『世界史の図式』岩崎育夫を読書。
世界史の優位勢力は①中東のイスラム勢力②欧州の海洋国家③現代の米国として解説しています。
世界史を網羅的かつシンプルに解説しています。世界史の大略を理解するのに良い本と思います。
米国は思想的に欧州海洋国家の延長かもしれません。
お勧め度:☆☆
キーワード:<世界史をみる視点>7つの地域、3つの優位勢力、交流、<鼎立時代>文明/宗教、フェニキア文字、ヒンドゥー教、秦/漢、ローマ帝国/フランク王国、<中東の時代>イスラム教、正統カリフ時代/ウマイヤ朝/アッバース朝、後ウマイヤ朝/ナスル朝、オスマン帝国、ムガル帝国、交易、十字軍/モンゴル/スペイン、スンニー派/シーア派、<欧州の時代>大航海/絶対主義国家、植民地、東インド会社、軍事力、近代国家/資本主義/人種差別/民族構成、独立、<米国の時代>移民、冷戦、パナマ運河/キューバ危機、トルーマン宣言(封じ込め政策)、ベトナム戦争、イラク戦争、<優位勢力>文明/文化、自然状態/人為状態
<世界史をみる視点>
○7つの地域世界
・本書では世界を7つの地域、アジア/中東/欧州/アフリカ/北米/ラテン・アメリカ/オセアニアに分けます。
・各地域は以下の特徴があります。
①アジア-中国/東南アジア/インドからなり、世界の面積の15%、人口の54%を占める。中央アジアは中東に、シベリアはロシア(欧州)に含めます。
②中東-中央アジア/イラン/トルコ/メソポタミア/アラビア半島/北アフリカからなり、面積は12%、人口は8%を占め、イスラム圏である。※イスラーム、ムスリムが使われるがイスラムで統一。
③欧州-面積は17%(シベリアを除くと4%)、人口は10%を占める。気候が変化に富む。
④アフリカ-サハラ砂漠以南で、面積は18%、人口は13%を占める。砂漠/ジャングル/サバンナからなる。
⑤北米-面積は14%、人口は5%を占める。グレート・プレーンズは穀倉地帯。
⑥ラテン・アメリカ-面積は17%、人口は9%を占める。由来はラテン系(スペイン、ポルトガル、フランス)が支配したため。
⑦オセアニア-面積は6%、人口は1%を占める。
・西歴元年における1人当たり国民所得(GDP)は444ドルで世界は平準化していた。※元年?千年?
○時代区分と優位勢力
・当初は世界の各地域が自立していましたが、ある時代になると特定の地域が優位になり、他の地域を支配するようになります。この第2段階(支配=被支配関係)になると、人種差別/民族差別などの不平等が発生します。
・本書では「優位勢力」を①7世紀以降の中東②近代欧州③第2次世界大戦後の米国とします。
・3つの「優位勢力」を軸に考えると、時代区分は4つ①鼎立時代②中東勢力の時代③欧州勢力の時代④米国の時代に分けられます。
・「②中東勢力の時代」の終わりは、1492年(スペインがイスラム勢力を放逐)と考えます。「③欧州勢力の時代」の始まりは、1571年(ベネチアがオスマン帝国を破ったレパント海戦)、終わりは1918年(第1次世界大戦の終結)と考えます。「③第2次世界大戦後の米国」の始まりは、1945年(第2次世界大戦の終結)と考えます。
○優位勢力とパワー
・覇権とはハードパワー(軍事、政治、経済)/ソフトパワー(文化、思想)で圧倒的な力を持つ事で、パクス・イスラミカ/パクス・ブリタニカ/パクス・アメリカーナなどの言葉がある。
・「交流」には4タイプある。
①軍事交流-侵略、略奪、破壊、征服など。
②経済交流-交易、物々交換など。
③社会交流-移民、結婚など。強制的なものもある。
④文化交流-宗教、文化、思想、美術、習慣など。
・世界は経済的に不均質のため、軍事交流が繰り返し行われた。
・中東勢力は陸路を交流手段とし、欧州勢力は海路を交流手段とし、米国は交流手段に空路を加えた。
<鼎立時代>
○文明の発祥地
・文明は中東(エジプト、メソポタミア)、アジア(インド、中国)で発祥するが、何れも大河が流れる。これは都市の誕生に、余剰農業生産が必要な証拠である。
・宗教も中東(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)、アジア(バラモン教、ヒンドゥー教、仏教)で誕生する。
○鼎立状態
・最初の農耕文明はメソポタミア(中東)で興った。前2900年頃のシュメール人の都市国家がそれである。文字は前3400年頃フェニキア人が交易のため、フェニキア文字を発明した。※以前本で読んだが、シュメールには法律や図書館があった。
・前500年頃アケメネス朝ペルシアが中東全域を支配する。中東はエジプト(古王国)→ペルシア(アケメネス朝)→バルカン半島(アレクサンドロス帝国)→エジプト(プトレマイオス朝)→トルコ(ビザンツ帝国)と支配勢力が移動している。
・前317年マウリア朝がインドを統一する。しかしインドは13世紀にイスラム勢力が征服するまで、ヒンドゥー教国家が分立する。
・中国最初の統一国家は秦(前221年~)である。続く漢(前202年~)は漢字/儒教/科挙制を生んだ。
・欧州ではクレタ/ギリシャ/ローマで文明が興る。南欧で文明が興ったのはメソポタミアの影響である。
・395年ローマ帝国は東西に分裂する。476年西ローマ帝国はゲルマン人により滅亡する。一方の東ローマ帝国は1000年ほど生き残る。ローマ帝国の意義は①南欧だけでなく西欧も支配した②キリスト教を広めたにある。
・東欧のゲルマン人(アングロサクソン人、フランク人、ランゴバルド人、西ゴート人)は西欧に移動し、それぞれ建国した。特にフランク王国は歴史的影響力が高い。
○地域間交流
・鼎立時代は有力勢力は存在したが、世界を支配する「優位勢力」は生まれなかった。その理由は①山脈/砂漠などが障害になった②有力勢力に外敵がいた(遊牧民、ゲルマン人)③中国/インドの宗教(中華思想、ヒンドゥー教)に支配概念がなかった④中国とインドは思想が異なり、それぞれが「一つの世界」であった。
・鼎立時代はオアシスの道(シルクロード)/草原の道/海の道で交易され、ヘレニズム文化やガンダーラ美術が生まれた。
<中東勢力の時代>
○イスラム国家の誕生
・610年ムハンマドがメッカでアッラーの啓示を聞いたのが、イスラム教の始まりである。彼は宗教指導者かつ政治指導者であった。その後100年の間にイベリア半島からインドに及ぶ大帝国になる。※イスラム教は、影響力がある宗教だな。
○ユーラシア大陸への拡大
・ムハンマドの死後、正統カリフ時代(632~61年)になる。カリフはムハンマドの後継者を意味する。636年ビザンツ帝国、642年ササン朝ペルシアに勝利し、勢力を狭義の中東全域に広げる。
・661年ムハンマド一族のムアーウィヤは第4代カリフ・アリーを倒し、ダマスカスにウマイヤ朝(661~750年)を興す。750年ムハンマドの叔父の子孫アブル・アッバースをカリフとするアッバース朝(750~1258年)が興る。その後オスマン帝国(1299~1922年)が興る。オスマン帝国は中東最後の統一イスラム国家となる。
・中央アジアではサマルカンドにティムール朝(1370~1507年)が興る。
・北アフリカは8世紀初めウマイヤ朝の勢力になる。1056年土着のベルベル人がムラービト朝(1056~1147年)を興す。ムラービト朝はガーナ王国/ソンガイ王国なども征服している。※サハラ砂漠を超えている。
・711年ベルベル人の軍隊がイベリア半島に侵攻する。732年パリ近郊トゥール・ポワティエでフランク王国と戦うが敗れる。756年滅ぼされたウマイヤ朝の一族が、コルドバに後ウマイヤ朝(756~1031年)を興す。1230年ナスル朝(1230~1492年)が興る。グラナダにアルハンブラ宮殿が残る。
・1453年オスマン帝国はビザンツ帝国のコンスタンティノープルを陥落させ、さらにギリシャ/ボスニア/ハンガリーなどを征服する。1529年/1683年にはハプスブルク帝国のウィーンを攻撃している。
・トルコ系イスラム教徒アイバクが北インドに侵攻し、1206年デリーに奴隷王朝(インドで最初のイスラム国家)を興す。1526年バーブルがムガル帝国(1526~1858年)を興す。
・東南アジアではイスラム商人により国王がイスラム教に改宗した。
○中間の文明
・イスラムの征服速度は比肩するものがなく、世界初の「優位勢力」になる。その要因に①地理的要因②宗教的要因③経済的要因がある。
①地理的要因-中東はアジアと欧州の中間に位置し、古代から交易路が存在した。この交易路を軍事路として利用した。
②宗教的要因-イスラム兵士にはイスラム教を広める強い使命感があり、物質的報酬ではなく精神的情熱があった。また征服したキリスト教徒の子供を兵士にした。※ISと共通点が多いな。
③経済的要因-アラビア半島は貧しい地域であったが、他のメソポタミア/エジプトなどは豊かな地域であった。
・イスラム教は政教一体で、イスラム教が基礎で、政府は守護者である。
・イランでのイスラム教徒の比率は、750年8%に過ぎなかったが、9世紀初め40%、10世紀には70~80%に増えている。改宗を強制しなかったが、着実に増加した。
・14世紀イブン・バトゥータは世界を旅行するが、それが可能だったのは、世界各地にイスラム教徒がいたためである。
・イスラムは世界各地の土着文化と融合した。イスラム文化は都市文化で首都バグダードを始め、グラナダ(アルハンブラ宮殿)、アグラ(タジ・マハール)などがある。
・中東勢力は西欧を「北方の寒冷地」「フランク人は勇敢で動物的である」などと貶(けな)している。
・ユーラシア大陸/アフリカ大陸の世界交易ネットワークが形成され、その中心がイスラム商人であった。
・751年アッバースはタラスで唐に大勝するが、この時製紙法が中東に伝わった。
○中東勢力への反撃
・中東勢力への反撃は3度あった。①十字軍②モンゴル③スペインである。
①十字軍(1096~1270年)はイタリア/仏国/ドイツ/英国などが行った。第1回十字軍はエルサレム王国(1099~1291年)を建国するが、中東勢力の優位は揺るがなかった。
②モンゴルは1258年アッバース朝を滅亡させ、イル・ハン国(1258~1353年)を建国する。しかし首都ダブリーズはイラン・イスラム文化の中心になるなど、中東勢力への影響はなかった。
③スペインは1085年トレドを奪回し、1492年ナスル朝を滅ぼす。これは中東勢力から欧州勢力への交替の始まりとなる。※トレド奪回は本で読んだ。
・中東全域を統一した国はウマイヤ朝/アッバース朝/オスマン帝国しかないが、ウマイヤ朝は短期であり、アッバース朝/オスマン帝国は弱体であった。またムハンマドの後継者は誰かで、スンニー派(合意で決まる)とシーア派(アリーの末裔)の対立は続いている。
・中東勢力の衰退要因のもう一つは、科学技術を軽視し、欧州勢力に軍事面で逆転された。
<欧州勢力の時代>
○西欧の勃興
・14世紀末よりスペイン/ポルトガルの「大航海」が始まる。「大航海」が始まった要因に、①『東方見聞録』『地理書』などで東方への関心が高まった②航海技術の進歩③宗教的情熱④クローブ/ナツメグなどの香辛料への需要がある
・1488年ポルトガル王室の支援でディアスが喜望峰に達する。1492年スペイン王室の支援でコロンブスが西インド諸島に達する。1522年スペイン王室の支援でマゼラン一行が世界一周する。
・「大航海」は絶対主義国家により行われた。最初はスペイン/ポルトガル、次にオランダ/英国/仏国/ロシア、最後がイタリア/ドイツである。これは中央集権化の順番でもある。
○植民地
・スペインはエスパニョーラ島を拠点に、1521年コルテスがアステカ王国を滅亡させ、1532年ピサロがインカ帝国を滅亡させる。これらの征服は国家事業ではなかった。戦利品の1/5を国王に収め、残りを参加者で分配した。
・その後、国家事業として銀山開発やサトウキビ/綿花/インディゴなどの大規模農園が行われた。
・1607年北米に英国人が入植する。1733年13州が形成され、北部は商工業者/自営農民、南部は大規模農園主が多かった。仏国はカナダ/ミシシッピ川周辺、スペインはテキサス/カリフォルニアを植民地にした。
・1754年英国と仏国/インディアンの戦い(7年戦争)が起き、仏国は敗れ、北米から撤退する。
・アジアではポルトガルが1510年ゴア、1511年マラッカを占領する。しかしポルトガルの支配は「点の支配」だった。
・1600年民間会社「英国東インド会社」が植民地活動を始める。仏国/オランダも同様に始める。
・1757年英国と仏国/ベンガル地方の戦い(プラッシーの戦い)が起き、英国が勝利する。英国はインド支配を強める。
・1857年「インド大反乱」で英国はムガル帝国を滅ぼす。1877年インド帝国を建国し、英国王が皇帝を兼ねる。
・東南アジアは欧州勢力の草刈り場となる。フィリピン(スペイン)、東ティモール/マカオ(ポルトガル)、インドネシア(オランダ)、ミャンマー/マレーシア/ブルネイ/香港(英国)、インドシナ3国(仏国)が植民地になる。
・アフリカの植民地化は1880年代と遅れる。その原因は熱帯病などである。1884年欧州12ヵ国/米国/オスマン帝国で「ベルリン会議」が開かれ、アフリカが分割される。
・世界で最後に植民地化されたのが中東である。オスマン帝国の弱体化に伴い、英国/仏国/ロシアが植民地化した。ロシアはロシア・トルコ戦争(1877~78年)などによりコーカサス/バルカン半島の一部/トルクメニスタン/ウズベキスタンなどを占領する。1882年英国はエジプトを占領し、スエズ運河を獲得する。
・オスマン帝国は第1次世界大戦で敗れ、滅亡する。英国はイスラエル/ヨルダン/イラク、仏国はレバノン/シリアを委任統治領とする。
○力関係はなぜ逆転したか
・ラテン・アメリカ/北米の独立後にアフリカ/中東は植民地化されるが、世界の84%が欧州勢力の植民地になる。
・欧州は16世紀「大航海時代」、17世紀科学革命、18世紀産業革命/啓蒙思想、19世紀帝国主義と発展するが、欧州勢力が「優位勢力」となれたのは、軍事力と航海技術である。
・中国/中東は巨大な国家により比較的安定していたが、欧州では30年戦争(1618~48年)など覇権/領土を巡る戦いが頻発した。
・ラテン・アメリカは騎馬もなく、火器も持たなかった。中国では文官は武器を携帯する事を蔑んだ。中東のウラマー(宗教指導者)は「ムハンマドはタイプライターなど使わなかった」と近代化を批判した。
・紀元1000年では中東と西欧で一人当たり国民所得(GDP)に差は余りなかったが、1820年ではアジア/中東573ドルに対し、西欧は1130ドルと差が開いた。
○植民地と宗主国の構造
・ローマ帝国/中国の国家/中東勢力はランド・パワーであったが、欧州勢力はシー・パワーであった。特に英国は海軍力によって交易を保護した。
・植民地化の目的は①キリスト教の布教②経済利益③移民④文明化の使命である。②経済利益は当初は「点の支配」(交易港の支配)であったが、産業革命が起ると1次産品の供給地や工業製品の販売市場の支配から「面の支配」に拡大する。
・宗主国は交易の関税で莫大な利益を得ると共に、植民地の人々を兵士として利用した。第1次世界大戦で英国は860万人の兵士を動員したが、1/3はインド兵であった。
○世界への影響
・欧州勢力が世界に広めたものは、①近代国家の類型②資本主義③人種差別④民族構成の変容である。
①近代国家の類型-欧州勢力は「近代国家の類型」(植民地国家)を広めた。「近代国家の類型」の特徴は官僚制/国民軍/国境などである。※植民地国家?
②資本主義-植民地ではゴム/すず(マレーシア)、紅茶(スリランカ)、コーヒー(ブラジル)、たばこ/砂糖(キューバ)、ココア(ガーナ)などの1次産品が作られ、資本主義が導入された。英国の首都ロンドンは金融センターになり、ポンドは基軸通貨になり、海運業でも優位になり、世界経済は英国を軸に動いた。
③人種差別-古来より民族差別/文化差別はあったが、新たに人種差別が登場した。欧州勢力はアフリカ人を新大陸に移送し、「奴隷貿易」を行った。新大陸から欧州には1次産品を移送し、欧州からアフリカには火器/製造品/酒などを移送した(三角貿易)。
④民族構成の変容-欧州各国から北米/ラテン・アメリカ/オセアニアに移民した。これにより欧州の人口過剰問題/貧困問題が解決された。一方土着のインディオ/インディアン/アボリジニーは疫病などで激減した。
○欧州への反撃
・植民地化が2段階だったように、独立も2段階となった。新大陸は18世紀後半から19世紀初頭に、アジア/アフリカは第2次世界大戦後に独立した。独立は「民族ナショナリズム」が支えた。
・米国は1776年独立宣言し、1783年パリ講和条約で英国は独立を容認する。
・19世紀初頭ナポレオンがスペインを占領する。この影響でラテン・アメリカのスペイン領(ハイチ、ドミニカ、ベネズエラ、アルゼンチン、チリ、コロンビア、ペルー、メキシコなど)が独立する。しかし新大陸の独立は、支配者が欧州人から移住した欧州人に変わっただけであった。
・アジアの独立は、第1次世界大戦後に米国ウィルソン大統領の「民族自決」が起因になる。中東の国は第1次世界大戦後に独立する。1960年アフリカは14ヵ国が独立し、「アフリカの年」と云われる。
・欧州勢力は2度の世界大戦で衰退に向かった。第1次世界大戦で英国/仏国は米国から多額の借金をし、ロシアは革命により共産主義国になり、ドイツは賠償金により経済が破綻した。欧州勢力も中東勢力と同じく内部対立による自滅と云える。
<米国の時代>
○孤立主義からの転換
・1776年米国は独立し、1853年太平洋まで領土を広げる。米国は植民地に依存せず発展した。米国には鉄/石油/石炭/天然ガスが存在し、また世界有数の農業国であった。人口は1800年525万人が、1870年4千万人に増大する。また世界大戦中は、欧州の頭脳が移民してきた。
・米国は当初は「孤立主義」であった。1823年モンロー大統領は欧州勢力によるラテン・アメリカへの干渉に反対する。
・米国は第1次世界大戦により債務国から債権国に変わる。1947年第2次世界大戦後、トルーマン大統領は「封じ込め政策」を発表し、共産主義のソ連と「冷戦」になる。米国とソ連は、あらゆる分野で対立する。「冷戦」終結後はテロリストとの戦いになる。
○世界への介入
・1903年米国はパナマのコロンビアからの独立に加担し、1914年独立後「パナマ運河」を建設し、米国領とする。
・1898年キューバのスペインからの独立でキューバに加担する。1959年キューバの軍制が崩壊し、社会主義のカストロ政権が誕生する。1961年米国はキューバと断交し、翌年には「キューバ危機」が起こる。
・1947年3月トルーマン大統領は「トルーマン宣言」(封じ込め政策)を発表する。6月欧州を経済支援する「マーシャル・プラン」が発表される。1949年NATOを創設する。
・第2次世界大戦後ベトナムで南北の内戦が始まる。1965年米国は北爆を開始し、軍事支援を始める。米国は大規模な軍備を投入するが、1973年和平協定を結び撤退する。米国は目的を達成できず、軍事介入は大失敗になる。
・1979年イランが反米政権に変わると、米国は隣国イラクに軍事支援を始める。1990年軍事大国となったイラクはクウェートに侵攻する。米国は多国籍軍でイラクを降伏させる(湾岸戦争)。2003年米国は「9・11同時多発テロ」からイラクを再度攻撃する(イラク戦争)。
・1991年ソマリアでは独裁政権が崩壊し内戦になる。翌年米国は多国籍軍として軍事介入するが、内戦は終結せず、撤退する。
・何れの軍事介入も失敗するが、それは「民族ナショナリズム」を軽視したためである。
○米国の影響
・米国が「優位勢力」となった要因は①地理的要因②経済的要因である。
①地理的要因-米国は大西洋/太平洋に挟まれ、巨大な海軍力/空軍力を持った。
②経済的要因-1950年米国の国民総生産は世界の44%を占めた。
・また米国は教育文化面でも世界をリードした。英語は実質的な世界共通語である。第2次世界大戦前後に世界の頭脳が米国に集まった。
・米国は軍隊20万人を海外(ドイツ、日本、韓国など)に常駐させ、これも特徴である。
・米国の軍事介入は多国籍軍で、経済介入は世界銀行/国際通貨基金(IMF)を通じて行われる。
・米国には2つの建国理念(①自由と民主主義②拡張天命(マニフェスト・デスティニー論))があり、この理念で軍事介入を正当化した。一方国内ではインディアン/黒人の人権を認めなかった。
・米国が果たした意義に民主主義/資本主義がある。欧州勢力がこれを広め、米国がこれを定着させた。
○米国への反撃
・米国に挑戦した勢力の1つ目はソ連である。ソ連は1949年核保有国となり、1957年世界最初の人工衛星を打ち上げ、1961年世界最初の有人宇宙飛行に成功する。両国は広大な国土、豊富な資源など共通点が多い。
・2つ目は自主路線を掲げたド・ゴール大統領である。核を独自で開発/英国のEEC(欧州経済共同体)加盟に反対/1964年中国と国交樹立/1966年NATOの活動停止など米国に批判的だった。
・3つ目はイスラム過激派である。「9・11同時多発テロ」などを起こし、米国に反発している。
・冷戦終焉後、米国の優位は揺らいでいる。世界は多極化し、北米/欧州/アジアの経済は拮抗している。また各国の宗教/民族文化は尊重され、米国社会/文化の優位性は薄らいでいる。
<優位勢力>
○優位勢力の功罪
・優位勢力の支配=被支配の目的は、経済(資源の確保/領土の獲得/市場の確保など)が主目的であるが、宗教/理念を広めるのも目的であった。優位勢力の交替は、軍事力の優越で決まった。
・優位勢力が政治制度/政治思想/法制度/経済制度/教育制度などの制度を広めたのは、功罪の「功」である。また文明装置(自動車、インターネット、医薬品など)を広めたのも「功」である。
・「罪」としては敵対勢力の排除がある。アステカ文明/インカ文明は消滅し、新大陸/オセアニアの土着人は激減した。
・飛行機/自動車/インターネット/制度(民主主義、資本主義)は「文明」で、宗教/言語/慣習/精神は「文化」と云える。欧州勢力/米国が行ったグローバル化の「功」は「文明」を世界に拡げた事で、「罪」は「文化」を無視し、ある地域では消滅させた。また人種差別/民族差別や経済格差を生んだ。
○7つの地域世界
・中東/欧州/米国以外の4つの地域は優位勢力になれなかった。それは何れの地域(アジアを除く)も自然が過酷で、大規模農業が発達しなかった事による。※農業だと定住→都市化の流れが起こる。
○展望
・近年、政治/経済/社会/文化/国際関係などで連携する地域統合がなされ、EU/NAFTA/アラブ連盟(AL)/アフリカ連合(AU)/ASEANなどが結成されている。
・世界の経済水準は平準化されるが、宗教/言語が統一される事はないだろう。
・今後優位勢力はどうなるのか。米国が維持するのか、EU/中国/ロシア/イスラム国などが台頭するのか。著者は新たな優位勢力は登場しないと考える。その理由は①支配=被支配関係を世界が認めない②第3世界諸国/発展途上国が登場した③世界は相互依存関係にある④国家ではない国際的機関/団体が存在する。
・また一国が優位勢力となれない理由は、①有力国同士が政治的に牽制し合っている②軍事力に必要な突出した経済国が存在しない③政治体制は民主主義で統一されている。
・あえて云えば世界はアジア/欧州/北米の「鼎立時代」になると考えられる。またこれまでの世界は自然に作られた「自然状態」と云えるが、今後は平等を人為的に作る「人為状態」になる。