『経済の時代の終焉』井手英策(2015年)を読書。
経済と財政の関係を歴史的/地域的に解説し、今後の社会には連帯が必要としています。
俯瞰的/大局的で納得感がある。
また地方自治について書かれた本が少ない中、デトロイト市と夕張市の破綻の比較も面白い。
最終節(経済を統制する社会)は抽象的で難しいが、普遍化は注目される。
お勧め度:☆☆(相当参考になるが、大著である)
キーワード:<公と私>貧困/格差、公的領域/社会、<新自由主義>○日本-ニクソンショック/オイルショック、カーターショック/機関車論/土建国家、○経済界の反撃-臨時行政調査会/土光敏夫、民営化/増税、○凋落する米国と追随する日本-日米円ドル委員会、前川レポート、○外圧と長期停滞-日米構造協議/日米包括経済協議、平岩レポート、<賃金の下落>○先進国の賃金下落-労働分配率、金融化、労働組合、○グローバル化と日本経済-BIS規制/国際会計基準、キャッシュフロー経営、○労働者の犠牲-労働者派遣法、臨時行政改革推進審議会(行革審)、<グローバル化>○債務危機と米国のグローバル化-メキシコ債務危機、双子の赤字/ベーカー提案/プラザ合意/ブレイディ提案、ワシントン・コンセンサス、○大いなる安定/大いなる不安定-金融緩和、証券化/サブプライム・ローン、ギリシャ債務危機/欧州債務危機、○欧州型福祉国家-通貨統合/財政規律、社会保障制度改革/逆進性/再分配機能、<財政危機>○デトロイトの破綻-人口流出/高い失業率、○租税抵抗-年金基金、分断、○日本の地方自治体-旧再建法/健全化法/地方交付税、○夕張問題-粉飾/不良資産、<経済の時代の終焉>○経済膨脹の果て-互酬/再分配/交換、ケインズ型福祉国家、所得階層間/地域間/世代間、○民主党政権-コンクリートから人へ、限定性/分断性、総額管理/セクショナリズム/勤労思想、分かち合い、○経済を統制する社会-アベノミクス/右傾化、成長神話、普遍主義、地方分権、経済/社会
<公と私>
・250年前、A・スミスは「『富と地位』は尊厳されるが、『貧困』は軽蔑される。これはあらゆる時代の道徳者の不満であった」と記す。
・途上国では半数の人が未就学である。先進国でも教育格差がさらなる経済格差(貧困のサイクル、富裕のサイクル)を生んでいる。これは「理不尽」である。
・本書は「なぜ私達が経済理論に屈服してきたのか」を問う。
・近代以前、秩序は2つ存在した。①共同体(農業共同体など)②道徳(宗教など)。しかし市場経済の浸透で、近代以前の秩序は現実性を失い、生産/交換/消費が軸の経済理論が支配する様になった。これに伴い私的領域と公的領域の境界も曖昧になり、公的領域に生存/生活を確かにする仕組みが必要になり、「社会」なるものが形成され、財政制度/議会制民主主義/官僚組織が発達していく。
・必要のためであった「生産」は、無制限の「欲望」を満たすための「生産」にかわった。スミスの「見えざる手」(市場経済)はそれを支えた。
・両大戦の戦間期に「福祉国家」が形成され始める。1960年代「経済成長」と共に、福祉制度が拡充する。しかし「石油危機」による低成長で「ケインズ政策」は否定され、「小さな政府」が指向される。そして今、国民は税負担/所得格差に、国は巨額の財政赤字に苦しむ時代になった。
・スミスは「社会秩序は『見えざる手』によってもたらされる」と説いたが、それには「『他者への同感』『時間的相違』『空間的相違』に左右される『ナショナル・スタンダード』(最低限度の生活水準)を公的領域が確保する必要がある」と考えた。
・「消費」には存在のためだけでなく、他者から賞賛されるための「消費」もあり、無制限に膨張する。
・経済成長期は公的領域への資源配分(税収)は可能だが、経済成長が鈍化すると資源配分は容易でなくなり、公共サービスが求められる時期に、それが困難になる。そのため巨額の財政赤字を抱えたのが1970年代であった。
・1980年代R・レーガン/M・サッチャーは「公的領域の縮小」(小さな政府)が経済成長をもたらすとし、市場経済に多くを委ねた。確かに富の拡大はもたらしたが、格差拡大など社会秩序の不安定化を招いた。「全体が良くなれば『善い社会』が生まれる」は楽観的で、悪く言えば無責任な考えであった。
・近代国家は交通/病院/学校/郵便/警察などのセイフティネットを整備してきたが、今はその負担が耐え難いものになっている。
・問題の本質は、格差を生み出す「公的領域の縮小」を国民がいとも簡単に受け入れた事にある(※そうかな?)。「なぜそうなったのか」、本書の目的はその解明にある。
<新自由主義>
○日本
・1971年8月ニクソン大統領は「新経済政策」を発表する(ニクソンショック)。同年12月「スミソニアン協定」により、為替レートは1ドル360円から308円(円高)に変更される。その後「変動相場制」に移行し、70年代末には1ドル180円に達する。
・経済界は経済政策を要求し、積極予算になる。さらに1973年10月オイルショックにより、インフレと不況が共存する「スタグフレーション」に陥る。74年度予算は総需要を抑制する緊縮予算でありながら、大規模減税を行うチグハグな予算になる。75年度予算では歳入不足が3兆円(税収の2割に相当)になり、75年度補正予算で2.3兆円、76年度予算で3.8兆円の赤字公債を発行する。
・1975年ランブイエサミットで5ヶ国蔵相会合が開かれ、これが後にG5に発展する。
・1973年民間の政策協議グループで北米/欧州/日本からなる「三極委員会」が創設される。米国からはカーター大統領/モンデール副大統領/財務長官/ブッシュ(後大統領)/グリーンスパンなどが参加する。「三極委員会」は「機関車論」(米国、西独、日本が世界経済を牽引)を持っていた。
・1977年米国は西独に「GDP比2%の財政支出拡大」を要求するが、西独は「GDP比1%」に押し止めた。一方の日本は「実質7%成長」の無理難題を飲まされる(カーターショック)。※米国従属だな。
・この難題を飲まされた要因は、①日本の経常収支は黒字であったが、経済界(経団連)は急激な円高を警戒し、積極財政を要求した。②福田内閣(1976~78年)の支持率が低かった。③過剰設備から需給ギャップが発生し、大蔵省は財政拡大に前向きであった。
・福田内閣は77年度補正予算/78年度予算でこれに対応し、78年度予算は公共事業費が35%増の脅威的な伸びとなる。しかし経済成長率は78年度5.4%、79年度5.1%で未達に終わる。逆に先進国が公共投資を抑制する中、「土建国家」日本の始まりとなった。また79年度予算は公債依存度が40%で、後に行政改革(以下行革)/財政再建が不可欠になる。
※米国/経済界に阿る従属日本の始まりか。米国はその後も内需拡大を要求し続けたはず。
○経済界の反撃
・1977年「政府税制調査会」は赤字公債からの脱却には、4.6~6.6兆円財源が必要とし、一般消費税の導入を構想した。
・1979年9月大平内閣(1978~80年)は増税を断念し、12月財政再建は一般消費税によらない、行政改革による経費節減/歳出削減/税負担の公平などを国会決議する。鈴木内閣(1980~82年)もその路線を継承する。
・1981年度予算で政府は法人税の2%引上げ/酒税・印紙税引上げなど、戦後最大で総額1.4兆円の増税案を示し、経済界はこれを飲む。この件により経済界は、行革と増税なき財政再建を決意させられる。1981年3月「第2次臨時行政調査会」(以下臨調)が設置され、3公社民営化などの行革の原動力となる。
※経済界主導で行革は進められたのか。少し不思議な気がする。
・1981年2月経済5団体(経団連、日商、経済同友会、日経連、関経連)は「行革推進5人委員会」を創設し、この委員会が経済界の臨調対応機関となる。
・土光敏夫は、行革の断行/増税なき財政再建/地方自治体も含めた行革/国鉄・国民健康保険・米問題の解消を条件に臨調会長を引き受ける。
・臨調事務局は「行政管理庁」が担ったが、行政管理庁事務次官は代々大蔵省出身者が就いており、大蔵省との繋がりは深かった。
・1981年7月「第1次答申」を提出する。その後4部会が設置され、審議が加速され、翌年7月「基本答申」を提出する。これで国民に衝撃を与えたのが「国鉄の民営化」案であった。9月政府は「行革大綱」を作成し、12月に誕生する中曽根内閣(1982~87年)は3公社の民営化を実現していく。
・一方「増税なき財政再建」の方は「第1次答申」では、国民健康保険の一部都道府県負担/児童扶養手当の削減/年金支給年齢・保険料の引上げ/40人学級の凍結/国家公務員定員の削減など「緊急に取り組むべき方策」が記される。これらは大蔵省主計局の「内部リスト」と一致していた。※これは面白い。
・1982年度予算では「税制の不公平是正は増税ではない」から、実質的に法人税3500億円の増税となる。これは経済界の反発を招き、さらに土光会長の辞任問題などが起き、1982年10月鈴木首相は総辞職する。
・法人税増税となったが、ゼロシーリング・マイナスシーリング/消費税導入の先送り/3公社民営化など、ある程度の成果を収めた。その要因は国民が行革に大きな期待を寄せていた点がある。中曽根行政管理庁長官は「行革に反対する者は、反国民的で非国民」と言う。
・臨調成功の2つ目の要因に、伊藤忠相談役瀬島龍三の存在がある。彼は第4部会(3公社、5現業、特殊法人を検討)と国鉄の改革派との間を奔走し交渉を纏めた。
・臨調成功の3つ目の要因に、労働組合の分裂がある。公務員を中心とする「総評」は行革に反対であったが、大企業を中心とする「同盟」は行革に前向きであった。労働4団体の分裂が、経済界主導を後押しした。
・1983年3月臨調の「最終答申」が出される。しかし中曽根氏は政権を握ると変節し、「増税なき財政再建」の看板を降ろす。
・1984年野党の攻勢により税制改正が行われ、所得税の減税が行われるが、経済界はまたも屈し、法人税引上げが行われる。しかし臨調に次ぐ「臨時行政改革推進審議会(行革審)」を設置させ、これは後に規制緩和推進の原動力となる(後述)。
○凋落する米国と追随する日本
・1981年米国は経常収支の赤字を還流させるため、非居住者向け金融市場(ニューヨーク・オフショア市場)を開設する。1980年日本は「外為法」を改正していたが、為替取引の「実需原則」は存続させた。1983年中曽根内閣(1982~87年)は対米黒字削減のため「総合経済対策」を発表し、それに「実需原則」の見直しを含めた。
・1983年11月レーガン大統領が来日するが、その目的が円安是正であった。これにより1984年2月「日米円ドル委員会」が開かれ、5月の第6回会合で合意となる。米国の強圧により「実需原則」「円転規制」が撤廃される。米国の対日方針は内需拡大から、円安是正/規制緩和/金融・資本市場の自由化に転換する。これに経済界も同調し、国民にも浸透していった。
・日本/西独は巨額の経常黒字で「資本輸出」を行った。「円投型」(円を外貨に転換して運用)「外外型」(ドル資金のまま投資)で「短期借り、長期貸し」(米国債などの長期投資)を行った(※前者は円キャリー取引の事?よく聞くが分からない)。1985年米国は純債務国に転じ、日本は世界最大の純資産国になる。
・米国/英国/西独/日本の国際金融市場は、1980~87年で3倍に膨張する。
・1985年米国は通信機器/木材製品/エレクトロニクス/医療機器・薬品の市場開放を強く求め、日米間で「MOSS協議(市場分野別個別会議)」が開始される。
・1985年10月中曽根首相は「国際協調のための経済構造調整研究会」を発足させ、翌年4月「前川レポート」を提出させる。「前川レポート」は、①公共事業の拡充と減税、②産業構造の転換と海外直接投資の活発化、③市場開放アクションプランの実施と輸入促進、④為替の安定と金融・資本市場の自由化、⑤貯蓄優遇制度の廃止を骨子とした。
※米国の圧力は今も昔も変わらない。
○外圧と長期停滞
・1989年ブッシュ政権(~1993年)が誕生する。これまでは個別案件として協議していたが、包括的な「日米構造協議」が開始される。1993年クリントン政権(1993~2001年)が誕生すると、「日米包括経済協議」が発足する。
・「日米構造協議」では対外不均衡の是正/持続的経済成長/生活の質の向上を目標とし、1990年「最終報告書」が出される。そこには大規模小売店法の改正/カルテル強化/特許手続きの簡素化/輸入促進/規制緩和などが記された。
・「日米包括経済協議」では、干渉がさらに熾烈化し、経常収支/市場シェアで数値目標が設定される。1994年からは毎年、「年次改革要望書」で規制緩和を要求された。※詳細後述。
・1993年9月細川内閣(1993~94年)は経団連会長平岩外四を座長とする「経済改革研究会」を発足させる。同年12月最終報告書『経済改革について』(平岩レポート)を提出する。「平岩レポート」では規制緩和/金融・資本市場の活性化が打ち出され、減税/社会資本整備が盛り込まれる一方、財政構造改革も盛り込まれ、論理破綻していた。
・「平岩レポート」の焦点は税制改革で、1994~98年大規模減税(所得税、住民税、法人税)が行われる。この減税は日本に多額の財政赤字をもたらした。
・日本が「新自由主義」を受け入れた要因に、都市への緩やかな人口移動がある。1970年3大都市圏の人口は全体の46%を占めていたが、2014年には51%に上昇している。戦後は「階級政治」により、都市部の自民離れ/無党派層化が進む。しかし田中内閣(1972~74年)の福祉政策で都市の無党派層は懐柔される。しかし1990年代後半に入ると「リクルート事件」などから政治不信になり、都市は無党派層が多数になる。
・日本の財政政策は「土建国家型利益分配」で、地方での公共投資で地域間格差を是正し、減税で都市部の中間層を説得する政策であった。しかし国民のニーズは年金/子育て/雇用/医療に移り、「土建国家型利益分配」は理解を得られなくなった。そこで経済界/政府は不要なサービスを削減し、規制緩和で経済成長する政策(新自由主義)を唱え、国民はこれに飛び付いた。※これが本書の重要ポイント。
・その後米国の圧力は弱まり、緊縮財政に転換し、民主党の誕生/小泉構造改革へと進んでいく。
<賃金の下落>
○先進国の賃金下落
・「新自由主義」と対になって必ず語られるのが「経済格差」である。格差問題の核心は、非正規雇用化による賃金の下落である。
・日本の世帯所得は1990年代から2013年で、100万円以上下落した。この30年間で専業主婦世帯は3割減少し、共稼ぎ世帯は6割増加しているのに、「児童のいる世帯」でも世帯所得が100万円以上下落している(※他にも様々な統計を説明しているが省略)。この様に1990年代後半以降、雇用環境/所得水準/生活水準は悪化する。
※所得格差もあるが、資産格差はもっと激しいらしい。
・OECDの統計を見ると、1990~2009年で「労働分配率」は66.1%から61.7%に減少している。労働生産性×労働分配率=実質賃金である。先端産業では機械化により「労働生産性」を上昇させても、「雇用者数/労働時間の抑制」(労働分配率の低下)で実質賃金を抑えている。
・またIT技術の発展により熟練労働者は不要になり、一般事務は非正規雇用やアウトソーシングに移された。これにより中間層は下層に追いやられ、所得階級の二極化が顕著になった。労働集約産業から資本集約産業への移行は、この流れを生んだ。※効率化が進むと、人への分配が減る。厄介な問題だ。
・経済の「金融化」も労働分配率の低下を招いた。1980年代敵対的なレバレッジバイアウト(LBO)が急増した。1978年機関投資家(生命保険会社、年金基金)の株式市場への参入が進み、機関投資家は企業収益の拡大/経営者の報酬体系の整備(ストックオプション)などを要求した。
・1980年代ロンドン証券取引では機関投資家の割合が5割を超え、彼らの圧力で「ビッグバン」が始まる。場内仲買人/仲立人による売買から、「マーケット・メーカー制」に移行する。
・1990年代米国は情報技術革命、英国は金融セクターにより経済成長するが、かつての高成長国日本/ドイツは停滞する。日本/ドイツは労働市場改革/規制緩和/金融市場の自由化を推進する様になる。※このインチキ勝ちが世界を誤らせた。
・ニューヨーク/ロンドン/フランクフルト/東京の金融センターはグローバル化し、機関投資家に加え、株式ファンド/ヘッジファンドも参入する。彼らが短期の収益を求めるため、企業は人件費の削減(解雇、非正規化)を進める。
・この賃金の低下に労働者/労働組合は対抗できなかった。①グローバル化②製造業からサービス業へのシフト③民営化はいずれも労働組合の影響力を弱めた。
○グローバル化と日本経済の変動
・「資金循環統計」を見ると、1998年以降企業(除く金融法人)は貯蓄超過となる(これは歴史的な事)。キャッシュフローの設備投資の伸び率を見ると、1990年代にマイナスに転じている。これは銀行離れが進み、手許流動性の範囲内で設備投資を行った事による。
・グローバル化/金融化により「グローバル・スタンダード」(世界標準、国際標準)問題が起こる。「BIS規制」はリスク資産に対する自己資本の割合で、国際業務を展開する銀行には8%以上が必要である(1988年バーゼル合意で制定)。「国際会計基準」は当初は統一する事が難しかったが、1998年「コア・スタンダード」の作成により「国際会計基準」が完成する。
・これらの「世界標準」により、日本では金融機関の貸出態度が徐々に硬化する。貸出金利が歴史的水準まで低下しているにも関わらず、貸出残高は減少する。
・「国際会計基準」の完成に伴い、連結決算/時価会計/キャッシュフロー計算書/企業年金への対応などが導入される(金融ビッグバン、会計ビッグバン)。
・この「会計ビッグバン」の影響で企業は「キャッシュフロー経営」に移行し、設備投資をフリー・キャッシュフロー内に抑える様になる。金融機関も融資判断を担保重視型からキャッシュフロー重視型に変える。投資家も投資判断を総資本利益率(ROA)/自己資本利益率(ROE)に変えた。
・キャッシュフローを増やすには①収益の増加②経費の削減があるが、②経費の削減(=人件費の削減)が選択され、雇用の非正規化が進められた。
○労働者の犠牲
・戦前にも「労働者供給事業」は存在したが、1947年「職業安定法」で禁止される。しかし「民法」では「請負」を認めていた。1985年「労働者派遣法」が制定され、1996年同法が改正され、対象業務が26業務に拡大される。1999年対象業務はネガティブリスト方式に改正される。
・規制緩和の原動力となったのは「臨時行政改革推進審議会(行革審)」であった。「第1次行革審」では、1985年『行政改革の推進方策に関する答申』で規制緩和の方向性(①産業の育成/保護への介入は最小限、②市場補完については全般的/抜本的に見直す、③社会的目的に対しては妥当性/有効性を見直す)を記す。
・「第2次行革審」では、1990年「最終答申」で「市場原理に基づく自由/公正な競争を促す」「規制緩和は行政改革の最重要課題」「公的規制を半減する」などを記す。
・「第3次行革審」では「行政手続法」が制定され、規制緩和の観点から「行政指導」が制限される。この細川内閣(1993~94年)の時期に発足した「経済改革研究会」は、「最終報告」に「規制緩和/産業構造の変化/国際化に対応するため、参入/転職しやすい労働市場の形成」を記す(平岩レポート、前述)。
・1995年村山内閣(1994~96年)の時、「規制緩和推進5ヵ年計画」で「人材派遣の対象業務見直し」が盛り込まれる。同年「日経連」が作成した『新時代の「日本的経営」』には、経済成長の鈍化/労働者不足/高コスト体質/産業構造の転換/労働移動/産業の空洞化などを課題とし、これらへの対処として終身雇用・年功序列賃金・企業別労働組合の見直し/人件費管理の徹底/成果主義の導入/法定外福祉の抑制を記した。
※新自由主義は小泉内閣から始まった訳ではなく、1980年代から検討されていたんだ。
・統計で転職率を見ると、1990年代以降の低成長期でも上昇し続け(特に若者)、1997年以降はさらに上昇する。労働組合の組合員数は1994年をピークに減少を始める。
・日本の福祉政策は「土建国家型」で対人社会サービス(住宅、子育て、老後)が貧弱のため、家計に貯蓄が不可欠であったが、貯蓄は減少に転じる。
・家計の貯蓄が減少する中、1998年企業は貯蓄超過となり、その貯蓄は国債購入に流れ、政府の財政を支えた。企業の有価証券利息配当金は、90年代から2005年で2倍に増えた。
・小泉内閣(2001~06年)の時、海外現地生産は加速され、円安による輸出ドライブ効果は薄れる。第2次安倍内閣(2012年~)時の経済成長は、原材料輸入による外需の赤字を公的需要(公共事業)が埋めている。
※グローバル化/金融化により労働者が犠牲になったが、世界が平準化されると落ち着くかな。でも格差は残るな。
<グローバリズム>
○債務危機と米国のグローバリズム
・経済膨張の帰結がバブルと金融危機である。1947年1日での最大売り投機高は1億ドルであったが、90年代末には1日の取引高は1兆ドルに達する。
・1973年/1979年の原油高騰は、メキシコなどの産油国に巨額のドルを蓄積させた。しかし1981年原油価格下落/欧米諸国の金利高(ヴォルカー・ショック)から産油国の通貨は大幅に下落し、82年「メキシコ債務危機」が発生する。
・債務危機前メキシコ政府は財政赤字を拡大させ、インフレを恐れ高い為替レート(1ドル=22.8ペソ)を維持していた。政府収入を支えた原油価格の下落で財政赤字はさらに拡大し、FRB議長ヴォルカーによる金利高騰で対外利払い費が急増する。1982年2月/8月に「ペソ切り下げ」するが資本流出は収まらず、「モラトリアム」を発表する。同様の減少が他の中南米諸国(ブラジル、アルゼンチン、チリ、ベネズエラ)にも波及する。
・債務危機の影響は米国の銀行に及ぶため、BISは18.5億ドル、IMFは39億ドルの融資を行う。
・IMFの融資には、財政赤字の削減/インフレ抑制/対外借入の圧縮/公共サービス価格の引上げなどのコンディショナリティが設定されたが、これにより経常収支は大幅に改善される。
・米国ではレーガン政権による1981年大幅減税で財政赤字は膨張し、景気過熱から経常収支は悪化していた(双子の赤字)。1985年ベーカー米財務長官は、債務危機国に対し3年間で商業銀行200億ドル/国際機関270億ドルを融資し、経済成長を促す提案をする(ベーカー提案)。また為替に関してはG5蔵相会議で協調利下げを合意する(プラザ合意)。この両者は「双子の赤字」改善のための両輪であった。
・1989年ブレイディ米財務長官は中南米債務問題の本格的な解消(元本削減、金利減免)を提案する(ブレイディ提案)。旧債権と交換される新規国債は、IMF/世界銀行/日本輸出入銀行が補完した(米国は補完していない)。
・中南米債務問題を切っ掛けにIMF/世界銀行の協業体制が確立する。ワシントンDCに拠点を置くIMF/世界銀行/米国政府/民間シンクタンクのネットワークが形成される(ワシントン・コンセンサス)。「ワシントン・コンセンサス」は、財政規模の確保/保健・教育・インフラへの資源配分/課税ベースの拡大/限界税率の引下げ/金融自由化/単一為替レート/貿易自由化/参入障壁撤廃/民営化/規制緩和/私的財産の確保などで、新自由主義的な成長促進策であった。
・米国に流入した資金は、ヘッジファンドなどを通し新興国市場に還流した。世界経済は不安定化し、1992年ポンド危機、94年中南米債務危機、97年アジア通貨危機、98年ロシア・ルーブル危機、99年ブラジル・レアル危機と世界中に金融危機が伝播した。この過程で新自由主義的な米国の世界戦略(グローバリズム、ワシントン・コンセンサス?)が各国に押し付けられた。
※先進国だけでなく新興国も新自由主義に染まったのか。
○「大いなる安定」から「大いなる不安定」へ
・1980年代半ば以降、GDPを構成する指標や生産/雇用/物価/市場金利などの経済指標の変動率が低下する(大いなる安定)。しかしこれは幻想に過ぎなかった。
・1990年代後半から米国/英国/ギリシャ/イタリア/スペイン/ポルトガルなどが大規模な経常収支赤字に陥る。これをファイナンスしていたのが日本/中国/産油国であった(グローバル・インバランス)。
・1998年米国はLTCM危機に対応するため急激に金利を下げ、経済ブームを継続させた。2004年から金利を引上げるが、アジアから流入した資金は米国債に流れ、長期金利は上昇せず、「住宅バブル」は継続された。
・日本は2001年より量的緩和を実施し、空前の低金利であった。そのため国内外の投資家は円で調達し、ドルに転換して米国で投資していた(円キャリー取引)。
・欧州の金融機関は金融商品(住宅ローンの証券化商品など)に積極的に投資した。欧州でも金融緩和政策が取られた。
・中国などの新興国は製造業の生産を増やし、安価な商品が新興国に流れ、デフレ現象が起こった。
・住宅ローンを「証券化」し売却する事で、金融機関は手数料を得られ、ローンの返済を待つ事なく資金を得られる。証券の購入者は担保価値が上昇しているので、安心して購入できる。住宅の購入者は住宅価格の上昇で、さらに融資を受ける事ができた。※レバレッジとか、バブルがバブルを生むかな。
・金融機関はモーゲージ・ローン/クレジットカード/車のローン/学生ローンなどを「証券化」した(資産担保証券)。金融機関は次第にローンの審査を厳密に行わなくなった。このデフォルト率の高い低所得者向け住宅ローンが「サブプライム・ローン」である。
・ムーディーズ/フィッチ/スタンダード&プアーズなどの格付機関は、これらのリスクを適切に評価せず、高い格付を付けた。
・金融機関の幹部は短期間の収益で高い報酬を受けた。
・証券化商品の運用・証券会社/ヘッジファンド/株式ファンドは「影の銀行システム」と呼ばれ、監督局の規制を受けなかった。
・2006年住宅価格の上昇が止まると、「サブプライム・ローン」の債務不履行が増大する。金融機関は一斉に融資を控え、翌年にはノンバンクの倒産が始まる。
・欧州では2007年「サブプライム・ローン」関連の証券化商品の買い手が付かず、BNPパリバがファンドの解約を拒否する事態になる(パリバ・ショック)。
・2008年3月ベアー・スターンズ、9月リーマン・ブラザーズが破綻し、「大いなる安定」は崩壊する。
・金融機関の信用収縮が起き、経済活動も縮小し、企業は収益を減少させた。先進国は大規模な景気刺激策に出て、財政を悪化させた。
※リーマン危機については何度も本を読んだ。
・2009年10月ギリシャで政権交代が起き、財政赤字の粉飾会計が明らかになる。2008年財政赤字は対GDP比で5.0%から7.7%に修正され、2009年の見通しは3.7%から12.5%に修正された。これによりギリシャのソブリン債は暴落する(ギリシャ債務危機)。他の債務国にも波及し、ポルトガル/イタリア/スペインの国債も下落し、「欧州債務危機」に拡大する。
・「欧州債務危機」は欧州金融安定ファシリティ/IMF/世界銀行/欧州安定メカニズムにより落着いたが、本質的な解消には至っていない。量的緩和の出口戦略(利上げ)も課題として残っている。
・J・スティグリッツはIMFと大手金融機関の緊密な繋がりから「国を投資家の略奪から守る策が重要」と発言する。IMF改革案(出資割当の倍増、新興国の議決権拡大)が承認されるが、米国は批准を拒否した。
○欧州型福祉国家
・グローバリズムは基軸通貨ドルの信認を高めるのが目的である。それに対抗したのが欧州の「通貨統合」であり、「通貨高権」「租税高権」の反発である。※通貨高権=通貨発行権、租税高権=徴税権みたい。
・デンマーク/スウェーデン/英国がユーロを導入しなかったため、欧州中央銀行(ECB)/欧州中央銀行制度(ESCB)が併存する形になった。両者の第一目的は「物価の安定」にあり、各国の財政に規律を求める「マーストリヒト条約」(1993年)「安定成長協定」(1997年)が発効される。これにより各国の政府債務は、2000年代以降も対GDP比60%に収斂している。
・先進国の社会支出を1980年と2010年で比べると、現金給付(年金、失業手当、児童手当など)に変化はないが、現物給付(医療、育児/保育施設)が増大している。日本だけが例外である。
・スウェーデンは金融危機により、1990~93年マイナス成長になる。94年総選挙で社民党が勝利し、歳出削減と増税が実施される。この中で社会保障の現金給付の削減や年金制度の改革が行われる。※年金制度改革について詳しい説明があるが省略。
・スウェーデンは所得税の二元化(勤労所得、資本所得)/付加価値税の引上げ/環境税の導入/相続税・富裕税の廃止により逆進性は高まったが、給付の強化で以前高い再分配機能を維持している。
・ドイツの社会保障は所得に比例し、社会保険料/給付額が決まる「ビスマルク型」社会保障であった。様々な問題(高齢化、女性の就労など)から年金改革が行われる(1992、96、99、01年)。2001年の改革では「基礎保障」が導入される。医療制度改革/労働市場改革なども実施される。
・ドイツでは法人税の引下げ、特に2001年は52%から38%に引下げられる。逆に付加価値税は引上げられ、環境税も強化され、よって逆進性は高まった。しかし高い再分配機能を維持している。
・ドイツにとって1999年ユーロ導入は為替レートの下落を意味した。2002年以降経常収支は急激に黒字化した。
・国家で徴収された税は、国民国家の「同朋意識」からその国内で使用される(財政調整)。ギリシャ問題の本質はドイツで徴収された税が、ギリシャの救済に使われない事にある。
・EU予算には構造基金/結束基金の財政調整機能がある。EUの人口は日本の4倍もあるが、その額は日本の「地方交付税」の4割しかない。
<財政危機>
○デトロイトの破綻
・2013年7月デトロイト市が「財政破綻」する。デトロイトは2008年以降歳出超過となり、長期債の発行は08年度7500万ドル、10年度2億5000万ドル、13年度1億3700万ドルと悪化していた。キャッシュフローでも12年度1億1500万ドル不足していた。
・債務は180億ドルあり、その半分が退職者向けであった(年金35億ドル、医療給付60億ドル)。
・デトロイトの破綻の要因に自動車産業の衰退もあるが、実状は少し異なる。デトロイトの人口は、1950年代185万人あったが、その後減り続け現在は70万人しかいない。失業率は常時2桁あり、リーマン危機後は27.8%、財政破綻時は18%であった。この「人口流出」「高い失業率」が財政を悪化させた。2000~12年で税収は4割減少した。
・財政支出の抑制で治安は最悪で、犯罪発生率が全米で最も高い都市になり、火災は1年で1万1000件発生した(人口20倍の東京で5~6000件)。
・デトロイトは自動車産業に最適の土地であった。五大湖は豊富な電力を生み、海運/陸運が両立した。その後自動車会社はデトロイト郊外や他州に工場を移転させた。そこでデトロイトに取り残されたのが、アフリカ系アメリカ人であった。デトロイトでの白人とアフリカ系アメリカ人の比率は、1950年は1対5であったが、2010年は10対1に大逆転する。
○租税抵抗
・米国では度々地方政府の「財政破綻」が起きている。カリフォルニア州で多くの地方政府が破綻したが、それらは「錆ついた工業地帯」ではない。
・破綻の要因に退職者年金がある。カリフォルニア州では月額2600ドル(その他を合わせると4000ドル)程度を給付している。だが問題の本質は給付額にあるのではなく、「公的年金基金」の資産運用にある。この「公的年金基金」は新興国の株式/ヘッジファンド/ハイリスク・ハイリターン商品などに積極的に投資しており、「リーマン危機」による資産価値の暴落が財政を直撃した。
・カリフォルニア州の財源は「財産税」であった。これに対し1978年「納税者の反乱」(租税抵抗)が起き、「財産税」は評価額の1%以下とする法律が成立する(この法案は全米に広がる)。財源の確保が難しくなったカリフォルニア州は、金融・資本市場への投資を積極的に行う様になる。2006年住宅バブルがはじけ、地方政府は財政難に陥る。※日本のGPIFはどうなるやら。
・共和党はかつてから「分断化」を政治戦略としてきた。2010年「ティーパーティー運動」が反税運動を始める。彼らは社会保障/メディケア/教育/都市再開発/環境改革の受益者に楔を打つ。
・米国の地方自治制度は断片化しており、都市・カウンティ/学校区/運輸区/消防区/水道区/公的企業の行政単位など多数存在する。これにより個人/企業/集団が個々の利益を追求し、首尾一貫した地域行政が困難で、交通渋滞/環境汚染/土地開発/公共サービスで非効率が生じていた。当然地域間の連帯は困難であった。
・この様に破綻の要因は経済衰退だけでなく、社会的/政治的対立もある。※もう少し解説が欲しい。
○日本の地方自治体
・米国では「連邦破産法」の適用を申請し、認められれば「財政破綻」となる。日本では財政が悪化した段階で是正措置が入るため、基本的に破綻しない。
・日本では1955年「地方財政再建促進特別措置法(旧再建法)」が制定される。2007年「地方公共団体の財政の健全化に関する法律(健全化法)」が制定され、財政再建のレジームが大きく変わる。「旧再建法」では一般/特別会計の収支のみが対象であったが、「健全化法」では第3セクター/公営企業も対象となった。
・日本の「旧再建法」「健全化法」は破綻法制の一部であり、より重要なのは「地方交付税」(以下交付税)である。国は各自治体の「基準財政需要」「基準財政収入」を計算し、その差額を所得税/法人税/消費税/酒税/たばこ税から交付税として配分する。
・また地方自治体は国との協議で「地方債」を発行できる。地方税に関しては「標準税率」「制限税率」が存在するため、税率の自由度は少ない。
・日本では地方自治体は国に支援されるが、米国では連邦/州は地方政府の自治/行政権への介入に慎重である。
※米国は自由放任主義だな。
○夕張問題
・2007年3月夕張市と総務省は、「旧再建法」に則って「財政再建計画」を協議する。夕張市もデトロイト市と同様に人口流出が続いたが、デトロイト市と同様に「財政破綻」の背景は複雑である。
・夕張市は財政悪化を「ジャンプ方式」で粉飾した(※一般会計の赤字を特別会計で誤魔化す。詳細省略)。この粉飾を総務省/道職員/市職員/市議会議員は認識していたが、放置された。
・夕張市の人口は、ピーク時10万8000人だったが、問題発覚時は1万3000人であった。人口の激減に合わせ組織をスリム化する必要があったが、容易ではなく、人口1人当たりの職員数/人件費は他の自治体に比べ2倍もあった。また公立病院/上下水道などの設備を縮小するのも容易でなかった。
・「財政破綻」には経済界も大きく影響している。2005年「松下興産」は不良資産(住宅施設、上下水道施設、病院、リゾート施設など)を、雇用を失えば人口がさらに流出すると迫り、夕張市に不当に買い取らせていた。夕張市はこの財源に窮するが、「松下興産」のメインバンク「みずほ銀行」の融資(ヤミ起債)で買い取る。
・夕張市は5つの公社・第3セクター/4つの観光施設に投資しており、これはデトロイト市と類似している。
・夕張市の破綻は夕張市/国/経済界、何れもが関わったと云える。破綻のダメ押しになったのは、2004年「三位一体改革」での「交付税」の大幅削減であった。
・「健全化法」以降は地方自治体のコントロールが厳格になり、破綻は生じていない。しかし国家財政が厳しくなる中、何時までも「交付税」が保障されるとは限らない。
・2001年度予算から「臨時財政対策債(臨財債)」が発行される。これは負担の先送りであり、地方への負担転嫁である。
・2000年代は地方自治体にとって行政改革の時代になる。第2次安倍内閣(2012年~)では人件費の削減努力が「交付税」の配分に加味される様になる。また公営企業/公共設備に対し、民間的経営手法が導入される。
・都市部中間層の所得低下は「共感」「寛容」を失わせ、「交付税」批判に向っている。
<経済の時代の終焉>
○経済膨脹の果て
・新自由主義により国家機能は縮小し、労働者の賃金は減少し、短期資金の活発な移動で経済は不安定になり、地方の財政は破綻の危機にある。公私の境界は、明らかに前者が後者により食いちぎられている。
・単なる人間の集団から、何らかの価値を共有する社会を作る事を「社会統合」と云う。
・経済学者K・ポランニーは、経済行為には①相互に扶助する「互酬」(※互助、共助かな)②一手に集め、それを分配する「再分配」③市場で可逆的に移動する「交換」があるとした。私的な「交換」が原理の「市場経済」は、集団による「互酬」「再分配」を衰退させた。「経済的効率」は追求されたが、「社会的効率」は蔑ろにされた。
・17世紀人々は宗教戦争などの「危機」から「租税国家」を形成し、「議会制民主主義」を基盤として「財政」で「互酬」「再分配」を行う様になった。しかし18世紀半ば以降「産業革命」を経て、「市場経済」が人間を飲み込み、「互酬」「再分配」の弱体化が進んでいる。
・大恐慌後人々は経済を統制/管理しようと、ファシズム/社会主義/ニューディール/管理通貨制度など様々な方法を試みる。そんな中で生まれたのが「ケインズ型福祉国家」で、それが成長と繁栄の「黄金の60年代」を生じさせる。
・しかしオイルショックを切っ掛けに低成長時代に入ると、「ケインズ理論」は批判され、「新自由主義」(規制緩和、金融自由化)に転換する。幸福な時代が訪れたと思われたが、中南米債務危機/途上国の債務危機/リーマン危機/欧州債務危機と経済危機を続発する(前述)。
・対処方法は2つ考えられる。①新しい財務システムを構築し、「互酬」「再分配」を行い、経済を統制/管理する。②このまま、ひたすら自由化を追求する。
・第2次安倍内閣(2012年~)では「生活保護基準」が引下げられた。「生活保護基準」は課税最低限/賃金水準/社会保障給付と連動する重要な基準である。これで中高所得層の低所得層への「共感」は失墜した。
・所得階級間の繋がりだけでなく、地域間の繋がりも深刻である。3大都市圏が肥大化する一方、過疎/中山間地域の「自治体消滅」がマスコミを賑わせている。
・国と地方の対立も明確になった。国家財政改善から、行革の名の下で公務員人件費の削減/公共施設の民営化が進められ、これに合わせ交付税/補助金の削減が実施された。
・世代間の対立も見られる。「消費税の増税より高齢者の負担を増やせ」「子ども手当の拡充より年金を増やせ」など、受給の奪い合い/負担の押付け合いが見られる。
・日本は先進国の中でも、他者や政府に対する信頼感が低い。日本は経済の暴走で、「互酬」「再分配」への「共感」が失われた「繋がりの危機」にある。
○民主党政権
・格差問題や世界的な経済危機から民主党政権(2009~12年)が生まれ、「コンクリートから人へ」を掲げる。しかし結果的には有効な処方箋を掲示できなかった。
・「土建国家型利益分配」は1970年代に生まれた。政府は「減税」と「公共投資」で、所得階層間/地域間の再分配を行った。「減税」により国民は「貯蓄」し、「貯蓄」は企業の設備投資/政府の投融資に使われた。これにより経済は好循環した。国民は「公共投資」により雇用/所得を得て、税/社会保険料の負担者になった。しかし1990年代、女性の労働参加と少子高齢化が進行した。これにより国民のニーズは育児・保育/養老・介護/教育へ移った(前述)。
・民主党政権の「コンクリートから人へ」(=公共投資から社会福祉へ)は適切な路線変更であったが、予算削減が基本スタンスのため、「社会統合」の再構築はできなかった。公共投資は抑制され、建設業/農業は衰退した。
・「コンクリートから人へ」の問題点は「限定性」「分断性」を払拭できなかった事もある。例えば年金/医療は保険料を支払える人だけの利益であり、介護サービスは高齢かつ自己負担できる人だけが受益でき、後期高齢者医療制度は75歳以上しか利用できない。児童手当/生活保護/大学授業料の免除などは低所得者だけの利益である。
・「限定性」「分断性」を払拭できなかった第1の要因は、日本は歴史的にインフレを避けるため「総額管理」を重視した事による。そのため社会保障/教育への支出は抑制され、人を要する現物支給は抑制され、現金給付は所得制限などで限定された。
・第2の要因は、政治制度の問題である。日本は先進国では珍しく「中選挙区制」のため、道路(建設省)/農業基盤整理(農林省)/福祉施設整備(厚生省)/文教施設整備(文部省)/交通機関整備(運輸省)などのセクショナリズムが生まれ、予算は細分化された。
・第3の要因は、社会保障/救済を歴史的に嫌う「勤労思想」にある。昭和恐慌時の高橋是清/占領期の大平正芳/高度成長期の池田隼人などは、社会保障による「救済」ではなく、公共事業で働く機会(勤労)を与える政策を取った。
・予算配分が公共事業から社会保障に移る中、「犯人探し」が行われ、負担を農業従事者/自営業者/高齢者に求める声や、「生活保護すれば怠惰になる」「医療費を下げれば高齢者が病院通いする」「公務員は安定しているので働かない」「議員は経費を不正使用している」などが言われた。
・今の日本政治には「誰が負担していないか。誰が無駄遣いしているか」と云う「犯人探し」が蔓延している。これを逆手に取ったのが、「私の政策を批判する者は、全て抵抗勢力」とする小泉政治であった(※ポピュリズムだな)。
・結局、民主党政権は限られた予算の中で、公共投資を人身御供(※こんな言葉があったの?)するしかなかった、しかし「子ども手当」「高校授業料の無償化」「社会保障と税の一体改革」は評価できる。
・「子ども手当」「高校授業料の無償化」が評価できるのは、所得制限を設けなかった点である。これらは「人間の利益」であり、「奪い合い」から「分かち合い」で制度設計した点は評価できる。また「社会保障と税の一体改革」は、社会保障4経費の拡充と新たな財源の追求で、「分かち合い」政治への転換である。
・一方「農家の戸別所得補償」は農家だけが受益者で、「分断性」を有する。また消費税増税5%の内、4%が財政再建に使われ、社会福祉には1%しか使われない。そのため「奪い合い」になり、高齢者3経費に重点が置かれた。また自民党の攻勢により、「子ども手当」「高校授業料の無償化」には所得制限が付された。
○経済を統制する社会 ※この節は抽象的で難解。
・民主党政権の瓦解で、日本は「土建国家レジーム」からの脱却に失敗する。続く「アベノミクス」は、規制緩和/外資への市場開放/株価刺激策/法人税の大幅減税とサプライサイドの政策が並び、これに公共投資/金融緩和が加わっている。要するに新自由主義とケインズ主義のミックスである。
・「アベノミクス」は再分配機能を弱体化させた。愛国心/伝統/文化を重視する教育改革は特に注目される。これは右傾化によって統合を図った戦前の状況と類似している。
・日本には「成長神話」から脱せられない問題がある。日本では医療/教育/育児・保育/養老・介護/住宅/生活などのサービスを購入してきた。そのため「貯蓄」が必要であり、「経済成長」は欠かせなかったのである。
・「成長神話」から脱するためには、「土建国家レジーム」を放棄し、「特定の誰かの利益」から「人間の利益」を価値とする社会に転換する必要がある。この両者を表す言葉が「選別主義」「普遍主義」である。「普遍主義」を広める事で、連帯を深める事ができる。
・人は「何を得たか」「どう扱われたか」が信頼の指標となる。特に後者は重要で、その意味で「普遍主義」は欠かせない。
・財政学では租税抵抗を緩和する条件が3つある。①他者も同じように納めている②政府が税を正しく使っている③前世代の借金は適切である。これらの条件は「他人を信頼する社会」(連帯)を築く条件でもある。
・自営業者/農業従事者/高齢者への批判や、無駄遣いを暴くための「事業仕分け」などの「犯人探し」は、この条件に反する行為である。
・再建論者は「小さな政府」を志向するが、それは神話である。教育費/医療費の無償化は国民の生活を助ける。結局は個人で貯蓄するか、社会全体で貯蓄するかの違いである。
・私達は民主主義の下で「普遍主義」を実施し、「連帯」を強化していくべきである。
・「ケインズ型福祉国家」では国家が「再分配」を、地方自治体が現物給付による「互酬」を担ってきた。しかし近代化により複雑化/多様化/細分化し、「共感」が失われた集団になった(社会でない)。
・少子高齢化/女性の就労により財政ニーズが変化した。高齢者向け医療サービスや、専業主婦が担ってきた育児・保育/養老・介護サービスが求められる様になった。これにより地方自治体での現物サービスが重視され、「地方分権」が推奨され、地方自治体への財源/権限の委譲が進んでいる。
・普遍主義への移行/脱「土建国家」を困難にしている要因に「世代間対立」がある。年金/介護/医療は全員が必要とするサービスのため、同意が取れ易い。一方育児・保育/教育は、それを必要とする世代が限定される。この対立の解消のためには「社会保障と税の一体改革」で世代間のバランスを取る必要がある。
・サービス給付の「普遍主義化」について考える。例えば「乳幼児医療費助成」では所得制限の有無/自己負担の有無の論点がある。所得制限なし/自己負担なしにするとモラル・ハザードが生じるとの批判があるが、モラル・ハザードの恐れは全てのサービスにあり、問題はどこまでモラル・ハザードを許すかにある。「生活保護費」がモラル・ハザードにより削減されたが、不正受給の割合は0.5%に過ぎない。
・モラル・ハザードへの不寛容は「再建論者」の思想で、この思想のため「連帯」「共感」が失われた集団になった。
・次に税の「普遍主義化」について考える。地方財政の住民税/固定資産税/地方消費税の税率は比例的で、この普遍的な課税で、所得階層間の対立を回避できる。
・都市部/中枢拠点都市では十分な現物給付を受けれるが、問題は課税に耐えられない衰退した地域である。しかし水道施設の共同管理(高知県大豊町)/ガソリンスタンドの共同経営(高知県土佐町)/学校評価制度(宮崎県五ヶ瀬町)/森林管理・予算作成(鳥取県智頭町)などで「互酬」が見られる。これらの地域では税によらない社会資源の有効活用が行われている。
・これらの活動はグリーンバレー(徳島県神山町)/海士人(島根県海士町)/あしたねの森(冨山市)/地域の絆(広島県福山市)などのNPOや行政の支援で行われている。これらの活動により世代間/地域間の対立は解消され、「人間の利益」を重視する「普遍主義」が育まれる。
※コミュニタリアニズム/里山資本主義などに近いのかな。
・近代は資本主義と社会主義が対峙する時代であった。しかし経済か社会か、と云った単純な回答はない。どの様な学生時代を送ったか/どの会社に入ったか/結婚したか/子どもを育てたかなど、「経済」が社会的価値の大半を決める時代である。その「経済」を制御可能にし、助け合い/支え合う人間本来の社会に戻す必要がある。そのため多くの理念の中から選択する議論を行い、一歩一歩進めばよい。