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『だから日本はズレている』古市憲寿(2014年)を読書。

日本における様々な認識のズレ(リーダー、クールジャパン、ポエム、テクノロジー、ソーシャル、就活カースト、新社会人、ノマド、学歴、若者、革命)を解説しています。
その視点は「おじさん」目線ではなく「若者」目線なので、中々参考になる。

お勧め度:☆☆

キーワード:<はじめに>若者、ズレ、<リーダー>ジョブズ、トップダウン、ゲリラ戦、リーダー論、フォロワー、<クールジャパン>東京オリンピック、ポップカルチャー、マーケティング、<ポエム>心のノート、憲法改正草案、退屈、平和/治安、<テクノロジー>スマート家電、監視/管理、マイナンバー、<ソーシャル>ソーシャルメディア、不買運動、炎上、<就活カースト>人気企業ランキング、<新社会人>入社式/社会人、<ノマド>脱サラ、フリーター、<学歴>学歴社会、身分制度、<若者>格差/満足、デモ/選挙、静かな変革者、<革命>シェア、ダウンシフターズ、コンサマトリー、やさしい改革、<2040年の日本>ベーシックインカム、コンパクトシティ

○はじめに
・著者は『絶望の国の幸福な若者たち』を出版してから、政府の会議/企業での講演/討論番組などに呼ばれる様になった。世間は「若者」に関心がある様である。
・日本は「強いリーダー」を求めながら、自分では動かない。「クールジャパン」「おもてなし」と云いながら、その内実は古い。実力主義と云いながら、学歴/社歴で判断するなど「ズレ」が散見される。
・本書の前半は日本の大きな「ズレ」を焦点に、後半は「ズレ」の中でもがく「若者」を描く。

○「リーダー」なんていらない
・日本には「強いリーダー」への待望論がある。しかしそれは現実的でない。本章では「リーダー」に何が必要なのかを述べる。
・「ジョブズみたいなリーダーがいれば、日本は再生する」などの待望論があるが、リーダーは出現していない。それは必要ないからである。

・ジョブズは「Mac」「iPHONE」などを生んだイノベーターである。しかし彼がいなくても、それらに相当する製品が生まれた可能性はある。いやそれ以上の製品が生まれたかもしれない。
・ジョブズの成功に対し「生存バイアス」が掛かっていると思う。メディアは彼のトップダウンによる成功事例だけを取上げるが、彼は何度も会社を潰しかけている。
・企業ならトップダウンでも構わない。失敗すれば市場から消えるだけである。しかし政治がトップダウンで失敗しては困る。むしろ独裁制はデメリットが多い。

・日本は巨額の国債債務/エネルギー/少子化などの問題を抱えている。しかし政治が出来る事は限られ、今や社会を動かしているのは巨大IT企業/国際NGO/テロリストなどである。米国はウィキペディア/ウィキリークス/スノーデンに翻弄された。
・かつては「戦争に勝つ」「経済成長する」など単純で共有された「大きな物語」があった。それには官僚制が有効であったが、官僚制は突発的出来事に弱い。現代は「ゲリラ戦」であり、「リーダー」一人に任せる時代ではない。

・起業家論を見ると、ジャン=バティスト・セイ「ネットワークを形成できる人物」、フランク・ナイト「リスクを引き受ける人物」、シュンペーター「新しきものを創造する人物」、ドラッカー「秩序を破壊/解体する人物」などである。これらはリーダー待望論と同じで、「閉塞した会社/社会を若者に変えて欲しい」との期待である。
・巷には「リーダー論」が溢れている。松下幸之助などの起業家/ビジネスコンサルタント/経営学者などが様々な「リーダー論」を展開している。しかし松下幸之助の「リーダー論」にしても、「辛抱する/即決する」や「世間に従う/世論を超える」など矛盾するルールがある。要するにケースバイケースで「リーダー論」は異なるのである。

・リーダーは状況に応じて生まれるものであり、「できる人」でなくても良い。マンガ『アゲイン!!』のリーダーは、「お前ら困っているんだから助けろよ」から生まれた。要するに、リーダーの本質は「付いて来る人がいる」である。フォロワーの存在が重要なのである。
・「官僚制がダメだから、地方に任せよう」など、他人任せでは進展はない。自分達で問題解決できる事は多い。病児保育問題のNPO「フローレンス」、食の安全の「生協」/ファーマーズマーケットなどがある。
・リーダーに無謬性を求める必要はない。リーダーは流動的であっても問題はない。一人のリーダーに委託するのは幻想である。
※大変参考になるリーダー論だ。

○「クールジャパン」を誰も知らない
・2013年9月オリンピック委員会(IOC)総会で、2020年の開催都市を決める投票が行われた。日本のプレゼンは過剰に芝居ががっていた。委員会で語られた事が真実なら、日本はアジアで信頼され/東京に住む人はスポーツを愛し/日本人は全て「おもてなし」の心を持ち/福島原発は完全にコントロールされている事になる。

・2020年オリンピックの最終候補地に選ばれると、招致委員会は「ニッポンにはこの夢が必要だ!」「日本に目標を!」「子供達に夢を!」「一体感こそ日本に必要だ!」などの暑苦しいメッセージを掲げた。この暑苦しいメッセージの原因は、マドリード/イスタンブールに比べ低い、東京都民の支持率にあった。
・「日本に目標を!」「日本が一つになる喜びを!」などは発展途上国が掲げるメッセージである。日本は世界で最も豊かな国である。ナショナリズムを煽ったり、IOCの商業主義に相乗りするのではなく、東日本大震災を経験した日本だからこそのメッセージを掲げて欲しかった。

・この日本の情報発信の下手さは、「クールジャパン戦略」にも表れている。
・2005年頃から「クールジャパン」が云われ始める。現代アートの村上隆や『クールジャパン-世界が買いたがる日本』などが始まりである。当初はアニメ/映画/ファッションなど、日本のポップカルチャーを指した。
・政府もこれに乗り、2010年民主党政権は「クールジャパン室」を開設した。自民党政権もクールジャパン戦略担当大臣を置き、稲田大臣に「ゴスロリファッション」をさせた。当初はポップカルチャーに限られたが、日本食/伝統工芸なども範疇に含まれる様になった。

・国のプレゼンスを高めるために文化を利用するのは、古くからある外交手段である。ルイ14世は、フランスの書物/絵画/彫刻などを海外に展開した。日本も幕府/明治政府は万博に出展している。
・1933年日本は国際連盟を脱退する。まもなく「国際文化振興会」を設立するが、日本の孤立化は進む。これは戦前の「クールジャパン戦略」であるが失敗している。

・2011年「クールジャパン官民有識者会議」は、「『世界はつながりあった共同体』の機運があり、日本が本来持つ精神性への回帰と新たな進化を掲げ、日本ブランドの輝きを取り戻すべきだ」を提言する。※難しい。
・2013年「クールジャパン推進会議」が開催される。この会議はトータルコーディネート/一緒に/きっかけ/みんなで/愛され方/ストーリー/育てるをアクションプランとする。※これも難しい。
・これらは何れも抽象的で、「クールジャパン」が何なのか理解できない。

・政府は「クールジャパン戦略推進事業」に補助金を支給している。「クールジャパン」の人々は、児童ポルノ禁止法改正案/劣悪な環境で働くクリエーター/深夜営業が規制されている風営法には無関心である。
・島田健弘は「クールジャパン戦略」を「ジャパンブランドによる外貨獲得戦略」と定義している。そうだとすると、訪日外国人向けのポータルサイトがない。韓国には「コネスト」と云う、充実したサイトがある。
・外国人に人気の観光スポットは広島平和公園/伏見稲荷/東大寺などで、京都/奈良が定番で、施策もそれに乗れば良い。東京オリンピック招致の大使がドラえもんであったり、観光ナビゲーターに嵐を起用したり、マーケティングの視点が皆無である。
・韓国はBoAに韓国出身を臥せ、日本語の曲を歌わせるなど、徹底している。これこそ「おもてなし」である。

○「ポエム」じゃ国は変えられない
・政府が掲げるメッセージは論理性がなく感情的で「ポエム」である。それは道徳の「心のノート」や憲法改正草案にまで及んでいる。

・森首相の諮問機関「教育改革国民会議」の答申を受け、2002年道徳の副教材「心のノート」が小中学校に配布された。良識派知識人はこれを批判した。
・2013年7億円の予算で、この「心のノート」が復活になった。「心のノート」を読むと、「自分探しの旅に出よう.. そこに何かが待っている..」など、J-POPの歌詞と思えるポエムである。
・さらに読むと、「この瞬間を精一杯生き抜こう」「人間としての誇りを持とう」など、やはりポエムである。一方で「この学級に正義はあるのか」など西洋発の価値観「人権」「正義」の押し付けもある。

・この「心のノート」は「心」の純化を期待しているみたいで、学級崩壊/いじめ/不登校などの問題を意識したものと思われる。「心」は人と人との対話の中で成長していく。この抽象的な国定ポエムを配り続ける意味があるのだろうか。

・2012年自民党が作成した「憲法改正草案」も、驚くべき事にJ-POP風ポエムである。90年代J-POPのモチーフは「退屈な日常からの脱出」であったが、この憲法改正草案にもそれが感じられる。
・日本は国連人権理事会/アムネスティから警告を受ける「人権後進国」である。死刑制度/代用監獄制度/取調べの可視化などの人権弾圧が存在する。これらは憲法を改正しても変わらないだろう。
・日本は仏国の自由・平等・博愛/米国の自由と民主主義などの価値観がない。単に「現憲法が気に入らないから変える」、そうとしか思えない。これは「退屈な日常からの脱出」と同じである。

・多くの近代国家は植民地から独立し、「建国の理念」を持つ。しかし日本にはそれがない。明治維新は無血改革であった。戦後独立したが、その日は「建国の日」「独立記念日」にはなっていない。むしろ米国に好意を抱いている。※確かに不思議だ。
・90年代から社会状況も変わり、貧困/格差がニュースを賑わせている。モチーフも「退屈からの脱出」から「仲間への感謝」「日常の素晴らしさ」などに変わった。日本人に変わらず共有され続けている意識は、平和/治安の良さではないだろうか。これを根本としない憲法は受け入れられないと思う。

○「テクノロジー」だけで未来は来ない
・この国のおじさん達は、リーダー/オリンピック/憲法などに過度に期待している。本章ではスマートフォン/マイナンバーなどへの期待を見てみる。

・ニコンが、ツイッター/フェイスブック/メールができるデジカメを出した。パナソニックは、スマホから操作できる洗濯機、インターネットから操作できるエアコン/冷蔵庫などの「スマート家電」に注力している。
・家電メーカーご乱心の原因は、家電のコモディティ化にある。メーカーによる性能差はなくなり、価格でしか優位性が打ち出せなくなった。そのため価格で不利の日本メーカーは付加価値を付けるしかなかった。

・しかしこれらの商品は苦戦している。原因は3つある。1つ目は、これらの付加価値の高い商品を誰が買うだろうか。関心はあるが、高いお金を払ってまで購入しないだろう。
・2つ目は、製品の本質が疎かにされている。サービス/商品には「本質的な価値」と「付随的な価値」がある。購入に際し重要なのは「性能が良い」「価格が適正」などの「本質的な価値」である。
・3つ目は、世界的なパラダイムシフトに乗り遅れている。今はアマゾン「キンドル」/グーグル「ネクサス」など、IT企業が製造業に参入している。今は製品の性能だけではなく、サービス全体で選択される時代に変わった。

・タブレットで映画/電子書籍を見たり、LINEするなど便利になった。一方で本人確認を健康保険証でするなど、一向に進まない感もある。出入国審査システム「J-BIS」を利用できるのは、登録した希望者だけである。
・指紋一つで個人認証できる世の中になれば、何と便利だろうか。買い物に財布はいらない、自分が過去に買った衣服も簡単に参照できる、病院にも手ぶらで行ける、自動車のキーもいらない。お金がなくなるので、泥棒も入らない(※物は盗まれる)。個人の財産は全て把握されている。監視される事は、管理してもらっているのと同じである。
・監視自体が悪いのではない、監視によって明らかになった情報を、国家がどう利用するかが重要である。歴史的にも監視のない社会は皆無である。

・日本では本人確認や納税で不便する。2013年その解消のため「マイナンバー法」が成立した。システム設計/導入に数千億円掛け、システムを構築した。システムはまだ小規模だが、徐々に拡大するらしい。
・80年代の「住基ネット」、90年代の「社会保障カード」など、日本の監視システムは失敗続きである。
・友人が出入国審査システム「J-BIS」の指紋登録に行ったが、担当者が不慣れで中々登録できない。空港で利用しようとすると、指紋が読み取れず、結局対面審査になった。テクノロジーへの全面的な依存は難しい。

○「ソーシャル」に期待し過ぎるな
・近年大企業はフェイスブック/ツイッターなどの「ソーシャルメディア」でマーケティングを行っている。このソーシャルメディアは「共感」をベースにしている。しかし企業の意図とは逆に、悪い情報が拡散するケースが見られる。

・2011年8月フジテレビのある「お台場」で、「偏向報道はやめろ」「韓流いらない」などを掲げた8千人規模のデモが起こる。これはフジテレビの「韓流ドラマ」の放送が起因だが、フジテレビには特に偏向の意思はなかった。さらにスポンサーであった花王の不買運動に発展した。
・実は不買運動は過去に幾つもある。1970年カラーテレビの販売価格の二重価格疑惑から不買運動が起き、日立100億円/東芝80億円/三菱60億円などの損失が発生した。※これは国内と海外との価格差(ダンピング)かな。
・ソーシャルメディアによる企業バッシングは一過性のもので、恐れる必要はない。

・著者も何度か「プチ炎上」を経験している。フジテレビ「とくダネ!」に出演し、学校を荒らした生徒を「かっこいい」とコメントした。これに対し抗議が殺到した。
・そこで炎上防止策を考えてみた。防止策は2ケースに分かれる。自分の意見に賛同者が多い場合は、黙っていれば良い。賛同者が解決してくれる。一方賛同者が少ない場合は、直ぐに謝罪すべきである。
・法廷/学会は、あらゆる証拠を集め、真偽を判定する世界である。一方ソーシャルメディアやビジネスは、感じが良い/信頼できそう/雰囲気/話し方/ルックスなどで判断される世界である。
・2013年橋下大阪市長も「慰安婦肯定発言」で泥沼に嵌っている。

・『誤解されない話し方、炎上しない答え方』では、炎上回避方法を、①ネガティブな話をしない②差別的な発言をしない③犯罪を肯定しない④批判は慎重に⑤話し相手を錯覚しない⑥他人に関するコメントは慎重に、としている。誰もが見れるテレビ/ネットでは「炎上しない話し方」を心がけるが、読者が限定されるラジオ/雑誌では過激な発言を惜しまない、が妥当なところか。

・2013年参議院選挙は、初の「ネット選挙」であった。話題となった鈴木寛/伊藤洋介は落選した。2014年東京都知事選でも家入一真は落選した。これがネット/ソーシャルメディアの実力である。ソーシャルメディアに過度に怯える必要はないし、過度に期待しても仕方がない。
※ソーシャルって、こんなものかな。

○「就活カースト」からは逃れられない
・学生は就職活動(以下就活)によって、「就活カースト」の存在を知る。就活の状況次第で友達関係も変わる。「いい企業」に内定した人は評価が高まる。

・毎年「就職人気企業ランキング」が発表されるが、それを見ると社会の変遷が分かる。1965年を見ると、文系-東洋レーヨン/大正海上火災保険/丸紅飯田、理系-日立製作所/日本電気/松下産業である。当時は合成繊維が期待された。
・1966年以降、新聞社/広告代理店/航空会社が人気となる(※マスメディアの隆盛かな)。1969年のランキングでは長崎屋/西友などが目立つ(※大量消費社会の始まりかな)。

・1971年文系ランキングには日本航空/ダイエー/長崎屋/西友が入っている。「空の旅」が大衆化した時代だが、2010年日本航空は会社更生法の適用を申請する。2004年ダイエーは産業再生機構に支援を要請する。2010年長崎屋は会社更生法の適用を申請し、今はドン・キホーテの傘下にある。西友はウォルマートの傘下にある。
・1971年理系男子ランキングのトップ20の内、業績が今でも順調なのは半数しかない。1996年のランキングには、2年後に経営破綻する日本長期信用銀行が入っている。

・リクルートの調査では、ランキング・トップ10社の内、10年後に残っている企業は3社しかない。またランクインするのはBtoC企業だけで、BtoB企業(商社は例外)はランクインできない。要するに学生は身近な話題で選んでいるに過ぎない。
・ここまで学生をバカにしてきたが、大人も学生と同じでブランドイメージでしか企業を判断していない。企業の倒産率は、圧倒的に中小企業が高く、「人気企業」に勤めていれば、転職/独立にも有利である。雇用がいくら流動化しても、「人気企業」に入れるチャンスは一度しかない。「就活」が過熱しない訳はない。

○「新社会人」の悪口を言うな
・学生は「入社式」を経て「社会人」になる。「入社式」は日本独特の儀式と云える。1971年の「入社式」での社長訓示には、「組織に活力」「積極性」「創造力」「国際的感覚」などが見られる。2012年の社長訓示でも「自らを鍛錬」「グローバルな感度」「若い力の発揮」など、過去と変わらない空虚な言葉が並ぶ。

・「社会人」も日本独特な言葉である。企業の採用ページに「先輩社会人」の紹介があるが、「毎日ワクワク」「夢はハッピーになる事」などが書かれている。しかしこれは現実ではない。
・著者は人気企業である新聞社/出版社の編集者と一緒に仕事するが、彼らの仕事のお粗末さに驚く事が多い。実は企業はそんな「社会人」の集まりである。
・「今年の新入社員は使えない」をよく耳にするが、当然である。「仕事ができる」かは、その職場でのルールを、如何に多く取得できるかにある。しかも日本は雇用の流動性が低いため、暗黙知(暗黙のルール)も多く存在する。※この辺りは当然かな。

・「若手社員を大事にしている」と企業は言うが、意思決定機関に若者がいる企業は少ない。企業の持続性を考えるなら、優秀な若者を集め、自社にあった教育をし、彼らを育てる必要がある。しかしマーク・ザッカーバーグ(フェイスブック)/三木谷浩史(楽天)が成功したのは何歳の時か。優秀な人材であれば、それなりの地位を与えるべきである。
・若手社員を育てる方法は、ドンドン仕事を任せる事である。彼らは責任感を十分持っている。また組織に長くいると、その欠点が見えなくなる。若者の声を聞いて、ビジネスに活かすべきである。

○「ノマド」とは、ただの脱サラである
・少し前「ノマド」と云う言葉が流行った。これは2009年佐々木俊尚『仕事するのにオフィスはいらない』、2012年安藤美冬『情熱大陸』によって知名度を得た。「ノマド」は遊牧民の意味で、1970年代の「脱サラ」に相当し、「自分らしい生き方」「会社に頼らない働き方」である。

・戦後の日本社会は「安定」と「自由」の2つの極端な理想が存在した。「安定」は終身雇用/年功序列/企業別組合による「日本型経営」が基盤となった。
・1970年代は長時間労働への批判が起き、「脱サラ」と云う言葉が流行り、第1次ベンチャーブームが起きた。このベンチャーブームはオイルショックにより減速するが、「新しい働き方」への憧れは連綿と続いている。

・1987年リクルートにより「フリーター」と云う言葉が広められた。「フリーター」は映画/マンガなどで自由の体現者として描かれた。しかしバブル崩壊による景気悪化で、彼らは「ロスジェネ」となった。
・1990年代後半になると「資格ブーム」が起こる。勝間和代は、生き残るためにはIT/会計/英語などのスキルが必要とし、その努力の習慣化を唱えた。

・「脱サラ」「フリーター」「ノマド」など言葉は変わったが、その通底は「自分らしい生き方」「会社に頼らない働き方」で変わらない。また「ノマドワーキング」には修行僧の様なストイックな精神が必要になる。
・これらの「ノマド論」が繰り返されるのは、就業者の8割が雇用者で、安定社会だからである。この「安定」が不確実となる今後、「ノマド論」の行き先が心配される。

○やっぱり「学歴」は大切だ
・福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず..」と云ったが、その後に「学問によって貧富の差が決まる」と云っている。これは学歴社会の起源である。
・実際の生活には、小中学校の教育で十分である。高校学校の教育は大学受験のためだけの教育であり、これが必要なのだろうか。
・明治時代、日本は富国強兵/殖産興業を目指した。それには文書をきちんと読め、正しく計算できる人材が必要で、義務教育が始まった。

・1960年代高校進学率は50%台であったが、1970年代には90%を超えた。これは学歴のコモディティ化で、学歴のインフレーションである。
・高偏差値の大学の出身者は「コミュニケーション能力」が低いと云われるが、受験と仕事/生活で必要な「能力」は、読む/計算/想像などで、基本部分は共通である。
・偏差値60以上の大学出身者は、他の大学より130万円以上所得が高い。国家公務員Ⅰ種合格者も高偏差値の大学出身者が多い。日本は明らかに学歴社会である。
・しかし「世界青年意識調査」では、成功の要因に「学歴」を挙げているのは、米国52%/英国37%に対し、日本は10%しかいない。これは歌手/スポーツ選手/漫画家/声優/カフェオーナー/起業家などに、それ程学歴が必要ないからだろう。

・どれ程の「学歴」を得るかは、出身階級が大きく影響する。日本は公的な教育支出が非常に低いため、なおさらである。
・「身分制度」自体はなくなったが、生まれた環境によって受けられる「学問」に差があるため、日本は依然「身分制度」が存在すると云える。

○「若者」に社会は変えられない
・2011年4月高円寺で「脱原発」デモがあり、1万人以上が参加した。その後に行われた「脱原発」デモにも1万人以上が参加した。しかし10月に行われた、格差社会に反対する「オキュパイ・トウキョウ」には150人位しか参加しなかった。しかも若者の姿はほとんどなかった。

・米国は富裕層と貧困層に分断され、明らかに格差が存在する。若者の失業率はスペイン56%/ギリシャ63%、欧州全体では1/4の若者が失業している。他方日本では中小企業の有効求人倍率は3.3倍で、選り好みしなければ幾らでも就職できる。
・また「国民生活に関する世論調査」(2013年)で、今の生活に満足している若者は8割近い。「今後の見通し」では、20代の6割が「変わらない」と答えているが、他方40代では2割/50代では3割が「悪くなる」と答えている。「若者が社会を変えてくれる」と期待するのは幻想である。※これには認識のズレがあった。

・「脱原発」デモに多くの人が集まったのは、それがカーニバルであり、ソーシャルメディアのオフ会であったためだ。もし日本で暴動が起こるとしたら、フリーター世代が高齢者なった時だろう。
・社会を変えられるのは「若者」ではなく「おじさん」である。「おじさん」にはお金/人脈/経験、全て揃っている。※ここで云う「おじさん」はお金持ちなので、社会に不満はないと思うけど。後エマニュエル・トッドではないが、世代人口が関係すると思う。
・脱原発や特定秘密保護に反対するデモは、政治家/官僚に幾らかの影響を与えた。しかし社会運動に参加するには、時間/お金にそれなりの余裕がないとできない。この度のデモは、以前学生運動した高齢者の娯楽となった。

・2012年12月著者は「脱原発」をテーマとする「ピースボート」の9日間のツアーに参加する。著者はこれが2回目で、前回はトラブル続きの世界一周クルーズであった。今回は「脱原発」を唱える「良識派知識人」を批判する開沼博も乗船していたが、突然の衆議院選挙で飯田哲也/山本太郎など多くのキャンセルが出た。
・総選挙では自民党が圧勝し、「ピースボート」に関係した「日本未来の党」は惨敗した。「選挙で政治が変わる」と云われるが、それは「当選した人の望ましい方向に変わる」だけに過ぎない。

・若者は「静かな変革者」として、社会を変えつつある。若者は「大阪から日本を変える」などと言わないが、地道な震災復興支援/カンボジアでの病院建設/フェアトレードの支援/コンゴでの学校建設などを行っている。「Youth for 3.11」「フローレンス」「マザーハウス」などの団体も活動している。若者は身近な100人/1000人を粛々と確実に幸せにしている。
※最近たまに、そんな本に接する。

○闘わなくても「革命」は起こせる
・近年「シェアハウス」が話題で、大手不動産企業もシェア業界に進出している。しかし「シェアハウス」は都市に限られるし、特に新しい居住形態でもない。ただし「シェア」は、お金を掛けず、友人関係を大切にする若者を象徴する言葉である。
・「シェアハウス」でインタビューすると、「ここに来ると、皆正社員を辞める」と云う話が出た。家賃が安いので、数日日雇いで働いて、後は絵や詩を作って暮らす事が出来る(絵や詩が売れたら万々歳)。お金がない時は、つぶやくと物々交換してくれる。「隣から醤油を借りる」の現代版である。

・高坂勝さんはオーガニック・バー「たまTSUKI」を営業している。彼は大手百貨店を辞め、年収が600万円から350万円に減ったが、手元に残るお金は変わっていない。しかも自由な時間が増えたため、それを農作業に充てている。最近儲けが出るため、週休3日に変えた。彼は自分達を「ダウンシフターズ」(減速生活者)と呼んでいる。しかし農業を始める若者は年7000人程度しかいない。
※里山資本主義を思い出した。「消費は美徳」は変わって来たと思う。

・今の若者の満足は「コンサマトリー」(自己充足、※社会学者なので、時々難しい言葉が出る)で説明できる。これは何かに向かって邁進するのではなく、「今、ここ」を大切にし、仲間と楽しく生活する生き方である。今の若者はバブルを知らないが、貧しい時代も知らない。「豊かさ」はデフォルトである。

・原崎拓也は「One kitchen」をオープンした。彼は世界中を旅して、皆で食事する重要性を感じ、それをイベントにした。
・政治に対し過激な抵抗をする事だけが社会運動ではない、「今、ここ」を大切にする人達は、「やさしい改革」を行っている。
※前2章も面白かった。

○このままでは「2040年の日本」はこうなる
・この章で2040年(30年後)の日本を想像してみる。そこは幸福な階級社会かもしれない。

・30年前は「絶望の国」と笑えて言えたが、真実味を帯びてきた。階級社会は進行し、固定化した。治安を維持できたのは「ベーシックインカム」と「改良プロザック」による。「改良プロザック」は抗鬱剤で労働者に配布された。
・日本の人口は1億人を割った。原因は政府の産児/育児支援政策は全て後手に回り、合計特殊出生率は1.0を割ったためである。さらに中東/アフリカなどの新興国に仕事を求め移住した事にもよる。

・地方交付税が見直され、大都市に集中的に投入される様になり、東京/福岡などは発展した。
・中国は経済成長率が3%に低迷している。しかしメルトダウンしない「トリウム溶融塩炉」で発電し、日本に電力を供給する予定である。

・地方交付税の打ち切りで、地方は「コンパクトシティ」で生き残りを図っている。「特区制度」により各地に特徴的な都市が生まれた。外国企業の誘致に成功した金融特区都市/産業廃棄物を引き受けるクリーン都市/高福祉・高負担の社会民主主義都市/農業ビルが立ち並ぶ農業都市などである。しかし「コンパクトシティ」を一歩出ると、荒野が広がっている。
・東京は老人の街になった。街では依然、合コンやオフ会をやっている。シェアハウスに住み続ける老人も多い。
・行政サービスの質は低下した。救急車/消防車はお金を払わないと来てくれない。公立学校では体育/音楽などの実技系授業はなくなった。

・国の役割は警察/安全保障/貧困対策など最小限になった。「文明は複雑化した時、崩壊する」との説があるが、日本もそうかもしれない。問題の先送りが、こんな国にしてしまった。
・しかし日本はまだ恵まれた国である。中東では「ユース・バルジ現象」から依然テロが続いている。

○おじさんの罪
・本書の仮題は「おじさんの罪」であった。この「おじさん」は中年男性全員ではなく、既得権益に恵まれた人達を指している。「おじさん」は「若者」について語るのが好きである。
・「おじさん」は社会の崩壊を感じ始めている。しかし彼らが考える解決策-本書で紹介した強いリーダー/ポエム/東京オリンピック/ソーシャルメディアなど-では何も解決しない。
・「おじさん」は自分の価値観を疑わない人である。それを変えてくれる事を「若者」に期待している。「おじさん」にはパワーある。「おじさん」と「若者」が手を組むのは難しい話ではないと思う。

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