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『ブラジルを知るための56章』アンジェロ・イシ(2010年)を読書。

ブラジルでは治安が大きな問題であり、その背景に「貧富の格差」があるのが分かる。
またブラジルの雰囲気/ポイントが分かった気がする。

このシリーズは何冊か読んだが、本書は文学・芸術面が少なく、個人的には読み易い。

お勧め度:☆☆

キーワード:<ブラジルの現在>ペレとセナ、5つの地域、アマゾン、リオデジャネイロ、サンパウロ、ブラジル発見、祝日、牛肉/果物、サッカー、アイルトン・セナ、カーニバル、<ブラジルの魅力>ジョーク、大統領、移民、スポーツ選手、テレビ/ノヴェーラ/『ジョルナール・ナショナル』、映画/『セントラル・ステーション』/『シティ・オブ・ゴット』、ボサノバ、ヌード美学、カフー、<ブラジルの矛盾>パウ・ブラジル、アマゾン開発、ストリート・チルドレン、貧富の格差、ファヴェーラ(スラム)、中流層、都市暴力、インディオ、文学、多民族国家、ルーラ大統領、レアル・プラン、<ブラジルの真髄>『イパネマの娘』、国歌/国旗、ジェイチーニョ、カルドーゾ大統領/従属理論、アフリカ系、エタノール/健康食品、日系人/移民100周年、ブラジル人像、ディアスポラ/海外移住、トレンド、名言、ラブコール

<はじめに>
・ブラジルは2014年サッカー・ワールドカップ/2016年夏季オリンピックとバブルの真っ只中である。労働者階級出身のルーラが2期目の大統領を務めている。BRICsの一国として、もてはやされている国である。ブラジルはかつてより格差の激しい国で、日本の格差是正の参考になるかも知れない。
・著者は日系移民の子孫である。著者は日本にいる「在日ブラジル人」の研究が本業である。日本のサッカー代表には闘利王/ラモス/呂比須/三都主のブラジル出身者がいた。彼らの出身も様々である。この機会にブラジルを知って欲しい。

<基礎編-ブラジルの現在>
○黒いペレと白いセナ
・ブラジルの有名なスポーツ選手にサッカーのペレとF1のアイルトン・セナがいる。ペレは色が黒く、ファヴェーラ(スラム)で育った。一方のセナは裕福な家庭で育った。ブラジルは「コントラスト」の強い国である。

○5つの地域
・中南米でスペインから独立した国は幾つにも分かれたが、ポルトガルから独立した国はブラジルは一国になった。そのため国土は日本の23倍ある。26州と首都ブラジリア連邦区から成る。
・ブラジルは5つの地域に分かれる。
 ①ノルテ(北部)-アマゾン地帯である。主要都市はマナウス(アマゾン州の州都)/ベレン(パラ州の州都)。胡椒/アセロラ/ゴム/ナッツなどを産出する。
 ②ノルデステ(北東部)-干ばつ地帯で、最も貧しい地域である。ポルトガル人が最初に上陸した港「ポルト・セグーロ」がある。
 ③セントロ・オエステ(中西部)-資源の豊富な地域だが、存在感は薄い。
 ④スデステ(南東部)-最も裕福な地域で、サンパウロ/リオデジャネイロがある。サンパウロ州には港町サントスがある。「サンパウロ人は仕事で忙しく、リオ人は遊びで忙しく、ミナス・ジェライス州民はのんき」と云われるが、ミナス・ジェライス州からは有力な政治家が多く輩出されている。
 ⑤スール(南部)-四季がある。ドイツ/イタリアからの移民が多い。「パンパ」と呼ばれる大草原があり、牛肉の産地である。

○アマゾン
・アマゾンは地球の酸素の半分を供給している。アマゾン川にはピラニアやピラルクー/ペイシェ・ボーイなどの巨大魚が棲む。ヴィトーリア・ヘジアは人が乗れる蓮である。アマゾンでのツアーが盛況で、アマゾン川とネグロ川の合流が見れる。

○リオデジャネイロ
・”リオ”は川を意味し、”リオ”の付く地名は無数にある。リオデジャネイロは1960年まで首都であった。リオデジャネイロは「世界3大美港」で、コルコバード峰(710m)にはキリスト像が立つ。
・有名な海岸が多く、「ビーチ・ファッション」をリードしてきた。海岸ではビーチ・サッカー/ビーチ・バレーを楽しみ、ボテキンと呼ばれるバーがある。しかし近年は環境汚染問題があり、国内で最も治安が悪い都市でもある。

○サンパウロ
・サンパウロは人口1100万人でブラジル最大の近代都市である。サンパウロ市長で成功すると大統領に立候補できると云われる。大サンパウロ圏は工業地帯で、あらゆる産業が存在する。しかし交通渋滞は有名である。
・サンパウロは移民の起点になった。サントス港にやってきた移民も、サンパウロを経て、各地に散らばった。そのため市内の至る所に祖国の商店/料理店がある。

○お勧めスポット
・「オウロ・プレット」はミナス・ジェライス州にある。18世紀金鉱脈の発見で栄えた町である。バロック様式の教会には”ブラジルのミケランジェロ”と称された彫刻家の作品がある。ユネスコの「文化遺産」に指定されている。
・「アパレシーダ・ド・ノルテ」には3万人を収容できる教会があり、カトリックのメッカである。※巨大だな。
・北東部の都市は海岸に集中している。この3千キロに及ぶ海岸は変化に富んでいる。北東部で1ヵ所訪れるとしたら「サルバドール」です。「サルバドール」は1763年まで首都で、下町のマーケットや格闘技みたいな踊り「カポエイラ」が面白い。
・パラグアイ/アルゼンチンとの国境に、世界最大の「イグアスの滝」がある。人間のちっぽけさを感じるであろう。滝の近くに世界最大の水力発電所「イタイプー・ダム」がある。

○旅行の基本
・ブラジルは広いので服装に注意が要ります。鉄道が発達していないので、移動手段はバスか飛行機になります。ブラジルは観光に力を入れてこなかったので、デメリットとして観光案内所/宿泊施設が少ない。一方メリットとしては入場料が安かったり、観光客が少ない事である。
・日本の外務省は「危険度」を5段階で評価しているが、ブラジルは「危険度1」の「注意喚起」である。

○ブラジル発見
・1500年ポルトガルのカブラール司令官がブラジルを発見したとされている。艦隊の目的は西廻りインド航路の開拓だったため、カブラールは歓迎されなかった。
・ポルトガル人が最初に上陸した「ポルト・セグーロ」で「発見500年祭」が行われたが、先住民(インディオ)の行進に警察が催涙弾を発砲している。先住民と共に反政府運動「土地なし農民」もデモを行った。「発見500年祭」後のミサでカトリック教会は「インディオへの布教活動」「奴隷制度の黙認」を謝罪している。

○祝日
・ブラジルには「州祝日」や市町村だけが対象の祝日もある。ここでは主な祝日を紹介します。
 「クリスマス/元旦」-クリスマスから元旦まではゴールデン・ウィークで、家族・親戚が集まる。1月2日には二日酔いで出勤する。
 「チラデンテスの日」(4月21日)-チラデンテスは独立運動の英雄の愛称です。1789年彼は逮捕され、92年絞首刑になる。
 「ブラジル発見の日」(4月22日)-この日は休日でない。「我が国が発展できないのは、ポルトガルが発見したから」と言う人もいる。
 「奴隷解放の日」(5月13日)-1888年の「奴隷制度廃止条例」が施行された日ですが、祝日ではない。また白人の迫害に反対したズンビーが暗殺された11月20日を「黒人意識の日」としている。
 「恋人の日」(6月12日)-男女が共に告白する日です。
 「独立記念日」(9月7日)-ペドロ1世が初代帝王となった日です。派手なパレードが行われる。
 「共和制宣言の日」(11月15日)-1889年軍人デオドーロ・ダ・フォンセッカが初代大統領に就いた日です。
 「父の日/母の日」-母の日は5月の第2日曜日、父の日は8月の第2日曜日です。
・他に「インディオの日(4月19日)」「コーヒーの日(4月21日)」「ゴールキーパーの日(4月26日)」(※誰かがスーパーセーブしたのかな)「召し使いの日(4月27日)」「姑の日/舅の日(4月28日)」「UFOの日(6月24日)」「おばあちゃんの日(7月26日)」「学生の日(8月11日)」「未婚の日(8月15日)」「銀行員の日(8月28日)」「バイブルの日(9月30日)」がある。
※人を対象にする祝日が多いな。

○食文化
・ブラジル料理にイタリア移民のマカホナーダ(スパゲティ)やアフリカ系のフェイジョアーダがある。
・国民1人に1頭の牛がいる。「牛肉」は20以上の部位に分けられ、さらにランク分けされる。最高の食べ方は「シュハスコ」と呼ばれる串焼きです。
・ブラジルではフェイラ(路上市場)が開かれ、そこで熱帯地帯の「果物」が売られる。アサイ(椰子の実)/クプアスー/グラビオーラなどの果肉が味わえる。至る所にあるジュース・スタンドでは、その場で「果物」を絞ってジュースを作っている。サトウキビから作るジュース「ガラッパ」は珍品です。サトウキビから作るお酒「カイピリーニャ」もお勧めです。

○サッカー
・ブラジルでは「人の数だけサッカー監督がいる」と云われるほど、サッカーが好きです。
・1970年ワールドカップ(メキシコ)で優勝します。当時は軍事政権であったが、軍政は代表選手に賞金を与え、支持率を伸ばした。
・ペレは1958年/1962年/1970年の優勝をもたらした。その後低迷していたが、21世紀に入って復活した。※そうでもなさそう。

・1894年英国人がボールが持ち込み、サッカーが始まる。当初はエリートのスポーツであった。※まだ100年余りか。
・ブラジルではペラーダ(草サッカー)が盛んで、何処でも、誰でもやっている。貧民街では裸足でやっている。学校ではフットサル(5人制)が主流である。
・一つの試合がテレビ/ラジオの複数のチャンネルで放送される。そのためアナウンサーはそれぞれ個性を持っている。
・試合に勝つとサポーターは一晩中サンバを踊って大騒ぎする。負けると家に帰って、やけ酒を飲む。そのため町は静まり返る。

○英雄アイルトン・セナ
・ブラジルのサッカーが日本の野球なら、F1は日本の相撲と云える。ブラジルではF1の放送は生中継される。F1にも名物ナレーターが存在する。1994年セナはサンマリノGPで亡くなり、翌日は国民葬になった。
・1970年代は軍政で暗黒の時代であった。80年代も不況/失業で暗い時代であった。民主化されるが、最初の大統領は急死する。それを継いだサルネイ大統領の経済政策は大失敗する。90年代次のコロール大統領は大汚職事件で辞任させられる。そんな中で勇気を与えたのがセナの3度の優勝であった(1988年、1990年、1991年)。

○カーニバル
・カーニバルの意味は「謝肉祭」で、キリストの復活祭の40日前に行われる(2010年は2月13日~16日)。そのためカーニバルは各市町村で行われる。本来の楽しみは「見る」ではなく「踊る」である。
・1983年リオに8万人を収容するスタジアムが作られた。これによりサンバを踊るダンサーや山車によるパレードは狭い空間に閉じ込められた。「踊る」人は選ばれた人だけになり、「見る」人も高価な入場券を入手できる人だけになった。
・パレードはカルナバレスコ(総合プロデューサー)により演出される。近年は社会的メッセージを持つようになり、2000年のカーニバルは「ブラジル発見以来の500年の歴史の再検証」がテーマに設定された(※単なる大騒ぎではないのか)。しかしパレードの資金は麻薬密売/動物宝くじ(?)が支えていると云われている。

・カーニバルの期間はゴールデン・ウィークになるので旅行する人が多く、高速道路は記録的な渋滞になる。
・カーニバルは開放感を連想させるが、サンバは厳密に審査されている。1部リーグ/2部リーグに分かれており、競技である。ダンサーは「サンバ・スクール」に所属し、衣装は「サンバ・スクール」から提供される。「サンバ・スクール」は組織的に運営されている。
・ブラジル人は「カーニバルが終わってから」をよく口にする。会社も学校も、カーニバルが終わってから本格的に始動する。

<初級編-ブラジルの魅力>
○ジョーク
・ブラジル人はピアーダ(ジョーク)に慣れ親しみ、自分の失敗をジョークにできる。学校の成績が最低でも恥ずかしくないが、ジョークを理解できないと笑い者になる。
・真面目な雑誌/新聞にもジョーク欄がある。テレビの番組もジョークに依存している。ジョ・ソアーレスと云う、コメディ/キャスター/エッセーをこなすマルチタレントもいる。
・ジョークのテーマは人種関連/姑といたずらっ子/浮気・不倫/政治などで、この国は差別意識が薄いと云える。

・全部で16話のジョークが紹介・解説されているが、短いのを紹介する。
 「結婚は愛の足し算で、自由の引き算で、問題の掛け算で、所有物の割り算である」。
 子「お父さん、自動車貸してよ」、父「歩いた方が良いよ。何のために足が2本もあるんだ」、子「1本はブレーキ、もう1本はアクセルを踏むためでしょ」。
 部長が部下達をジョークで笑わせたが、1人笑わない部下Aがいた。部長「なぜ笑わないのか?」、部下A「この部署で働きたくないからです」。

○珍しい大統領たち
・国民は「政治家は汚職・腐敗にまみれ、責務を果たしていない」と考えており、新しく誕生する大統領に強い期待を寄せる。
・1822年ブラジルはポルトガルから独立する。しかしその運動をリードしたのはポルトガル国王の息子ペドロ1世で、そのまま皇帝に就く。その息子ペドロ2世がそれを継ぐ。1889年共和制になり、デオドーロ・ダ・フォンセッカが初代大統領に就く。1964~85年は軍事政権であり、ブラジルの民主主義はまだ未熟と云える。

・主な大統領を紹介します。
 ジェトゥーリオ・ヴァルガス(任1930~45年、1951~54年)-ポピュリストで独裁政権を敷く。再選するが任期中に自殺する。
 ジュセリーノ・クビシェック(任1956~61年)-”ブラジルのケネディ”と云われる。「発展主義」で、海外からの投資を求め、自動車産業を促進した。各地の道路を整備し、首都ブラジリアを建設した。
 ジャニオ・クアードロス(任1961年)-「汚職を大掃除する」と唱え、大フィーバーで大統領に当選するが、7ヵ月で辞任する。
 ジョアン・フィゲイレード(任1979~85年)-軍事政権最後の大統領。
 タンクレード・ネーヴェス-代議員により選ばれた最初の文民大統領だが、就任前夜に消化器官の急病で亡くなる。
 ジョゼ・サルネイ(任1985~90年)-ネーヴェスの死去により大統領に就く。最も不人気の大統領。
 フェルナンド・コロール(任1990~92年)-国民の直接選挙で選ばれた最初の大統領だが、史上最悪の大統領と云われる。就任から2年後に汚職により辞任する。

○移民の国
・イタリア移民を主人公にした連続テレビドラマ『テーハ・ノストラ』(我が大地、1999~2000年放映)がヒットし、後続『エスペランサ』も放映された。
・ブラジルが本格的に移民を受け入れたのは、1888年奴隷制度廃止からで、その後20世紀半ばまで続いた。移民はポルトガル人/スペイン人/イタリア人/ドイツ人が多い。※日本人は少ないのかな。
・ポルトガル人が移住したのも奴隷制度廃止からで、彼らは貧しく低学歴だたっため、「間抜けなポルトガル人」と今でも云われる。
・「第2次世界大戦」後、移民は政治/経済/社会/文化、全ての分野で目覚ましい活躍をする。祖国の行事が今でも行われ、ドイツ移民による「オクトーバーフェスト」は盛大である。

○スポーツ選手
・2000年グスターヴォ・クェルテン(愛称グーガ)はテニスの全仏オープンを制し、世界ランク1位になる。テニス人口が40万人しかいないので「偉業」である。
・レスリングのヒクソン・グレイシーは、先祖代々の「グレイシー柔術」を修めている。もちろんこのルーツは日本の柔道である。フランシスコ・フィーリオは極真空手の世界王者である。
・セナの死後、ルーベンス・パリケロに期待が掛かった。2009年ドライバーズ部門2位、ブラウンズの総合優勝に貢献する。一方フェリペ・マッサは2009年重傷するが、2010年シーズンで復帰すると思われる。

○テレビ中毒
・ブラジルでテレビの影響は絶大である。ブラジルの「ノヴェーラ」(連続テレビドラマ)は、何故か日本は輸入していないが、世界各国に輸出されている。その製作システムはビジネスとして確立している。『テーハ・ノストラ』(前出)では移民船を70万ドル掛けて再現している。
・ブラジルで最も人気の放送局「グローボ」では、毎晩6時/7時/8時台に「ノヴェーラ」を放送している。さらに昼間は過去のヒット・ドラマを放送している。8時台のドラマは100%に近い視聴率を記録する事もある。
・「ノヴェーラ」に出演した俳優は引っ張りだこになる。脚本家もスーパースター扱いで、『テーハ・ノストラ』を書いたベネディット・ルイ・バルボーザは、ボーナス200万ドルを前払いで受け取った。
・放送局「SBT」のワンマン社長は年収3000万ドルを得て、納税者番付のトップになり、”成功者”として国民の憧れの的である。
※ブラジル人のテレビ好きは知らなかった。ブラジルの地デジは日本方式を採用したはず。

・1966年テレビ局「グローボ」はニュース番組『ジョルナール・ナショナル』の放送を開始する。当番組は7時台と8時台の人気ドラマに挟まれており、68%と世界でも異常に高い占拠率を占め、ジャーナリズムをリードしている。
・当番組は「米国同時多発テロ事件」で独自の取材で74%の視聴率を得て、その年の最高視聴率となった。「グローボ」の取材は遠慮がなく、隠しカメラ/おとり取材を行っている。
・2人のメインキャスター(ウィリアム・ボーネル、ファティマ・ベルナルデス)は、おしどり夫婦である。編集長でもあるボーネルは当番組に誇りを持ち、またテレビが唯一の情報源である事から、「社会的責任」を意識した特集/シリーズを作成・放映してきた。

○現代映画
・1998年ブラジル映画『セントラル・ステーション』(ヴァルテル・サレス監督)が「ベルリン映画祭」で金熊賞を受賞する。この映画の主人公は「代筆屋」の初老の女性である。大都会リオと北東部の干ばつ地帯が舞台になっている。北東部を捨て、リオ/サンパウロに出ていく映画『乾いた人生』(1963年、ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督)と逆方向の旅である。

・1960年代ブラジル映画に「シネマ・ノーヴォ」(新しい映画運動)があり、『リオ40度』(サントス監督)『黒い神と白い悪魔』『アントニオ・ダス・モルテス』(グラウベル・ローシャ監督)などが作られた。
・サントス監督にインタビューする機会があった。彼は「ブラジル映画が厳しい現実を取り上げているのは、社会に問題があるためです」と応え、彼の「現実主義」を伺わせた。彼は『セントラル・ステーション』が成功した理由に「希望」を挙げた。これは絶望的な現実に対する「希望」であり、ブラジル映画に対する「希望」である。

・著者は『シティ・オブ・ゴット』(フェルナンド・メイレレス監督)を”目撃”した。当映画は、リオに実在するスラムでの少年による暴力を、写真家志望の少年の目で見た映画である。”鑑賞”でなく”目撃”としたのは、「見てはいけない現実を、見てしまった」からである。当映画は『セントラル・ステーション』と同様にブラジルの恥部であるが、共に将来への「希望」を感じさせてくれる。

○ブラジル音楽
・2001年ジョアン・ジルベルトが「グラミー賞」の最優秀ワールド・ミュージック賞に輝き、ブラジル人が4年連続でこの賞を独占した(1998年ミルトン・ナシメント、1999年ジルベルト・ジル、2000年カエターノ・ヴェローゾ)。
・ジルとカエターノは大親友で、1960年代の文化的ムーブメント「トロピカリズム」の旗手であった。「トロピカリズム」により「ボサノバ」が生まれた。「ボサノバ」はブラジル音楽の代名詞であるが、ブラジルで普段ラジオで流れている音楽は、ブラジリア・ロック/アメリカン・ポップスである。
・「サンバ」には2種類あり、スローテンポの「サンバ・カンソン」とカーニバル用の「サンバ・エンヘード」がある。他に「ショーロ(泣き)」「フォホー」「デザフィーオ(挑戦)」「マージカ・セルタネージャ(田舎の音楽)」などのジャンルがある。

○ヌード美学
・「トップレス」は上半身を隠さないファッションである。2000年リオの海岸で「トップレス」女性が逮捕された。ところが世論は警察に「もっと重大な犯罪を捜査しろ」と批判した。翌週、州知事/市長/公安局長は「トップレス」容認論を広報した。この裏には観光客集めの狙いもあると思われる。
・ブラジルには「オール・ヌード」を認めた海岸が8ヵ所ある。「デンタル・フロス」は乳首とお尻の穴だけを隠すビキニであるが、定着していない。
・日本の映画は検閲により「ヘア・ヌード」に”ぼかし”が入るが、ブラジルは入らない。

○リーダー論
・ブラジルには「リーダー論」を著した本は少ない。ここでは最もブラジル人らしい人を挙げたい。2002年サッカー日韓ワールドカップで優勝した代表チームのキャプテンを務めたカフーである。彼は優勝トロフィーを受け取ると、近くの演壇に上がり「ヘジーナ、愛してる!」と叫んだ。また彼のユニフォームには、「100% ジャルディン・イレーネ」と書かれていた。彼は優勝して、妻と出生地への感謝を示したのである。これを許すのがブラジルであり、究極のロマン主義/ローカル主義である。

○日本とブラジルの共通点
・ブラジル人も米国好きである。フロリダ州オーランドにあるディズニーワールドを訪れるブラジル人は、英国人/カナダ人に次いで3番目に多い。またリゾート地フロリダ州マイアミはブラジルから来る観光客を最も当てにしている。
・ブラジルも外来語が流入が激しい。例えば「割引」は以前はポルトガル語で書かれていたが、最近は「50% off」「Sale」などと書かれるようになった。
・ブラジルはコーヒー輸出国である。日本も世界有数のコーヒー好きの国になり、多様なコーヒーが楽しめる。ブラジルでは朝食はパンが多いが、昼食/夕食はご飯を食べ、お米好きの国である。
・日本には東京と大阪でライバル意識があるが、ブラジルにはサンパウロとリオでライバル意識がある。日本は日韓対決で熱が入るが、ブラジルではアルゼンチンとの対決に熱が入る。

<中級編-ブラジルの矛盾>
○ブラジルの木
・ブラジルは最初は「ヴェラ・クルス島」(真の十字架の島)と呼ばれ、次に「サンタ・クルスの地」(聖十字架の地)と呼ばれた。16世紀中頃「パウ・ブラジル」(赤い木)からブラジルと呼ぶようになった。
・この「パウ・ブラジル」は薪として優れ、インディに重用された。また堅いため建築材としても使用された。さらに幹を粉にすると赤色の染料になり、欧州でファッション革命を起こし、高級な染料になった(※これは知らなかった。柿右衛門だな)。そのため「パウ・ブラジル」は殆どが伐採され、国民さえ知らない木になった。
・1970年代、北東部ペルナンブコ州で「パウ・ブラジル」5万本を植樹する運動を始めた人物により、「パウ・ブラジル」の植樹が盛んになった。

○アマゾンの環境破壊
・アマゾンの環境破壊が問題になっている。ホンドニア州では20年間で森林の2割が消滅した。アマゾンの本格的な開発は、1960年代に始まった。アマゾンの土は窒素/リンが不足しており、農業に適していない。軍事政権は舗装道路を作るが、余り利用されなかった。年間15トンの金を採掘するが、1988年だけで水銀8トンがマディラ川(アマゾン川最大の支流)に流された。
・アマゾンの森林の不法伐採は問題だが、それを購入する先進国にも問題がある。1990年G7首脳会議で「ブラジル熱帯雨林保護計画」が提唱され、コンセンサスが進みつつある。環境破壊を最小限に抑える開発として資源開発がある。アマゾンに石油はないが、鉄鉱石など想像を絶する資源が埋もれている。

○ストリート・チルドレン
・麻薬/売春/虐待/殺人/収容所生活に関わる「ストリート・チルドレン」は、ブラジルの重要な社会問題である。この問題は先進諸国でも頻繁に取り上げられるが、ブラジルから見れば、より深刻な貧困問題/青少年問題の一部である。
・「ストリート・チルドレン」はファヴェーラ(スラム)に限った問題ではなく、一般市民の生活の場にもあり、「彼らを除きたい」点で日本の「ホームレス」と酷似している。他方違う点は、日本では「ホームレス」を傍観しているが、ブラジルでは「死の部隊」(警察)により「ストリート・チルドレン」を消し去ろうとしている。
※「頻繁に取り上げられる」と書かれているが、知らなかった。

○貧富の格差
・ブラジルで若者がホームレスにアルコールを投げつけ、焼き殺す事件が起きた。そこには敗者への差別意識が伺われる。貧民は犯罪予備軍と思われるのを嫌い、1日でも早く脱出するため、犯罪に手を染める人が多く、刑務所に収容されている人の95%が低収入・低学歴者である。
・寿命/教育/所得格差を考慮する国連の「人間開発指数」でブラジルは75位に留まっている。ジニ係数は0.552で格差が大きい(?)国である。最低賃金は100ドル未満で、これでは真面な生活はできない。一方で年30万ドルを稼ぐ大地主/資本家/労働者も珍しくない。またサンパウロ上空には東京/ニューヨークの何十倍ものヘリコプターが飛んでいる。※これがBRICsの実態かな。

・「貧富の格差」を解消する政策として、1997年「最低収入保証プログラム」が制定された。しかし登録者/援助額は少ない。
・社会運動家・故ベッチーニョは、1993年「飢餓をなくすキャンペーン」を開始した。これは食品/支援物資を集め、全国の支部で配布する運動で、大成功する。しかし彼は「この運動は一時凌ぎで、雇用/教育などの構造改革が不可欠である」と訴えた。
・インターネット利用者の過半数は、英語が堪能/月収が最低賃金の10倍以上/南東部居住者であり、ここにも「貧富の格差」がある。

○ファヴェーラ(スラム)
・ブラジル人には、「アマゾンよりファヴェーラの方が怖い」と思っている人は多い。都会の川辺を占拠したファヴェーラはブラジルの名物である。そこは犯罪の温床で、その犯罪を売り物にした大衆紙が、一般紙よりも売れる日がある。

・著者は中学生の頃、サンパウロのファヴェーラ「ノヴァ・エスペランサ」(新しい希望)に進入した事がある。その時、働く人/働かない人、真面目な人/強盗をする人、学校に通う子供/通わない子供がいて、住民を一括りにできないと感じた。

・その後著者はファヴェーラの長老にインタビューした事がある。彼には11人の子供がいて、2人は弁護士になり、1人は医師になっていた。このファヴェーラは組織がしっかりしていて、市長/市議会議員と交渉し、水道/電話が引かれ、コミュニティ・センターも設けられていた。
・ファヴェーラの小屋にはテレビがあり、目と鼻の先にいる裕福な家庭の生活を日々見ているのである。ファヴェーラ内で妬みを買い、家を荒らされ、妻と娘を犯され、本人も性的虐待を受けた住民もいた。

○さまよえる中流層
・1990年代、中流家庭の息子が、貧乏人をけなす発言を連発するコメディ番組が人気があった。彼は上流階級を熱望しており、その姿が笑いを誘うのである。笑われているのは中流層なのです。
・ファヴェーラ近くの福祉事務所は、ファヴェーラ住民の「駆け込み寺」になっているが、そこで働く職員はこの中流層に当たる。彼らの月給500ドルでは、近くのショッピング・センターで売られている100ドル以上の洋服を買う事ができない。

・犯罪被害者は中流層の人が多い。「ロサンゼルス暴動」でも狙われたのは中流層のアジア系であった。中流層は上層と下層の板挟みに合い、笑ってストレスを解消する人もいれば、慈善活動/ボランティア活動に努める人もいる。

○都市暴力
・2000年都市暴力解決のため「公安国家計画」が発表される。市民の最も深刻な問題は治安である。住宅は高い塀に囲まれ、窓は鉄棒で守り、犬を飼い、枕元にピストルを置く人もいる。市民の防犯に対する警戒は数限りない。
・ラジオ・キャスターのアファナジオ・ジャザージはサンパウロ州議会議員選挙で「死刑制度の導入」を公約とし、圧倒的得票で当選した。

・ブラジルで犯罪率が高い原因の1つに「検挙率」の低さがある。これは警察の給料が安く、逆に犯罪に加担するケースも見られる。また刑務所の収容能力が低く、矯正システムが整備されていない点も犯罪率が下がらない原因である。

○インディオの悲劇
・ブラジルの先住民はインディオであるが、これは「インドの人」を意味する。当初は500万人以上のインディオが住んでいたが、今は35万人に減少している。しかし1990年代以降は微増傾向にある。アマゾンには、まだ白人と接触していない部族が53もある。
・1910年「インディオ保護運動」が始まり、政府はインディオだけが使用できる土地を提供するようになった。現在ではポルトガル語を話す人も多く、1万2千人が都市の学校に通っている(※かなりの割合だな)。議員となり「インディオ保護運動」を展開する人もいる。インディオのアイルトン・クレナックさんは人生哲学「森との共生」を提唱し、注目された。

○成熟した文学、未熟な教育
・ブラジルで読書は普及していない。国民1人当たりの出版数は、1990年1.6冊であったが、1998年2.4冊に増えた(米国は11冊)。
・作家にはジョゼー・デ・アレンカール(ロマン主義)/マシャード・デ・アシース(写実主義)/ギマラエンス・ホーザ(地域主義)/マーリオ・デ・アンドラーデ(近代主義)/オズワルド・デ・アンドラーデ(近代主義)/カルロス・ドゥルモン・デ・アンドラーデ(詩人)など多数いる。

・ブラジルで本が売れない理由に、識字率低さ/言語能力の不足/読書への無関心などがある。また本が高いため売れず、悪循環になっている。例外的に売れているジャンルが、宗教関係/幼少年向け文学作品/自己啓発/神秘主義である。

○多民族国家
・ブラジルも「人種の坩堝」であるが、人種差別自体は少ないと云える。それは古くから混血が行われていたためである。サッカーのロマーリオ/ロナウドにしても白人の血が混ざっている。「ファヴェーラ」は「黒人居住区」でなく「貧民居住区」である。
・人種をネタにしたジョークはあるが、それは”お互い様”で、そこには寛容性がある。またブラジル人は祖先に興味がない。それは余りのも混血を重ねてきたためである。
※この点は、少しホッとする。

○ルーラ大統領の来日
・2003年労働者階級出身のルイス・イナーシオ・ルーラ・ダ・シルバが大統領に就任する(任2003~10年)。2005年5月彼は来日する。初日は国会で、日本/ブラジルの国連常任理事国入りを演説した。2日目は都内のホテルで、「ブラジルはエタノールなどの原材料/農産物/高品質の工業製品/ソフトウェアなどを供給できる」とアピールした。さらに「メルコスール」(南米共同市場)の行事に出席した。3日目は名古屋に移動し、ブラジル領事館で在日ブラジル人と交流した。昼食後「エキスポ・ビジネス」を見学し、ブラジル北東部の音楽/パフォーマンスを鑑賞し、演説を行った。これらは在日ブラジル人に勇気を与えた。

○大国の現在と未来
・「全てのブラジル人が優秀な経済学者である」と云われる。それは経済が不安定のため、政府が経済政策を発表する度に、その是非を論議するためである。
・1970年代に幻の経済成長が「オイル・ショック」により失速すると、1980年インフレ率は110%であったが、1990年には1198%に達し、1993年には2708%まで上昇する。しかし1994年カルドーゾ大蔵大臣(前大統領、任1995~2002年)による「レアル・プラン」により、インフレは終息し、1998年には1.66%に抑えられる。しかしその影響は不況として存続している。

・「レアル・プラン」以降、国民の平均所得は2割強上昇した。高卒以上は、1978年には3%しかいなかったが、1999年には19%まで上昇した。ガス・コンロ/冷蔵庫/テレビなどの普及率は8割を超えた。しかし2000年「人間開発指数」は74位で、隣国コロンビア/アルゼンチンより低く、悔しい結果となった。
・2000年カルドーゾ大統領は「進めブラジル-総合開発計画2000~2003」を作成する。2003年ルーラ大統領は「飢餓ゼロ」キャンペーンを始める。しかし何れも芳しい成果を上げていない。

<上級編-ブラジルの真髄>
○『イパネマの娘』
・世界で最も有名なブラジリアン・ソングは、ボサノバの『イパネマの娘』である。この曲には英語バージョンがあり、女性歌手が歌っている。残念な事に、日本では英語バージョンしか聴かれていない。
・「イパネマ」はリオで最も美しいビーチである。オリジナル(ポルトガル語)はビーチを歩く娘に恋心を寄せるオマージュ(賛美歌)である。一方英語バージョンは女性が歌うため、一人称が三人称に変更されるなど、大幅に歌詞が変えられている。※両歌詞が記載されているが省略。
・娘は実在の人物で、当時15歳であった(写真あり)。最初に売れっ子コンビの作詞家ヴィニシウス・デ・モライスが詞を作り、その後作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンがメロディを付けた。

○国歌、国旗
・1822年ブラジルが独立した時に国歌が作曲されたが、詞が決定したのは1909年である。詞の評価は高くないが、ハイテンポのメロディは評価が高い。
・このメロディはフランシスコ・マノエル・ダシルバが作曲したが、近年、偽作疑惑が起こった。彼の恩師ガルシア神父が作曲した「コンセイソン聖女に捧げる歌」が国歌と酷似していたのだ。しかし「当時は尊敬する人の曲を引用するのは珍しくなかった」と寛容に見られている。
・また近年国歌をハードロック調にアレンジしてコンサートを盛り上げたり、1986年急死したネーヴェス大統領の葬儀で国歌がラブ・ソング調に歌われ、それが定着した。

・国旗は森林(緑色)/地下資源(黄色)/夜空(青色)/秩序と発展(文字)で構成されている。この国旗もビキニにされたり、顔に貼られたり、道路/車道に描かれたりするが、罰せられた話は聞かない。
※夜空に描かれている星座はそれぞれの州を表している。少し感動。

○哲学「ジェイチーニョ」
・ブラジルには「ジェイチーニョ」と云う言葉がある。これは「ブラジル流の問題解決方法」と考えて欲しい。物事を依頼し「ノー」と言われたら、それは交渉の始まりと考えた方が良い。
・役所の手続きを代理する業者「デスパッシャンテ」がある。彼らは複雑な手続きに慣れ、役人と顔見知りになるので手続きをスムーズに進める事ができる。
・「ジョーゴ・デ・シンツーラ」(腰の動き)と云う言葉がある。これは本来はサッカー用語だが、「問題に対し柔軟的に、創造力を持って対応する」を意味する。
・「ジェルソンの法則」と云う言葉がある。これは1970年代のサッカーのスーパースターのジェルソンが「あなたは常に相手より得しなければならない」と言った事が始まりで、「勝つ事を優先する」「手段を問わない」などを意味する。
・以上は「ジェイチーニョ」であるが、これだと「いい加減」「ルール無視」になるので、「責任の倫理」を提唱する政治学者もいる。

・近年ブラジルでは汚職が問題視されている。経理学/神学を学んだロウレンツ・へーガは『ジェイチーニョを打破する』を出版した。そこには「真面目に納税する自分はバカだと後悔している。脱税する自分は賢いと誇っている」「友達には全てを与え、敵には法律を強制する」「交通違反で止められた時、『別の解決方法もあるよ』『コーヒー代をくれれば、何とかなるよ』などの決まり文句がある」などが書かれている。

○世界的な有名人
・スーパーモデルのジゼルはブラジル人である。どんな服でも着こなし、禁煙/禁酒を貫いている。
・カルロス・ゴーンはホンドニア州生まれである。母はフランス系、父はレバノン系で、英語/仏語/アラビア語を流暢に話す。
・整形手術の権威イヴォ・ピタングイーはミナス・ジェライス州生まれである。
・飛行機の発明者はライト兄弟とされているが、ブラジルではミナス・ジェライス州生まれのアルベルト・サントス・ドゥモンである。1906年彼はフランスの群衆の前で25メートル以上飛行させている。※ライト兄弟は1903年だが。

○カルドーゾ大統領
・国の成熟度を測る際、誰がトップに選ばれているかを基準にすれば良い。1994年大統領に選ばれたフェルナンド・エンリケ・カルドーゾは高い水準にある。4年後に彼が直接投票で再選した事も意義がある(任1995~2002年、2期8年務める)。彼は「インフレを抑えたための連続当選した」とされるが、政治家が汚職・腐敗のイメージを持たれている中で、「クリーンな学者政治家」と評価された点が大きい。

・彼は1968年論文『ラテン・アメリカにおける従属と発展』(従属理論)を共同執筆している。これは「発展途上国は、先進国に従属しながらも発展できる」とする理論であり、左翼インテリ層が主張する「帝国主義に団結して対決すべき」と逆の理論である。
・1974年彼は衆議院議員に立候補し落選するが、1980年には当選する。1985年サンパウロ市長選挙に立候補するが、1969年彼は軍事政権によりサンパウロ大学を解雇になっていて、そのため共産主義者とされ落選する。

・1994年大統領に当選する。かつての軍事政権支持者が参加している保守派と連立し、左翼から「裏切者」と批判される。一方で文化大臣に左翼の論客を任命している。これらは彼が多様性や民主主義に忠実な学者である事の証しである。

○アフリカ系
・他のラテン・アメリカ諸国と異なり、ブラジルには400万人もの黒人奴隷がアフリカから連行された。振り返ると彼らの貢献度は高い。1888年奴隷解放され、その後も彼らは地位向上を目指している。
・1951年人種差別を規制する「アフォンソ・アリノス法」が制定される。1978年「黒人統一運動」、1995年法務省に「黒人の評価を高めるためのワーキング・グループ」が設立されている。

・1996年は黒人に取って画期的な年であった。サンパウロ市長に黒人のセウソ・ピッタが当選する。しかし彼は黒人の地位向上を訴えた訳ではなく、逆に高学歴/高収入/エリート・コースで「白人的」であった。
・また1996年は雑誌『ハッサ』(人種)が創刊された。従来の雑誌は、服装/モデルなどで白人が基準であったが、黒人を基準とする雑誌である。

・なおブラジルの人口調査では白人が過半数を占め、パルド(白人と黒人の混血)が40%、黒人が5%強となっている。これは自己申告のためである。

○ブラジル製
・ブラジルは石油に恵まれないが、サトウキビ栽培は盛んである。そのため石油代替燃料の研究が進められ、国産車の大半はエタノール車である。またガソリン・スタンドのガソリンにも、エタノールが2割混合されている。

・広告業界では、ワシントン・オリヴェットが率いる「W/Brasil」が作成する広告が、世界的に評価されている。写真家にはセバスチャン・サウガードがいる。
・日本では健康食品が注目されている。「プロポリス」は蜜蜂が作るものであるが、「ロイヤルゼリー」とは全く異なる。「カイアポイモ」「アガリスク茸」もブラジル産である。お勧めは「アセロラ」で、最近は「アサイー」も飲用され始めた。

○日系人
・2000年サンパウロ大学は各学科の成績1位を表彰したが、87人中17人が日系人であった。日系人は約150万人と推計され、人口の1%にも満たない。

・半田知雄は著書に「1880年頃、黄色人種は『危険な人種』とされていた」「1942年日系移民に反対する『危険な日本人』『社会的選択』が出版された」と、日系移民に批判的であったと書いている。
・逆に日系移民を褒める者もいて、農業生産力の高さから、その「勤勉」が賞賛された。また勉強に対する「勤勉」も評価され、特に機械/コンピュータ関係が得意とされた。

・1970年代までは評価される人物は、トミエ・オオタケ(現代美術)シゲアキ・ウエキ(鉱物エネルギー大臣)など少ない。
・しかし1980年代になると急増し、サンドロ・ヒロシ(サッカー)ホベルト・シンヤシキ(精神科医)イハ・コウユウ(サントス市長)ルイス・グシケン(労働組合の活動家)チズヤ・ヤマザキ(テレビドラマ・映画監督)サブリナ・サト(芸能人)ダニエーリ・スズキ(俳優)マルコス・ツムラ(俳優)パト・フー(歌手)マチナス・スズキ・ジュニア(ジャーナリスト)エンヒー・コバタ(ジャーナリスト)セウソ・キンジョー(ジャーナリスト)などがいる。

○移民100周年
・1908年6月日本から最初の移民船笠戸丸がサントス港に到着した。2008年ブラジル各地で「移民100周年記念行事」が行われた。
・総合週刊誌『ヴェージャ』は特集号を組み、日系人について50ページに亘って綴った。テレビ局最大手の「グローボ」も複数の特集を放送した。
・2009年2月のカーニバルでは、サンパウロ/リオ共に「移民100周年」をモチーフとした。南部サンタ・カタリナ州の州都では、日系移民をテーマにした「サンバ・スクール」が優勝した。

・民間企業/行政も様々な「移民100周年記念行事」を行った。日本の「東京コレクション」に匹敵するサンパウロの「ファッション・ウィーク」では日本がテーマになった。行政では、サンパウロ州が「ビバ・ジャポン」を企画した。これは日本に関する課外学習をした場合、資金援助が受けられる企画で、州政府は6千万円を準備した。
・ブラジルで最も著名な漫画家により「移民100周年」の公式マスコット・キャラクター「TikaraくんとKeikaちゃん」が創作された。※転載されているが、大変可愛い。
・2008年6月サンパウロでの式典には皇太子殿下が出席した。また「日本週間」として、日本の伝統芸能/ポップカルチャーなど様々な展示/公演が行われた。

・同時に日本でも「移民100周年記念行事」が行われた。NPO法人「ABCジャパン」は「100プラス20の会」(移民100周年、デカセギ20周年)を設立した。移民の出発点となった横浜港/神戸港で「移民100周年記念行事」が行われた。プロモーター2社が別々に「ミス・コンテスト」を開いたため、2人の「ミス100周年」が選ばれた。
・東京のホテルオークラで政府公式の記念式典が開かれ、天皇陛下は「ブラジルから来られた日系人が、日本で温かく迎えられる事を期待します」と述べられた。

○日本人が描くブラジル人像
・ブラジル出身の有名人にサッカーのラモス瑠偉とタレントのマルシアがいる。逆に消極的なので忘れられたのが、サッカーのロペス・ワグナーと「オメガ・ドライブ」のカルロス・トシキであろう。

・映画には片寄ったステレオタイプのブラジル人が登場する。木下恵介監督『父』には、ハッピーで音痴のミュージシャンの「チャールズ」が登場する。しかし名前が「チャールズ」は変である。きうちかずひろ監督『カルロス』には、メチャクチャなヤクザ「カルロス」が登場する。
・馳星周の小説『漂流街』には、主人公としてヤクザの「マーリオ」が登場する。日本の差別・偏見に苦しみ、暴力に走る姿が描かれている。一方、三池崇史監督による映画『漂流街』での「マーリオ」は、いきなり暴力を振るう冷酷な人間になっている。また結婚式でサンバを踊るが、ブラジルではそんな事はしない。

○ディアスポラ
・ブラジルは1980年代より移民を受け入れる国から、移民を送り出す国になった。1987年には30万人、1991年には63万人が海外に移住している。主な移住先は米国/日本/イタリア/ポルトガル/英国/フランス/カナダである。
・「ディアスポラ」の原因は経済の悪化である。1980年代からインフレに悩まされ、コロール大統領(任1990~92年)は「コロール・プラン」で銀行預金を18ヵ月間、使用禁止にした。彼らが海外移住したのは、経済回復の希望を失ったからである。

・日本への移住者は日系人が多い。それは1990年日本の「出入国管理法」が改正され、日系人に在留許可を与えるようになったためである。ブラジル政府は海外移住を推奨していないが、その存在は認めるようになった。

○隣のブラジル人
・2008年末日本には31万2582人のブラジル人が外国人登録され、その殆んどは日系人である。これは1990年「出入国管理及び難民認定法」が改正され、日系人だけは長期滞在が許される在留資格を与えられたためである。
・移民は「デカセギ」(ポルトガル語に実在する)と呼ばれるが、本人達は嫌っている。
・ブラジル人は企業城下町に多く住み、都道府県では愛知県がトップである。市町村では静岡県浜松市/群馬県大泉町などに多く住んでいる。
・日本にブラジル人が多く住むようになり、ブラジルのミュージシャン/芸能人が日本を訪れるようになった。これはブラジル・ファンには嬉しい事である。

・著者が東京でブラジル人向け新聞『ジャーナル・トゥード・ベン』の編集長を務めていた時、月刊誌『Mode in Japana』を創刊した。これは日本文化/日本社会の情報を国内のブラジル人に伝えるだけでなく、ブラジルに住む日本好きな人に伝えるためである。
・多くのブラジル人が日本に移住した事で、この創刊が可能になった。以前は短期で帰国する人が多かったが、今は1/3が永住権を取得している。これは住宅購入者の増加にも表れている。しかし2008年下半期、多くのブラジル人が「職」を失ったのは残念である。

○ブラジルのトレンド
・1990年代は空前の「ショッピング・センター」ブームであった。ブラジルの「ショッピング・センター」は買い物/飲食だけでなく、映画館/ゲームセンター/アイススケート場があり、警備もしっかりしているので、家族で安心して休日を過ごせる。
・1993年から97年で下着の売上が14%減少した。これは好みの下着がないのが原因らしい。
・週末の夜は各地の会場で「ビンゴゲーム」が行われる。賞品/賞金が高額なので博打性が高い。
・「ボディガード人形」が売れている。それは女性が一人で車を運転するのが危険なためである。
・「エコツーリズム」が盛んになってきた。定番はアマゾン地帯であるが、近年は世界で最も動植物の種類が豊富と云われる中西部の「パンタナール大湿原」が注目されている。
・インターネット/携帯電話の普及も進んでいる。国民の半数余りが携帯電話を所有している。

○言葉が命
・ブラジル人はジョークが好きで、名言を作り出す。トラック運転手は自分の好きな言葉を車に書き込んでいる。30数個の名言が紹介されているが、幾つか抜粋する。「貧しい自分もビーチを所有している。それはこの砂を積んだトラックだ」「カーブのない道路はヒップのない女性だ。単調で眠くなる」「ブスな女性が好きな男性は、美容室の経営者だ」「君の想像力は、マクドナルドの料理人以上だ」「犬が人間の良き友でいられるのは、お金の価値が分からないから」「民主主義とは、国民が権力を握っていると錯覚する制度である」「ブラジルは初心者向きの国ではない」。

○ブラジル好きな日本人
・人気バンド「ザ・ブーム」のリーダー宮沢和史はブラジル・マニアである。曲名がブラジル風(『極東サンバ』『トロピカリズム』など)であったり、サンバ調の曲『風になりたい』があったり、ポルトガル語で歌った曲もある。ブラジルの音楽家をコンサートにゲストとして招いてもいる。彼は著者の質問に「前世があるとしたら、ミナス・ジェライス州で花売りをしていただろう」と応えた。
・音楽関係には親ブラジルの人が多い。ジャズ・ミュージシャン渡辺貞夫は番組『わが心の旅』でバイア州を選んだ。矢野顕子は「若い時ブラジル音楽に憧れ、最初に買ったレコードはトム・ジョビン」と応えた。
・日本の有名人によるブラジルへの「ラブコール」が5つ紹介されており、抜粋する。田所清克「知れば知るほど興味をそそり、住めば住むほど虜にさせられる」、川田順造「初めて訪れたブラジルは鮮烈であった。ここに入った者は感受性の尺度を狂わされ、妄想を抱くようになる」、黒田公男「日本沈没など考えず、親類の国ブラジルと来世紀の栄光を共有したい。地球市民の時代に、ブラジルに視座を移すのは大事である」。

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