『社会思想史を学ぶ』山脇直司(2009年)を読書。
近代啓蒙思想を批判する立場で、社会思想を解説しています。
進歩/宗教/悪/ナショナリズム/多様性/ポスト近代などがテーマになっています。
多くの思想家とその思想を紹介しているので、近代社会思想の総論と云えると思います。
各時代でその状況に応じた社会思想が生まれたと感じます。
苦手な分野で、事前知識が乏しいので苦労しました。また抽象的な言葉が頻出するので難解です。
しかし一般の方にも分かり易い様に工夫されていると思います。
お勧め度:☆(一般的な書物ではないと思う)
キーワード:<現代思想と啓蒙思想>○1980年代-リオタール/大きな物語、ハーバーマス、フーコー、新自由主義、コミュニタリアニズム/リベラルvsコミュニタリアン論争、知の一国主義/知の遊戯化、○1990年代-フクヤマ/歴史の終焉、ハンティントン/文明の衝突、ネオコン(新保守主義)、ネグリ/ハート/マルチチュード/共、ハタミ/文明間対話/ユネスコ、○近代啓蒙思想-ベーコン/自然観、進歩史観、ヘーゲル、マルクス/プロレタリアート革命、<何を軽んじたか>○進化論-ダーウィン/闘争本能・社会的本能/最適者、明治憲法/自由民権運動、社会生物学/ドーキンス/グールド、○宗教-スピノザ/ライプニッツ、ヴォルテール、ドイツ観念論/ヘーゲル/三位一体論、マルクス/資本論、レーニン/コミンテルン、ヨーナス/責任、○根源悪-カント/世界市民体制論、シェリング、サド、フロイト、アーレント、<近代啓蒙思想の鍛錬>○コスモポリタニズムとナショナリズム-カント/世界市民体制、フィヒテ、南原繁/精神革命、丸山眞男、○市民社会論と福祉国家論-スミス/国富論、ヘーゲル/市民社会/立憲国家、ビスマルク/社会福祉政策、ベヴァリッジ報告、ブレア政権/ポジティブな福祉観、NPO法、格差社会、○公共価値-国連、バージニア権利章典、ワイマール憲法、国際人権規約、人間の安全保障、NGO、グローバル市民社会、<分断された社会>○進歩史観からの脱却-ヴェーバー/価値自由/相対主義、ディルタイ/生の客観態/解釈学/世界観の類型学、○解釈学的理解-ガダマー、リクール、和辻哲郎、三木清、井筒俊彦、○比較社会思想-多元的なポスト近代社会、グローカル
<はじめに>
・1989年「ベルリンの壁」が崩壊し、今も揺れ動いています。今は過去からどの様な流れにあり、将来どこに向かうのか。本書はそのための資料を提供します。
・「社会思想」とは政治/経済/文化/宗教/歴史/自然など様々な局面からなる社会と人間との関わりを考える学問です。
・かつては18世紀後半に生まれた「近代啓蒙思想」が偏重されました。1980年代に「ポストモダニズム」が流行りましたが局所的でした。1990年代冷戦終結/グローバル化により、新しい社会思想が必要となっています。
・近代はベーコン的『自然観』(人間が理性と技術で自然を支配し、福祉国家をつくる)や『進歩史観』(歴史は人間解放のプロセス)が優勢を占めます(第1章のテーマ)。※ベーコン、『進歩史観』は頻出する。
・しかし20世紀の世界戦争/大虐殺により「人間の理性」は疑われ、植民地解放により欧州中心主義も見直されています。これらは「人間の根源悪」を再考する要因になっています(第2章のテーマ)。
・啓蒙思想の「正の遺産」(自由、平等、友愛など)は評価されるべきですが、今は欧州に特化した特権ではありません。今は「文化の多様性」を認める時代です。そんな状況下で立憲国家/市民社会/国連などを考えます(第3章のテーマ)。
・欧州以外での社会思想を評価するためには「比較社会思想」の発展が望まれます。そのための「解析学」を紹介します。解析学とは自分とは異なる時代の文化/思想を理解し、現代に活かす学問です(第4章のテーマ)。
<現代思想の批判と近代啓蒙思想の見直し>
○1980年代の社会思想
・フランソワ・リオタール(仏国)は『ポストモダン論』を唱えました。彼は「近代は、『大きな物語』(主体の解放、精神の弁証法、資本蓄積の理論、労働者の解放)が支配した時代であり、現代はそれに対し不信感がみなぎっている時代」としました。
・ユンゲル・ハーバーマス(独国、※頻出)は「一般市民の『コミュニケーション的行為』により、近代啓蒙思想を軌道修正できる」としました。しかし彼は欧州中心主義者と云えます。
・ミシェル・フーコー(仏国)はヘーゲル/マルクスの『進歩史観』が無視した「狂気」「偶然性」「規律権力」などを論じます。彼は「17世紀『理性』と『狂気』が峻別され、『禁治産者』と云う法律概念を生み、『狂気』は治療対象にされた」とします。彼は「『規律権力』に対処するには『自己の統治』『自己への配慮』が必要」としました。彼は近代啓蒙思想のネガティブな側面に目を向け、政治学/医療社会学/教育学に影響を与えます。
・1980年代サッチャー政権/レーガン政権は「新自由主義」政策を実施します。英国は福祉国家から、減税/社会保障費の減額/公営企業の民営化/労働組合の弱体化などを実施します。彼女はフリードリッヒ・ハイエク(オーストリア)の経済思想を拠り所とします。
・1980年代は新自由主義に反対する「コミュニタリアニズム」も台頭します。コミュニタリアニズムは権利/義務をベースにするのではなく、人々が所属する「コミュニティ」をベースとします。マイケル・ウォルツァー(米国)は「社会的善=財を分配する正義論」、アラスデア・マッキンタイア(米国)は「市民的徳をベースにした社会理論」、マイケル・サンデル(米国)は「人々が責任を持って参加する共和国(コミュニティ)」を掲示します。※サンデルの『白熱教室』は面白かった様な。
・これにより「リベラルvsコミュニタリアン論争」が起きます。リベラル派のウィル・キムリッカ(加国)は「多文化的市民権思想」を掲示し、マイノリティの集団権と個人の自律性を保持する国家論を唱えます。コミュニタリアンのチャールズ・テイラー(加国)は多様な文化を承認する国家を擁護します。しかし2001年「同時多発テロ事件」により、この論争は終焉します。
※「コミュニタリアニズム」に関しては詳しく解説していない。新しく、かつ膨大な思想なのでそうなのか。
・一方日本では韓国/中国で行った行為を吟味せず、自己の文化を自画自賛する本が多数出版されました(知の一国主義)。また一部の人が「差異」を持ち上げましたが、「マイノリティや異質な文化との対話/理解」「教育での個性の尊重」などは見られず、消費の「差異」を論じたに過ぎなかった(知の遊戯化)。
○世界史の転換-1990年代
・1989年「ベルリンの壁」が崩壊し、1991年ソ連も解体します。多くの人は「平和な時代」が訪れると楽観しますが、ユーゴスラビア解体後の民族紛争/クウェート侵攻/パレスチナ問題/同時多発テロ事件/アフガン空爆/イラク戦争など戦争は止みませんでした。経済ではグローバル化/自由化により「経済格差」が深刻になっています。これらは「大きな物語の終焉」を裏切る展開です。
・フランシス・フクヤマ(米国)は『歴史の終焉』論を掲示します。これは「ベルリンの壁の崩壊」は民主主義/資本主義の勝利で、今後は大きな変化は起こらないとする理論で、『進歩史観』と云えます。前述の様に、その後の展開は全く異なる展開になります。
・サミュエル・ハンティントン(米国)は『文明の衝突』論を掲示します。これはキリスト教の西欧文明/イスラム文明/中国文明の対立を意識した理論です。しかし各国に存在する宗教的マイノリティへの尊重もなく、文明間の相互学習も蔑ろにされています。
・米国中心主義の思想に「ネオコン(新保守主義)」もあります。これは1997年に設立されたシンクタンク「米国新世紀プロジェクト(PNAC)」が発端で、アーヴィング・クリストル(米国)などが中心人物です。民主主義を広める事を米国の使命とし、イラク戦争を正当化しましたが、その非が確認され破綻します。
・一方で「ネオ・マルクス主義」も存在します。アントニオ・ネグリ(伊国)/マイケル・ハート(米国)は2000年『帝国』、2003年『マルチチュード』を著します。彼らは米国を「君主政体」、米国に追随する国家/国際機関/世界銀行/IMFなどを「貴族政体」とし、これらのネットワークを「帝国」とします。その「帝国」に対抗する存在を、多様性を持つ政治集団「マルチチュード」としました。ここで重要な価値は、国家の「公」でも個人の「私」でもなく「共」としています。この運動は「第5インターナショナル」とも云えます。
・元イラン大統領ハタミは「文明間対話」を提案します。彼は特定の文明を優越とせず、相互対話による成長を重視します。彼の考えはユネスコに影響を与え、ユネスコは2001年「多様性に関する世界宣言」を出し、2004年プロジェクト「地域間哲学対話」を立ち上げています。
○近代啓蒙思想の自然観/歴史観
・近代啓蒙思想の核心は17世紀初めのフランシス・ベーコン(英国)にあります。彼の自然観は「技術によって自然に介入し、人間の福祉を増進させる」で、これが西欧近代の自然観になります。
・このベーコンの自然観を引継いだのが仏国の啓蒙思想家で、ディドロ(仏国)/ダランベール(仏国)は1751年『百科全書』、コンドルセ(仏国)は『人間精神進歩の歴史』を著します。彼らは「技術/自然科学によって迷妄状態は文明状態に導かれた」とする『進歩史観』を論じます。
・一方独国ではヘーゲル(独国)は「人々が感じている自由や、保障されている自由で進歩の度合いが分かる」(自由の観念論)とします。
・マルクス(独国)は「歴史は奴隷制→封建制→絶対王朝制→資本制と進展したが、『プロレタリアート革命』で結合社会(アソシエーション)に至る」(唯物史論)を唱えます。
<社会思想史は何を軽んじたか-自然/宗教/悪>
○進化論の社会観
・ダーウィン(英国)は1871年『人間の由来と性淘汰』を著し、人間社会を論じます。彼は動物から進化した人間は「闘争本能」「社会的本能」何れも保有すると論じます。
・ダーウィンの死後、ハーバート・スペンサー(英国)は、「人間の倫理は利己的から利他的に進化する」(社会進化論)から「最適者生存」を唱えます。
・ダーウィンの友人のトマス・ハックスリー(英国)は、「自然進化は幼稚で、自然進化を克服する事で社会進化する」と論じます。
・ピョートル・クロポトキン(露国)は、「『最適者』は生存競争に勝ったものではなく、『相互扶助』を身に付けたものである」と論じます。さらに彼はダーウィンの「社会的本能」を発展させ、「連帯や正義の本能」とします。
・日本ではスペンサーの「最適者生存」が受け容れられ(田口卯吉など)、「自由放任政策」が流行しますが、プロシア憲法を模倣する「明治憲法」が発布されると、国家主義を正当化する進化論が喧伝されます(加藤弘之は「優勝劣敗」を唱える)。自由民権運動家(馬場辰猪、植木枝盛、大西祝)はこれを攻撃します。他に北一輝/大杉栄などが別の「社会進化思想」を論じます。この様に日本の「社会進化思想」は多様化します。
・一方中国(清末期)では厳復がハックスリーの「社会進化思想」を紹介しますが、「最適者生存」は「循環史観」の中国(康有為、梁啓超、魯迅など)に大きな影響を与えます。
・1970年代遺伝子の研究が進んだ事で「社会生物学」が進歩します。その代表にエドワード・ウィルソン(米国、※彼の理論は省略)、リチャード・ドーキンス(英国)がいます。
・ドーキンスは1976年『利己的な遺伝子』を著します。彼は「人間は利己的、かつ反利己的な文化因子『ミーム』を持つ」としました。21世紀に入ると反宗教の立場を鮮明にし、一神教(ユダヤ教、イスラム教、キリスト教)を批判し、リベラルな『修正版十戒』を発表します。彼の理論は「科学=善、宗教=悪」に立脚していると云えます。
・著者はドーキンスの理論では公共悪(軍備開発競争、大量殺戮、優生学、人体実験、環境破壊など)を批判できないとしています。
・スティーブン・グールド(米国)は自然科学と宗教の共存である『非重複的な教説の権限(NOMA)』を論じます。彼は自然科学は宇宙を解析するものであり、宗教は道徳の追求にあるとします。従って学校での進化論の授業に賛成し、反宗教的な科学主義を批判します。※真面っぽい。
○近代啓蒙思想と宗教
・17世紀後半スピノザ(蘭国)は『神学政治論』で「聖書が貫くメッセージは神への従順と隣人愛」とします。
・同じ頃ライプニッツ(独国)は「モナドロジー(単子論)」(代替不可能な個体が調和する事で、現世が成立している。※出た、分からない)を唱え、宗教対立を無意味とし、プロテスタントとカトリックの統一を訴えます。彼は中国思想にも強く興味を持ちます。
・ヴォルテール(仏国)は二元論「科学=善、宗教=悪」から、カトリック/ルター/カルヴァン/マホメットなど宗教を幅広く批判します。
・『百科全書』を著したディドロ(仏国、前出)は「公平で普遍的な法が必要」とし、自然主義/科学主義を超えた理性主義と云えます。
・一方の独国の啓蒙思想は「反宗教」ではなく「親宗教」が貫かれます(ドイツ観念論)。ヘーゲル(独国、前出)は「宗教も理性(弁証法)で哲学的に把握すべき」と論じ、『三位一体論』を重視しました。※難しい。哲学の基本的な言葉の理解が必要。
・マルクス(独国、前出)はヘーゲルの「立憲国家により制度的自由は実現した」は批判しますが、基本的には『進歩史観』で一致します。一方宗教に関してはヘーゲルと異なり、全面否定します。その後彼は英国に渡り、『資本論』の執筆に情熱を注ぎます。
・1919年コミンテルン(共産党の統一組織)を創設したレーニン(露国)はマルクス・レーニン主義を教条主義とします。彼の革命意識/歴史的必然性/正統と異端の峻別などを見ると、疑似的宗教に思えます。
・明治維新後の日本は「神道」を国民宗教としますが、それに抵触しない範囲で他の宗教を認めます。そんな状況下で「哲学的唯物論」(中江兆民)、「キリスト教社会主義」(安部磯雄、片山潜)、「マルクス主義」(幸徳秋水、山川均、福本和夫)、「新宗教」(中山みき、出口なお)などの流れが起きます。
・第1次世界大戦、文明を批判する理論が起きます。しかし本書は近代啓蒙思想がもたらした基本的人権などの「正の遺産」を評価し、ポスト近代の社会思想を構築する事を目的としています。
・ホルクハイマー(独国)/アドルノ(独国)は1947年『啓蒙の弁証法』を著し、ナチズムを生んだ原因を追究します。彼らは「近代啓蒙思想は神話的/情念的なものと計算的/計画的なものを分断し、神話的/情念的なものを放逐した」とします。
・ハンス・ヨーナス(独国)は1979年『責任という原理』を著します。彼は「自然支配に基づく進歩思想」を批判し、「将来世代に対する責任」を唱えます。
○根源悪と歴史思想
・理性を絶対視する啓蒙思想は公共悪(大量殺戮など)をどう考えているのか。本節はこれをテーマとします。
・カント(独国)は「人間は自然状態のままでは敵対するが、実践理性を備えており、各自が根源悪と戦う」と論じ、「戦争を反省し、平和を樹立する方向に向かう」(世界市民体制論)と論じます。
・シェリング(独国)は「人間は善と悪に等しく向き合う。よって動物以上にも以下にもなる」と論じます。また「人間は悪の利己性に刺激されると同時に、善によって神への回心を促され、その歴史が現在も続いている」と論じます。
・マルキ・ド・サド(仏国)は「『美徳』は人間の第2の衝動で、第1の衝動は『欲望』である」と論じます。また「善ができたのは、悪の力による」とし、極端な『法律廃止論』を唱えます。※サディズムの起源かな。
・1914年第1次世界大戦が始まります。フロイト(オーストリア)は2つの本能「エロス」(生の欲動)/「タナトス」(死の欲動、根源悪)で人間の歴史を論じます。
・ハンナ・アーレント(独国)は『全体主義の起源』を著します。彼女はそこに、普通の人間アイヒマンが戦時には何の呵責もなく大量虐殺を行う事を記し、「思考の欠如」「悪の月並みさ」などを記します。※恐ろしい事だが、これが現実かな。
・現存する「悪」を反理性的として片付けるだけでは不十分です。ただし自由/人権などの近代啓蒙思想の「正の遺産」は素直に評価すべきです。
<近代啓蒙思想の鍛錬-立憲国家/市民社会/超国家組織>
○コスモポリタニズムとナショナリズム/インターナショナリズム
・「ナショナリズム」は国家/国民の価値を強調する思想で、「コスモポリタニズム」は世界市民的な価値を信じる思想です。
・ライプニッツ/ヴォルテール/ディドロ/カントなどの思想は、何れもコスモポリタン的な思想でした。しかし「フランス革命」以降、ナショナリズムが歴史を動かします。第2次世界大戦後の国際連合やEUが軌道に乗り始め、コスモポリタン的な思想が復活し始めています。
・カント(独国、前出)は3つのレベル(国内法、国際法、世界市民法)による公共秩序の実現を論じています。彼は「歓待権」に限定し、世界市民法を認めています。また彼は「言語/宗教の『差異性』が強大帝国の誕生を妨げた」としています。また「『商業精神』に促され、『世界市民体制』は樹立される」としています。
・仏国ではフランス革命/恐怖政治/ナポレオン帝政と変遷します。ナポレオンに占領された独国ではフィヒテ(独国)は根源悪を認めず、ナポレオンに抗するため「正義/善/真実/自制力を育む教育が必要」と唱えます。これは「抵抗のナショナリズム」の発端と云えます。
・マルクス(独国、前出)は「『プロレタリアート革命』によって、万人が自由の結合社会(アソシエーション)が成立する」としました。そのため1864年「第1インターナショナル」の設立宣言をします(76年自壊)。1889年「第2インターナショナル」が設立されますが、第1次世界大戦で崩壊します。1919年レーニンはソビエトが主導する「第3インターナショナル」(コミンテルン)を創立します。1938年スターリンに追われたトロツキーは、メキシコで「第4インターナショナル」を設立します。ネグリ(英国、前出)の「マルチチュード」は「第5インターナショナル」とも云えます。※一杯あるな。
・第2次世界大戦後、東欧では「ソ連の植民地支配vsそれに対抗するナショナリズム」の図式が見られます。
・福沢諭吉は「一身独立、一国独立」を唱え、ナショナリストと云えます。しかし朝鮮を蔑むなど「文明国日本、遅れたアジア」を思考していました。
・南原繁はフィヒテを評価し、「日本が生まれ変わるには、学力向上だけでなく、『精神革命』が必要」としました。
・丸山眞男は「ナショナリズムは独立と抑圧/侵略の両面性を持つ」とし、「日本は超国家主義から後者に走った」としました。
・彼らはリベラルな立憲国家を理想としました。
○市民社会論と福祉国家論
・新しいコンセプトとして『市民社会』論と『福祉国家』論があります。「市民社会」は18世紀後半「シビル・ソサエティー」として登場しますが、その定義は今でも定まっていません。「福祉国家」は英国ではなく、19世紀に独国で生まれた思想です。
・アダム・ファーガソン(スコットランド)は1767年『市民社会史論』を著し、「商業の発達で市民社会が変容しつつある、腐敗を避けるには公共的精神が必要」としました。※先駆者かな。
・アダム・スミス(英国)は1759年『道徳感情論』、1776年『国富論』を著します。彼は「生活必需品が国富を表す」とし、「その生産者の利己的活動が他社の利己的活動と調和していれば、社会は発展する」と論じます。
・ヘーゲル(独国、前出)は「『市民社会』は家族と国家の中間に位置する」とし、「市民社会」を経済社会/司法/福祉行政/職業団体と規定します。彼は「『経済社会』は弱肉強食で格差社会を拡大させるため、司法/福祉行政/職業団体がそれを補う」とし、「市民社会」はポスト産業革命の社会領域とし、「『市民社会』は『立憲国家』により克服される」どします。この理論は『福祉国家論』の先駆になります。※この人は凄そう。
・1871年建国された「ドイツ帝国」では「社会政策学派」が創始され、国家主導による福祉政策を推進します。宰相ビスマルクは国家主導の社会福祉政策(医療保険、業務災害保険、年金保険など)を導入します。一方「社会主義鎮圧法」で革命運動を弾圧します。※何かあったな。アメと鞭。日本でも選挙権と治安維持法だったかな。
・日本では福田徳三が「生存権」を唱えます。また日本国憲法25条「生存権」の条文は、森戸辰男の進言によります。
・マルクス(独国、前出)は「『市民社会』はブルジョア社会」とし、あくまでも「『プロレタリアート革命』による結合社会(アソシエーション)」を唱えます。
・ネオマルクス主義者の内田義彦は「『市民社会』は階級の中で最も自由な社会」としますが、マルクスが唱える最終段階の前段階とします。同じくネオマルクス主義者の平田清明は「『市民社会』はマルクス主義の過程」とします(※難しいので詳細省略)。
・東欧では1956年「ハンガリー動乱」、1968年「プラハ改革運動」が起きますが鎮圧されます。1985年ゴルバチョフ大統領が就任すると「ペレストロイカ」「グラスノスチ」を行いますが、社会運動が活発になり、1889年「ベルリンの壁」が崩壊します。
・ハーバーマス(独国、前出)は、「市民社会」を教会/文化サークル/学術団体/メディア/スポーツ団体/レクリエーション団体/弁論クラブ/市民フォーラム/市民運動/同業組合/政党/労働組合などの非国家的/非経済的な結合社会(アソシエーション)とします。※各思想家の定義を説明しているが省略。
・1942年英国ではウィリアム・ベヴァリッジが報告書を提出し、「国民皆保険」などの福祉国家に邁進します。しかるに1979年サッチャー政権によりベヴァリッジ体制は崩壊します(前述)。1990年代後半労働党ブレア政権は「第3の道」を掲げ、「ポジティブな福祉政策」を実施します。
・日本では1998年「NPO法」が制定され、「非営利民間組織」が法人格として認められます。これにより「市民社会組織」が拡大します。
・その後小泉政権により20年遅れのサッチャリズムが実践され、これにより戦前から築かれた福祉国家が揺らぎ、「格差社会」が問題になっています。
○超国家的な公共価値
・1948年国連は「世界人権宣言」を採択します。今や国連は「安全保障理事会」「経済社会理事会」などの6つの機関で超国家的な活動を行っています。特に公共価値である「人権」を世界に浸透させました。
・1776年6月(独立宣言の1ヶ月前)「バージニア権利章典」が発布されます。これは「全ての権力は人民に由来し、行政は人民の受託者であり公僕である」としました。仏国の権利宣言は米国の独立宣言より、こちらの影響を受けたとされています。※これは知らなかった。
・1919年独国では「ワイマール憲法」が発布され、教育権/労働権/社会権/両性の平等などが規定されます。
・1966年国連で「国際人権規約」が採択されます。ここでは人権が「経済的-社会的-文化的」権利と「市民的-政治的」権利に大別されました。※説明がないので理解できない。
・「開発」「発展」や「平和」は公共的価値として認められています。しかし過去には、これらを達成するために「人権」が抑圧される事が多くありました。しかし今日では、これらは「人間の福祉のための手段」になっています。すなわち「貧困は選択肢を奪う。そのため経済開発による貧困の撲滅が必要」となっています。
・近年『人間の安全保』が人口に膾炙し始めています。これは「恐怖からの自由」「欠乏からの自由」から成りますが、具体的には人を感染症/経済危機/テロ/武器などから守る概念です。※これは知らなかった。
・「環境」に関しても、1992年「国連環境開発会議(地球サミット)」、1997年「京都会議」、2008年「洞爺湖サミット」など、環境問題が超国家的課題に成りつつあります。
・近年NGOが国連で不可欠のパートナーシップになっています。「アムネスティ・インターナショナル」「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」「オックスファム」「セーブ・ザ・チルドレン」「国境なき医師団」などが大きな影響力を持ています。
・ジョン・キーン(英国)メアリー・カルドー(英国)が『グローバル市民社会』について詳細に論じています(※省略)。『グローバル市民社会』に対しては以下の疑問が存在します。①選挙/承認/選択などがなく、正当性に欠ける②市場経済を含めるか否かの問題がある③欧州中心主義に偏っていないか。
・ユネスコは2001年「文化の多様性に関する世界宣言」を行い、2005年「文化多様性条約」を採択します。
・ウィル・キムリッカ(加国、前出)は「『フランス革命』以降、国民国家は文化の均質を理想とし、マイノリティをマジョリティ文化に同化させた」として批判し、『多文化主義』を展開しています。
・テイラー(加国、前出)は「言語と宗教の多様性」に着目し、「解釈学的対話」を重視し、「個人の権利」を諸価値の1つと見ています。※著者は高く評価しているが、良く分からない。
・冷戦終結後「市民社会」と云うコンセプトも刷新され、「立憲国家」の役割も変化し始めました。国連/「グローバル市民社会」などの超国家組織も増大し、18世紀末にカントが構想した「世界市民体制」もリアリティを持ち始めました。それに伴い開発/安全保障/環境などに新たな思想的意味が付与され、文化多様性/「マイノリティの権利」などの公共的価値が公的に謳われる様になりました。
<分断された社会-歴史/文化/対話>
○欧米中心の進歩史観からの脱却と相対主義の罠
・クロード・レヴィ=ストロース(仏国)は「西欧の人文主義の誤りは、自身を特権化し、文化の多様性を認めなかった事」とし、「文化相対主義」を超える「螺旋状的な展開史」を援用します。※相対主義の説明がない。
・クリフォード・ギアツ(米国)は「人間は自身が張り巡らした網に掛かっている動物」とし、「どの観察者/理解者も、特定の居場所/状況から観察/理解している」(ローカル・ナレッジ)と論じます。また「文化相対主義」に陥る事を恐れ、「合意ではなく、対話に基づく諸文化の相互理解が重要」とします。※難解。
・マックス・ヴェーバー(独国)は「欧州の近代化は『価値自由的な発展』」と考え、楽観的な『進歩史観』に反対します。彼は儒教/道教/イスラム教/ヒンドゥー教を価値自由的に理解しようと試みます。彼は「20世紀初めの欧州の様々な思想から、どれを選ぶかは個人の判断」とし、『価値相対主義』と云えます。
・大塚久雄はヴェーバーを解釈し、「日本には資本主義をつくる精神(エートス)が必要」とします。
・ヴィルヘルム・ディルタイ(独国)は「『自然科学』は自然現象を説明する学問、『人文・社会科学』は歴史を理解する学問」とし、「歴史の理解には習俗/法律/国家/家族/芸術/科学/哲学などの『生の客観態』を理解する能力が必要」とします。彼は『生の客観態』に自己を投げ入れ歴史を理解する方法を『解釈学』とします。また世界観を類型化し、優劣なくそれらを理解する学問「世界観の類型学」を構想します。
○解釈学的理解
・ハイデガー(独国)は「『自己-世界』理解は、白紙から始まるのではなく『先行理解』がベースにあり、『投企』する事で遂行される」とする「解釈学的理解」を唱えます。
・ハンス=ゲオルク・ガダマー(独国)は「過去の作品や歴史的出来事に自己を投げ入れ理解するが、そこにある時間的隔たりが重要」(地平の融合)とし、「解釈学的理解」を唱えます。
・これに対しハーバーマス(独国、前出)は「解放への関心によって歪んだコミュニケーションを批判する社会科学によって補完されなければならない」と批判します。※理解不可能
・ポール・リクール(仏国)は「人間を『記号』によって文化的・歴史的存在者としてみなし、その『記号』を解釈する事で、『自己-他者-世界』を理解できる」と論じます。彼の理論には「過去の出来事の批判的な想起」「未来へ向けての投企」が含まれ、『批判的解釈学』と云えます。
・稲盛財団の「京都賞」をリクール(2000年)、ハーバーマス(2004年)、テイラー(2008年)が受賞しています。
・和辻哲郎は1934年『人間の学としての倫理学』を著し、ディルタイの解釈学を紹介します。さらにハイデガーが時間性(歴史性)から「人間存在」を理解したのに対し、彼は風土(空間性)から「人間存在」を理解しました。東アジアにおける人間類型を「モンスーン型」「砂漠型」「牧場型」としました。
・三木清は1926年『パスカルにおける人間研究』を著し、「基礎経験」「存在の根源性」「公共圏における理解性」を解釈学の根本命題とします。彼は近衛政権のシンクタンクとして、「東亜共同体」(大東亜共栄圏とは異なる)を提出します。彼は孫文の「三民主義」を評価しています。
・井筒俊彦はイスラム教/老荘思想/仏教/中世欧州哲学などの「比較思想研究」で世界的な学者です。彼は「グローバル化により、西洋的世界像と東洋哲学の世界像が衝突し対話する」と示唆しています(地平の融合)。
○多元的なポスト近代の比較社会思想
・解釈学的営みは「多元的なポスト近代社会」の相互理解を促進する課題を担っています。
・近代啓蒙思想は「負の側面」(大量殺戮、文化優越主義、植民地支配、環境破壊など)と「正の遺産」(人権、自由)をもたらしました。歴史での「グローカルな理解」とは、ミクロの根源的視点(人間の存在)からの理解とマクロの視点(グローバル・ヒストリー)からの理解を意味します。
・日本では自由民権運動により政党政治などの「正の遺産」を獲得しますが、植民地主義から日本語や日本のしつけ/法律などを強制します(負の遺産)。
・ポスト近代の「比較社会思想」を考える上で、宗教/悪は永遠のテーマであり、公共的価値(自由、人権、福祉、市民社会、コスモポリタニズム、平和など)も重要なテーマです。
・インドのアショカ王は全ての人間に基本的自由を認め、それを石碑に刻みました。『自由』は西洋近代の専売特許ではありません。『福祉』の考えも、孟子の思想に見られます。中国の「天下」もコスモポリタニズムと云えます。聖徳太子の「和の精神」は『平和』に繋がっています。