『世界最強の女帝 メルケルの謎』佐藤伸行(2016年)を読書。
最近ドイツが騒がしいので、本書を選択。
EU中心国の独首相メルケルを解説。彼女は東独出身の「リケジョ」であり、注目される政治家です。
ドイツは圧倒的に親中/反日なんですね。知識不足でした。
お勧め度:☆☆☆(章立ても明解で、読みやすい)
キーワード:<培養基の東独>社会主義、シュタージ、語学、ベルリンの壁/プラハの春、物理学、結婚、<メルケル立つ>キリスト教民主同盟(CDU)、独統一/連邦議会議員、<お嬢ちゃん>女性・青少年相/環境・自然保護・原子力安全相、<親父殺し>独統一、欧州統合、幹事長、檄文/党首、首相、<独中ユーラシア提携>人権問題、政府間協議/大型経済プロジェクト、一帯一路、中国軍、デバイド・アンド・ルール、<メルケルを盗聴する米国>盗聴、イラク戦争、G20カンヌ首脳会議、<ロシア愛憎>エカチェリーナ、犬、ウクライナ危機、解放、天然ガス、<メルケル化した欧州>ユーロ、財政協定/ユーロ共通債、英国EU離脱、<リケジョのマキャベリスト>長考の政治家、不確実、プロテスタンティズム、空気投げ、<中韓の策中に嵌るな>独中関係
<女帝か聖女か>
・1989年「ベルリンの壁」が崩壊した年、アンゲラ・メルケルは政治の世界に入る。その後は大きな蹉跌もなく、伝統的保守政党「キリスト教民主同盟(以下CDU)」の党首になり、独首相になり、「欧州の女帝」になった。
・ヘルムート・コール元首相(1982~98年)は「独国旗に頭を垂れる前に、仏国旗に頭を垂れた」と言い、仏国に遠慮していたが、今や逆転している。「ユーロ危機」がなければ、彼女は欧州の先頭に立つ事はなかった。
・メルケルの人物評は様々あるが、彼女を支えた多くの政治家は、やがて彼女の踏み台となり消えていく。彼女を厳しく見れば、「権力亡者」「傀儡師」と云える。
・一方、彼女が「聖女」になった事もある。2015年シリア難民を大量に受入れた時である。しかしこの人道主義は、政治的致命傷になる恐れがある。
・他に彼女は「物まね上手」「笑い上戸」と云われている。
<培養基の東独>
・1954年メルケルの父ホルスト・カスナー(牧師)は東独での布教を打診され、生まれて間もない彼女を連れ、東独に移住する。彼女は1990年(35歳)まで東独の「社会主義独裁体制」の下で生活する。「猜疑心」が強いのは、そのためと思われる。
・東独から西独への「脱走」は、1961年「ベルリンの壁」建設まで続き、1954年は最初の5ヶ月で180万人が「脱走」した。
・父ホルストは牧師(ブルジョアジー)のため東独の監視対象であったが、彼は「解放の神学」(社会主義体制と教会は矛盾しない)を思想としたため、独裁政党の「社会主義統一党(SED)」ともパイプを持った。逆に「国家保安省シュタージ(=秘密警察)」は牧師を情報源として利用した。
・メルケルはベルリン北80Kmの小都市テンプリンで育つが、幼少期の記録は少ない。ただ「運動音痴」で「高い所から下るのが苦手」であった。これはジュークではない。また彼女は何度か骨折している。
・学校の授業で「飛込み」があり、彼女は飛込み台の上で45分考えた後、最後に飛込んだとされる。これは今の政治手法と同じである。
・祖父(父ホルストの父)はポーランド系であったが、第1次大戦直後にドイツに移住している。また母ヘルリントもポーランドのダンツィヒで生まれ、第2次大戦末期にドイツに引揚げている。
・彼女は理数系科目が得意であったが、語学力にも優れ、東独の「全国ロシア語弁論大会」で優勝している。また英語にも不自由しない。
・1961年西ベルリンを囲む、周囲160Km高さ3mの「ベルリンの壁」が建設される。1968年「プラハの春」が起こるが、「ワルシャワ条約機構軍」が鎮圧する。この両経験はメルケルの性格に影響を与えている。
・大学卒業後にシュタージが情報提供者になる様にリクルートしてきたが、「私はおしゃべりなので」と拒否した。これは両親の教えらしい。
・東独人口1600万人に対し200万人のシュタージ協力者がいたとされ、全国民の情報が文書化された。独統一後、「シュタージ文書」の閲覧が可能になったが、配偶者が協力者だったと知って、ショックを受ける人も多い。
・メルケルは「総合教育技術上級学校」の文化祭でブルジョア作家の劇を演じ、最後には革命歌「インターナショナル」を敵性語英語で歌う。これは造反行為であったが、父の庇護で処分を逃れる。1973年カール・マルクス大学に入学し、物理学を専攻する。
・彼女は「自由ドイツ青年同盟」に参加し、反体制活動家/人権活動家にならなかった。面従腹背であった。
・1977年ウルリッヒ・メルケルと結婚する。東独では学生は1部屋3,4人で住まわされる事が多く、学生結婚が多かった。3年後に離婚し、その後再婚するが、メルケルを改姓していない。1998年量子力学の権威ヨアヒム・ザウアーと再婚している。
・1986年メルケルは初めて西独を旅行し、東独との格差を知る。
<メルケル立つ>
・1989年11月「ベルリンの壁」が崩壊するが、当日メルケルは何時ものサウナに通った。
・壁崩壊後、彼女は社会主義と資本主義の中間に位置する市民運動政党「民主的出発」に参加する。1990年8月「民主的出発」は「東独キリスト教民主同盟(CDU)」に吸収され、10月独統一直前、東西CDUは合併する。彼女は「科学アカデミー物理化学研究所」を休職し、CDUに籍を置く。
・1990年3月東独初(※で最後?)の人民議会自由選挙が行われ、CDUのロタール・デメジエールが首相に就き、彼女は内閣の副報道官に就く。デメジエールは彼女の能力(特にロシア語)の高さに驚き重宝する。
・デメジエールは8月以降外相も兼ね、外遊が増える。9月に開催された戦勝4ヶ国/東独/西独の外相会議で独統一が承認される(2プラス4条約)。彼女はこの会議で、メディアには過度に情報を与えないのが得策と知る。
・1990年10月独統一により、メルケルは新聞情報庁に横滑りする。12月初の連邦議会選挙(総選挙)が行われるが、彼女は独統一交渉に当たったギュンター・クラウゼの支援で、旧東独メクレンブルク=フォアポンメルン州の連邦議会議員に当選する。
<お嬢ちゃん>
・1990年10月東西CDU合併大会の前日、メルケルは「ビスマルク以来の宰相」と云われるヘルムート・コール首相(1982~98年)と面談する。コールは彼女を気に入り、「私のお嬢ちゃん」と呼ぶ様になる。
・1991年彼女はコール内閣で史上最年少の閣僚(女性/青少年相)になる。彼女はコールの庇護を受けるが、後年反旗を翻し、引導を渡す事になる(後述)。
・メルケルが仏女性/青少年担当閣僚を訪れた時、相手はろくに挨拶もしなかった。
・続いて研究開発相と共にイスラエルを訪問するが、彼女へのインタビューはなかった。これは駐イスラエル独大使が西独出身で、彼女の訪問をイスラエルに伝えなかったとされる。
・1994年コールは総選挙で勝利し、彼女を環境/自然保護/原子力安全相に任命する。翌年彼女は「排ガス規制強化案」を作成し、根回しも済ませていたが、いざ閣議になると反対さる。コールに助けを求めたが、逆に「事前に皆と話をしていない」と叱られる。
・彼女は実際に泣く事もあったが、政治的耐久力を身に付ける。2011年G20でギリシャ救済をオバマに迫られ涙する事もあった(後述)。
<親父殺し>
・東独最後の首相となったデメジエールは、1991年9月シュタージ疑惑からCDU副党首を辞任する。同年12月メルケルがCDU副党首を継ぐ。1993年5月メルケルを支援したメクレンブルク=フォアポンメルン州議長ギュンター・クラウゼも公費の不正使用から州議長を辞任する。翌月彼女が州議長に承認される。
・この様に彼女を支援した男たちは失脚し、そのポストは彼女に転がり込む。その後もコール、ヴォルフガング・ショイブレも同じ目に遭う。
・彼女は「危機で生まれ、危機で強大化する政治的動物」と云える。
・1990年代独国は統一に苦悶し、「欧州の病人」と云われた。1998年コールは総選挙で敗れ、首相を辞任する。代わったのが中道左派の社会民主党(SPD)シュレーダーであった。
・独統一での最初の失策は1990年7月「通貨同盟」であった。東西マルクは実勢で1対7であったが、コールは1対1で交換した。これにより旧東独製品は割高になり、競争力を失った。また国営企業の民営化により、失業者は増大した。
・コールは「増税なき統一」を掲げたが、鉱物油税/保険税/付加価値税/連帯付加税などの増税が続いた。「ベルリンの壁」はなくなったが、「心の壁」が作られた。
・一方「欧州統合」は着実に進められ、1991年「マーストリヒト条約」合意、1993年域内単一市場の開始、1999年単一通貨ユーロ導入に向けて着実に進んだ。コールは「欧州統合」を歴史的使命と考えていた。
・1998年9月総選挙で敗れたコールはCDU党首を辞任、11月ヴォルフガング・ショイブレが党首に就く。メルケルはショイブレに大抜擢され党幹事長に就く。
・ショイブレは1942年生れ、独統一では西独内相として活躍し、「コールの懐刀」と呼ばれた。第2/第3次メルケル内閣(2009~18年)では財務相を務め、ギリシャ問題に当たった。
・1998年総選挙直前ショイブレはコールに反旗を翻す。この内紛もCDU敗北の要因とされる。11月党大会でショイブレは党首に就くが、コールは名誉党首として以前議決権を持っていた。
・しかし1999年11月コールに超弩級の不正献金スキャンダルが発覚する。12月メルケルはコールを党から追放する様求める「檄文」をメディアに送る。当初党は二分していたが、彼女を支持する声が次第に増え、翌年1月コールは名誉党首を辞する。献金スキャンダルはショイブレにも飛び火し、2月ショイブレも党首を辞する。4月党大会で彼女は党首に就く。
・2005年9月総選挙でCDUは僅差で勝利する。11月CDU/キリスト教社会同盟(CSU)/SPDの大連立がなり、メルケルが首相に選出される。
・2009年総選挙ではSPDが議席を減らしたため、彼女はCDU/CSU/自由民主党(FDP)の中道右派政権を樹立する。
・2013年総選挙は無風選挙となり、今度はFDPが議席を減らしたため、CDU/CSU/SPDの大連立政権を再度樹立する。
<独中ユーラシア提携> ※この章は重要な気がする。
・メルケルは2005~15年に8度中国を訪れているが、日本には3度しか訪れていない(内1度は洞爺湖サミット)。また中国温家宝首相(2003~13年)は毎年独国を訪れている。
・彼女の最初の訪中は2006年5月であった。彼女は獄中の金魯賢をいたわり、人権問題に注文を付けた(※よく中国が許したな)。しかし経済代表団は19プロジェクトで合意する。
・2007年8月彼女は2度目の訪中をし、ここでも人権問題から反体制ジャーナリストと会談する。次に「南京事件」70年の節目に当たる南京を訪れる。これは訪中後に日本を初訪問するメルケルを、中国が利用したと思われる。
・2007年9月メルケルは危険な「政治的実験」に挑む。ベルリンの首相官邸でダライ・ラマと会談する。これに対し中国は、「法治国家対話」「人権対話」のボイコット/マルチビザの発給停止/作成不可能な証明書の作成/北京五輪での記者の入国拒否などの報復に出る。結局独外相は、チベットの分離独立を認めない「謝罪文」を提出する。
・その後中国との人権外交は「儀式」となり、輸出依存の独国は「ビジネス・ファースト」に専念する。※先日劉暁波の妻を引き取った。
・2011年6月独中は「政府間協議」を開く。中国は欧州債務危機の国債の買入れ/60機以上のエアバス購入を発表する。大型経済プロジェクト(自動車大手フォルクスワーゲン/ダイムラー、化学大手BASFが中国に工場を建設など)の契約書が乱舞され、「戦略的パートナーシップ」が一段と強まる。
・2012年2月メルケルは前年11月EUで合意した「財政協定」を携え、5度目の訪中を行う。中国に「欧州金融安定ファシリティー」への出資を要請するが、約束は得られなかった。
・同年8月「政府間協議」として6度目の訪中を行う。彼女と温家宝首相は親密な関係であった。
・2013年3月新首相李克強が独国を訪問する。彼はポツダムを訪れ「戦後秩序を乱す国(日本)を許さない」と発言する。人権問題については「人権対話と法治国家対話を継続する」に留まる。一方ジーメンス/フォルクスワーゲン/BASFなどの数十億ユーロに及ぶ事業契約が調印される。
・2013年秋メルケルは総選挙で勝利し、年末に大連立の第3次内閣が発足する。「連立協定」には、「日本はアジア外交の重要な支柱」と記される。一方中国に関しては「利害ゆえの戦略パートナーで、政府間協議で政治的/経済的協力を強化する」「中国憲法で保障されている人権が尊重されるよう取り組む」「知的財産権の保護/サイバーセキュリティを強化する」などが記される。これは「親中」から「親日」への転換を思わせた。※この頃中国の横暴が目立ったからな。
・2014年3月習近平主席は独国を訪れ、ルール地方のデュースブルク駅で貨物列車を出迎える。中国は「一帯一路」を掲げ、デュースブルクは「新シルクロード経済圏」の西の終点であった。輸送日数は海運の半分(16日)となった。これはシーパワー(日本-米国-英国)に対抗するランドパワー(独国-ロシア-中国)と云える。
・2014年7月彼女は7度目の訪中を行い、大型経済プロジェクトで合意する。フォルクスワーゲンは青島/天津に工場を建設する。これで同社の中国工場は20ヶ所となった。
・独国が日本と親しかったのは一時の事である。1895年日本は「日清戦争」に勝利し「下関条約」を締結するが、すかさず露独仏が「三国干渉」している。清の主力艦「定遠」「鎮遠」は独国製であった。
・第1次大戦で日本は、独国領の山東省青島/南洋諸島を占領し、その後も権益は保持する。一方独国は蒋介石の中国軍を錬成し、上海-南京間の塹壕構築にも協力している。ヒットラーが軍事顧問を引上げたのは1938年で、彼は親中/親日で揺れ動いていた。
・1989年「天安門事件」以降、EUは中国への武器輸出を禁止しているが、部品は問題なく輸出され、中国軍はEUによって支えられている。中国海軍の艦艇の大半は独製/仏製のエンジンを積んでいる。
・独国で世論調査すると、中国を好感している人は24%しかいない。中国を独裁国家と見ている人は81%、言論の自由がないと思っている人は87%に達する。一方経済面では「中国は米国と同等以上に重要」と考えている人は84%に達している。※さすが独国人、現実的。
・ヘルムート・シュミット元西独首相(1974~82年、SPD)は、独仏枢軸/欧州統合をなした「理性の化身」であったが、彼の語録には余りも中国擁護論が多い。
・中国にとっての独国は対日外交が目的ではなく、欧米陣営から欧州を分離させるのが目的である。「欧州外交問題評議会」は政策論考「独中関係はなぜ欧州にとって問題か」を発表している。同論考には「中国はG2ではなく、G3(中国、米国、欧州)を志向している」と記されている。
・2015年「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」では、米国の制止を振切って、欧州各国は雪崩を打って参加した。
・「太陽光パネル」での欧州と中国の貿易摩擦では、独国は中国側に付いた。一方英国キャメロン首相は、2015年習近平の訪英で、中国製原発の導入を決め、さらに「中国市場にて英国は、独国と競争していく思惑がある」と発言している。かつて中国は欧州に「デバイド・アンド・ルール」(分割して統治せよ)されていたが、今や逆転している。
※独国と中国はこんなに親密なのか。両国とも反日で、「敵の敵は味方」かな。
<メルケルを盗聴する米国>
・2009年11月メルケルは訪米し「上下両院合同会議」で演説する。独首相が米議会で演説するのは「西独建国の父」コンラート・アデナウアー以来であった。彼女は「西独のおばから送られる米国製ジーンズが楽しみであった」や米大統領への謝意を演説する。2011年彼女はオバマから、最高勲章「自由勲章」を授与される。
・2013年米国家安全保障局(NSA)がメルケルの携帯電話を盗聴していた事が発覚する。米国は2002年頃から盗聴していたと思われる。前年9月「米国同時多発テロ事件」が起き、2002年は独総選挙の年で、シュレーダー首相(1998~2005年)は反米反戦を掲げ、「イラク戦争」反対を訴えた。もしシュレーダーが負けていれば、彼女が首相になる可能性があった。
・メルケルは学生時代、「社会主義統一党」の青年組織に入っていたが、その活動内容は分かっていない。またマルクス・レーニン主義を称賛する論文も書いているが、その論文は行方不明になっている。
・「イラク戦争」は独仏の外交の転機になる。開戦後、米国によるテロ容疑者への虐待/アブグレイブ刑務所での捕虜虐待などにより、米国への信頼は失われた。2014年独国での世論調査で、57%の人が「米国とは異なる安全保障/外交政策を取るべき」とした。またEUと米国との自由貿易協定に関しては、米国食品の安全性/国家・企業紛争解決(ISDS)条項への反対が独国で特に強い。
・ブッシュ大統領(2001~09年)とシュレーダーの関係は最悪で、ブッシュはロシア(プーチン大統領)-独国-仏国(シラク大統領)を「三国枢軸」と称した。そんな中、2005年11月にメルケルは首相に就く。
・2008年4月「北大西洋条約機構(NATO)」首脳会議でブッシュは「ウクライナ/グルジアのNATO加盟」を提案するが、「両国がNATOに加盟するなら、軍事手段も辞さない」とするプーチンに配慮し、メルケル/サルコジはブッシュ案を見送らせる。
・2008年7月米大統領選中にオバマがベルリンを訪れた時、「ブランデンブルク門」(レーガンが「この門を開けなさい。この壁を倒しなさい」と演説した場所)で演説する計画があったが、メルケルは「ジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)」(プロイセンの対デンマーク/対オーストリア/対仏戦争での勝利を記念する場所)で演説させた。
・そのためか2009年6月大統領となったオバマは訪独するが、ベルリンには行かなかった。
・2011年11月仏国カンヌでG20首脳会議が開かれる。この会議は直前のEU首脳会議で決まったギリシャ支援策をギリシャに飲ませる会議(第1戦線)であったが、実は「第2戦線」も存在した。オバマ/サルコジはメルケルに、国際通貨基金(IMF)の特別引出し権(SDR)を債務危機の「防火壁」に投入する案を提案するが、彼女はSDRはドイツ連銀の管理として断固反対する。彼女の涙もあったためか、この案は雲散霧消する。
・パッションなきメルケル政治は、米国に対してもビジネスライクである。
<ロシア愛憎>
・メルケルの首相官邸執務室には、ジャーナリストから送られた女帝エカチェリーナ2世(位1762~96年)の肖像画が飾られている。彼女とエカチェリーナには幾つかの共通点がある。二人は共にプロイセン人でロシア語を話す。小貴族に生まれたエカチェリーナは15歳で皇太子ピョートルに輿入れしている。エカチェリーナは近衛連隊によるクーデターで即位し、ポーランド分割を行い、2度の露土戦争に勝利している。また大農民反乱(1773~75年)を弾圧している。
・メルケルは学生時代にレニングラード(現サンクトペテルブルク)/アルメニア/グルジア/アゼルバイジャンなどを旅行している。シュタージ文書には「彼女はソ連を独裁国家と考えているが、ロシア語/ソ連文化には感銘を受けている」と記されているらしい。
・「ベルリンの壁」が崩壊した時、プーチンは「ソ連国家保安委員会(KGB)」ドレスデン支部のナンバー2であった。2001年9月プーチンは独連邦議会で演説するが、その時メルケルは彼に警戒心を抱く。
・2006年1月首相に就いて間もない彼女はモスクワを訪れる。彼女は前首相シュレーダーとは異なり、チェチェン紛争など人権/民主的問題を取り上げる。会談後、彼女に黒白のブチ犬のぬいぐるみが送られる(彼女は大の犬嫌い)。翌年彼女はソチにあるプーチンの別荘を訪れるが、その時はプーチンは愛犬の黒いラブラドルを会談場所に引入れている。
・2014年初「ウクライナ危機」が起こる。これはEU/NATOの拡大にロシアが対抗した21世紀の巨大地震である。この和平はロシア/ウクライナ/独国/仏国で、米国抜きで行われた。かつては独国は第2次大戦の負い目から、国際問題で米国/仏国の前に出る事はなかったが、この交渉では先頭に立った。
・しかし独国にとってロシアは重要な輸出国であり、多くの企業がロシアに進出していた。またエネルギー(天然ガス)の多くをロシアに依存していた。そのためロシアに対し宥和的にならざるを得なかった。
・ウクライナはソ連/独国による壮絶な現代史を持つ。ソ連は植民地を持たなかったため、スターリンはウクライナを植民地化し、その穀物で外貨を獲得する手段に出る。1930年代スターリンはウクライナの農業を集団化し搾取を始める。これにより300~600万人の餓死者が出たとされる。ヒトラーも同様にウクライナを「レーベンスラウム」(生存権)と考え、独ソ戦でウクライナを占領し、穀物/労働力の供給源にした。※この歴史は知らなかった。ポーランドみたいだな。
・2015年5月9日は第2次大戦終結70周年であった。メルケルはさすがに当日のプーチン/習近平などが並ぶ「赤の広場」の軍事パレードには出席できず、翌日「無名兵士の墓地」で献花する。そこで彼女は「独国はソ連軍によりナチスから解放された」と謝意を述べる。これは、かつてはなかった歴史認識であった。
・独国は「ウクライナ危機」によりロシアに制裁を掛けているが、エネルギー(天然ガス)による強い引力も存在する。ウクライナはロシアと天然ガスで度々問題(ロシア・ウクライナ・ガス紛争)を起こす。そのためウクライナを経由せず、バルト海経由でロシア-独国間を結ぶ「ノルドストリーム」が建設される。また同様にウクライナを経由せず、黒海経由でロシア-東欧を結ぶ「サウスストリーム」が計画されるが、こちらは足並みが揃わず中止となる。※最近トルコ経由が建設された。
・独国は天然ガスでもロシアと欧州の節点に立ち、その影響力を保持している。メルケルは究極のバランスゲームに腐心している。
<メルケル化した欧州>
・1999年欧州単一通貨「ユーロ」が見切り発車する。ユーロは「地獄の通貨」とも呼ばれる。かつては「仏国には核があり、独国にはマルクがある」と云われており、独国はユーロ導入に反対であった。
・EUの源流は「欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)」で、石炭/鉄鋼の共同利用を目指すものだった。「独統一」に関しても、英国/仏国は当初反対していたが、コール首相の「独統一は欧州統合の前提条件」発言から賛成に転じる。
・独国はワイマール時代に天文学的インフレがあり、「安定した通貨」「強い通貨」を絶対的に求めていた。そのため「欧州中央銀行(ECB)」の第1目的も「物価の安定」に設定された。
・ユーロ導入で「ユーロ圏経済の平準化」が期待されたが、予想に反し、北部の「勝ち組」と南部の「負け組」に二極化した。
・かつて宰相ビスマルクは独国を「欧州で覇権を握るには小さすぎ、バランスを取るには大きすぎる」と評している。コーネリウスは、これを「独国の半覇権」と呼んでいる。
※本書には政治/外交ジャーナリストのシュテファン・コーネリウスおよび、政治学者ゲルト・ラングートの著書からの引用が多くあります。
・欧州は「独国(メルケル)の欧州」になったが、そのタイミングは2010年10月彼女とサルコジ大統領(2007~12年)がユーロ危機の対策を仏ドーヴィルで決めた時、あるいは2011年12月EU首脳会議で「財政協定」が合意された時と云える。
・ドーヴィルは独仏首脳会談で「メルコジ」誕生の地になり、その後「メルケルが考え、サルコジが走る」と云われる様になる。
・2011年EU首脳会議で「財政規律」の違反国に制裁を科す「財政協定」が合意される。一方独国の信用力を背景にした「ユーロ共通債」は彼女の猛反対で廃案になる。
・メルケルが欧州/ユーロを守るのは、欧州/ユーロが独国の力を増大させるからである。その意味で彼女の首相就任時の宣誓の「独国民の安寧/利益を追求し、損害を防ぐ」に徹していると云える。
・2011年EU首脳会議で、独仏は最初はEU加盟国全体での「財政協定」合意を考えていたが、英キャメロン首相(2010~16年)の反対でユーロ加盟国に縮小する。この様に英国と独仏の対立は深刻化し、2016年英国は「EU離脱」の是非を問う国民投票へ向う。※EU離脱は昔からの問題だったのか。
・独国では「緊縮」は「倹約」「節約」を意味し美徳とされる。一方「借金」には「罪」「責任」などの意味も含まれる。独国では「消費より貯蓄」で、これは民族的慣習である。独国人の買い物は、53%が現金で支払われ、クレジットカードは7%に過ぎない。同じアングロサクソンでも、経済を金融化した米英と大きく異なる。
・独統一での1対1での通貨統合により東独は「産業が砂漠化」するが、「連帯付加税」などで全面的崩壊を免れた。しかしユーロ周辺国には、これに相当する資金移動は行われていない。ギリシャでは「緊縮反対」を掲げるチプラスが首相(2015年~)に就き、デフォルトとユーロ離脱の火種がくすぶり続けている。
・ギリシャには、ナチスに占領され、食糧を奪われ、多くの餓死者を出した歴史があり、メルケルも「悪魔」として描かれる。一方難民問題では「慈母」の様相を見せたが、これにより新たな難民を誘引し、危機を招いている。
<リケジョのマキャベリスト> ※様々な評価があるもんだ。
・独国で首相を3期以上務めた人は、「建国の父アデナウアー」「ビスマルク以来の宰相コール」とメルケルしかいない。
・彼女は政治と権謀術数に科学的実験を応用している。そのため「リケジョのマキャベリスト」と分析される。
・メルケルは元々は権力闘争は嫌いだったが、今や政治的勝利を「蜜の味」と感じている。※本人でないと分からないが。
・彼女に政治的イデオロギーはない。彼女は問題の解決手段を導き出し、途中で間違いに気付けばそれを修正する。彼女の最大の豹変が原発問題である。当初は原発推進派であったが、2011年福島第1原発事故で原発全廃に転換する。
・また彼女は「長考の政治家」である。彼女は徹底的に資料/情報を集め、それをよく勉強する。そして決断には時間を掛ける。時間が経過すると供に選択肢が絞られ、彼女はそれを選択するため、国民からの反発は起きない。彼女の師匠コールは「待つ政治家」であったが、彼女もそれ以上に「待つ政治家」である。
・メルケルは「カオス」「不確実」を恐れる。子供の頃クリスマス・プレゼントが何かを事前に確認していた。
・彼女は一つの問題を大小様々な問題に分割して考える。独国人の組織力/システム構築力は恐れられているが、彼女もその能力に長けている。
・彼女の「緊縮」「倹約」「自己鍛錬」「自己改善」などへの情熱は、プロテスタンティズムに通じる。
・彼女は問題に直面し、それを解決するのを喜びとしている。そのため「メルケルは不敗」と云われる。また逆に「メルケルに長期ビジョンはない」と云われる。
・メルケルのライバル政治家(デメジエール、クラウゼ、コールなど、※多数紹介しているが省略)は悉く失踪してしまう。それゆえ「メルケルは空気投げを使っている」と云われる。※面白い表現。
・2012年5月仏大統領選でメルケルが応援したためかサルコジは敗れる。伊ベルルスコーニ首相も政界(第4次2008~11年)を去る。英キャメロン首相(2010~16年)も「メルケルの欧州」から弾き飛ばされている。
・今やEUの中心は独国に定まったが、これは必ずしもメルケルの手腕ではない。欧州共同体(EC)の頃、中心は仏国であった。EUの東方拡大(2004年第1次、2007年第2次)により、独国に移った。※地理的な話だけ?
<あとがき-中韓の策中に嵌るな>
・戦後「次はイタリア抜きで」と言う独国人がいたが、これは嘘で、「ナチスと同盟した日本と組むなんて、冗談でしょう」が本音と云える。
・1990年代「統一コスト」で疲弊した独国にとって、豊富の資金で世界を買い漁った日本は反感の的であった。独国の「日本パッシング」、いやそれ以上の「日本無視」は今も続いている。※そうかもね。
・1993年コールは経済面での大代表団を引連れ訪中し、投資案件をまとめた。これはその後の独中関係の原型になる。独中の「一蓮托生」「蜜月」は今後も続き、日本への圧力として作用し続けるだろう。※日本は米国従属なので、何も気付いていないのかも。