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『人間の器量』福田和也を読書。

近年器量のある人物がいない、と嘆いています。これは平和の世で仕方ないかな。

西郷隆盛/横井小楠/伊藤博文/原敬/松永安左衛門/山本周五郎/田中角栄の先達を紹介しています。
さらに器量を培う5要素(修行、山っ気、堅実、質素、献身)を紹介しています。

お勧め度:☆☆

キーワード:<器量を問う事>物差し、器、お酒、仕事、大隈重信、<なぜ日本人は小粒なのか>人物/才子、乃木希典、郷中、貧困/病気、紳士/淑女、<先達の器量に学ぶ>西郷隆盛/西南戦争、横井小楠、伊藤博文/憲法/芸者、原敬/平民宰相/政友会、松永安左衛門/電力の鬼、山本周五郎、田中角栄/列島改造/経済成長、<器量を大きくする>修行/勝海舟、山っ気/高橋是清/末松謙澄、ゆっくり進む/宮本常一、何も持たない/松下幸之助、身を捧げる/今村均、<なぜ器量が必要なのか>死/子供/学生、<器量人十傑>大久保利通、渋沢栄一、山縣有朋/人事、桂太郎、徳富蘇峰、菊池寛、鈴木貫太郎、賀屋興宣、石原莞爾、小林一三、岸信介/満州、小林秀雄、小泉信三、田島道治、本田宗一郎、吉田茂、石橋湛山

<器量を問う事>
・人を測る「物差し」が少ない。そのために人を簡単に持ち上げたり、蔑んだりする。人は多面的な存在で、簡単に評価が変わるものではない。
・高橋是清は、家に妻と妾を同居させたり、首相になると陸軍と対立し、投げ出す。最後は2・26事件で殺される。しかし彼が大蔵大臣をしている限り、景気は悪くならなかった(※だったかな)。
・昔の人は剣術修行などで、己の弱さ/強さを知った。今は厳しい体験を通して自分を知る事をしない。
・通り一遍の「物差し」で測れない人、すなわち人のために働ける人/尋常の算段で動かない人などが「器量人」である。
・「器」の字は弔いの時、嗅覚/聴覚が敏感な犬を神に捧げるのを表している。

・著者の祖父母は満州からの引揚げ者で、祖母は日頃は年金を使わず、日本橋に来て散財する人でした。子供には痛快でした。
・慶応大学の中田美喜先生には、お世話になりました。夜深くなるまで文学の話をした事は、糧になっています。
・勤め始めて、かなり年上のSさんと知り合いになりました。彼にはお金の使い方(お酒、女性)を教えてもらいました。彼が飲み歩かなければ銀座にビルが建ったと思います。他に石原慎太郎/角川春樹/福富太郎さんなどとお付き合いさせて頂きました。
・歴史学は細分化/専門化されました。研究者はその中で競っています。仕事が小さくなると、人間も小さくなります。

・大隈重信は怜悧で剃刀みたいな人で、下らない人と思うと話も会う事もしませんでした。しかし50歳を過ぎ、元居候の五代友厚に「人の話を聞く」「他人の意見を採用する」「怒るな」「即決するな」「嫌いな人とも交際しなさい」と忠告されます。その後はどんな人との面会にも応じたと云います。人は何歳になっても変われます。

<なぜ日本人は小粒になったのか>
・日本に人材がいなくなったのは、勉強のできる人/健康な人/平和を愛する人は育てたが、人格の陶冶/心魂の鍛錬を怠ってきたからです。
・幕末/明治初期、日本は惨憺たる状況になりますが、その後発展します。これは澎湃と人材が出て、彼らが角逐しながら仕事をしたからです。
・これは大正/昭和も同じです。戦時体制を担った重鎮は追放され、「三等重役」が経営者になり、若い将校が企業戦士になりました。ロートル外交官吉田茂/巣鴨帰りの岸信介/裏も表も知り尽くした三木武吉などの政治家も死力を尽くしました。
・昭和後期までは人物がいたが、今は小粒な才子しかいない。小泉純一郎は優れたアジテーターであったが、中身はなかった。

・日本人が小粒になった原因に、60年間の平和があります。戦争は平和の尊さ/生命の大事さを教えてくれます。戦前と今の人では人生観が大きく異なります。
・戦前乃木希典は、戦争は下手だが人格者として尊敬されていました。彼はある時から、節制/禁欲に努めます。食事は雑穀を取り、着衣は軍服のみ、援助を求める人には金を渡しました。この人格的尊敬がないと指揮官として戦えなかったのです。しかし今の日本は能力第一になり、彼は評価されていません。

・日本は平和になり、幸せに暮らせる様になりました。その分人間として劣化したのでは。江戸時代も平和でしたが、支配階級である武士は文武に励みました。佐賀鍋島藩は教育熱心だったため、大隈重信/江藤新平を生みました。※「武士は食わねど..」とかあるし。「葉隠れ」は何だったかな。
・薩摩藩には、少年青年を自治教育する「郷中」がありました。そこでは目上に叛く/仲間を裏切る/弱い者を苛める/卑怯な振舞いを堅く禁じました。薩摩藩は、大久保利通/松方正義/山本権兵衛などを生んでいます。海軍は薩摩藩の影響を強く受け、海軍兵学校の厳しさは「郷中」を受け継いでいます。そこでは「国家の命運のためには、個人の生命など何ほどの意味もない」が浸透していました。

・戦後の経済成長により、貧困/病気が姿を消した事も、器を小さくした原因です。新井白石の自伝には、父がチフスに罹り寿命と弁(わきま)え、家族がそれを見守る場面が書かれています。
・英国は日本と違い、繁栄の時代でも人材を育て続けました。その要因は階級社会です。英国の階級は移動が活発で、その人の能力/人格でジェントルマン(紳士)/レディ(淑女)になれます。また英国には「ノブレス・オブリージュ」の考え方があります。※英国の階級社会は余り知らないな。
・英国の「パブリック・スクール」は全寮制で大変厳しい。これは「郷中」に通じるものがある。しかし大学では自由に勉強ができ、卒業後に成績により官僚/政治家/実業界などに就きます。
・他方戦後の日本の高等教育は、就職のために偏差値と成績を競う場になり、知識/技量は身に付くが、教養/人格はどうでもいい場になりました。これにより金持ちも貧しい人もいますが、本質的には変わらない格差のない社会になりました。※まあ凡人の集まりかも。

<先達の器量に学ぶ>
○西郷隆盛の無私
・西郷隆盛は謙虚な人です。江戸開城の交渉で佩刀禁止の江戸に入りますが、敗者を労り、刀を抱いて入城します。また大久保への手紙に、自分は「陪臣」(島津家の家臣)と謙虚に書いています。
・彼は島津斉彬の死/月照との入水自殺/奄美大島への配流などを経験します。一方で彼は郡の役人をした経験から勘定に細かく、大久保の執事が着服した時、それを咎めに大久保家に行っています。また宮廷に山岡鉄舟/島義勇を送ったり、天皇に乗馬/剣術を学ばせるなど、宮廷の近代化を行っています。※確かに明治天皇は以前と異なるな。
・薩摩健児は幕府を倒し新政府を立てますが、その新政府は彼らを蔑ろにし、腐敗を頻発します。西郷は誰よりもその責任を感じ、薩摩健児に自らの身を与え、「西南戦争」を起こします。

○横井小楠の豹変
・幕末で一番思想に優れていたのは、熊本藩の横井小楠です。徳川慶喜/松平春嶽も彼に師事しています。
・しかし彼は芸者/太鼓持ちに囲まれ、お客には余り会わなかった。江戸で刺客に襲われた時、逃げたので士籍を剥奪されています。※彼についてはほとんど知らないな。
・彼は頻繁に思想を変えています。武士からすると信用が置けない人物ですが、幕末にあっては有用な人物です。最初は朱子学を学びますが、実学に変わり、さらに西洋の経済/産業を学びます。開国問題では、諸侯の会議を開催するだけでなく、国際連盟の様な国同士の会議を提議しています。なお彼の具体的な実績は「商業の新興」です。

○伊藤博文の周到
・山口県下関市の櫻山神社には奇兵隊の墓がある。そこには吉田松陰/山縣有朋/井上馨/百姓義助/大工蓑吉/力士大衛門などの墓石が並ぶ。これこそデモクラシーだと思う。伊藤博文もそんな中から生まれた。
・松下村塾の吉田松陰は凄かった。塾生を褒めた。しかし褒められた久坂玄瑞/高杉晋作は早々に死んでしまった。褒められると責任を感じ、頑張ってしまうのかもしれない(※会社も子供もそうかも)。褒められず「周旋の才あり」と云われたのが伊藤博文であった。
・彼は江戸に出て、塙保己一の跡取りを殺害している。英国大使館の焼打ちにも参加している。高杉が死んだ後は、木戸孝允につくが、明治政府ができると大久保利通にすり寄っています。
・彼が幸運だったのは、「西南戦争」で西郷が死に、その後木戸が病死、大久保が暗殺された。薩長閥は「西南戦争」で弱体化したため、彼にお鉢が回ってきた(※大隈がいたかな)。

・「大日本帝国憲法」を制定する時、天皇をどう納得させるかが重要であった。彼は天皇の学友で、独語も法学も分からない難波言忠をウィーンに留学させた。難波は天皇/皇后に憲法について毎晩講義し、結果的には成功した。※人の使い方が上手だ。
・彼は芸者に人気があった。芸者が踊りなどの芸をしている間は、お酒を呑んだり、しゃべったりせず、きちんと見ていたそうです。※他者への尊敬が感じられる。
・彼は内閣/憲法/議会を作りますが、華族/勲章も作っています。また自ら公爵になっています。

○原敬の反骨
・原敬は南部藩の家老をした名家の出身です。しかし「戊辰戦争」で賊軍となり、士族を返上したため、「平民宰相」と呼ばれています。
・彼は大変な反骨精神を持っていたと思われます。盛岡の墓は「原敬墓」とあるだけで、経歴は記されていません。彼は「一山」と号しますが、これは官軍が白河以北を「一山百文」と嘯(うそぶ)いた皮肉です。
・彼は学僕となり司法省学校に入りますが退学になります。新聞記者になり、その後外務省に入ります(※外務次官に就いている)。1900年伊藤博文が「政友会」を結成すると入党し、同年逓信大臣に就きます。
・彼は「政友会」総裁時代、全ての代議士を自宅に招き、夕食を共にしています。官僚/軍人とも誼を通じています。大野伴睦が「政友会」の院外団にいた時、歳暮として百円を3回貰っています。大野は彼を「味方にすれば、こんなに頼りになる人はいない。敵に回せば、これほど手強い人はいない」と言っています。
※「今の政党政治は彼が作った」と云われますね。

・彼は2度結婚しています。2度目は芸者の淺です。山縣有朋/伊藤博文/井上馨/山本権兵衛も芸者を妻に迎えています。彼女は字が読めなかったため、彼が新聞を読んでやっていました。
・彼は暗殺されますが、淺は遺書に従い盛岡で葬儀し、墓に埋葬します。彼がもう10年生きていれば、米国と戦争する事はなかったと思います。

○松永安左衛門の強欲
・実業界は多士済々ですが、「電力の鬼」と云われた松永安左衛門がいます。戦前電力会社は免許事業ではなく、5大電力会社があり、彼はその一つを経営していました。電力会社の国家管理に反対し、隠遁します。
・1949年彼は「電気事業再編成審議会」の会長になり、9電力体制を作ります。彼は初年度3割、翌年3割の電気料金値上げを提議します。これに政府(吉田茂首相)/財界などは反対しますが、GHQの支持で強行されます。これは電力設備への投資が必要なためで、結果的には停電などがなくなり、成功します。
・彼の強引さは女道楽にも表れており、60歳の時に16歳の芸者を落籍させ、世間の反発を買っています。
・彼は茶人でもありましたが、茶道の家元を使用人扱いしました。また美術のコレクターでもありました。

○山本周五郎の背水
・長期に亘って人気を博した作家に、山本周五郎がいます。しかし彼は借家住まいでした。それは原稿料/印税を読者からの投資と考え、私する事がなかったからです。ただし原稿料にはうるさかったそうです。
・また直木賞/毎日出版文化賞/文藝春秋読者賞など、様々な文学賞を受賞しますが、辞退します。直木賞を辞退したのは、吉川英治を嫌っていたとの話もあります。
・彼は自分が書いた小説が舞台/映画になっても見ませんでした。友人の葬儀などにも出席せず、とにかく創作に没入しました。
・彼が勤めた質屋の主人と「小説家になれ」と言った先生を恩人としています。
・彼の作品にはユーモア/ペーソス/人情/卓抜なプロット/鮮烈なドラマトゥルギー(※何だ?展開かな?個性かな?)が備わっています。
※彼の作品は結構読んだが忘れた。

○田中角栄の人知
・田中角栄は総理大臣になり、退陣後に「ロッキード事件」で逮捕されます。それでも最高権力者であり続けたのは何故でしょうか。彼と接した人は、その魅力に取りつかれ、逃れられなくなると云います。
・彼は事務所員に、政調会長/大蔵大臣に任命してくれた池田勇人の墓に参る様、常々言っています。その義理堅さから、信頼感を得ています。
・彼は「越山会の女王」佐藤昭子の母の命日に、毎年彼女と食事を共にしました。また彼女に「女はでしゃばるな。党の職員の面倒をよく見ろ」と忠告しています。
・彼に秘書として長く仕えた早坂茂三は「約束したら実行する。できない事は請けない。面倒見/気配りは天下一品。かゆいと言えば、どこからも飛んできて、掻いてくれる。喧嘩/根回し/談合上手。雄弁。..」など称賛しています。しかしこの魅力は接した人しか伝わらない。

・彼が政治を官僚主導から政治主導に、東京優先から地方優先に変えた事は確かです。彼が語った「列島改造」は規模が大きく、今でもそのシステムを壊す事はできません。
・彼は高等小学校を卒業し、18歳で社長になります。彼を育てたのは、満州での兵役なのか理化学研究所の長岡半太郎/仁科芳雄/武見太郎に接した事(※何だろう)なのかは分かりません。ただ戦後の経済成長の本質を担った人物であり、生まれるのが5年早くても、5年遅くても田中角栄は生まれなかったでしょう。
・党人派の大野伴睦が自分の党派に彼を誘いますが、彼は「党人とつるんでも天下は取れない、役人を使ってはじめて天下が取れる」と言ったそうです。
※いずれの先達も下積みや苦労人だな。

<器量を大きくする5つの道>
・器量を培う方法として以下の5つがある。①修行する②山っ気を持つ③ゆっくり進む④何も持たない⑤身を捧げる。

○修行する
・今の時代、学校教育で修行/鍛錬はできません。息子の中学に遠泳がありましたが、今はなくなりました。
・勝海舟は島田虎之助に弟子入りし、剣術/坐禅を続けました。彼がものに動じないのはそのためです。
・比叡山に京都の峰を毎日一周する「千日回峰」と云う修行があります。それを2回行った酒井雄哉さんは温厚な方でした。
・著者は尊敬する先生に「毎日4時間勉強すれば、立派な業績を残せる」と言われました。今は毎日書き続けています。

○山っ気を持つ
・高橋是清は極めてイレギュラーな生き方をしています。彼は米国に留学したのに奴隷にされたり、大学南校を吉原通いで辞めたり、ペルーの銀山開発で無一文になっています。
・高橋是清がフルベッキの家に居候していた時、高官佐々木高行の令嬢がフルベッキの娘に英語を習っていました。フルベッキの娘は令嬢のお伴をする青年に好感を持ち、英語と漢字を教え合う事になりました。その後彼は師範学校に受かります。高橋は彼に「一生教員をするのはつまらん」と脅し、彼に英字新聞のめぼしい記事を翻訳させ、東京日日新聞(毎日新聞)に売り始めます。東京日日新聞の福地桜痴が彼に目を付け、その後彼(末松謙澄)は出世し逓信大臣になります。※面白い話だ。

○ゆっくり進む
・宮本常一は日本中を歩き回り、『忘れられた日本人』などを著しています。彼の父は「先を急ぐ事はない。人が遣り残した事は沢山ある」と常々言っていました。
・『忘れられた日本人』は指折りのベストセラーで、古老などから聞いた話を、丁寧に文章にしています。これを読むと、一人ひとりがドラマチックな人生を送ったのが分かります。※近い内に読みたい。

○何も持たない
・松下幸之助は何も持たない人でした。父が米相場で失敗し、両親/兄弟を早くに失くしました。当然事業は無一文からのスタートです。彼は小学校に3年しか通っていないので文字は読めず、全て自分の頭で考えるしかありませんでした。また肺も患っていました。
・彼は「天理教」の工事現場に出て、皆が喜んで奉仕しているのを見ます。そこから「水道哲学」(水道の様にふんだんに使える電気製品)を思い付きます。

○身を捧げる
・先の大戦の大敗で軍人は批判されますが、今村均大将などは高潔な人物です。彼は軍事裁判で10年の禁固刑を受け、巣鴨プリズンに収監されます。しかしマッカーサーに「部下と共に居たい」と直訴し、ニューギニアの収容所に移ります。彼は釈放後も三畳の小屋で過ごし、自分を罰し続けます。
・彼は軍人としても有能で、ラバウルでは終戦まで耐え、11万余の将兵を帰国させています。ジャワでの軍政も立派で、後に大統領になるスカルノは連合軍に逮捕された彼を救出する作戦を立てています。

<今の時代、なぜ器量が必要なのか>
・殺人ほど明確なものはありません。そこには動いて去る者と、動かない者だけです。「葬儀」は生き残った者が死別を受け入れ、死者を丁重に扱ったと云う安心感を得るものです。
・死んでしまうと全てが終わりです。お金/高級車/豪邸/栄誉/経歴、全て意味を失います。見苦しく死なないためには、器量を大きくするしかありません。

・著者は子供の頃、「死」を酷く怖がりました。しかし面白い本を読むと、それを忘れる事ができ、物書きを目指す様になります。
・死の恐怖を考えなくなったのは高校生になってからです。それは恋愛です。自分の存在よりも、好きな人の存在を大事にしたいと思う様になりました。
・結婚すると直ぐに子供ができました。子供は多くの人の世話になり成長します。幼稚園の先生/ピアノの先生/近所の友達/バスの運転手など。子供が幼稚園/学校から無事に帰って来る、これは奇跡です。先人達が作ってくれた社会秩序のお陰です。皆様への感謝は、物を書く意欲を沸き立ててくれます。
・子供を持つと親の気持ちが分かります。学生さんには子供をつくる事を勧めています。それは格段に人生が豊かになるからです。

・物書きを長くしていると若い編集者/若い物書き/言論界を支えたい自覚を持ちます。
・大学の教員になった事に感謝しています。優秀な学生が伸びても、パッとしない学生が伸びても嬉しい。卒業生に良い話があれば嬉しいが、不当な話があれば憤ります。他人に気を配る、この範囲がその人の器量です。

<器量人十傑>
-明治-
①西郷隆盛(既述)
②伊藤博文(既述)
③勝海舟(既述)
④大久保利通
・明治国家の建設者です。彼に経綸/抱負はなく、良いと思った事を手段を選ばず実行する人です。
⑤横井小楠(既述)

⑥渋沢栄一
・豪商の出身で、パリ万博の使節団に参加し、その後実業家として大成します。第一国立銀行/王子製紙/富岡製糸場/日本鉄道/東京商法会議所などを設立しています。
⑦山縣有朋
・彼の評価は様々ですが、人事の天才です。オランダに留学したが宙に浮いていた西周に陸軍刑法を作らせます。有坂成章を大砲の専門家に仕立て上げます。清浦奎吾を見い出したのも彼です。
⑧桂太郎
・山縣有朋の手下として苦労した人です。何時もニコニコし、相手の方を叩くので、「ニコポン」と呼ばれました。総理大臣執務室には「韓信の股くぐり」が懸けられていました。
⑨大隈重信(既述)
⑩徳富蘇峰
・明治/大正/昭和で絶大な影響力を持ったジャーナリストです。ただし思想はブレまくりです。最初はキリスト教の理想を掲げ、藩閥政治と癒着し国権主義者になり、満州国皇帝溥儀の師父になり、戦後は軍閥を批判しています。

-大正・昭和-
①原敬(既述)
②高橋是清(既述)
③菊池寛
・凄まじい俗物で、高邁な理想はない。本を売るため芥川賞/直木賞を作った。
④松下幸之助(既述)
⑤今村均(既述)

⑥松永安左衛門(既述)
⑦鈴木貫太郎
・後妻は足立たかで、昭和天皇の乳母に相当する人です。その関係で大戦末期に総理大臣になり、終戦工作を行います。
⑧賀屋興宣
・大蔵官僚で、資質は随一です。第2次上海事変の時、近衛内閣の大蔵大臣で、陸軍の出兵に強く反対します。※この人は初耳だ。
⑨石原莞爾
・陸軍の鬼才です。満州事変で10倍以上の敵軍に勝利します。日中戦争に反対し、予備役になります。※よく聞くが、どんな人物だったのか。
⑩小林一三
・鉄道経営/デパート/ショービジネスを結び付けた天才経営者で、宝塚歌劇団/東宝映画を作ります。このビジネスモデルは西洋にもない、彼の独創です。

-戦後-
①岸信介
・巣鴨プリズンを出て、10年経たず総理大臣になります。東京帝国大学を1番で卒業し、農商務省に就職します。満州で重工業を発展させます。保守合同/日米安保条約の改定をなし、「満州式」で戦後の高度経済成長を生み出します。
②田中角栄(既述)
③小林秀雄
・「彼がいれば、他はいらない」と云われる文芸評論家です。寿司屋での物書きへの説教は有名です。作品には常識的なものが並ぶ。
④小泉信三
・慶応義塾塾長。今上天皇の教育係です。
⑤山本周五郎(既述)

⑥田島道治
・昭和銀行頭取として、金融恐慌の後始末をします。初代宮内庁長官を務めます。
⑦本田宗一郎
・ホンダの創業者。勝ちに拘り、F1に参入した。
⑧吉田茂
・時代遅れの政治家でしたが、旧指導層の逮捕/パージにより総理大臣になる。旧時代の感覚で、戦後を乗り切った。
⑨宮本常一(既述)
⑩石橋湛山
・東洋経済新報社の社長。大学は哲学を学んだので、経済はそれ程明るくない。戦後大蔵大臣/通産大臣を務める。鳩山後継で岸信介と最悪と云われる金権選挙に勝ち、総理大臣になる。しかし健康を崩し2ヶ月で辞職。※たまに聞くが、どんな人物だったのか。

<あとがき>
・世間は価値を高い/低いで判断しています。しかし器量は広い/狭いで判断されます。人は適度の紆余曲折があった方が、人間関係/仕事を上手くやっていけます。
・徳富蘇峰は80歳を過ぎて敗戦を経験し、思想/立場を大転換します。彼は多くの人と付き合い/好きになり/気に懸ける、その広さには頭が下がります。

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