『歴史の逆襲』ジェニファー・ウェルシュを読書。
現在の4つの課題(蛮行、難民、冷戦、不平等)に、自由と平等を掲げる自由民主主義がどう対応すべきかを解説。
これだけ内容のある本を書ける人がいるとは、驚きである。ただし翻訳なので文章が難しい。
お勧め度:☆☆(超凄い本だが難解)
キーワード:ソ連崩壊、歴史の終わり、自由民主主義、ポピュリズム政党、戦時国際法/ジュネーブ条約、IS(イスラム国)/兵士リクルート、シリア/化学兵器、難民、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、新冷戦、アフガニスタン侵攻、プーチン/シリア内戦/クリミア併合、エネルギー政策/サイバー攻撃/諜報活動、主権民主主義、経済的不平等/社会的不安定/機会の不平等、抗議活動、覚悟
○動き出した歴史
・世代によって時代への思いは異なる。親の世代は「第2次世界大戦の敗北」(?)であり、兄姉の世代では「公民権/男女平等の獲得」であり、著者の世代では「冷戦の終結」である。
・共産主義の崩壊は東欧から始まり、1989年11月ベルリンの壁が崩壊し、ソ連の共和国に広がり、1991年12月ソ連が崩壊する。
・一連の騒動の中、政治学者フランシス・フクヤマは『歴史の終わり』を著し、「自由民主主義は普遍化し、世界は平和に向う」と楽観的な予言をする。※本書ではフクヤマの言葉がしばしば引用される。
・冷戦後の90年代は米国とソ連が協力する時代で、アフリカでの代理戦争は終結し、中欧・東欧諸国は民主化し、EUは拡大した。1990年湾岸戦争の国連安保理決議は全会一致となる。
・90年代には、人権の保護と啓蒙を目的とする「国連人権高等弁務官事務所」も設立される。※著者はカナダ生まれで、人道を専門とする。
・フクヤマは自由民主主義は3つが条件とした。①自由選挙②人権の保障③規制が穏やかな資本主義経済。
・民主主義は最初から受入れられた訳ではない。ギリシャでは、プラトンは民主主義を衆愚政治と非難した。欧州では英国を除いて国王の支配が続いた。米国憲法を執筆したマディソンは民主主義は混乱の源として、価値を認めなかった。
・18世紀になるとルソーの自由/平等や三権分立など自由民主主義の理論が確立する。しかしこの時代の民主制は少数者による「代議制」で、①非富裕者②女性③人種は排斥された。米国でアフリカ系アメリカ人が投票権を得たのは1965年である。
・第1次世界大戦後、民主主義国家が増える。しかしスペイン/イタリア/ドイツでは反動からファシスト国家となり、ロシアは共産主義国家となる。第2次世界大戦前に民主主義国家は9ヵ国に減る。
・第2次世界大戦後、民主制の第2の波が起こる。さらに70年代ラテンアメリカ/南欧州で民主制の第3の波が起こる。しかし80年代、西欧/北米の先進民主主義国はスタグフレーションで苦しむ。しかし1989~91年この第3の波は中欧・東欧の共産主義国家に押し寄せ、民主主義国家は100ヵ国を超える。
・現在は右/左などのイデオロギーの対立も、政党間の政策の違いもなくなってきている。
・しかし中東では少数派への攻撃があり、ロシアでは権威主義に回帰している。また世界の難民は6500万人を越え、欧州/北米では高失業率/経済低迷/所得格差など、民主主義国家の健康状態は良くなく、楽観できない状況である。
・2000年代に入ると、選挙方法/表現の自由/報道の自由などで民主主義の後退が見られる。2010年末「アラブの春」が起こるが、民主制を堅持できているのはチュニジアのみである。
・今の自由民主主義は、最低限の「自由で公正な選挙」は守られているが、人権/法の支配は疎かにされている。
・仏国のルペン/オランダのウィルダース/英国のファラージなどのポピュリズム政党が反移民/反グローバリゼーションで国政の中心に躍り出ている。これらの党首は公平性を訴えている。現に冷戦終結後のグローバリゼーションは「経済的不平等」をもたらした。
・経済学者トマ・ピケティは「所得の格差」に留まらず、「資産の格差」が継続的な格差を生んでいると指摘している。※これは注目ポイント。
・目を転じると、紛争による難民や一般市民への攻撃/拘束など、紛争により非人道的行為が激化している。
・西側の自由民主主義は勝利したが、近年の状況を見ると、フクヤマ『歴史の終わり』が予言した平和に向かっているとは思えない。そのため、どの様に自由民主主義を実現してきたか、歴史を振り返るのが本書の目的である。
・本書は以下の4つの課題を解説する。
①蛮行への回帰-国家/非国家による人道を無視した紛争
②大量難民への回帰-欧州内外での移民問題
③冷戦への回帰-プーチンによるロシア復権
④不平等社会への回帰-経済的不平等に対する怒りは、自由民主主義の脅威である
・また本書には3つの通底するテーマがある。
①回帰ではあるが、過去と全く同じ様相でない(例:ITが使われている)。※当たり前。
②回帰を望む人達がいる(例:プーチン、IS聖戦士など)。また自由民主主義に替わる、新しい政治/経済制度は存在しない。
③自由民主主義を維持/発展させるためには、各個人が積極的に役割を果たす必要がある。
・歴史的に最も長期に続いた制度は、民主制ではなく専制である。1848年欧州各国で「諸国民の春」が起こり、国王/皇太子は宮殿から追放されるが、間もなく復帰している。
・冷戦の終結に個人が果たした役割は大きい。1989年プラハでキーホルダーを掲げた人/国境の壁を廃止したハンガリー首相/東ドイツでの国境警備隊の開門などがある。※歴史は些細な事からスイッチが入る。
○蛮行への回帰 ※この章は特に詳しく、かつ難解。
・2014年IS(イスラム国)はイラク北部でヤジディ教徒の指導者を処刑し、改宗を迫り、女性を性奴隷にし、少年を戦闘員にした。※クルド人?
・2011年フクシマの予言を実証する様な「アラブの春」が起こるが、今は新たな独裁政権が樹立し、腐敗は踏襲され、内戦は続いている。
・この流れを政治学者シェリー・バーマンは必要な「引き波」としているが、①避けられた暴力が行われた②西側のイラク侵攻後の内乱は予見できた③ISの支配を招いたなど問題が多い。
・「国連人権高等弁務官事務所」は市民への危害を減じるため、国際人道法/人権法に対処する裁判所の設立を目指した。
・ローマ帝国はキリスト教の「正戦論」の下で戦争を行った。18世紀になると捕虜の保護/拷問の禁止などの「戦時国際法」が発展する。
・スイスの銀行家アンリ・デュナンはナポレオン戦争を目撃し「赤十字国際委員」の前身の救済協会を組織する。
・1864年「ジュネーブ条約」で病院の中立/傷病兵の救護などが規定される。
・1920年代非武装住民/非戦闘員/市民などを「文民」の呼称で統一する。
・軍人フランシス・リーバーは「軍事的必要原則」で、政治的目的から市民への危害も許されるとした。
・「戦時国際法」は「ジュネーブ条約」に追加され、国家間の戦争には効力がある。しかし内戦に対しては、捕虜に関する規定などがない。また非国家主体に「戦時国際法」を適用するのは困難である。※確かに、非国家主体ね。
・プロテスタントとカトリックの宗教紛争は三十年戦争(1618~48年)に発展するが、やがて宗教は置き去りにされる。
・ISが信奉するジハード主義/サラフィー主義は捕虜などに対する残虐行為を正当としている。
・ISの行動は様々な点で両面性を持つ。世界各国で自律的なテロ活動を展開する。一方イラクのモスルを占領するとカリフを宣言し、国家の様相を呈している。ISはインターネット利用でも、他のテロリスト集団よりはるかに洗練されている。性奴隷に対する避妊法も現代的である。
・ISによる兵士リクルートは盛んであるが、その見返りは物質的なものではなく、精神的なもの(イスラム共同体への同士愛)である。これはスペイン内戦における屈強の外国人義勇兵に似る。
・ISによる兵士リクルートは社会への不満やヒロイズムに依拠している。欧州からの参加者を調査すると、宗教的な繋がりはなく、参加者は「報復」などの言葉を発するケースが多い。
・イラク戦争後、米国/英国は「非バース化」で公務員3万人/兵士40万人を公職追放する。これは最大の失策とされる。
・元国連事務総長潘基文は「国際人道法/国際人権法を犯しているのは国家」と発言している。第2次世界大戦では一般市民に対し空襲が行われ、シリアのグータ地区には政府軍によりサリンガスが撃ち込まれている。
・シリアは「化学兵器禁止条約(CWC)」に加盟するが、ロシアと協力し化学兵器の一部を国内に残存させ、それを使用した。
・1915年ドイツ軍はカナダ軍に塩素ガスを使用したが、20世紀の大半において、化学兵器の使用は控えられた。また1997年化学兵器の使用/開発/生産/貯蔵を禁止する「化学兵器禁止条約」が発効し、今は192ヵ国が加盟している。
・イエメン内戦でイラン/サウジアラビア/米国/英国などが武器を供給したと思われる。これらの国は、武器供給を規制する「武器貿易条約」の締結国である。
・シリアのマダヤはシリア政府により分断され、餓死者が出ている。まるで第2次世界大戦中のレニングラードを見るようである。
○大量難民への回帰
・2015年クルド系シリア人の子供の遺体が海岸に打ち上げられた。この事故はトルコに逃れ、さらにギリシャに移動する時に起こった。
・今や強制的に移動させられた人は世界で6500万人(うち国内4080万人)いる。
・歴史は人口再配置(移民)を繰り返してきた。カナダでは移民は推奨され、これにより国が発展した。※推奨される移民と推奨されない移民、これは重要ポイントだな。今の先進国は低成長/経済格差で混迷している。
・迫害される者を保護する「聖域」は古代ローマ/ユダヤ教/キリスト教/イスラム教、全てにあった。
・1685年フランスではプロテスタントに対し改宗か強制的移動を迫り、25万人が海外に移住した。
・1793年フランス革命中、憲法に「自由を重んじ、国から追放された者に聖域を提供する」が規定される。
・1956年ハンガリー動乱では、20万人が海外に移住した。多くはオーストリアに移動し、さらに各国に移住した。この時の対応が難民対処法の基準になる。
・第2次世界大戦後には、反ナチスで逃れたドイツ人1200万人/迫害から逃れたユダヤ人20万人/中欧から逃れた100万人が移動を続けた。※他にも、多くのケースが紹介されているが省略。
・1946年「国際難民機関(IRO)」が難民の救済に当たる。1950年「国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)」が設立され、難民問題に当たる。UNHCRの活動はアフリカでの紛争/ベトナム戦争で増大する。1991年ユーゴスラビア紛争でUNHCRの規模はさらに拡大する。※緒方貞子の本は読んだ事がある。
・今や中東/アフリカ/中央アジアは大量の難民を生み、その人数は英国/仏国/イタリアの人口を上回り、人類の113人に1人が難民になっている。
・欧州では難民問題が選挙結果を左右する状況にある。ブレグジットはその一つである。
・ギリシャの島々の市民は難民を暖かく迎え、ノーベル平和賞にノミネートされた。※これは知らなかった。
・東ドイツに生まれたメルケル首相は難民受入れに積極的である。2015年ドイツの200ヵ所以上の難民宿泊施設が襲われ、反難民運動もある。欧州では58%の人が、難民問題が最大の問題と考えている。
・シリア難民はヨルダン/レバノンが国境を閉じたため、トルコが唯一の避難先になっている。トルコはEUと交渉し、シリア難民を受入れている。
・イタリアは地中海で「我らの海作戦」/「ソフィア作戦」を実施し、難民の救済/違法業者の取締りを行っている。
・第2次世界大戦での移民は生命の危機からの移動であったが、今日の移民の動機は多様化している。単に暴力と人権の侵害から逃れるのではなく、生活水準の向上が動機に含まれている。
・今日の難民はスマートフォンなどのテクノロジーを利用しているのも特徴である。途中の経路/最終目的地/目的地での受入れ条件など、様々な情報を共有している。
・地中海では難民の警備にドローンを使い、米国では入国管理に生体認証を使っている。
・近年は安全保障の問題から、難民の入国を規制する方向にあり、反移民政策を掲げるポピュリズム政党が躍進している。英国のEU離脱は、ドイツの「オープンドア政策」が火をつけたとされる。米国ではトランプのイスラム難民拒否がトランプ旋風を起こした。
・移民受入れを新しい選別方法(第3国定住)で進める国もある。しかしこれは人権を促進する自由民主主義に反する。
・移民に対し「人道的ビザ」を発給する方法も考えられる。これにより安全な移動が可能になる。
・移民政策の解決を難しくしている原因に、政治家の任期が短期のため、かれらは長期的な視点に立たない点がある。また共同体主義と世界主義が存在するが、世界主義に立てない点もその原因である。西側諸国は人口減により難民の受入れが求められる。
・第2次世界大戦後は難民の定義は「人種/宗教/国籍/特定の集団により迫害される人」であった。しかしこれでは環境変化/食糧不足/過酷な搾取から逃れる人(生存のための難民)が除外される。100人に1人が難民となる中、定義の再検討が必要である。
・21世紀の大量難民は今後も続く。この問題に地球規模で対応する必要がある。
○冷戦への回帰
・2014年2月、親ロシアのウクライナ大統領ヤヌコビッチが解任され、亡命する。数日後クリミアで、武装集団が空港/庁舎などを占拠し、「クリミア自治共和国」を宣言する。3月住民投票が行われ、クリミアはロシアに編入される。
・2014年3月国連総会で非難決議が採択される。G8は中止になり、ロシアに対し経済制裁が科された。
・冷戦に決定的な影響を与えたのは、1979年ソ連の「アフガニスタン侵攻」である。目的は前年に誕生した共産党政権を支援するためであった。ソ連の軍事介入により、多民族からなる反政府側は抵抗を強めた。1989年ソ連は何の利得もなく撤退となる。
・「アフガニスタン侵攻」が始まると、米国は駐ソ連大使を帰国させる。レーガン大統領はデタント(緊張緩和)/SALT(戦略兵器削減交渉)を中止し、反共運動の支援や「スターウォーズ計画」を始める。
・1985年ソ連ではゴルバチョフが大統領に就き、ペレストロイカ(再建)/グラスノスチ(情報公開)で改革を進めるが、1991年ソ連は崩壊する。ロシア大統領エリツィンは自由民主主義を推し進めるが、新興財閥(オリガルヒ)が富むだけで、経済は崩壊した。
・2014年「クリミア併合」により、ジャーナリストは「新冷戦」が始まったとした。
・プーチンは国内で専制を強め、国外では西側との対立を増やそうとしている。2008年プーチンはグルジア(現ジョージア)に対し軍事行動を起こす。2016年「核セキュリティ・サミット」に欠席し、核ミサイルの増強を計画する。2000年代よりロシア軍機による領空侵犯/ニアミス/海上での異常接近が増え、冷戦期と同等の軍事衝突の危険がある。
・ウクライナ東部2州にはロシアの軍事車両が自由に出入りしている。
・2011年シリア内戦当初からロシアはアサド政権を支援している。国連安保理ではアサド政権に対する非難決議を、3度も否決している。これも冷戦期と同じ状況である。ロシアはアサドを正当な指導者と主張し、逆に西側を非難している。※ウクライナと同じだな。
・2015年ロシアはアサド政権の要請で、ロシア軍をシリアに派遣する。ロシアが海外に軍隊を派遣するのは、「アフガニスタン侵攻」以来である。
・ロシアの非軍事での外交政策としてエネルギー政策がある。ロシアは天然ガス/原油/石炭の有数の産出国である。ドイツ/仏国などに直接パイプラインを引き、主導権を握ろうとしている。
・ロシアはDoS攻撃/ハッキング/偽情報の拡散など、サイバー攻撃も行っている。2007年エストニアで多くのサーバーがダウンした。
・ロシアによる諜報活動も盛んである。※詳細省略。
・「新冷戦」ではイデオロギーでの対立がなく、これは以前の冷戦と異なる。冷戦中、ソ連は緩衝国の維持に努め、米国は自由貿易/集団安全保障の拡大に努めた。ソ連と米国はあらゆるジャンルで競った。
・「新冷戦」と冷戦が異なる2点目は、その範囲である。冷戦は地球規模で、欧州は分断され、ベトナム/インドネシア/イエメン/アンゴラ/モザンビークなど第3世界で衝突が起こった。「新冷戦」が地球規模でないのは、両国国力の衰退が原因である。
・「新冷戦」と冷戦が異なる3点目は、二極化と多極化の違いである。今は中国/インドなどの新興国が台頭している。
・「新冷戦」と冷戦が異なる4点目は、核への依存度の違いである。今は両国の合意で、核弾頭数は大幅に減じている。
・エリツィン政権では政治/報道における自由が認められていたが、プーチン政権になるとそれは抑制され、プーチン政権はメディアを支配している。この状況は権威主義であり、自由民主主義とは云えない。
・反体制派に対する抑圧は、枚挙に暇がない。※カシャポフ/選挙/マグニツキー/リトビネンコなどが解説されているが省略。
・プーチンと統一ロシアはメディア(テレビ、新聞、ラジオ、インターネット)を支配し、自身のプロパガンダに使用している。
・プーチンは青年愛国者同盟「ナーシ」を組織し、反政府デモに対抗させている。
・プーチンの目的は、政治的秩序/国内経済の成功/国際社会への影響力/列強の維持などである。クレムリン指導者はこれを「主権民主主義」と呼んでいる。
・ロシアでは選挙は価値観の戦いではなく、権力のあり様の証明である。「主権民主主義」の意義は外国の圧力に抗う事にもある。※「主権民主主義」の国内外での意義を解説しているが、難解なので省略。
・プーチンの「主権民主主義」は、西側の反体制的政党から称賛されている。ロシアは仏国の国民戦線/スロバキアの人民党/ブルガリアの反EU運動/ハンガリーの極右政党などを支援し、密接な関係にある。これらのポピュリズム政党は、西側が取ってきたグローバリゼーションやロシアへの制裁を非難している。
・冷戦終結後EU/NATOは東に拡大したが、その政治制度/経済制度を変えなかった。これによりロシアを吸収する事ができず、ロシアを孤立化させた。
・2000年代旧共産主義国家で民主化運動「カラー革命」が起こるが、これがロシアで起こる可能性もあった。
・西側は「新冷戦」に軍事的に対応するのではなく、自身の自由民主主義を強固にするのが望ましい。
○不平等への回帰
・自由民主主義は冷戦に勝利するが、今日の米国では立法府/行政府が機能せず、「反ワシントン」のトランプ旋風が起こっている。また自由民主主義社会での不平等、特に経済的格差は問題であり、自由民主主義はその制度に自信が持てなくなっている。
・不平等を正当化する神話(経済成長に不平等は必要、富は努力の成果など)を問う時期にきた。しかしこれへの対応には、富の再分配/増税などの政治的タブーが要求される。
・前3章は国際的な課題であったが、本章は自身の健全さを問う国内的な課題である。
・ピケティは資産家は資本所得比率(=資産/所得)が高く、資産を増やすのが容易だが、労働者は資本所得比率が低く、それができないとしている。
・1980年代の米国大統領レーガン/英国首相サッチャーによる新自由主義が不平等を拡大した。
・自由民主主義により人種/ジェンダーなどの不平等(実在的不平等)は解消されたが、経済的不平等は広がった。
・2011年「ウォール街占拠運動」は「私達は99%」をスローガンにした。米国では人口1%の富裕層が富の35%を所有している。これは第1次世界大戦頃の状況である。※民主主義なのに、なぜ99%が勝てないのか不思議だ。
・カナダのジニ係数が上がった要因に、産業の空洞化/企業利益の海外移転/高額所得者の優遇/非正規労働による賃金低下/社会福祉の縮小などが上げられている。
・経済学者ジョセフ・スティグリッツは、不平等の拡大は中流層の消費を押し下げ、経済を不安定にすると著した。
・経済的不平等は社会的不安定をもたらしている。IMF/OECD/経済学者などはGDPなどの経済指標で社会を評価するのではなく、雇用の安定/住宅取得能力/ワーク・ライフ・バランスや精神疾患/薬物依存/肥満/地域との断絶/懲役などの指標も用いるべきとしている。※賛成賛成。
・経済的不平等がもたらす2番目の災禍は、機会の不平等である。「実在的不平等」に対しては勝利し、法的平等を得たが、所得/富に対する不平等は放置されている。
・経済的不平等を擁護する最大の拠り所は「本人の才能の表れ」であるが、彼らの大半はイノベーションを生んだ訳でもなく、雇用創出した訳でもない。彼らは政治的手法「レントシーキング」で富を増やしている。
・経済的不平等がもたらす3番目の懸念は、経済的優位が政治的優位に変わる恐れである。
・政治学者マーティン・ギレンズは、政策は中低層の代表者より富裕層の代表者により決定される場合が多いとした。スティグリッツは「1人1票」ではなく「1ドル1票」と皮肉った。米国は民主主義ではなく「金権主義」とする評論家もいる。※米国は金融危機を起こしたし、公然とロビー活動が云われる。
・19世紀後半、労働者は抗議活動を行い反トラスト法/労働組合の促進/8時間労働などを獲得した。しかし今日は経済的不平等に対する抗議活動は見られない。「ウォール街占拠運動」は参加者間の合意もなく、既存の政治組織との連携もなく、尻すぼみに終わった。
・自由民主主義に異を唱える政治家は異端とされ、いなくなった。英国労働党コービン/米国民主党サンダースなど数少ない。
・トランプは怒りと恐怖を抱いた中間層の共感を得て勝利した。トランプの原点は反グローバリゼーションで、米国を弱体化させた政策の巻き戻しである。
・政治学者デーヴィッド・ランシマンは、自由民主主義の利点は柔軟性/反応性にあると説く。自由民主主義は自己修正能力があるため生き続ける。※「集合知」と云う言葉もある。
・心理学者ポール・ピフは「豊かな者ほど自己の利益を追い求め、階層が上昇するほど”No1志向”が強まる」とした。
・公正の価値は全ての霊長類が保持している。公正は自由民主主義の根幹でもある。
・私達は経済的不平等に向き合う覚悟が必要である。経済学者は累進課税の強化/資産売却の課税強化/銀行取引の透明性などを要求してきた。しかし今の政治家にそれ以上の発想は期待できない。そのため私達自身が真剣にこの問題に取り組む必要がある。※文章が難しい。こんな解釈で良いのか。