀬一郎が「管轄権動議」を提出するが、却下される。
・東京裁判史観が日本人に浸透したのは、東京大学教授横田喜三郎の言動による。※この話は知らなかった。
・彼は『坂の上の雲』の旅順攻防戦で、乃木希典/伊地知幸介を「昭和の破滅」の原点とした。さらに「ノモンハン事件」をテーマにした小説を書き、服部卓四郎/辻政信を「昭和の破滅」の発端にしようと考えていた。
・彼の作品には、陸軍エリートなど権威に対する「恨」が窺われる。
○ノモンハン事件
・昭和48年(1973年)反戦作家五味川純平は『ノモンハン』の連載を始める。彼は関東軍に収集され、所属した中隊158名で生き残ったのは4名であった。この小説により、「昭和の破滅」は陸軍が招いたが定説となる。※この本は昔読んだ。
・1980年小室直樹は『ソビエト帝国の崩壊』を書いている。当時はまだソ連神話があり、彼は奇人扱いされる。
・1998年半藤一利は大ベストセラー『ノモンハンの夏』を書く。本書は3つの場所が舞台になっている。①東京(陸軍参謀本部)②現地(関東軍司令部、ノモンハン)③モスクワ/ベルリンである。この展開は面白い。また本書は五味川『ノモンハン』と同様、陸軍を「諸悪の根源」とする小説であった。
・しかし皮肉な事にソ連崩壊による情報開示で、「ノモンハン事件」は日本の勝利であった事が判明する。ソ連軍の死傷者は日本軍1万7千名を上回る、2万5千名であった。
・1921年ソ連はモンゴルに侵攻し、傀儡政権「モンゴル人民共和国」を樹立する。しかしモンゴルで反乱が続くため、1939年スターリンはモンゴル人民を結集させ、満州に侵攻した。これが「ノモンハン事件」の発端である。
・「ノモンハン事件」は2つに分けられる。第1次ノモンハン事件(5月)/第2次ノモンハン事件(6~9月)である。半藤は第1次ノモンハン事件での日本の勝利を認めているが、陸軍を罵詈雑言で批判している。
・第2次ノモンハン事件では、8月20日までの死傷者は日本軍7千名/ソ連軍1万5千名で日本優位であったが、8月20日以降ソ連軍が大攻勢をかけ、双方の被害が増大する。
・スターリンの目的は、前述の「モンゴルの支配」と「日本の南進化」であった。8月23日「独ソ不可侵条約」が成立し、9月1日ドイツ、9月17日ソ連がポーランドに侵攻している。一方日本政府は不拡大方針から、9月15日ソ連からの停戦を受け入れている。これにより日本は対ソから対中、さらに欧米との衝突を招く南進へと向って行く。
※独裁ソ連は凄い計画的だな。
・関東軍は最強であった。対戦車でも空中戦でもソ連軍を圧倒した。ソ連の資料が明らかになるにつれ、それは明確となる。よって司馬/半藤の「近代化されたソ連に対し、肉弾戦を挑んだ日本は大敗を喫する」は覆された。
・ソ連はヤルタ会談でドイツ降伏後(5月8日)3ヶ月以内に対日参戦する約束になっていた。ところが8月8日になって、やっと参戦する。これは「ノモンハン事件」から関東軍を恐れていたためである。もし「ノモンハン事件」で日本が負けていれば、ソ連は速やかに対日参戦し、日本の北半分を占領していただろう。
○半藤史観
・半藤は近現代史の代表的作家である。半藤史観は2つの善悪二元論「陸軍悪玉、海軍善玉」「明治は栄光、昭和は暗黒」からなる。当然半藤史観は司馬史観を受け継いでいる。
・「ハワイ作戦」は山本五十六が強行した作戦である。さらに6ヶ月後「ミッドウェー作戦」を強行し、大敗北を喫している。それなのに半藤は『昭和史』『山本五十六』で山本を英雄視している。
・本来戦争は「陸主海従」である。しかし日本海海戦の勝利もあり、1933年海軍軍令部が陸軍から独立する。さらに昭和10年代に入ると国家予算の半分近くを海軍が占める様になる。
・陸軍の仮想敵国はソ連/中国で、海軍の仮想敵国は米国であった。米国の経済力は日本を圧倒しており、海軍は戦線を拡大するのではなく、極東の最小限の地を維持すべきであった。太平洋戦争の敗因は明らかに海軍にある。
・海軍は秘密主義/閉鎖主義/組織温存主義で問題が多かった。「ミッドウェー作戦」の敗北は秘密にされ、誰も責任を取らなかった。
・ガダルカナル島に固執したのも海軍である。上陸した陸軍は補給を絶たれ、戦わずして餓死した。
・当時日本陸軍は世界最強であった。戦死者200万人の内、半数は補給を絶たれ、戦わずして餓死/病死している。この原因は海軍にある。
・今の日本は米国に盲従している。その原因は太平洋戦争の無様な負け方にある。
○作品に見る司馬史観
・司馬(以下彼)の代表作は『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『坂の上の雲』と思う。※前2作品は読んだかな。
-『竜馬がゆく』-
・デビュー直後に書かれた作品である。お初/さな子/田鶴/おりょうが登場し、司馬作品では珍しく艶話が含まれている。
・彼の歴史小説には3つの特徴がある。①ストーリーが面白い②膨大な手紙/文献/人脈/聞き伝えなどを記している③至る所に随想を記している。
・竜馬が勝海舟によって攘夷論を転換させられる記述の後、「宗教的攘夷論が明治維新を起こしたが、桂/大久保/西郷/竜馬などはそれを引き継がなかった。しかしそれは昭和に蘇り、大東亜戦争を起こした」と随想している。これは司馬史観の原点「明治は善、昭和は悪」である。
・司馬史観の間違いは、一国の国内事情のみで考察し、世界を俯瞰していない所にある。もう一つの間違いは、「結論ありきで、勝った者を善、負けた者を悪」(日露戦争は善、大東亜戦争は悪)とする単純性にある。これは人物についても云える。※手厳しいが、面白い評価だ。
・誤った司馬史観/東京裁判史観によって、今の悲劇(独立国家の体をなさない日本)がある。
-『翔ぶが如く』(以下本書)-
・冒頭で、西郷隆盛/桐野利秋を「えたいが知れない」と記している。本書は、西南戦争を起こしたこの非合理性をテーマにしている。
・明治維新は武士階級が革命を起こし、版籍奉還/廃藩置県/四民平等/国民皆兵によって自らの身分を消滅させた稀有な改革である。西南戦争は武士階級を終焉させるのに必然の戦争であった。
・彼は勝海舟を空前絶後のスケールを持った英雄として称賛しているが、武士道から見れば評価できない。徳川慶喜も同様で、奥羽越列藩は彼らの犠牲になった。
・彼は西郷/桐野を非合理的/楽天家などと酷評している。『坂の上の雲』でも乃木希典/伊地知幸介を同じように描写している。これらのコンビは「ノモンハン事件」での服部卓四郎/辻政信にも通底する。
-『坂の上の雲』(以下本書)-
・本書のクライマックスは旅順攻防戦である。彼は旅順攻防戦/ノモンハン事件を日本の悲劇の象徴と見ている。間違った今の歴史認識を正すためには、この旅順攻防戦を徹底的に検証する必要がある。
・本書でも、本書の前触れである『殉死』でも、彼は乃木を批判している。
・彼にはソ連神話があり、ロシアの大砲を称賛している。彼はノモンハン事件を「後進国日本は無謀にも新興国ソ連に挑み、敗れた」と解釈した。
・「欧州の良心」と云われたシュテファン・ツヴァイクもソ連に招待され、スターリンの信奉者になっている。
○『故郷忘じがたく候』(以下本書)
・本書は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で薩摩藩に連れて来られた陶工を書いている。
・本書には虚構が多い。陶工の子孫の沈寿官が旧制鹿児島二中に入学した日、暴行を受けたと書いているが、そんな事実はない。彼には読者の心を自由に操る能力があり、みんな騙されてしまう。
・平成21年末から、スペシャル大河ドラマ『坂の上の雲』が始まる。NHKは反戦の意を強め、原作を捏造している。
○百田尚樹『永遠の0』(以下本書)
・本書は、姉弟が特攻で戦死した祖父の戦友を訪ね歩くフィクションである。話題の作品で、今年映画化される。
・本書はタブーとされた海軍批判を行っている。この点で高く評価される。海軍は日露戦争以降、実戦経験がなく、アマチュア集団であった。
・また本書は某新聞社を「戦後変節して人気を勝ち取ったが、日本人から愛国心を奪った」と批判している。
○戦後精神-福井雄三、東谷暁
・司馬史観は多くの人に受け入れられ、一方自虐史観/東京裁判史観は批判的に見られているが、これらは根底で繋がっている。
・司馬は思い込みが激しく、乃木に対し憎しみを持っていた。
・『坂の上の雲』では「203高地を奪った事で、ロシア海軍を壊滅できた」としているが、203高地に重要性はなかった。
・戦後精神にはソ連神話が大きく影響している。昭和20年代はスターリンが健在で、ソ連が5ヶ年計画で先進工業国になった年代である。
・2002年に出版された小田洋太郎『ノモンハン事件の真相と戦果』は、ノモンハン事件を再検討するのに不可欠の資料である。
・小説は面白くするため、フィクションが一杯組み込まれる。よって小説に書かれている事は歴史ではない。