『渡辺治の政治学入門』渡辺治(2012年11月)を読書。
本書は民主党政権時に書いた2年間分の連載を基にしています。
主に「政治家論」「地域主権改革」「社会保障と税の一体改革」を解説しており、大変参考になります。
著者の本が図書館に50冊以上あるので、その内読みたい。
お勧め度:☆☆☆
キーワード:<はしがき>狙い、民主党政権、軍事大国化/新自由主義改革、新自由主義派/利益誘導型政治派/マニフェスト実現派、三党合意、主題/視角、<政治における政治家の役割と限界>政治家、鳩山由紀夫、普天間基地問題、<菅直人と菅政権の間>菅直人、権力主義者、<みんなの党はなぜ伸びた>新党、共産党/社民党、選挙制度、<小沢一郎はなぜマスコミから叩かれたか>代表選、政治とカネ、財界、<菅はどんな政治をするか>代表選、福祉実現派、<マスコミ論>常識、画一化、<小沢一郎は何を目指しているのか>保守二大政党制、<保守二大政党制>改革遂行、保守支配層、<保守二大政党と大連立>三党合意、<衆参両院定数削減>民主党、小選挙区制/中選挙区制/比例代表制、<橋下大阪府知事、河村名古屋市長>地域主権改革、首長、<被災地東北地方の被害は、なぜ深刻化したか>利益誘導型政治、三位一体改革、復旧・復興、<原発の政治学>エネルギー政策、電源開発促進税/固定資産税/核燃料税、農業/地場産業、<野田政権の発足>菅おろし、<原資料に当たる事の大切さ>社会保障と税の一体改革、<一体改革は、なぜ出てきたのか>構造改革、福田内閣/社会保障国民会議、小泉内閣、財政破綻、<構造改革政治の焦点に浮上した一体改革>東日本大震災、一体改革成案、<肩車型社会では消費増税は仕方ない?>社会保障・税一体改革素案、財政赤字、<社会保障にも削減のメス>自助・共助・公助、子供・子育て新システム、三党合意、<橋下への期待と橋下が目指すもの>地方、高齢者・低所得者、大都市中間層、維新八策、<新自由主義政治家としての既視感と新鮮さ>石原慎太郎、小泉純一郎、分断、政治体制作り、<私達はどこまで来たか、どこへ向かっているのか>平和運動/反新自由主義運動、福祉国家構想、後期新自由主義時代
<はしがき>
○本書の狙い
・本書は「全日本教職員組合」の雑誌『クレスコ』に、22回連載(2010年7月~2012年9月)したものを基にしています。本書の狙いは2つあります。第一は実際に起きている政治現象を、ナマの資料を使いながら明らかにする事です。
・2010年5月鳩山由紀夫首相(※以下敬称略)の普天間基地に関する日米合意尊重発言が出るなど、民主党の動揺が始まります。2012年6月「三党合意」により「一体改革関連法」が成立します。連載期間は日本の行方に大きな影響を与えた政治事件が多発しています。
・第一の狙いを料理に例えるなら、新鮮な料理を食べてもらう事です。
・第二の狙いは、これらの政治現象を分析する方法/視角を明らかにする事です。これを料理に例えるなら、調理に使う道具や調理の仕方を教える事です。第一の狙いが織物のタテ糸なら、第二の狙いはヨコ糸になります。
・本書がこれまでの本と異なるのは、第二の狙いにあります。これは著者の仕事の裏舞台を明らかにする事で、新しい試みです。これは『クレスコ』の読者である教師に「活動家」が多い事を考慮したためです。また連載の題を『現代日本政治批判』などにせず、『渡辺治の政治学入門』としたのも、その意図です。
○民主党政権の時期区分
・連載期間の2年間は民主党政権に含まれ、本書は民主党政権の側面史です。そこで民主党政権を3つの期間に分けます。第1期(2009年9月~2010年5月)は、民主党政権の誕生から鳩山の辞任までです。鳩山は保守政治から抜け出そうとするが、財界/米国の圧力で動揺する時期です。
・第2期(2010年6月~2012年6月)は、菅政権と野田政権の初期で、民主党政権が変節した時期です。
・第3期(2012年6月~2012年12月)は、「三党合意」成立以降で、民主党政権の崩壊期であり、大連立が始まった時期です。
-民主党政権の第1期
・民主党政権の第1期は、運動や国民の期待に押された民主党政権が、自公政権の軍事大国化/新自由主義改革に歯止めを掛けようとした時期です。しかし米国/財界の猛反撃で動揺します。
・この時期の政策は3つに分類されます。1つは反自由主義の「労働者派遣法」の抜本改正、「後期高齢者医療制度」「障害者自立支援法」の廃止などです。2つ目は普天間基地の国外移転など、「保守の枠」(※頻出します)を超える方針を打ち出しながら、米国/財界の反発で実行できなかった政策です。3つ目は民主党が結党以来掲げていた新自由主義的政策(地域主権改革など)で、粛々と実行された政策です。
・政権交代が起こった背景に、民主党の軍事大国化/新自由主義改革からの転換があった。この転換は2007年小沢一郎が代表時の参院選、2009年鳩山が代表時の衆院選の2段階で行われた。これは運動の圧力を受けた党内の勢力の拡大によります。
・民主党には3つの勢力があった。第一の勢力は、民主党を自民党と競う保守政党にすべく努めてきた「新自由主義派」で、「頭」と名付ける。これには鳩山/菅直人/前原誠司/仙谷由人/野田佳彦などが入る。
・第二の勢力は、2003年小沢が率いる自由党の合併後に伸長した「利益誘導型政治派」で、「胴体」と名付ける。
・第三の勢力は、中堅・若手を中心とし、運動や地域住民の圧力を受け、新自由主義改革/軍事大国化に歯止めを掛けようとする「マニフェスト実現派」で、「手足」と名付ける。
※こんな分類があるんだ。小沢は「マニフェスト実現派」ではないんだ。
・自民党にも派閥があって一枚岩ではないが、その振れ幅は民主党に比べると小さい。民主党は地域住民や利益誘導団体との結びつきが弱く、運動の圧力を受け、急激に政策を転換します。しかし「手足」勢力の消滅で、構造改革(※新自由主義改革?)に回帰します。
・鳩山政権期内でも普天間基地問題に見られるように、政策は不安定だった。「労働者派遣法」の改正案は、財界の圧力で後退した改正案が国会に提出された。しかし鳩山政権は基本的には運動の力を背にして、新自由主義改革/軍事大国化に歯止めを掛けようとした政権だった。ところが財界/米国、さらにはマスコミの圧力により動揺します。
-民主党政権の第2期
・2010年6月2日鳩山は首相辞任を表明する。代表選で菅が選ばれ菅政権が誕生します。菅政権になると新自由主義改革/軍事大国化への回帰が明確になり、変節した民主党は市民の支持を失い、7月11日参院選で大敗します。しかし小沢の台頭を恐れた財界/マスコミは菅の続投に回り、9月代表選でも小沢を退けます。
・菅政権は新自由主義改革/軍事大国化に邁進する。消費増税を「社会保障と税の一体改革」として打ち出し、TPP参加も表明します。菅政権の支持率は下がり続けるが、東日本大震災で”政治休戦”となり救われます。菅政権は「社会保障と税の一体改革」を閣議決定し、「防衛計画の大綱」では結党以来掲げていた国連中心主義を投げ捨てます。
・しかし財界/マスコミは、新自由主義改革の実現のめどが立たない菅政権を見限り、倒閣に向かいます。新自由主義改革の唯一の道は「大連立」だったが、菅はそれを拒否したからです。
・2011年9月野田政権が発足します。新自由主義改革/日米軍事同盟の強化を望んでいた支配階級(※支配階級/支配層は頻出します)の苛立ちは頂点に達していた。そのため野田政権はそれらの実現を迫られます。それは「一体改革に命を掛ける」などの表明に表れます。
・しかし民主党単独で消費増税/一体改革/TPPを実現するのは難しく、「三党合意」に向かうしかありませんでした。この頃、野田は「決められない政治」「決め切る政治」を用いますが、これは「三党合意」による構造改革の強行を意味した。
-民主党政権の第3期
・「三党合意」は民主党政権の崩壊であり、大連立政治への突入を意味した。「三党合意」は「一体改革」に関するものだったが、その範囲はそれに留まるものではない。従って、この第3期は新たな新自由主義の時代の始まりだった。
・次の総選挙で政権に復帰するであろう自民党の総裁選に5名が立候補するが、何れも集団的自衛権の容認/憲法改正を掲げた。その中で最もタカ派の安倍晋三が総裁に返り咲いた。これは一体改革/原発再稼働/TPP参加などの新自由主義改革が断行される容易ならぬ状況です。「三党合意」による「社会保障制度改革推進法」の国会通過はその始まりだった。
・しかし国民は小泉時代に「構造改革」の名の下で行われた新自由主義改革により大企業が繁栄した半面、餓死/自殺/格差/貧困/医療崩壊などを生んだ事を経験していた。
○ヨコ糸で検討した事
・民主党政権を分析するため、以下を連載の主題にした。最初の2回は政治家個人の役割を解説するため、鳩山/菅を扱った。第4回/第5回/第7回では小沢を、第11回/第20回/第21回では橋下徹を扱った。政治家は時代の構造に規定され(?)、本人の思想とは異なる役割を果たしたのが分かる。
・選挙(第3回)、二大政党制/大連立(第8回、第9回)、小選挙区制/議員定数(第10回)、地方分権(第11回)など基本的な政治制度も主題にしています。
・第6回では政治に大きな影響を与えるマスコミを扱った。労働組合も取り上げたかったが、その機会がなかった。
・第15回から第19回では「社会保障と税の一体改革」の原資料を素材にした。読者は、「維新の会」の「維新八策」/憲法改正案/「一体改革」の成案・素案・大綱などを新聞/テレビなどで目にするが、それは官僚寄りの解説です。それを実証しようとしたのが第15回からの試みです。
・本書が特に重視したのが、「政治は運動と政治抵抗の所産」とする視角です。これは本書全体を貫いているが、それを最終回(第22回)の主題にした。
○本書の構成と読み方
・連載は同時進行形だったが、本書はそれを編集せず、そのまま収録した。ただし補足を追記し、また連載には載せられなかった原資料も記載した。
・本書を読んで、政治の方向/特徴を考え、それを変革する課題を見付けて欲しい。改憲/軍事大国化/新自由主義改革に終止符を打つために。
<第1回 政治における政治家の役割と限界> 2010年5月20日
・連載『渡辺治の政治学入門』を始めます。本連載は現在の政治状況を検討すると共に、政治はどんな力で動いているのか、政治がどこに向かっているのかなどを考えます。本連載により、新聞/テレビから得られる情報から、政治状況を分析する力を身に付けて頂ける事を期待しています。
・今回は政治家の役割について考えます。自民党政権は利益誘導型政治で、誰が首相をやっても変わらないと言われましたが、それは今も同じです。政治家個人の能力とは関係なく、政治はその時々の政治構造と力関係で決まります。
・1982年首相になった中曽根康弘は改憲派でしたが、政治の安定のため改憲を封印します。彼が実現を目指していた有事法制/国家機密法も全く実現できませんでした。
・しかし政治が動く時代は、支配階級の要請を体した政治家や、逆に国民の声を受けた政治家が登場し、大きな役割を果たす時があります。
・鳩山はそんな政治家の一人です。構造改革の矛盾に最初に対応したのは小沢でした。小沢は「国民の生活が第一」に転換し、2007年参院選で農家や地場産業の票を獲得します。
・小沢は献金疑惑で退き、鳩山が後を継ぎ、それを加速します。構造改革問題では、子ども手当/高校授業料の無償化/後期高齢者医療制度の廃止/労働者派遣法の抜本改正などに踏み込みます。普天間基地問題では「国外移転、最低でも県外移転」を掲げます。
・鳩山は支配階級としての自覚が薄く、構造改革に反対する国民の声を受け、民主党への熱狂を起こします。
・こうして誕生した民主党政権は、財界/米国の猛烈な圧力を受けます。しかし支配階級としての自覚が薄く、国民の声を受けた彼は国外移転に邁進します。
・彼は国民/運動からも圧力を受けます。2009年10月『琉球新報』『毎日新聞』の県民世論調査で、辺野古移転への反対が67%に上ります。翌年4月徳之島で「1万5千名集会」、「4.25沖縄県民大会」などの圧力が続きます。
・この様に彼は、国民と米国/財界の双方の圧力に挟まれた民主党政権を象徴する政治家です。福祉問題でも、マスコミの「福祉バラマキは財政を破綻させる」の攻撃がある中、子ども手当に踏み込みます。普天間基地問題も彼だからこそ、あそこまで引きずったのです。※米官業政報の言葉がある。
・しかし彼に日米同盟/構造改革に代わる代案もなく、普天間基地問題も辺野古移転に決着します。民主党は国民を裏切った彼の首を飛ばします(首相・代表辞任)。その後の民主党の首相は構造改革/日米同盟の枠から全く出られなくなります。
-現時点からの補足
・著者の好きな歴史家・服部之総は『明治の政治家たち』を著しています。そこに「傾倒できる人物、全力を上げて書いてみたい人物は、大久保利通/星亨/原敬」と書いています。彼らは時代が要請した課題を自らの課題に掲げ、被支配階級の同意を得て、課題達成に大きな役割を果たした人物です。ちなみにこの課題には善悪は別にして新自由主義改革なども含まれます。
・この考えで戦後の政治家を見ると、池田勇人/中曾根康弘/小沢一郎が彼らに含まれると思えます。さらに鳩山も含めて良いかと思います。
・鳩山は祖父のモットーであり、「自由」と「平等」の中間を行く「友愛」を掲げます。これは新自由主義に親和的です。また彼は祖父のひそみに倣って改憲派であり、2005年には自ら『新憲法試案』を刊行しています。彼は反自由主義でも、反軍事大国化でもなかった。
・ところが新自由主義や自衛隊の海外派兵による害悪/矛盾が噴出し、これらへの反対を掲げ、政権を奪取します。彼はさらに「保守の枠」を逸脱する行動に出ます。それは彼がマニフェストの実現に拘ったのと、運動に向き合う感性を持っていたからです。
・民主党政権は当初から新自由主義派/財務省とマニフェスト実現派の抗争があった。鳩山はマニフェスト実現派・山井和則の直訴や労働運動/反貧困運動に押され、生活保護の母子加算を復活させます。ちなみに山井は後に野田内閣で国対委員長に就くが、これはマニフェスト実現派の解体を意味しています。
・鳩山は「保守の枠」を逸脱し、米国の虎の尾を踏みます。しかし彼には新自由主義改革を止めたり、日米安保を見直す気はなかった。結局米国/財界の圧力で、辺野古移転に決着します。国民は彼の動揺に怒るが、その後の菅政権/野田政権の新自由主義/日米同盟への回帰を見れば、彼の逡巡の方がはるかに良質だった。
※やっと第1回が終わり。この先が思いやられる。しかし読み応えはある。
<第2回 菅直人と菅政権の間> 2010年6月28日
・今回も「政治家論」を考えます。6月8日鳩山政権が退陣し、菅政権が誕生します。内閣支持率はV字回復し、その勢いで参院選に突入しようとします。
・鳩山は政治家3世で自民党から出発し、一貫して保守政治家として歩いてきました。一方菅は婦人運動家・市川房江を担いで政治活動に入りました。その後、社会市民連合/さきがけと通常の保守政治家とは違う道を歩いてきました。彼は改憲には関心はなく、逆に貧困問題には関心があるように思えます。ところが鳩山政権/菅政権は、自身の政治家としての経歴とは正反対の役割を果たす事になると思われます。※先が読めるって凄いな。
・前述しましたが、鳩山は反構造改革/反貧困の期待から誕生します。普天間基地問題/福祉の実現にも「保守の枠」を超えて取り組みます。しかし米国/財界の圧力に屈服し、勤労者/沖縄県民の怒りを買い、退陣します。
・菅はこの鳩山の失敗を理解し政権に就きました。そのため日米合意の堅持/福祉政策の断念/消費増税/法人税引き下げで、保守支配層/大都市中間層の支持を回復しようとします。福祉マニフェストを断念し、財政破綻を避けるため消費増税に踏み切り、一方で法人税引き下げを表明します。
・小沢を切り捨てた事を評価する人もいます。菅の小沢切りには2つの狙いがありました。1つは小沢が消費増税に反対し、公共事業/福祉への財政拡大を政策としていたためです。もう1つは小沢は社民党/国民新党との連立(?)を成功させますが、菅は普天間基地問題/構造改革で両党からの縛りを受けたくなかったからです。しかし小沢が企図した二大政党制のための政策(議員定数削減、通年国会化)は踏襲します。※小沢は米国により潰されたとする本は読んだ事がある。鳩山もマスコミに、全くなき人にされてしまった。
・鳩山が国民の運動の力により、個人的信条とは逆の政治をせざるを得なかったのと同じように、菅も米国/財界の力により、自分の姿勢に反する政治を行う事になるでしょう。※これらの力が政治を動かしている。
-現時点からの補足
・菅政権は米国/財界の力に依拠し、誕生した。そのため菅は自分の思いを実行できないと思っていた。ところが菅は権力主義者で、元々思いなどなかった。権力主義者の第一目標は権力の獲得・維持で、政治目標/政策/イデオロギー/同盟者などはそのための手段です。
・権力主義者と言うと、小沢を思い浮かべると思うが、彼には政治目標があり、権力主義者ではない。小沢については第7回で述べている。中曽根は若い頃から政治構想をノートに書き溜めていた。彼も権力主義者ではない。
・権力主義者は国民から見ると2つの顔が現れる。1つは権力主義者は権力維持のため、支配階級の枠を超え、政策は国民の期待に沿ったものになる。菅政権での脱原発依存がそれに当たる。
・しかしメディアが国民の方を向いている場合は良いが、メディアが新自由主義改革/日米同盟容認の方向に向いていると、権力主義者の政策は支配階級の要望に沿ったものになる。これが2つ目の顔です。
・菅政権は消費増税/法人税減税を主張し、さらにマニフェストで掲げていた福祉政策を降ろす。これらは「福祉バラマキ」「ポピュリズム」「消費増税による財政再建が必要」などのマスコミの報道による。
・最も重要なのは、新自由主義改革を止めて欲しいとの期待を裏切り、菅が財界/米国を代弁するマスコミの報道に乗り換えた事です。これは民主党政権崩壊の始まりとなります。
※「政治は、政治家本人の政治思想とは異なるものになる」は面白い話だ。
<第3回 みんなの党はなぜ伸びた> 2010年7月28日
・7月11日参院選が行われました。この結果には4つの特徴があります。①民主党も自民党も得票率を落した。②よって保守二大政党の寡占率は下がった。これまでは自民党と民主党で、7割の得票率を得ており、「7割のお風呂」と言っていたが、それが寡占率55.6%に下がった。③しかしその票が、反構造改革/反軍事国家の社民党/共産党に流れた訳ではなく、両党も得票率を下げた。④その票を獲得したのが「みんなの党」を始めとする新党だった。※これを4つの特徴とするのか。
・「みんなの党」の躍進は大都市圏にあります。大雑把に言えば、大都市で民主党が失った票は「みんなの党」に流れ、自民党が失った票は「新党改革」「立ち上がれ日本」に流れたのです。
・2009年総選挙での民主党の大勝は、構造改革に反対する大都市の勤労者/高齢者、地方の住民、大都市の中間層の支持によりました。今回の参院選では鳩山政権の福祉財政出動/消費増税への消極的な姿勢が、大都市圏中間層の支持を失わせ、「公務員リストラ」「地域主権改革」を掲げる「みんなの党」に流れたのです。
・また民主党は反構造改革から政権交代しましたが、菅政権が消費増税を打ち出すなど、国民はそれに失望し、民主党から離れたのです。
・今回の参院選で、保守二大政党の地盤沈下が始まりました。しかしその票は社民党/共産党に流れず、新党に流れました。この”新党ブーム”は過渡的現象です。しかしこの動きは、政治を前に進める動きです。※確かに”新党ブーム”があったが、今はなくなったな。
-現時点からの補足
・2010年7月参院選で、第一に注目したのは保守二大政党の帰趨です。2003年民主党と自由党が合併するが、その後保守二大政党の寡占率は7割で安定していた。しかし政権交代が起こった後の今回の参院選で、保守二大政党の寡占率は55.6%に下がった。
・第二に注目したのが、その票が社民党/共産党(※革新政党かな)に流れず、保守政党である「みんなの党」などの新党に流れた点です。
・第三に注目したのが、社民党/共産党に票が流れなかった理由です。連載では「消費増税は嫌だが、共産党の政策には賛成できない」としましたが、選挙制度の影響もあると思います。
・2001年参院選から今回の参院選までを見ると、共産党の得票率は7%で低位安定しています。これは投票行動が政治情勢に呼応していない証拠です(※よく分からない)。
・小選挙区比例代表並立制になると、保守二大政党対峙の状況では、小選挙区での共産党の当選は極めて困難です。もし比例代表制であれば、共産党は32議席、社民党は15議席を獲得できます。小選挙区比例代表並立制では国民の声が歪んで伝えられます。選挙制度の是正が必要です。
※制度が二大政党制を強要し、政党を規制するのは、正当な制度ではない。近年少数政党が危機的な状況になった。
<第4回 小沢一郎はなぜマスコミから叩かれたか> 2010年9月1日
・菅と小沢の代表選前ですが、今後の日本を占う重要なテーマなので、これについて書きます。
・小沢の立候補ですが、これには幾つか疑問が湧きます。まず民主党の党内からも、マスコミからも彼は「政治とカネ」の問題で批判されています。これはなぜでしょうか。第二に、菅と小沢の対立点は何でしょうか。
・「政治とカネ」の疑惑はかつてからありましたが、民主党もマスコミもそれを擁護していました。2009年春「西松建設の献金問題による大久保秘書の逮捕」、2010年1月「秘書だった石川知裕議員の逮捕」がありましたが、マスコミは「検察暴走論」などで彼を擁護し、民主党も彼を擁護していました。
・ところが今は批判の嵐になっています。これには2つの理由があります。1つは、菅政権になり小沢が権力の頂点から退いた点です。2つ目は、これにより財界/米国が彼を見限ったのです。
・財界は菅政権をいち早く支持し、参院選で大敗しても支持を表明し、代表選でも支持を表明しています。財界が彼を支持する理由は、彼が消費増税/法人税引き下げに言及しているからです。小沢の「政治とカネ」疑惑とは関係なく、小沢がマニフェスト重視で消費増税に反対しているからです。また小沢は普天間基地問題/日米同盟で態度を明確にせず、米国は不信感を持っています。
・菅と小沢の対立点は、日米同盟の強化/構造改革路線にあるのです。菅の変節は国民の怒りを買いますが、それに目を付けたのが小沢です。これに対し財界/米国/マスコミが、”小沢つぶし”に出たのです。
・ここで重要なのが、日本の政治の方向です。日本には3つの方向が存在します。①構造改革の道、②旧来の利益誘導型政治の道、③福祉国家型政治の道です。菅は①、小沢は②で、①と②の対決であり、民主党内で③の勢力は衰退したのです。
<第5回 菅はどんな政治をするか> 2010年10月5日
・9月14日菅は代表選に勝ち、内閣改造を行い、小沢派を一掃します。10月5日小沢は強制起訴されます。この狂騒劇を解説します。
・この代表選の特徴は3つあります。第一の特徴は、ポイントは菅721、小沢491ですが、小沢は善戦したと言えます。彼が絶対的に不利な理由は幾つかありました。①利益誘導型政治の彼は国民に不人気、②彼の取り巻きが良くない、③マスコミは朝日から産経まで、全て菅支持です。
・代表選での議員票は、ほぼ互角でした。党員/サポーター票は総取り制なので、ポイントではなく票数で比較しますが、菅13万8千票に対し、小沢9万票でした。小沢は低所得者/高齢者の多い下町地域で票を伸ばしています。下町地域は共産党支持率が高く、保守二大政党寡占率が低い地域です。
・第二の特徴は、マスコミによる菅支持です。マスコミは構造改革/日米同盟強化を推進するため、「菅勝利」を大々的に報じます。
・第三の特徴は、代表選は構造改革と利益誘導との闘いになり、福祉国家の選択肢が失われます。民主党は構造改革・日米同盟派の「頭」、利益誘導型政治派の「胴体」、福祉実現派の「手足」からなっていましたが、今回の代表選で、福祉実現派は構造改革派と利益誘導型政治派に流れ、解体します。
・代表選後、閣内から小沢派は一掃されますが、長妻昭などの福祉実現派も一掃されたのです。※中々面白い話だ。
・代表選で分かった事も幾つかあります。第一は、民主党内に構造改革/日米同盟強化への反発が以外に多い事です。第二は、米国/財界/マスコミによる構造改革路線への強い圧力です。財界による、しつこいばかりの”小沢つぶし”は、財界の苛立ちを示しています。第三は、福祉実現派と利益誘導型政治派の解体です。
・以上より、菅政権は構造改革/日米同盟強化路線を突っ走る事になりますが、構造改革への異論が多い事も忘れてはいけません。
-現時点からの補足
・第4回/第5回は代表選をテーマにしました。ここで明らかにしたかったのは、以下の3つです。
・第一は、菅・小沢対決の本質は「金権腐敗」「政治とカネ」などではなく、構造改革/日米同盟を巡る対立です。そこで財界と、その意を受けたマスコミは、構造改革/日米同盟強化路線の菅を強固に支持しました。これを示す資料が民主党が参院選で大敗した翌日の日本経団連会長の声明です(※資料記載)。もう1つの資料が代表選前の経済同友会代表幹事の菅支持会見です(※資料記載)。
・第二は、代表選後マスコミは「菅圧勝」を報道しますが、党/党員サポーター/議員に反構造改革/反日米同盟強化の勢力が多かった点です。これは民主党執行部の構造改革派との乖離を表しました。
・第三は、民主党の構造の変容です。政権樹立時に福祉実現派が形成されますが、この代表選で福祉実現派は分裂・解体します。
・福祉実現派の解体について補足します。福祉実現派は、運動と党を媒介し、民主党の政策転換を促しました。その典型が障害者自立支援法の廃止でした。ところが福祉実現派は解体してしまいます。この原因は2つあります。
・1つ目は政権奪取時の小沢による党改革です。彼は官僚と議員の接触を禁止し、さらに陳情団体/運動団体との接触を幹事長室に独占させます。これは集票/献金の独占が目的でした。ところが小沢チルドレンなどの当選1回の議員は運動団体との接触を絶たれ、基盤を失います。さらに党政策調査会が廃止され、政策論議もできなくなります。※小沢は結果的に自身で民主党を潰したのか。剛腕が裏目に出たな。
・2つ目は新自由主義派(前原、野田、菅)と小沢の対立が激化し、福祉実現派は分裂・吸収されます。小沢の金権・派閥的体質を嫌う者は新自由主義派に流れ、マニフェスト実現に賛成し、消費増税に反対する者は小沢派に流れます。
・以上の2つの原因により、”成長の芽”が摘まれたのです。もう1つ加えるなら、福祉実現派にリーダーが存在しませんでした。
<第6回 マスコミ論> 2010年11月4日
・講演の際に様々な質問を受けますが、常に受けるのがマスコミへの不信です。マスコミは沢山あるのに、論調が収斂する事がしばしばあります。これはマスコミの執行部/論説委員らが保守支配層の「常識」を共有しているからです。この「常識」は、米国政府/財界人/官僚/有力保守論客によって形成されています。
・この「常識」は2つからなります。1つは、日米同盟の強化と構造改革の推進です。冷戦の終焉で世界は自由市場で統一されました。この世界の秩序維持には「世界の警察」が必要で、日本もそれに貢献する必要があるとする考えです。また日本企業の競争力を強化するため、構造改革が不可避とする考えです。※どうも構造改革が2つ目みたい。
・2009年政権交代頃から、マスコミの論調が収斂するようになります。鳩山政権が普天間基地問題で迷走し、マニフェスト実現に拘り、「保守の枠」を逸脱するようになると、マスコミは「常識」に目覚めます。そしてマスコミは「鳩山降ろし」で一致します。
・菅政権が「保守の枠」への回帰を表明すると、マスコミ各社は菅政権支持に回ります。菅を好きな朝日だけでなく、読売/産経までも菅政権支持に回ります。菅政権が打ち出した消費増税に対しても各社は賛成します。さらに参院選で民主党が大敗北しても、産経以外は菅政権に辞職を求めませんでした。
・「大企業の競争力を回復させるためには、法人税引き下げしかない。財政破綻の回避のためには、消費増税しかない」が「常識」となったのです。
・この「常識」を崩すにはどうしたら良いでしょうか。それには「市民の声」「マスコミの現場記者の頑張り」が必要です。2008年NHKは「ワーキングプア」、NTV系は「ネットカフェ難民」を放映しました。それまでは「年越し派遣村」などの大衆運動が放映される事はなかったのですが、それらが全国で放映されたのです。これにより構造改革と言う「常識」は沈黙させられました。
-現時点からの補足
・マスコミへの批判は、構造改革/軍事大国化が必須とする「常識」が形成された事による。以下で「マスコミの画一化」について、2点補足する。
・1つは「マスコミの画一化」には、「常識」の共有と並ぶ、もう1つの要因がある。マスコミは「国民の知る権利」に応える言論機関であると同時に、経営体である巨大企業である。
・この典型例に、朝日での原発推進広告の掲載がある。この原因はオイルショックによる広告収入の減少であった。また「電気事業連合会」は広告掲載を求めてきた毎日に、原発記事の転向を約束させている。
・ここに社会的責任である報道と経営体である事の矛盾が発生している。さらに日本の場合、「企業社会の倫理」がこれに拍車を掛けている。高度成長期に、終身雇用/昇進・昇格制度/厳しい労働環境などの「企業社会の倫理」が形作られた。マスコミも同様で、現場の報道より、昇進・昇格が優先された。これにより現場の記者は指導部の方針を忖度するようになり、言論人ではなく企業人となった。※以前、朝日の報道が左寄りになるのは、「現場の記者が指導部に忖度するため」とする本を読んだ。
・90年代マスコミの指導部に新自由主義的「常識」が形成され、それが現場の記者に急速に広まった。
・もう1つは、現代の画一化/世論誘導と、戦時期の翼賛報道との比較である。戦時期は軍事独裁体制であり、マスコミは報道規制に置かれ、紙は配給制で、自由な報道は困難だった。一方現在は自由な報道が許されるのに、マスコミは「画一的報道」を繰り返し、その方向に世論/政党を「善導」(?)している。よって今のマスコミの体制迎合は、より深刻な問題である。
<第7回 小沢一郎は何を目指しているのか> 2010年12月1日
・講演で必ず受ける質問が、前回のマスコミへの質問と、今回の「小沢は何を狙っているのか」です。10月4日小沢の強制起訴が確定しますが、またぞろ動き出しています。
・小沢は党の指導権を握るため、カネ/利権/ポストの供与、恫喝など、手段を選びません。そのため「権力主義者」とされますが、それは正しくありません。
・1993年彼は『日本改造計画』を出版します。彼は構造改革の最も早い主唱者で、消費増税も主張し、1994年「国民福祉税」を策しています。しかし1996年新進党党首として消費増税に反対しています。民主党を率いてからも、消費増税に反対しています。日米同盟に関しても同様に、政策の転換が見られます。
・菅も「権力主義者」とされます。彼は首相に就くや、構造改革回帰/消費増税/法人税改革/日米同盟回帰を鮮明にします(第2回)。菅は権力に執着しますが、小沢にとって権力は目的を達成するための手段です。
・小沢の関心は、構造改革/軍事大国化/改憲ではありません。彼の関心は、改革を遂行できる保守二大政党制への転換です。
・1990年代初頭、小沢は軍事大国化/構造改革を遂行しようとしますが、2つの障害がありました。1つは自衛隊の派兵に反対する社会党/共産党で、もう1つは、改革に消極的な自民党です。そこで彼は小選挙区制/政党交付金を柱とする「政治改革」を追求し、細川政権でこれを強行します。その結果、社会党はなくなり、自民党は党の一元的指令で動く「改革の党」に変質します。党の政策に反対する者は、公認を受けられなくなったのです。
・しかし自身の新進党が分裂したため、保守第二政党を作成できず、構造改革/軍事大国化も進みませんでした。
・小沢の後半期の目標は保守第二政党の作成になります。そこで目を付けたのが民主党で、2003年自由党を民主党に合併させます。2007年参院選で小沢は反構造改革/福祉を掲げ、国民の期待を集めます。この参院選で、彼の代名詞である”汚いカネ”をふんだんに使います。そして2009年政権交代を実現しますが、2010年6月カネの問題で幹事長を追われます。しかし菅政権の動揺を見て、再び動き始めています(最終決戦)。
・今小沢が狙っているのが自民党との大連立です。これにより普天間基地問題、自衛隊の海外派兵恒久法、自衛隊の海外派兵を解禁する憲法解釈、財政出動しつつの消費増税、TPP/自由貿易の完成、保守二大政党制、少数政党を淘汰する比例定数削減、憲法改正を実現しようとしています。
・脆弱な菅政権も大連立を目指しています。しかしそれは構造改革/日米同盟強化を推進する専制体制であり、阻まねばなりません。
-現時点からの補足
・今回は第1回(鳩山)/第2回(菅)に続く政治家論でした。1994年著者は『政治改革と憲法改正』で小沢論を展開しました。これが集大成のつもりでしたが、とんでもなかった。その後彼は20年間も政治に影響を与え続けます。
・小沢論を2点ほど補足します。1つは、彼の構想である保守二大政党制と彼の手法の矛盾です。彼は利益誘導型政治による日本型の「合意の政治」では、グローバル化に対応した改革を遂行できないと考え、自民党による一党政権体制の打破を目指します。そこで小選挙区制を導入し、社会党を潰します。ところが小沢権力は、この政治改革で否定されるべき利益誘導型政治によって維持されています。地方財政/公共工事を縮小すればするほど、彼は基盤を失います。近年小沢権力が衰退したのは、彼が目指した構造改革が成功したからです。※自分の首を絞めたんだ。
・もう1つの補足は、彼の民主党脱党と小沢構想の関係です。彼の保守二大政党制は、彼がどちらかの党首になるのが前提でした。そのため脱党し、「国民の生活が第一」を結党した時点で、小沢時代は終焉したと言えます。これは彼を嫌う保守支配層の願望でもありました。
<第8回 保守二大政党制> 2010年12月29日
・2009年政権交代が起こり、本格的な二大政党制の時代が来ると期待されました。今回と次回は、この二大政党制をテーマにします。
・二大政党制は野党第一党から起こるのが普通ですが、日本では違った経緯で登場しました。①財界からの強い要請、②自民党の幹部である小沢による提起/推進です。
・この二大政党制には2つの狙いがありました。1つは保守による政治の安定・継続です。また政権交代と言う目先の変化で、不満を吸収するためです。55年体制は自民党一党政権でしたが、派閥の領袖が交代で首相に着き、これにより政権の性格が大きく変わりました。復古主義/軍事大国の岸信介、所得倍増の池田勇人、金権の田中角栄、クリーンな三木武夫と「振り子の論理」で政権の性格が変化しました。これを二大政党制でやろうとしたのです。
・90年代小沢が推進した二大政党制には、支配階級が願望する軍事大国化/構造改革を安定的に遂行する狙いがありました。これが2つ目の狙いです。
・自民党一党政権で、なぜ改革の遂行ができなかったのか。それは改革を強行すると支持率を失い、革新政党ができるのを恐れたのです。※消費税は中々導入されなかった。
・しかし現実は狙い通りに行きませんでした。自民党が行った構造改革に不満が生じ、民主党に政権交代しますが、構造改革への不満が余りに強く、民主党は構造改革/軍事大国化を放棄せざるを得なかったのです。保守支配層は、その鳩山政権に危機感を抱き、菅政権に交代させ、構造改革/日米同盟路線に回帰させます。そうなると国民は民主党を「マニフェスト違反」「自民党と同じ」と失望し、2010年7月参院選では民主党も自民党も投票率を落し、保守二大政党の寡占率は大幅に低下します。※両党への不信や政治不信だな。
・そうなると改革遂行には大連立しかありませんが、自民党は国民の不信を買った民主党と連立したくないのです。
<第9回 保守二大政党と大連立> 2011年1月31日
・年始年末に掛けて大連立の声が高くなりました。しかしこの声は民主党/自民党からではありません。2011年元旦、朝日/読売が社説で大連立を呼び掛けたのです。朝日は「社会保障/財政再建/対中国/TPPなどの課題解決には、大連立しかない」としました。読売も同様の社説を書きました。経済同友会などの財界も、同様の主張を打ち出します。
・マスコミ/財界が大連立を主張する理由は、菅政権だけでは構造改革の推進/日米同盟への回帰が実現できそうにないためです。緊急の課題としては、消費増税/TPPなどの自由貿易体制/衆参両議院定数の削減/普天間基地問題があります。
・構造改革の矛盾から政権交代したため、民主党は「保守の枠」から逸脱しました。そこで「保守の枠」に回帰させるため、菅政権を誕生させますが、支持率は低下し、大連立の奇手が出てきたのです。しかし大連立すると民主党/自民党への支持は益々失われると思われます。
・肝心の両政党は、大連立に乗る気でありません。自民党は解散・総選挙での政権奪還を狙っています。菅も大連立政権で首相の座を自民党に譲るのを考えていません。しかし保守支配層が改革を切望しているため、予断を許しません。
・今後の予測は難しいのですが、「前原政権が誕生し解散・総選挙となり、民主党は議席を減らし、自民党が議席を増やすが過半数は取れず、大連立政権となる」などが考えられます。財界/マスコミが改革を切望しているため、大連立となる危険性は高いのです。それを避けるには、総選挙で、消費増税/普天間基地問題/衆参両議院定数削減などにノーを突き付けるしかありません。
-現時点からの補足
・前回と今回は保守二大政党制や、政権交代後の大連立について解説しました。2011年正月、マスコミから大連立の大合唱が起こりますが、この動きは東日本大震災により中断します。結局1年半遅れ、2012年6月野田政権での「三党合意」により実現します。
・連載では、前原政権が誕生し、総選挙後に大連立になると予測していましたが、これは前原政権を野田政権に置き換えるだけで、現在(2012年9月)でも通用する予測です。
・ただ予測していない事が1つ起きました。「日本維新の会」の登場です。総選挙の結果によって、自公民の大連立か自公維の連立になるでしょう。いずれにしても大連立は”最悪の選択”です。
<第10回 衆参両院定数削減> 2011年3月1日
・2010年7月参院選で、民主党のマニフェストに重大な項目があった。「参議院の定数40減、衆議院の比例区の定数80減」である。これは日本の議会制民主主義に関係する重要な問題です。
・衆参両院の定数削減は、90年代に入り、保守支配層が求める構造改革を遂行するために登場しました。保守二大政党制を強化し、少数政党を淘汰するためです。
・1994年「政治改革」により小選挙区制が導入され、衆院定数500は小選挙区300/比例定数200になります。「政治改革」は保守二大政党制が目的のため、定数500を全て小選挙区に割り当てるのが望ましかったのですが、「政治改革」を推進した八党派自体が少数政党のため、比例定数が200になりました。そのため保守二大政党制が機能し始めるのは、1998年民主党が誕生してからになります。
・1998年参院選で自民党が大敗し、小沢率いる自由党と連立します。この時、小沢は連立条件に衆院比例定数の削減を出し、2000年20削減されます。2003年小沢自由党は民主党に合流し、二大政党化が進みます。
・民主党は当初から衆院比例定数の削減を主張しています。それは二大政党化のためです。もう一つの理由として、”自ら身を切る行政改革”を掲げますが、これは実際はそれ程効果はありません。2006年小沢が民主党の代表に就くと、衆院比例定数の削減は重要項目となります。
・衆参両院の定数削減は議員に直接関わる項目なので簡単には実現しません。しかしこれは共産党/社民党を潰し、国会を二大政党化し、構造改革/軍事大国化を遂行するのが狙いです。定数削減は日本を非民主的にし、福祉国家の実現を難しくします。また国会から多様な意見を排除します。
・小選挙区制は廃止し、中選挙区制に戻すべきです。それよりも比例代表制とすべきです。さらに国会議員の活動を活発にするため、歳費を引き上げるべきです。また少数政党の意見を国会で反映させるため、発言時間/議案提案権などの権限を拡充すべきです。※決めれる政治との兼ね合いかな。
-現時点からの補足
・連載後に選挙制度に関して進行があったので、2つ補足します。1つは、衆院比例定数削減問題が大きく進行しました。2011年10月「衆議院選挙制度に関する各党協議会」が設置され、2012年1月比例定数80削減法案/区割り審議会改正案が決定します。4月には0増5減/比例75削減/比例での連用制導入の「樽床試案」が提出されます。6月「樽床試案」を修正した法案が衆院に提出され、8月衆院では可決しますが、参院で廃案となります。※廃案なのに進行?
・民主党のこの行動は、”身を削る努力”をすると謳った「社会保障・税一体改革大綱」へのポーズであり、本心は保守二大政党制にあります。定数削減は解散・総選挙後の大連立で、間違いなく浮上する課題です。これは改憲と並び、議会制民主主義の根幹を揺るがす問題です。
・もう1つは、先ほどの協議会で小選挙区制の害悪が確認されます。「多大な死票を出し、民意が反映されない」「議員の経験が蓄積されない」「絶えず次の選挙が気になり、議員活動ができない」などが確認されます。2011年11月「衆議院選挙制度の抜本改革を目指す議員連盟」が発足し、小選挙区制の見直しが行われています。
・これらの動きは、比例定数削減による構造改革/軍事大国化とは反対の議会制民主主義を前進させる動きであり、福祉国家の制度作りの一環として評価できます。
<第11回 橋下大阪府知事、河村名古屋市長> 2011年4月2日
・3月11日大震災が起き、この行方は政治に大きな影響を与えますが、今回は統一地方選の目玉となっている橋下徹大阪府知事/河村たかし名古屋市長について解説します。
・橋下は2010年4月「大阪維新の会」を立ち上げ、府議選/市議選での多数獲得を目指しています。河村も「減税日本」を立ち上げ、3月13日の市議選で28議席を獲得しました。県議選でも大村秀章知事の「日本一愛知の会」と合わせ、過半数の獲得を目指しています。彼らの政策は必ずしも一致していませんが、「地方自治体(以下自治体)に権限を」の主張は一致しています。
・彼らが注目される理由は、①保守支配層からの期待、②国民意識の変化です。1つ目の理由「保守支配層からの期待」ですが、橋下らの政治が構造改革路線を実現する「地域主権改革」のモデルになっているからです。そもそも「地域主権改革」は自民党政権時代からあり、それは「地方分権改革」と呼ばれていました。
・「地域主権改革」を簡単に説明すると、自治体に権限/財源を委ね、地方を構造改革の単位にする政策です。これまでは全国で平等な福祉/医療/教育を受けられるようにナショナルミニマムを設定していましたが、これを地方が自由に削減できるようにする改革です。
・具体的には保育所の施設基準の自由化、ハローワークなどの国の機関の移管、「ひも付き補助金」を廃止し「一括交付金」として資金を交付、などです。
・しかし「地域主権改革」を成功させるためには、橋下知事/河村市長のようなリーダーシップが取れる首長が不可欠です。
・橋下府政は「地域主権改革」のモデルとなる3つの特徴を備えています。①彼は財政危機を訴え、福祉/教育費の大幅な削減を行った(※上下水道/公共バスとかもあったかな)。②これにより貯めたカネを「大阪ベイエリア」の開発などに充てた。③彼は首長独裁型政治を行っている。住民/公務員/議会の声を聞いていたら、改革は実行できません。
・河村は橋下と異なる政策を取っていますが、首長独裁型政治を追求している点では一致しています。こうした多様性は「地域主権改革」は民主主義的であるとの宣伝にもなっています。
・彼らが注目される2つ目の理由は、「国民意識の変化」です。政権交代後1年半を経て、国民は政治に失望し、閉塞感を強め、自民党でも民主党でもない「みんなの党」や「大阪維新の会」に期待するようになったのです。
・この傾向には積極的/消極的の2つの意味があります。1つは自民党でも民主党でもない道を求める志向で、もう1つは、その道が定まらず、国民の関心は浮動しています(※前者が積極的、後者が消極的かな。もう少し説明が欲しい)。今こそ、構造改革でも日米同盟でもない、福祉国家へ進むべきです。
-現時点からの補足
・今回の連載では、民主党政権が進めている「地域主権改革」の尖兵となった橋下府政を解説しました。彼の全国進出については、第20回/第21回で解説しています。
・彼らが注目されている理由を、保守支配層と国民の期待と解説しました。そこで重視したのは、橋下府政が民主党政権の「地域主権改革」のモデルになっている点です。
・「地域主権改革」の狙いは、国が持っていた福祉/医療/教育の執行責任を自治体に任せ、国の財政的・人的負担を減らす事です。さらに自治体はこれを民間に委ねる事で、自治体も財政的・人的負担を減らす事ができます。
・例えば保育所では、国が定めた「子供1人当たりの広さ」「保育士の配置基準」を廃止し、自治体が独自に条例で定めます。その結果、より劣悪/矮小な保育所の開設が可能になりました。他にも公立学校の学級定員、生活保護施設での居室定員、介護施設の職員配置などの基準を自治体が定めるようになりました。
・他にハローワーク/地方整備局などを自治体に移管する「出先機関廃止」、補助金/負担金の使途を指定しない「一括交付金」なども実施されました。
・「地域主権改革」はこの様な改革ですが、重大な前提があります。それは橋下府政のように、自治体は基準を緩和し、財政をスリム化する方向に進んでもらわなければいけません。
・「地域主権改革」の司令塔「地域主権戦略会議」で、国家戦略担当大臣・仙谷由人は、「『一括交付金』が人への施策/保育園・幼稚園/医療などではなく、橋・道路などの開発に消えても仕方がない」と答えています。※政府は福祉をスリム化して、開発にカネを流したかったのでは。政府は真の目的を隠していた?
・橋下は「地域主権改革」のモデルになる事を十分自覚し、福祉/公共事務を切り捨て、開発にカネを回しました。
・国の義務付け・枠付けを廃止する「地域主権改革一括法」が二度に亘り制定され、現在第3次の「地域主権改革一括法」が国会で審議中です。
・東京都では”ほふく室”の面積が3.3㎡から2.5㎡に緩和され、大阪市では保育室の面積が3.3㎡から1.65㎡に緩和されました。
・橋下は第16回戦略会議で、「保育所の面積基準の緩和を訴えてきましたが、政府の英断に感謝します。これにより喫緊の課題『待機児童解消』の選択肢を与えて頂きました」と述べています。彼は「地域主権改革」を急速に遂行します。彼の国政進出は「地域主権改革」を全国に拡大する意味があります。※彼の著書『実行力』を読んでいないが、彼を象徴する書籍かも。実際に「地域主権改革」はどれ位進んでいるのか。首長への依存度が高そうだけど。
※やっと本書の半分。大変参考になる本。
<第12回 被災地東北地方の被害は、なぜ深刻化したか> 2011年5月5日
・3月11日東日本大震災/福島原発事故が起きました。私達は「3.11」として記憶から消えないでしょう。今回と次回は、これについて解説します。
・この復興の困難さは人災であり、日本の政治構造(?)の所産です。これを解明すれば復興の方向も見えてきます。結論を言うと被災地は、自民党政権による地方構造改革で、震災前から衰退を余儀なくされていました。震災により、さらに深刻化しますが、民主党政権は構造改革を加速させています。
・60年代より自民党政権は重化学産業/大企業を優先させ、農業/地場産業は停滞/淘汰されてきました。そのため地方が支持基盤の自民党は、財政資金をダム/高速道路/新幹線に撒布しました。農家や企業でリストラされた人は、地方での公共事業に従事しました。これにより日本社会は安定しました。田中角栄/竹下登/小沢の政治は、この利益誘導型政治を象徴しています。※これが政治構造かな。
・しかし90年代になると、この利益誘導型政治は大企業の競争力強化の桎梏になります。そこで小泉政権は地方構造改革「三位一体改革」を推進します。地方交付税が大幅に削減されたため、地方財政は危機に陥り、医療・福祉は削減され、学校は統廃合され、公務員はリストラされます。また市町村の合併が強行され、役所/公共施設は統廃合されます。※小泉人気は不思議だ。
・この構造改革の結果、2009年総選挙で民主党が大勝し、政権交代します。ところが財界の圧力を受けた菅政権は、構造改革に回帰し、地域主権改革/消費増税/TPP参加を表明します。
・これらの構造改革により、東北地方は震災前より深刻な状況でした。医療・福祉は崩壊していました。2007年「県立釜石病院」と「釜石市民病院」は統合され、250床を持つ「釜石市民病院」は廃止されます。
・地方財政危機により、防災/福祉/介護に携わる公務員が削減され、小中学校もどんどん廃校になります。そこに大震災が直撃したのです。
・菅政権は震災後も構造改革を推進しています。「社会保障の持続のため」として、消費増税を強く主張しています。「復興構想会議」は「復旧ではなく復興」と言っていますが、これは大企業本位の大規模な復興をするためです。「国際競争力を待たせるため」として農業/漁業の集約化を進めています。一方で「復興財源のため」として消費増税を提案しています。※復興特別税/復興債などがある。”氷の壁”もあったな。
・しかし構造改革とは逆の、市町村合併の見直し、農業・漁業・地場産業の復興、医療・福祉・介護・教育の強化、公的就労の強化、地元業者を中心とした公共事業、地域循環型の経済が望ましい復興と考えます。※巨大堤防の建設で揉めていたな。
-現時点からの補足
・今回と次回は、東日本大震災の復旧・復興について解説した。連載は震災2・3ヶ月後に書いたが、今は十分な調査・研究が出揃っている。
・被災地は60年代以来の高度成長政策により、農業/漁業/地場産業は衰退を迫られていたが、公共事業によりその衰退をカバーしていた。ところが90年代以降の地方構造改革により、地方財政は削減され、福祉/医療/公務部門は削減された。そこに大震災が直撃した。
・講演で例に挙げるのが、岩手県大槌町である。大槌町は公務員が180人いたが、地方構造改革で40人削られ、さらに震災で40人が命を失った。残った100人で被災者・行方不明者の捜査/がれき処理/仮設住宅の建設などを行った。これでは仕事が進まないのは当然である。
・被災地では構造改革前の福祉/医療/教育を取り戻し、利益誘導型政治で壊された農業/地場産業を復活させる必要がある。ところが民主党政権は、農地/漁港の集積化を図り、グローバル企業本位の構造改革型復興政策を取っている。
<第13回 原発の政治学> 2011年6月1日
・福島第1原発事故の収束の目処は立っていません。また政治学からは2つの問いがあります。1つは「日本は狭く地震国なのに、なぜ多数の原発が建設され、また電力会社は、なぜ安全対策を怠ったのか」です。2つ目は、「そんな原発を、なぜ地域・自治体は許容したか」です。
・戦後の日本は水力/石炭をエネルギーとしていました。ところが米国がサウジアラビア/イラン/イラクの支配権を確立し、石油メジャーが原油の量産体制を確立します。そこで米国が日本に石油を押し付けてきたのです。1962年原油の輸入が自由化され、嵐のように石油に代わります。これにより炭鉱は閉山になります。※こんな歴史があるのか。
・安い石油は高度成長の原動力になり、1973年にはエネルギーの77%が石油になります。ところが同年の中東紛争で石油の輸入が途絶し、今度は嵐のような原発建設が始まります。
・80年代スリーマイル/チェルノブイリの原発事故で、世界的に原発の見直しが行われますが、日本は原発政策に邁進します。※原子力村による安全神話だな。
・90年代グローバル化により競争力強化のための構造改革が行われ、電力会社はコスト削減のため、耐久性・安全性を疎かにします。これが原発事故を起こした原因です。
・もう1つの問いが、「なぜ地域は原発を許容したか」です。これも自民党政権の利益誘導型政治によります。高度成長期、農業/地場産業は衰退しますが、地方への公共投資で支持基盤を築きます。
・原発が建設された地域は、いずれも公共投資も受けにくい”僻地”です。福島第1原発のある「浜通り地方」は、”福島のチベット”と言われています。政府/電力会社はそんな地域に原発を強要したのです。
・特にエネルギー政策を転換させた1974年、政府は「電源三法」を制定し、「電源開発促進税」を徴収し、これを「電源三法交付金」として原発の立地対策費としました。2004年には福島県に824億円が交付されています。建設後は自治体に巨額の固定資産税が入り、さらに自治体は電力会社から核燃料税を受け取っています。
※電力会社から色々な税を徴収しているな。交付金824億円は巨額だ。福井県高浜町と関西電力の関係が、今大変な問題になっている。
・交付金や固定資産税は年と共に減額します。また小泉政権での構造改革により、地方財政は逼迫しました。そのため原発を受け入れた自治体は、原子炉の増設や原発の再稼働を要求する異様な状態になっているのです。
・この事態にどんな対応が必要でしょうか。まず対策会議(?)に原発に批判的な学者/政党を加えるべきです。また原発の安全基準/放射線の被爆許容基準の見直しが必要です。
・菅は浜岡原発を停止させましたが、全原発を停止しなければいけません。そしてエネルギー政策の転換が必要です。私達もライフスタイルの変更が要求されます。
・そして最も重要なのは、構造改革を止め、農業/地場産業が生きていける地域を再建する事です。※東京一極集中は、少子化の原因だからね。長い目で見れば、地方の衰退は日本の衰退になっている。
-現時点からの補足
・今回は、なぜ地震が多発する日本に54基もの原発が建設されたのかを解説しました。そこに保守党のエネルギー政策と、利益誘導型政治に搦め捕られた地域の問題がある事を説明しました。
・前者では、石油依存のエネルギー政策の破綻が原発集中建設に結び付いた事を説明しました。後者では、交付金/固定資産税などの収入を目当てに原発を受け入れた自治体は、原発を次々と建設せざるを得ない状況を説明しました。ここで一番言いたかったのは、原発事故は政治構造の所産であり、福祉国家への転換が不可欠である事です。
<第14回 野田政権の発足> 2011年10月5日
・前回を最後に連載を止めさせてもらった。それには幾つかの理由があった。第一、定年退職し暇になると思っていたが、多忙が続いた。
・第二、この夏に2つの仕事があった。1つは福祉国家の中核である社会保障の構想を作る仕事があった。「福祉国家と基本法研究会」で社会保障憲章/社会保障基本法を取り纏め、『新たな福祉国家を展望する-社会保障基本法・社会保障憲章の提言』を上梓しました。もう1つは、癌に冒された親友・安田浩と天皇制国家に関する論文を纏める仕事です。これも『近代天皇制国家の歴史的位置』として上梓しました。
・連載中断中の最大の事件は、野田政権の誕生です。まず菅政権の崩壊について解説します。
・震災後に国民が菅政権に求めたのは、原発事故の収束/放射能被害の防止/大震災の救済・復旧・復興でした。しかしそれは裏切られます。一方財界は震災復興を名目にした財政出動を牽制します。それは法人税などでの大企業優遇が危うくなるからです。
・そのため菅政権は復旧・復興を被災した自治体に丸投げしようとしますが、がれき処理に見られるように遅れに遅れます。仮設住宅・復興住宅の建設、高台移住なども同様で、国民の不満は高まります。
・菅政権は「東日本大震災復興構想会議」で構造改革型復興に関しては『復興への提言』として纏め、消費増税/法人税引き下げに関しては『社会保障・税一体改革成案』として纏めます。ところが国民の支持を失った菅政権が、これらを実現するのは困難で、そのため財界は「菅おろし」を始めます。
・従って野田政権は国民と財界の相反する期待を背負って誕生しますが、国民の期待をバッサリ切り捨てます。支配層が切望する課題は、①社会保障と税の一体改革(消費増税)、②自由貿易体制の推進(TPP参加)、③原発再稼働、④日米同盟の強化(普天間基地問題)です。しかしこれらを野田政権が単独で実行するのは難しく、自民党/公明党との協調体制(事実上の大連立)が望まれています。
-現時点からの補足
・菅政権の倒閣は、国民の不信と財界の怒りによります。6月14日日本経団連会長・米倉弘昌は「菅が辞めなければ、日本は沈没する」「次期首相候補に野田/鹿野/仙谷の名があるが、野田/仙谷なら協力できる」と語っています。大連立を拒む菅政権に、財界は怒り、「菅おろし」を始めたのです。
・8月29日代表選が行われ、野田は決選投票で小沢派の海江田万里に勝利し、野田政権が誕生します。これで民主党の変質は完了します。
・補足する2点目は、野田の特徴です。彼も鳩山/菅/仙谷/前原/岡田と同じく新自由主義派であり、また保守支配層にひたすら忠実です。
・彼は代表選に立候補した時、政策構想の論文を発表しています。①新成長戦略の実行(規制緩和、TPP)、②原発再稼働/自然エネルギー政策、③税と社会保障の一体改革、④日米同盟の強化です。これらを実行するには「与野党協力」が必要としています。
・これらの政策は、野田政権誕生後に経済同友会が発表した『野田政権への期待』(※資料記載)と全く一致しています。さすがに彼は全く同じでは恥ずかしいので、論文の最後に「自分の政治は、社会主義と新自由主義の『中庸』に位置する」と書いています。この「中庸」は自由と平等の中間を意味します。ところが彼の行った政治は、”中間層の厚み”どころか、中間層を縮小させる新自由主義の再起動でした。
<第15回 原資料に当たる事の大切さ> 2011年11月7日
・今回からは保守支配層の原資料を読み、現代政治を考えます。その第一の理由は、読者の皆さんに保守支配層の現物を読み、それを検討する力を身に付けてもらうためです。政治では色々な問題(TPP、原発再稼働、消費増税など)が提起されます。皆さんはそれらの問題を新聞/テレビで知り、より知りたい方は雑誌『世界』『週刊金曜日』などで探ります。それと並行して現物を読む癖を付けてもらいたいのです。これにより新聞/テレビの不十分さや、問題の真の狙いを読み解けるようになります。※レベルが高くなってきた。
・今は大変便利になり、財界や政府の政策をホームページで見る事ができます。今回扱う「一体改革」も、「社会保障改革に関する集中検討会議」のホームページで見る事ができます。橋下大阪府知事が出した「教育基本条例」「職員基本条例」もホームページで見る事ができます。
・現物に当たれば、マスコミの報道がいい加減で、意図的と思われる間違いが含まれているのが分かります。
・第二の理由は、原資料を分析するには、それなりの知識が必要なのを分かってもらうためです。今回は「一体改革成案」(以下成案)を扱います。皆さんは、この狙いを消費増税と思われるでしょうが、この「成案」には、様々な事が書かれています。マスコミは「若者の雇用就労支援策が打ち出された」「高額療養費の限界額が引き下げられた」などを報道しますが、それでは不十分です。
・「成案」には、「自助・共助・公助の最適なバランスに留意し、・・格差・貧困の拡大や社会的排除を回避し、・・社会経済を支えていく事のできる制度を構築する」と書かれています。これを美辞麗句と思われるでしょうが、これは「一体改革」の重要な社会保障観です。
・今月に入り「社会保障と税の一体改革」が動き始めました。「成案」は、6月30日菅政権の閣議で報告されたものです。野田政権はこれを実行に移し、来年の通常国会で消費増税と社会保障改革の法案を提出する方向で動き出しました。
・11月3日野田はG20首脳会議で、消費増税を「国際公約」します。これは民主党の「社会保障と税の一体改革調査会」「党税制調査会」の頭越しにされたもので、当然国会で承認されたものでも、総選挙で国民の信任を得たものでもありません。
・民主党のマニフェストは、「消費増税は国民の信任を得て行う」となっており、野田の言動はこれに違反します。次回は「一体改革」を振り返ります。
-現時点からの補足
・今回から5回に亘り「社会保障と税の一体改革」をテーマにしました。これは野田政権の構造改革再起動の焦点でした。これを実現するため、2012年6月「三党合意」が成立し、事実上の大連立政治となります。これをテーマにした事に間違いはなかったと感じています。
<第16回 一体改革は、なぜ出てきたのか> 2011年12月5日
・「社会保障と税の一体改革」が出てきたのは、2010年秋で、菅内閣が7月参院選で大敗した後です。実は「社会保障と税の一体改革」は福田内閣が提起し、麻生内閣でも言われた政策です。
・構造改革が始まったのは橋本内閣(1996年1月~98年7月)です。しかし構造改革はジグザクにしか進みませんでした。それは構造改革として、労働者の非正規化/労働条件の切下げ/社会保障の削減/公共事業の削減/保護の廃止/規制緩和が行われ、大企業の蓄積は増大するが、矛盾が顕在化するためです。橋本内閣は社会保障の構造改革/消費増税を実行し、参院選で大敗します。そこで矛盾を緩和する小渕/森内閣が誕生します。
・ところが財界がこれに怒り、構造改革を約束する小泉内閣が誕生し、5年半に亘り構造改革を強行します。しかしこれにより大企業は未曽有の利潤を得ますが、貧困・格差が顕在化し、「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」などの言葉が流行語になります。
・小泉内閣を引き継いだ安倍内閣は潰れ、構造改革の手直しを期待されて誕生したのが福田/麻生内閣でした。貧困・格差に直接効果のある社会保障に財政出動するが、その代わり消費増税をさせてもらう「一体改革」が提起されたのです。
・2008年1月福田内閣(2007年9月~08年9月)は「社会保障国民会議」(以下国民会議)を設置します。「国民会議」は小泉構造改革を否定せず、「社会保障構造改革による給付削減/負担増により、制度の持続性は増したが、社会保障サービスは劣化した。そのため今後は社会保障の機能強化が必要」とします(※資料記載)。
・具体的には、基礎年金の国庫1/2負担、崩壊したと言われている医療・介護・福祉サービスの拡充、高額療養費制度の改善、低所得者対策などが提起されます。またこれらを実現するためには消費増税が必要としたのです。しかしこの「国民会議」の最終報告前に、福田内閣は倒れます。
・麻生内閣(2008年9月~09年9月)は「一体改革」を実現するため「安心社会実現会議」を設置しますが、総選挙で大敗し政権交代します。
・鳩山内閣(2009年9月~10年6月)は福祉関係の財政支出を打ち出し、消費増税は凍結します。そして菅内閣が、再び「一体改革」を持ちだしたのです。これについては次回で解説します。
※グローバル化後の日本の政治は、構造改革の歴史と言えそう。
-現時点からの補足
・連載では民主党の「一体改革」の前史として、福田内閣の「国民会議」を解説した。しかしこれでは前史の半分しか説明していない事になる。そこで前史の残り半分を解説する。
・実は福田内閣が「一体改革」を提起する前、小泉内閣にも別の系譜の「一体改革」があった。小泉内閣は本格的に新自由主義を実行した政権だったが、社会保障費/公共事業費の削減を実行するが、消費増税には反対する政権だった。それは消費増税すると、財政拡大を防げなくなるからである。
・これに対し財界は、社会保障費/公共事業費の削減は賛成するが、大企業の負担を軽減するために、消費増税すべきと主張した。従って財界の「一体改革」は、「社会保障を”削減”し、消費増税も実行する」であった。※こんな一体改革があったのか。
・その理由としたのが、財政破綻だった。2004年日本経団連が出した報告に、それが書かれている(※資料記載)。この報告には、「財政再建のためには社会保障費/公共事業費の削減は喫緊の課題で、さらに消費増税が必要」としている。日本経団連は、当時は「一体改革」の言葉は使っていないが、2008年には「税・財政・社会保障制度の一体改革」としている。
・ところが2006年頃から、構造改革の矛盾から「格差社会」「ワーキングプア」などが問題になり、福田内閣で先の財界の「一体改革」と異なる「一体改革」が検討されるようになる。
・「国民会議」は、「2000年代の社会保障構造改革で制度の持続可能性は高まったが、少子化への対応への遅れ、高齢化の進行、医療・介護サービスの劣化、セフティネットの低下、制度への信頼低下を招いた」と報告した。つまり「社会保障制度の強化には、消費増税が必要」となった。
・麻生内閣の「安心社会実現会議」は、福田内閣の「一体改革」を受け継いだ。しかしリーマンショックが起こり、「非正規の雇止め」などが横行するが、社会保障充実論は後退し、消費増税に重点が置かれるようになる。※一体改革には長い歴史があるんだ。
<第17回 構造改革政治の焦点に浮上した一体改革> 2012年1月4日
・先月29日、大きな変化があった。野田は「民主党税制調査会」「一体改革調査会」の合同総会で、2014年4月に8%、2015年10月に10%の消費増税を決定します。
・これまでを振り返ります。福田内閣は「一体改革」を提起します。これは「社会保障を充実させるが、消費増税も行う」とするものでした。しかし鳩山内閣になり、これは凍結されます。ところが菅内閣になり、「一体改革」が再浮上します。これが今回のテーマです。
・菅内閣の行動は素早く、法人税の当面5%の引き下げと、消費増税を打ち出します。そのため2010年7月の参院選で大敗します。菅内閣は財界の圧力で、社会保障の充実を消費増税の口実にし、「一体改革」は変質します。
・そこに東日本大震災が起き、「一体改革」はさらに変質します。被災地の復旧・復興、原発事故の収束/除染/がれき処理などに膨大な財政支出が見込まれるが、これを大企業が賄う事は許されず、国民に負担させる方策が検討されます。これにより社会保障は充実から、削減に向かいます。
・「一体改革成案」(以下成案)の眼目は、消費増税の時期の明記にありました。しかし小沢派は、民主党が政権交代した理由を自覚しており、消費増税に反対します。そのため7月1日「成案」には、「税率は10%、時期は2010年半ば」しか記入できず、しかも「成案」は閣議決定できず、閣議報告となります。※小沢は頑張ったな。
-現時点からの補足
・今回は政権交代で没になった「一体改革」が、菅内閣で再浮上した経緯を説明しました。しかしそれは2度の変質を伴った。2010年参院選で民主党は消費増税を掲げ大敗するが、マスコミ/財界は菅内閣の存続を支援します。
・そこで菅内閣が消費増税を実現するために使ったのが「一体改革」でした。菅は与謝野馨を引っこ抜き、「社会保障改革に関する集中検討会議」を立ち上げるが、実質は社会保障ではなく、消費増税を検討します(第一の変質)。
・さらに東日本大震災が起き、復旧・復興財源が必要となりますが、財界は大企業の負担を認めないため、消費増税が不可欠となります。ここに「社会保障は削減するが、それでも不足するので、消費増税を行う」となります(第二の変質)。
<第18回 肩車型社会では消費増税は仕方ない?> 2012年2月7日
・1月24日通常国会が開会しました。野田は施政方針演説で「一体改革」を最大の課題として掲げます。1月6日「社会保障・税一体改革素案」(以下素案)を閣議報告します。3月下旬予算案の通過後に、法案を採決する予定です。「素案」は菅内閣での「成案」を引き継ぐものですが、改悪されています。今回と次回は、この「素案」を解説します。
・「素案」は、消費増税の口実を「負担の世代間公平論」「財政危機論」から訴えています。何点か解説します(※大幅に省略)。
・①高齢化により「肩車型社会」になると繰り返し強調しています。「半世紀前は『胴上げ型』だったが、近年は『騎馬戦型』になり、将来は『肩車型』の社会になる」と記されています。
・②「年金・医療・介護などは、給付は高齢世代、負担は現役世代であったが、これでは持続可能でない」と記されています。
・③「日本は巨額の財政赤字を抱え、このままでは財政危機に陥る」「社会保障関係費が一般歳出の半分を超えている。しかも税収は一般歳出の半分もない」と脅している。
・④「現役世代の減少/社会保障費の増大/財政赤字の拡大に対処するには、国民全体が負担する消費増税しかない」と結論しています。
・しかしこれらのロジックは、まやかしです。①「肩車型社会」になるのは想定されますが、これと②「社会保障費の増大」/③「財政赤字の増大」は直結しません。「財政赤字の増大」の原因は、「現役世代が減少し、高齢者の負担が少ない」ではないからです。
・財政の担ぎ手は、所得税(個人所得税、法人所得税)/金融資産も含めた資産税/消費税が三本柱です。また社会保険料も大きな比重を占めます。一方担がれる方は、社会保障費は高い割合を占めますが、他に公共事業費/教育費/軍事費などがあります。
・財政赤字の問題は、担ぎ手で言えば個人・法人所得税の連続的引き下げ、金融資産課税の減税などの大企業の競争力を付ける構造改革の結果です。また日本は福祉国家でなかったため、企業の社会保険料の負担が元々軽く、大企業/高額所得者が負担増から逃げ切っています。もう一つ付け加えると、日本の社会保障費は元々少なく、公共事業関係費がべらぼうに大きかったのです。
・結果として④「消費増税が必要」としていますが、大企業などの負担を増やすべきです。法人税引上げ、社会保障料負担引上げ、金融資産課税、所得税累進制の復活など、担ぎ手を大きく、強くするべきです。
・ところが「素案」では、高齢者も負担が必要として消費増税を主張しています。逆に財政赤字の原因である法人税の減税を主張し、担ぎ手から大企業を外そうとしています。
※いい加減に、エリートは弱い者いじめを止めた方が良い。現在「全世代型社会保障」が検討されているが、これはどうなのか。
-現時点からの補足
・「一体改革」は菅内閣で変質したが、野田内閣でさらに後退する。野田は「一体改革」を実現するため、2つの事を成さなければならなかった。1つは民主党にはマニフェストに忠実な小沢派がいたが、2011年末「一体改革」を党議決定に持ち込みます。
・もう1つは、自民党/公明党との連立です。小沢派が党を割ったため、「一体改革」には自公との連携が必要となった。自民党は民主党の社会保障費削減が不十分としており、野田はそれにすり寄ります。
・2012年1月6日、野田内閣は「素案」を策定するが、これは「肩車型社会」「高齢化社会」で国民を脅し、社会保障充実論を捨て去り、消費増税論を正当化するものでした。
<第19回 社会保障にも削減のメス> 2012年3月5日
・野田内閣は「社会保障と税の一体改革」に邁進しています。1月6日「素案」を発表し、2月17日それを「大綱」にし、閣議決定しました。3月下旬、一体改革法案を国会で強行すると公言しています。
・「素案」の第一の特徴は、「肩車型社会」「高齢化社会」で国民を脅し、消費増税を国民に呑ませようとしている事です。またマスコミは、これに全面的に協力しています。
・第二の特徴は、社会保障を圧縮する仕組み(?)が打ち出されている事です。民主党政権の「成案」「素案」で、「社会保障費を抑制し、さらに消費増税が必要」と変質しました。さらに「素案」では、「社会保障の責任は国・自治体にない」が基調になっています。
・菅内閣が策定した「成案」で、「社会保障は『自助』が基本で、それを国民間の『共助』で補完し、それでも対応できない時は『公助』を行う」と改変されました。社会保障は『公助』ではなく、『共助』としました。
・ここに2つの改変があります。1つは、社会保障は憲法25条で保障されています。社会保障は資本主義が生んだ疾病・傷害・失業・貧困などの困難な問題に、企業の負担や公的責任によって保障する事です。これは明らかに「公助」です。
・2つ目の改変は、医療保険などの社会保険を「共助」としました。これは時代に逆行し、医療・介護・年金への企業/国の責任を縮小するものです。また「社会保障は国民の負担」を前面に出し、「社会保障は、消費税で担うのがふさわしい」としています。
・国・自治体の責任回避は各論でも貫徹しています。「子供・子育て新システム」(以下新システム)を見てみます。「新システム」は、幼保一体化などで待機児童を解消するのを目的としていますが、実際は保育を総合施設(?)と保護者の契約に任せ、国・自治体は保育料の一部を補助するが、その責任をなくすのが本当の目的です。事業者が総合施設に参入し易くなるように、指定基準/施設整備基準を緩和しています。
※小さな政府に向け、多分野で着々と新自由主義化が進んでいる。米国のように、公的保険は民間保険に移行していくのかな。今回の「幼保無償化」はどうなんだろう。
・また「素案」には、「成案」になかった事を幾つか加えています。第一は、「身を切る改革」として、衆議院比例定数の80削減と公務員の削減を記しています。しかしこれは、構造改革に反対する政党(共産党、社民党など)を議会から消し去るのが本当の目的です。
・第二に、「カネがなく財政破綻する」と脅しながら、法人税を4.5%に引き下げ、さらに今後も引き下げる事を約束しています。
・第三に、逆に「消費税率10%は当面の事で、今後は5年毎に見直す」としています。※徹底している。
-現時点からの補足
・「一体改革」は、社会保障における国・自治体の責任を縮小する新たな考え方を取り、社会保障を「自助・共助・公助」のミックスと捉え、その中心を「共助」とします。
・実はこの考え方は、1995年社会保障制度審議会勧告「社会保障体制の再構築」にあり、「社会保障は、皆のために、皆で作り、皆で支える」としていた。※随分古い。
・2011年5月12日厚労省の社会保障改革原案「社会保障制度改革の方向性と具体策」(※資料記載)を読むと、社会保障の中心を「自助・共助」とし、それで対応できない場合は「公助」を行うとしています。社会保障が「自助・共助」になると、それは負担した者が負担に応じて受けられる権利であり、憲法25条に反しています。
・この考え方は各論まで行き渡っており、「子供・子育て新システム」「地域包括ケアシステム」などが提案されています。
・ここで強調すべき第1点は、この新しい考え方は「三党合意」により、社会保障制度改革推進法案として作られ、20112年8月消費税増税法と同時に成立します。第2点は、野田内閣の「素案」には「身を切る改革」として、社会保障とは無関係の議員定数削減/公務員削減が盛り込まれました。第3点は、野田内閣は小沢派を排除し、「三党合意」を結びました。これは大連立政治の枠組みであり、「一体改革」は大連立政治の幕開きを飾る改革となりました。
※「社会保障制度改革推進法案」「身を切る改革」「軽減税率」とか、言葉によるごまかしも多い。
<第20回 橋下への期待と橋下が目指すもの> 2012年4月9日
・大阪市長で「大阪維新の会」代表の橋下徹が注目されています。2011年11月27日大阪知事・市長のダブル選挙で圧勝し、全国政治への意欲を露わにしています。今回と次回は、この「橋下徹現象」を解説します。
・橋下への期待は、民主党が期待を裏切ったからです。民主党には2つの巨大な層から期待されていました。1つは自民党の構造改革政治を止めて欲しい層です。これには地方財政/公共事業を削減された地方、雇用/福祉を切り捨てられた大都市の高齢者/低所得者が含まれます。もう1つは、逆に自民党の公共事業/利益誘導政治/官僚主導政治の改革を不充分とし、さらなる新自由主義改革を求める大都市の中間層です。
・民主党は、この2つの層の期待を裏切ります。民主党は菅内閣で構造改革に回帰し、構造改革の是正を期待する層を裏切ります。TPP参加/消費増税でそれは決定的になります。この層は「第三の道」を望むようになります。
・もう1つの大都市中間層は、自民党のしがらみ政治からの決別、官僚依存からの脱却を期待していましたが、民主党が何も実行できない事を知り、急進的構造改革の望むようになります。結局この2つの層が橋下に期待を寄せるようになったのです。
・では橋下の政策「維新八策」を解説します。これは構造改革の速やかな実行で、大都市中間層の期待に沿うものです。これは大企業が切望する「第一の道」で、彼は新自由主義改革大連立のカナメ(首相)になり、強力な改革を実行しようとしています。
・「維新八策」は急進新自由主義であり、グローバル企業に市場を提供し、その繁栄で日本を再建する構想です。「維新八策」の4つの特徴を解説します。
・第一に、「小さな政府」「小さな自治体」を標榜し、国・自治体の社会保障/教育への関与を止める政策です。社会保障費/教育費/地方財政支出を大幅にカットし、これにより公務員の削減も可能になります。地方交付税交付金の廃止も記しています。
・第二に、大企業の市場を作るため、徹底した規制緩和、公的責任を縮小し民間企業を導入する、TPP参加、労働力の流動化、衰退産業の淘汰、道州制などを記しています。
・第三に、大企業の市場維持のため、日米同盟強化を記しています。
・第四に、新自由主義改革促進のための意思決定体制作りを記しています。具体的には参議院廃止/首相公選などで、これらを憲法改正構想としています。
<第21回 新自由主義政治家としての既視感と新鮮さ> 2012年6月1日
・橋下の言説・行動には既視感があり、逆に新鮮さもあります。彼の実績は大阪府政にありますが、これは石原慎太郎が東京でやった事の真似事です。石原は福祉関係を大幅に削減し、公務員をリストラし、その分をグローバル企業の拠点開発に投入しました。日の丸・君が代を強制し、教育改革を強行しました。橋下の行った大阪府政は、全く石原都政の真似事です。
・ところが橋下が全国政治に出る際には、別のモデルも真似します。小泉純一郎の新自由主義改革路線です。橋下が「維新八策」で掲げた参議院廃止/首相公選制などが、それに当たります。また「大阪都構想」を掲げ、大阪府・市ダブル選挙で大勝したやり方も、小泉の「郵政民営化」選挙の真似事です。
・しかし橋下は反原発/消費増税反対を掲げているため、石原/小泉とは違う新鮮さを感じるのです。しかしこの点にも”師匠”はいます。小沢一郎です。
・小沢は1993年『日本改造計画』で一早く新自由主義改革を訴え、消費税10%を主張しました。ところが2007年民主党代表になると、消費税は逆進的として、凍結を掲げます。彼の真の狙いは新自由主義政策そのものではなく、新自由主義政策を遂行できる政治体制「保守二大政党体制」の確立にありました。
・橋下は小沢と同様に、新自由主義改革を強行できる”政治体制作り”が第一にあるため、全国政治に出る際、反原発から大飯原発再稼働容認などの変節があったのです。
・橋下の課題は、保守支配層が切望する新自由主義の再起動です。新自由主義は再分配を切り捨てる政治のため、統合力は弱くなります。この統合のため、彼は2つの手法を用いています。
・1つは、ねたみの組織化による分断の政治です。新自由主義の被害者を相互に対立させ、矛盾への爆発を抑えています。具体的には非正規労働者から正規労働者、民間労働者から公務労働者、現役世代から高齢者、ワーキングプアから生活保護受給者、消費者から生産者などで、前者から後者を攻撃させ、分断させています。※小泉の敵を作る政治だな。
・もう1つは、国民投票型権威主義と言える手法です。「参加による同意」の調達で、選挙に勝って「白紙委任」を取り付けたとして、新自由主義を強行する手法です。※これが彼の考える民主主義なので。これも小泉に似ているかな。
・彼はこれらの手法を身に付け、全国政治に打って出ようとしています。支配層も危険を承知で、彼に賭けようとしています。これは小泉が出てきた時と類似しています。「1度目は悲劇として、2度目は茶番として」。
-現時点からの補足
・前回と今回で橋下「維新の会」に期待する層は、反構造改革に期待する大都市の低所得者/高齢者と、新自由主義の急進的実行を期待する大都市中間層と説明した。しかし「維新八策」は新自由主義の急進的実行であり、後者の期待だけに応えています。
・補足する1点目は、橋下に対する国民の期待と保守支配層の期待のズレである。保守支配層は橋下に2つの期待をしている。1つは保守二大政党制の地盤沈下を食い止める役割であり、近く行われるであろう総選挙で、自民党/民主党から離れる票を保守側に留める役割です。
・2つ目の期待は、新自由主義の急進的実行です。橋下の乱暴な議論(地方交付税交付金廃止、参議院廃止など)により、議論の水準を新自由主義に寄せる期待です。
・ちなみに2012年10月25日石原は新党立ち上げを表明しました。この「石原新党」も2つの任務を持っています。1つは自民党/民主党から離れた層を保守に引き止める任務で、もう1つは政治の軸を右寄りにずらす事です。「石原新党」は「維新の会」以上の改憲論を打ち出しています。※両党は合流して、共同代表になったかな。
・次の総選挙後、「維新の会」の政治行動が露わになるにつれ、反構造改革を期待した層は熱狂から覚める事になります。ところがこの補足を執筆中にも「維新の会」の支持率低下が見られます。これは「維新の会」が自民党/民主党/みんなの党からの脱党者の寄せ集めで、期待に沿えそうにない幻滅によります。
・補足する2点目は、「維新八策」に構造改革を強行するための”政治体制作り”が含まれる事を説明しました。「日本維新の会」結成などの動向を見ると、「決められる政治」のための”政治体制作り”を前面に出し、「日本維新の会」の独自性を主張しています。
・この典型が参議院廃止/衆議院議員定数半減などのドラスティックな改革案です。この到底実現できない”高めのボール”を投げる事で、マスコミの議論を右寄りから始めさせ、新自由主義改革が進まない事に不満を持つ大都市中間層/大企業サラリーマン層などの支持を得ようとしています。
<第22回 私達はどこまで来たか、どこへ向かっているのか> 2012年8月3日
・今回が最終回になります。この連載で一番言いたかったのは、「政治は、支配層の陰謀だけで動いたのではなく、支配層の思惑と国民の意思を代表する運動との攻防の結果である」です。民主党政権の誕生と変節は、支配層と運動の対峙の産物なのです。それだけに運動の責任は重いのです。※運動の話は一度もなかったのに。
・90年代、冷戦終焉により日本を軍事大国化し、グローバル企業の競争力を強化する新自由主義の時代が始まります。この新自由主義の第1期はイラク派兵を強行した小泉政権で終焉します。
・その直後から新自由主義の第2期が始まります。この第2期は新自由主義の矛盾が爆発し、貧困・格差や改憲に反対する運動が起き、新自由主義/軍事大国化が停滞した時期です。
・これらの運動には幾つかの特徴があります。1つ目の特徴は、自衛隊の海外派兵/改憲に反対する「平和運動」が、「反新自由主義運動」に先行した事です。その典型が「九条の会」ですが、これには良心的保守の人も加わり、全国に7500の組織が作られました。この運動により、①自公政権の改憲政策に待ったを掛け、②民主党の憲法政策/安保・防衛政策を反転させます。
・2つ目の特徴は、「平和運動」に遅れて台頭した「反新自由主義運動」です。この運動には3つの連携が見られました。①反貧困運動と労働運動の連携、②ナショナルセンター(※労働組合の中央組織)を越えた労働組合の連携、③後期高齢者医療制度に反対する民主党/共産党/社民党の連携です。この「反新自由主義運動」が自公政権の新自由主義に待ったを掛け、また民主党の政策を変更させ、政権交代が起きたのです。
・この新自由主義の第2期は鳩山政権で頂点になりますが、米国/財界の巻き返しで菅政権が誕生し、新自由主義の第3期が始まります。第2期から第3期への変節には、3つ原因があります。①支配層による圧力、②その圧力を許さない運動の不足、③新自由主義に対抗する福祉国家構想の不在です。※構想の不在は時々出て来る。
・新自由主義の第3期は、第1期と異なる特徴が3つあります。第一は、国民が新自由主義の矛盾を経験したため、新たな手口(?)やイデオロギーを持っている点です。社会保障の削減のために、国・自治体の責任を縮小した手法は、新しい手口です。また橋下「維新の会」の登場も、新しい手口です。
・第二は、第1期は保守二大政党制でしたが、第3期は大連立体制になった点です。※そうかな。
・第三は、かつては保守支持であった地域保守層(※地方ではなく地域?)が、反新自由主義/福祉国家を目指す連合(※日本労働組合総連合会?)の一翼を担う事が予想されます。農協/医師会の「九条の会」/反TPPへの参加や、地域保守層の原発損害賠償請求や原発ゼロ運動への参加が、その例です。※医薬業界はTPP反対かな。医師はどうなんだろう。
・この第3期が長引けば、国民の困難・苦痛は耐えがたいものになります。運動は、新自由主義政治に代わる福祉国家構想を掲げ、この第3期をできる限り短期で終わらせる必要があります。
-現時点からの補足
・最終回は運動の役割を強調した。ここでは新自由主義の時代区分を補足する。新自由主義の第1期は、1990年冷戦終焉から、2007年9月安倍政権の崩壊までです。この時期は、新自由主義/軍事大国化の強行期です。
・第2期は、2007年9月福田政権から、2012年6月野田政権での「三党合意」までです。連載では鳩山政権までとしたが、これに修正します。それは新自由主義/軍事大国化が再稼働するのは、「三党合意」からのためです。この時期は、運動により新自由主義/軍事大国化が停滞した時期です。
・第3期は、「三党合意」による事実上の大連立政治を画期として始まります。この時期は新自由主義/軍事大国化が再稼働する時期で、「後期新自由主義時代」です。
・新自由主義の第2期は、3つの小期に分かれます。第1小期は、2007年9月福田政権の誕生から、2009年8月麻生政権の崩壊までで、自民党政権が短命に終わり、民主党が反構造改革に転換した時期です。
・第2小期は、2009年9月鳩山政権の誕生から、2010年6月鳩山政権の崩壊までで、軍事大国化/構造改革が停滞した時期です。
・第3小期は、2010年7月菅政権の誕生から、2012年6月「三党合意」までで、軍事大国化/構造改革が再起動するが、政治体制の欠如でその実行が進まない時期です。
・従って今は「後期新自由主義時代」の始まりで、事実上の大連立政治の下で軍事大国化/構造改革が再稼働する時代です。具体的には消費増税、TPP参加、原発再稼働、改憲などが政策課題となります。私達は運動を起こし、私達の時代に戻す必要があります。
<あとがき>
・著者は大学を定年退職した時に、『クレスコ』編集部の朝岡晶子から政治学入門講座の連載を頼まれた。自分の好きな事を書くのも楽しいと思い、引き受けた。歴史家・服部之総やマルクスが好きで、彼らのような様式で書きたいと思っていた(※『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』は面白かった)。しかしそんな余裕はなかった。書き始めると直ぐに2500字を超え、多くの時間を余分な所を削るのに使った。自分が「寸鉄人を刺す」のが不得意なのを改めて知った。
・2010年3月に定年退職したが、それまでに40年近く大学に身を置いた。常に軍事大国化/改憲/新自由主義に立ち向かわねばと走り続けたため、その実感がない。本書も、その延長で走り続けながら書いた本である。落ち着いて考えた訳ではないが今後は、民主党政権の正面からの検討、現代改憲論の検討、日本国憲法が戦後社会に与えた影響、そして最終目標は戦後政治史を書いてみたい。当分休む暇はなさそうである。
・本書を書くに当たり世話になった、「福祉国家構想研究会」、「福祉国家と基本法研究会」、大学の研究者、活動家、「九条の会」、仲間の川上哲、『クレスコ』編集部の朝岡晶子、挿絵の萩トモロー、発行者の田所稔、そして『クレスコ』の読者に感謝したい。